第八章 その一
ゆっくりと瞳を開ける七海。見た事が無い光景が瞳に写るが、何処に居るのかはすぐに分かった。ここは……車の中かしらね。瞳に写った光景で、そう判断する七海。それから七海は自分が車の後部座席に座らされている事を確認しようとした。
その時に鎖がこすれあう音がするのと同時に自分の両手が自由に動かない事を感じた七海。七海は視線を下に落とすと、自分の両手首にはしっかりと手錠が掛けられていた。その手錠を見ながらも七海は思った。
こんな物……必要ないのに。私には……これ以上の鎖が私を縛ってるから。七海がそんな物思いにふけっていると、その直後に前のドアが開いて見覚えがある顔が七海の瞳に写り込んで来た。そして、その人物も七海が起きた事に気が付いたのだろう。外に居るであろう鈴音に声を掛けると、七海にも声を掛けてきた。
「いや~、申し訳ないですね。羽入家のお嬢さんには悪いですけど、手錠を掛けさせてもらいました。鈴音さんは必要無いといったんですけどね、私の判断で下手に暴れられると困りますからね。だから念の為と思って、手錠を掛けさせてもらいました」
そんな事を言って来た吉田に対して七海は顔を伏せて、着物の裾を強く握り締めると吉田に向けてはっきりと告げた。
「こんな物……必要ありません。だって……私は……」
それ以上の言葉を七海は発する事が出来なかった。ただ、自分を縛り上げる鎖が、今までに犯してきた罪が七海を縛り上げる。それだけで七海は苦しかった。だから、今更手錠ぐらいで動揺する七海ではない。
ただ、七海が言葉を途中で区切ったのは、吉田に対して七海はなんて言葉を掛けて良いのか分からなかったのだろう。そんな七海を見て、吉田はただ現状だけを七海に告げてきた。
「さて、羽入家のお嬢さん。あなた方には悪いですけど、既に表柱であるオブジェは破壊させてもらいましたよ。そして玉虫が言ったとおりに、羽入家の血筋は糸が切れた人形みたいに気を失ったようです。ですので、今のうちに生き残った人の避難と羽入家の血筋が所持している武器を没収して拘束させてもらってます。まあ、ロープで縛り上げるぐらいしか出来ませんが、これで犠牲者を少なく出来る事は確かでしょうね」
そんな事を言って来た吉田に対して、七海はゆっくりと首を回して視線を車外に通じる窓へと視線を移す。そこにはしっかりと叩き折られた表柱があり、鈴音と沙希が未だに誰かと無線で会話をしている。そんな二人に吉田は声を掛けると鈴音は沙希に向かって、何か頼む態度を取るってから七海が居る車へと向かってきた。
「気が付いたんだね、七海ちゃん」
そんな事を言いながら鈴音は七海が座っている後部座席に乗り込んでくると七海の隣に座る。吉田はすでに沙希の元へ移動しており、今では沙希から無線機を手渡されて誰かと話しているようだ。そしていつもと変わらない態度で接してきた鈴音に対して七海は少しだけ、ひねくれた言葉を口にする。
「車を用意してあるなんて、随分と準備が万端だったんですね。まるで、こうなる事が分ってたかのように」
鈴音に対して、そんな言葉を口にする七海。それは七海に出来る最後の抵抗だったのかもしれない。確かに七海は完全に鈴音に負けている。だからこそ、負けたという実感があるから、そんな抵抗を見せることで鈴音に意地悪をしようとしたのかもしれない。
そんな七海に対して鈴音はいつものように明るい態度で会話を続けてきた。
「実際のところは、かなり危ない賭けだったんだよね~。七海ちゃんが疲れ果てて、私の言葉で幻覚を見るか、そこが出来るか、出来ないかで勝敗は決まってたんだよね~。でも、私の計算通りに七海ちゃんはしっかりと自分の罪を認識したから、だから私は勝利を確信して、吉田さんに車でここに来るように頼んであったの……七海ちゃんを保護するためにね」
最後の言葉を聞いて七海は泣き出しそうな自分を必死になって抑え込む。着物の裾を思いっきり掴んで、涙が流れないように堪えた。七海としては、そこまで必死になる必要も無いと思うが、七海は未だに困惑しているのだ。
確かに七海は鈴音に完膚無きまでに負けた。しかも、自分の罪を、千坂の死を実感するようなやり方で。少し見方を変えれば鈴音が取った作戦は卑怯にも見えるだろう。けれども鈴音には、これしかなかったのだ。七海を止めて、確実に助けるためには。
七海もそれは充分に分っている。だからこそ、今になって鈴音に弱味を見せる事だけは避けたかったのだ。ここで泣いてしまっては、もう二度と鈴音には勝てない、絶対的な敗北感を得るのは確実だからだ。だからこそ、七海は泣きそうな自分を必死になって堪えた。
そんな七海を見て鈴音は少しだけ悲しそうな顔をした。まるで七海の心境を察したかのように鈴音は悲しい瞳で七海を見ていた。どうやら鈴音は七海の心を読んでいるようだ。だからこそ悲しそうな顔をし、悲しい瞳で七海を見ていた。そう、まだ終わってはいないのだ。七海を止める事は出来た。だからこそ、次は七海を助けないといけない。それが千坂から託された使命だと鈴音は感じているからだ。
そんな鈴音が静かに七海に向かって話しかける。
「罰は罪を犯した瞬間から始まる、姉さんの言葉だけどね。今の七海ちゃんなら、この言葉の真意が分かるよね。それに千坂さんが残してくれた言葉、覚悟無き殺人に未来は無い、この言葉の意味も分かるよね」
「…………」
鈴音の言葉に七海は答えようとはしなかった。もちろん、七海には分っていた。ただ、今の時点で言葉を口にしたら確実に涙声になる事を避けたかったのだ。それほどまでに七海は悲しみを堪えていた。今まで向き合う事が無かっただけに、こうして向き合うと自分自身が引き起こしてきた悲しみがどれだけの物かを実感する七海だった。
そんな七海だからこそ鈴音の言葉を聞いても黙っているだけで、ただ涙を流すのを必死に堪えるだけだった。そんな七海の心境を鈴音は知っているのか、知っていないのかは分からないが、七海が言葉を返さなくても話を続けてきた。
「七海ちゃんは玉虫と協力して人を殺めた時から……その手錠みたいに縛られていたんだよ。罰という鎖にね。でも、七海ちゃんだけじゃない、ほとんどの人が罰という鎖を見る事はしない。だって、罪の向こうに自分の望みを見つけたんだから。本当なら別の道で、その望みや希望を手に出来てたかもしれない。けど……罪を犯すしか手に入らないと思い込んだ時点で……そして犯行を行った時点で……もう引き返すことが出来ないんだよ」
鈴音の言葉を聞いて七海の視線は自然と手錠に向かった。自分の手首に掛かっている手錠。けれども七海には手錠のほかに数え切れないぐらいの鎖が手首に巻かれているのをしっかりと目にした。それが幻覚だと今の七海にも分かるぐらい、今の七海は冷静だった。それでも、七海が自分に巻き付いている鎖を目にしたのは、自分の罪をしっかりと目にしたからだろう。だからこそ、七海の目には自分自身を縛る鎖が写ったのだ。
そんな七海が呟くような声で鈴音に話しかける。
「私は……もう……この鎖から解き放たれる事は無いんですね」
そんな七海の言葉を聞いて、鈴音は思わず七海の肩に手を掛けると七海を抱き寄せるように抱きしめてやる。そして鈴音は泣きそうな声で七海との会話を続けるのだった。
「うん……そうだね。七海ちゃんは……それだけの罪を犯してきたんだもの……もう……七海ちゃんを縛っている鎖が解かれる事は無い。でも……七海ちゃんは……そうするしか無いと思ったんだよね。それしか、自分の望みを叶える事が出来ないと思っちゃったんだよね。だから……七海ちゃんは罰という鎖から逃げる事が出来ない。だって……それは、もう終わった事だから」
「…………」
鈴音の言葉に七海は相変わらず返事をする事はしなかった。けど……鈴音が言っている事は痛いほどに七海には分っていた。分っていたからこそ、七海の中にある悲しみも膨らみを増したのであった。
そんな七海が、まるで鈴音にすがりつくように鈴音の腕を思いっきり掴むと、七海はただ静かに鈴音の腕に顔を埋めるだけだった。そんな七海を見て、鈴音は一度だけ、空いている手で涙を拭うと再び七海を抱きしめながら話を続けた。
「だからさ……終わりにしようよ。七海ちゃんの罪も罰も消す事は出来ない、それは七海ちゃんがずっと縛り続ける物だから。でもさ……鎖を減らす事は出来ないけど、増やさない事は簡単なんだよ。これ以上の罪を重ねなければ良いだけなんだから。だから……終わりにしよう、これ以上の鎖を増やす事を、そして……自分自身を縛っている鎖に対して何が出来るかを考えようよ」
「縛っている鎖に対して……何が出来るか?」
鈴音の言葉に思わず、そんな言葉を返す七海。それは今まで七海が考えもしなかった事だ。けれども、鈴音は知っている。いや、正確には聞いていたのだ、無数の鎖に縛られながらも村の為に罪を重ねてきた源三郎や千坂の姿を。
そんな二人の姿を知っている鈴音だからこそ七海に言ってやれるのだ。
「そうだよ、千坂さんが言ってたじゃない。覚悟無き殺人に未来は無いって、それは逆に言えば……覚悟を持った殺人には未来があるって事なんだよ」
そんな言葉を放った鈴音の言葉を聞いて七海は再び手錠に目を向けると、鈴音に対して反論的な言葉を口にする。
「覚悟を持ったからと言って……殺人は殺人です。それは私を縛る鎖を増やす事です。そんな事に……未来があるとは思えません」
確かに七海の言うとおりである。どんな理由があったとしても殺人は殺人である。人を殺したという事実には変わりが無い。だから鈴音の言葉は七海には自分自身を縛る鎖を増やすだけの言葉にしか聞こえなかった。
そんな七海に対して鈴音はゆっくりと首を横に振ると、静かに七海に向かって伝えてきた。
「その通りだよ。でもさ、人を殺す覚悟を持ったという事は……人に殺される覚悟を持ったのと同じなんだよ。罰は罪を犯した瞬間から始まる、一番大事なのはさ……自分自身が行った罪に対して、どんな事をするかなんだよ」
「…………」
鈴音の言葉に再び沈黙で答える七海。やはり、これだけでは鈴音が何を伝えたいのかが分からないようだ。そんな鈴音が七海の身体を抱きしめ直すと話を再会させる。
「人を殺すには何かしらの理由が在る。七海ちゃんみたいに罪の向こうに希望を見た者、別の罪から逃れるために罪を犯す者、罪を犯すしか道が残されていない者。それぞれ理由は違っても人を殺した事実には変わりが無い。けど……一つだけ違う物がある。それは……自分の罪と向き合う覚悟を持って罪を犯す者。源三郎さんや千坂さんは、そういう人だったと思うよ。羽入家の存在から言って、一から十まで綺麗とは言えない。裏では汚れた事をやっているのは七海ちゃんも知ってると思う。だからこそ、源三郎さんや千坂さんは覚悟が在った。自分が罪を犯したと自覚していた。そして、その罪と向き合い、罰の代償となるべき行為をしてきた。そうする事で二人とも罪を重ねながらも罪と向き合ってきた。だから……今度は七海ちゃんの番だよ。七海ちゃんも……自分が犯した罪、その罪から発生した罰に対して何をするか。それを考えようよ、死んでいった……千坂さんのためにも」
そんな鈴音の言葉を聞いた七海は鈴音の胸に頭を預けると、今まで堪えていた涙を堪えきれずに、涙を流しながら鈴音に言うのだった。
「そんな事を言われても……何をして良いのか分からない。もう……死んだ千坂に報いる事なんて出来ない、殺して来た人に出来る事なんて何も無い。私が殺してきた人に出来る事なんて……何も無い。そんな私に何をやれっていうんですか」
「そうだね、七海ちゃんが殺して来た人には……もうどうする事も出来ない。けどさ……殺した人の関係者には生きている人も居る、巻き込まれた人にも生きている人が居る、何かを守るためにあえて罪を重ねることが出来る。犯してきた罪に目を向けられるのなら、自分自身の罰にも目を向ける事が出来る。だから……終わりにしよう。罪から目を逸らせる日々を、罰という代償に何が出来るかを考えるために。今は終わりにして、これからの事を後でじっくり考えよう。罰に対して自分が何が出来るかを」
七海は完全に鈴音の胸に顔を埋めて、未だに手錠が掛かっている両手で鈴音にすがり付くように鈴音の服を思いっきり掴む。そんな七海が少しずつだが、泣き出してきたから鈴音は優しく七海を抱きしめてあげるのだった。
そして鈴音は泣いている七海に言葉を掛ける。
「だから……今はゆっくりと休むと良いよ。もう……終わったんだから。だから、もう良いんだよ。確かに七海ちゃんを縛っている鎖は無くならない……でも、歩く事は出来る。罪という重荷を背負いながらも前に歩ける。だから七海ちゃん、今はゆっくりと休んで、それから考えよう。罪という荷物を背負いながらも歩ける道を探そう。大丈夫、だって……七海ちゃんは源三郎さんも玉虫も認めるほどの力を持ってる。それに……きっと千坂さんも見えないけど、ずっと七海ちゃんを見守ってるはずだよ。だって……千坂さんは最後まで七海ちゃんに忠誠を尽くしたんだから」
そんな鈴音の言葉が七海の心にあった堰を切ったのだろう。七海は鈴音に抱きしめられて思いっきり泣き始めた。もう取り返しが付かない過去を悔やみながら、大事な存在を自分で消してしまった罪を感じながら、いろいろな思いが七海の中に生まれては涙で外に出て行くようだった。それぐらい七海は鈴音に抱かれて思いっきり泣き続けたのだ。
「お疲れ様」
そんな言葉と同時に沙希は鈴音に缶ジュースを渡してきた。どうやら吉田が途中で買っていた二人への差し入れみたいだ。その吉田はというと、今は携帯型の無線機で金井と連絡を取ながら事態の収拾に当たっている。
鈴音はそんな吉田を見ると、今は話しかけては邪魔になると、素直に差し入れの缶ジュースの蓋を開けて、ジュースで喉を潤すのだった。
表柱を破壊するまでは緊迫していたから、そんなに感じなかったが。こうして表柱が破壊されて事態が一時的だが収拾の機会を得ると、鈴音は今朝から休憩と呼べる行為をあまり取ってはいない。柱の破壊に出かけてからは歩きっぱなしだ。だから今頃になって鈴音が疲労感を覚えても不思議ではなかった。
そんな鈴音が吉田が乗ってきた車のボンネットに座って休憩していると、沙希は窓から車内を覗き込み。今では後部座席で涙を流した後をそのままにしながら寝息を立てている七海の姿を目にして鈴音に尋ねる。
「それで鈴音、本当に七海ちゃんの事はこれ以上、何もしないの?」
そんな事を聞いてきた沙希に対して鈴音は口から缶ジュースを離すと、一度だけ頷いて沙希に告げてきた。
「うん、七海ちゃんに対して出来る事は全部やったよ。後は……七海ちゃんが自分で考えて、自分で行動するしかないんだよ。それが七海ちゃんの罰なんだから」
そんな事を言って来た鈴音に沙希は「ふ~ん」とつまらなそうな顔をしながら、鈴音の横に移動してきて、同じく車のボンネットに腰を掛けるのだった。
そんな沙希を見て鈴音は意地悪な笑みを浮かべながら話しかける。
「そんなに、こんな結末になった事が不満?」
そんな事を尋ねてきた鈴音に対して、沙希は睨みつけると持っている缶ジュースを強く握り締めてから答えてきた。
「不満に決まってるでしょ。こんな状況だけど、七海ちゃんは犯罪者なのよ。それなのに裁かれないって、犠牲になった人達が可哀相じゃないっ!」
そんな事を言って来た沙希に対して鈴音は意地悪な笑みを消すと、今度は逆に悲しげな顔をする。そして悲しげな声で沙希との話を続けるのだった。
「そうだね、本当なら七海ちゃんも裁かれれば……被害者にとっても、加害者の七海ちゃんにとっても良い事なのにね」
鈴音の言葉を聞いて沙希は訝しげな顔をすると、冷静さを取り戻したかのように鈴音との話を続けてきた。
「なんか鈴音の言葉を聞いてると……七海ちゃんを庇ってるとしか思えないんだけど」
「そんな事は無いよ。たださ……今の七海ちゃんは罪を見詰めて、罰を受け入れようとしている。それなのに七海ちゃんは罰せられる事は無い。そんな七海ちゃんだからこそ、自分で罰を探さないといけない。それは裁判で人に裁かれるよりも辛い事だと思っただけだよ」
「それなら被害者の人達はどうなっても良いっていうの?」
「そうじゃないよ。確かに七海ちゃんに殺された人、そしてその家族。それらの人は七海ちゃんを恨んでるかもしれない。ううん、恨む権利がある。だから七海ちゃんは恨まれて当然なんだよ。でもさ、殺された人はもう何も出来ない。関係者の人は七海ちゃんを批判する事が出来るけど……こんな状況で七海ちゃんだけを批判できるのかなって、そう思っただけだよ」
鈴音の言葉を聞いて沙希はジュースを一気に空にすると、設置してあった公衆ゴミ箱に投げ出し。放り出された缶は見事にゴミ箱の中に入ったのだった。それから沙希はボンネットから降りると、今度は少し移動して前のドアに背中を預ける姿勢を取ってきた。
そんな沙希が微かに見える七海の寝姿を見て、思った事を口にする。
「もしかしたら……七海ちゃんも被害者なのかもね」
そんな沙希の言葉を聞いて鈴音は両手で持っているジュースを見詰めると、少しだけ何かを考えると沙希の言葉に、こう返してきた。
「ううん、正確には七海ちゃんは加害者でもあり、被害者でもあるんだよ」
「どういう意味よ?」
突然、そんな事を言って来た鈴音に対して沙希は素直に質問する。そんな質問を受けて、鈴音は未だに赤錆のような雲が支配している空を見上げながら答える。
「確かに、玉虫の存在が無ければ……七海ちゃんは罪を犯すような真似はしなかったと思う。ううん、むしろ源三郎さんと喧嘩して、そのうちに和解するようになってたかもしれない。でも……玉虫の呪いは羽入家を縛り続けた、そして七海ちゃんは玉虫と出会ってしまった。つまり玉虫という存在が居なければ、七海ちゃんは加害者になる事は無かった。でも……七海ちゃんは罪を犯した。だから七海ちゃんは被害者とも、加害者とも言えるんだよ」
「なるほどね~、羽入家に生まれたのがそうなのか、それとも玉虫と出合ったのが運の尽きだったのか。それは私には分からないけど……どちらにしても、七海ちゃんは最初から辛い運命を背負ってたんだね」
そんな沙希の言葉を聞いて、鈴音は珍しく不機嫌な顔をしながら沙希に話しかけてきた。
「確かに七海ちゃんは辛い境遇に生まれたのかもしれない。でもさ、沙希。その事を運命という言葉だけで片付けるのはどうかと思うよ」
「……ごめん、そうだったね」
自分の言葉が失言だった事に気付いた沙希は素直に鈴音に謝った。だから鈴音もすぐにいつもの調子に戻ると残っているジュースを口にした。
二人の話を少し整理してみると、二人の交わした会話が良く分かる思われるので整理してみよう。
まずは七海についてだ。七海は玉虫の呪いと羽入家によって縛られていた、その点だけを見れば被害者と言えるだろう。だが、七海は玉虫と出会ってしまった。玉虫と出会った七海は犯行を行う切っ掛けを作ってしまい、犯行を続けてきた。その点だけを見れば加害者と言えるだろう。
つまり七海は複数の要素を持っているからこそ、加害者とも被害者とも言えないのだ。もし、玉虫が居なければ七海が殺人を行う理由は生まれなかった。そして千坂を殺す理由も生まれなかった。でも七海は玉虫と出会って共犯者となる事を決めてしまった。だから己の手を血で染めて、罪を重ね続けてきた。そんな七海を一概に悪者と言えるだろうか? もし、七海が羽入家に生まれてなかったら? もし玉虫の呪いが羽入家に掛かっていなかったら? その事を考えると一概に七海を加害者とは言えなのだ、むしろ玉虫の所為で加害者になったからこそ被害者とも言えるだろう。
だからこそ、第三者である沙希や鈴音には七海を批判する事も非難する事は出来ない。そんな権利を鈴音達は持っていないからである。七海を加害者として批判したり非難できるのは、被害者と被害者の関係者だけである。被害者から見れば、七海は加害者の何者でも無い。だからこそ七海は加害者とも言える。
けれども、七海の事情を見ると加害者になるしかなったとも思える。そんな複雑な事情を持った七海だからこそ、鈴音は七海を加害者でもあり、被害者でもあると言ったのだ。
そして最後に鈴音が不機嫌な声で言葉にした事は鈴音に対しても禁句なのだ。それは静音の言葉でもある。『どんなに苦しい状況でも、それを運命という言葉だけで簡単に片付けてしまうのは卑怯な事なのよ。苦しい状況でも頑張って努力しようとしてる人が居る、苦労から脱しようと戦ってる人が居る』静音は以前にそんな言葉を二人に聞かせたのだ。
だから七海の境遇や行動をただの運命という言葉だけ片付けるのは、今まで七海が玉虫の呪いや羽入家に対して行ってきた抵抗を無視した言葉だなのだ。七海は最大限の努力で自分を取り巻く状況を変えようとした。けど、今回はそれが裏目に出て、七海は罪を犯したに過ぎない。
それは鈴音にも言える事だ。鈴音も決して恵まれている状況とは言えない。幼い頃に両親を亡くし、それからは静音に育ててもらったようなものだ。そこには静音の苦労もあっただろうし、鈴音も随分と苦労しただろう。苦労した本人から見れば、その苦労を運命という言葉だけで片付けられるのは、これ以上無く不愉快な事なのだ。
だからこそ、鈴音の辛苦を知っている沙希はすぐに謝ってきたし、自分が失言をした事にも気が付いたのだ。今の七海を運命という言葉だけで片付けるという事は、今までの七海が行ってきて努力も簡単に片付けられる事だし、鈴音が苦労して来た事も簡単に片付けられてしまう事だ。だから鈴音も沙希には七海の境遇を運命という言葉で片付けてもらいたくは無かった。それは鈴音が痛いほどに分かる、辛い状況での苦労を疎外にして欲しくないという静音の願いが込められた言葉だったからだろう。
けれども、沙希の失言をいつまでも怒ったり、不機嫌な顔をしている鈴音ではない。今ではすっかりジュースの缶を空にすると、沙希と同じくゴミ箱に投げ込むが、見事なまでに……ゴミ箱のふちに当たって弾かれてしまった。
そんな光景に沙希は軽く笑うと、鈴音は少しだけ不貞腐れた顔で弾かれた缶を拾いに行くと、ゴミ箱に捨てて、再び沙希の元へ帰って来た。そして二人とも車に背中を預けながら、これからの事を話し始める。
「さて、次こそ最後だよね」
そんな事を言い始める沙希。そんな沙希の言葉を肯定するかのように鈴音は一回だけ頷くと話を続けてきた。
「そうだね……未だにちゃんと出来るか自信は無いけど……やるしかないんだよね。だって……私達しか……今の状況で玉虫を倒せる人は居ないんだから」
「まったく、私達はどこの勇者なんだって言いなくなるような状況ね」
そんな沙希の言葉に二人とも笑い出す。確かにゲームで言えば、これから最後のボスを倒すために出発しなければいけないだろう。それは鈴音達も同じだ。玉虫という最後のボスを倒すために、これから出発しなければいけない。全てを……終わらすために。
鈴音の笑いがゆっくりと収まると、今度は鈴音から言葉を投げ掛けてきた。
「だから……絶対、玉虫を倒さないとだよね」
沙希に言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのか、もしかしたら両方かもしれない言葉を口にする鈴音。そんな鈴音の言葉を聞いて沙希も一回頷くが、すぐに疑問に思ったことがあったのだろう、それを鈴音に尋ねる。
「ところで鈴音、玉虫は七海ちゃんを失ったからには、もう出てこないから、私達から玉虫の居場所に向かうわけでしょ。鈴音は玉虫が何処にいるか分ってるの?」
そんな言葉を口にする沙希。確かに玉虫は今までに最終局面とか、最後の場所とか、鈴音達が最後までこれたら相手にするような言葉を残してはいるものの、具体的にそれがどこかは一度も口にはしていないのだ。だから沙希には玉虫が今現在、何処に居るのかが、全く分からなかった。
そんな沙希とは正反対に鈴音には、ある確証があったのだろう。だから鈴音はいつもと変わらない表情で沙希に告げるのだった。
「そう、私達には玉虫の居所も、玉虫の所に行く事も出来ない……って玉虫は思っているから、玉虫はその場所を口にはしなかったんだよ。最も、その場所を口にしても玉虫には絶対に入ってこれないという自信があるからこそ余裕を見せてきたんだけど。つまり玉虫は私達が最後までいけないという確証があった。だから、余裕を見せながらも今は引き籠って、断罪が再会されるのを待っている」
「だから玉虫はもう私達の前に姿は見せないし、今はある場所に引き籠ってる訳でしょ。それって、どこなの?」
「沙希、それは一つだけしかないよ。もっとも玉虫の怨念が強い場所で、玉虫にゆかりがあって、聖域ともいわれている場所。そこに玉虫は居る」
はっきりと場所は言わずに、少しだけボヤけた言い方をしてきた鈴音に対して沙希は首を傾げた。それだけでも沙希には鈴音の心境が読み取れるというものだ。つまり……今はまだ出発する時では無い。まだやるべき事がある、少なくとも鈴音はそう思ってるのだろうと思った沙希は素直に黙り込むと鈴音の隣で未だに真っ黒な空を見上げ、その隣で鈴音の視線は吉田に向いたり、車内にいる七海に向いたりしていた。
「はぁ~、やっぱり、こんな天気でも、この時期だと外はちょっと寒いわね」
そんな事を言って車内から、未だに真っ暗な外を見渡す沙希。さっきまで泣き疲れて寝ていた七海だが、さすがに源三郎の血をひいている事はあるのだろう。今ではすっかり目を覚ましているものの、その表情が見えないぐらい顔を伏せていた。
そんな七海の両脇に鈴音と沙希が座っていると、今まで外で無線機で誰かと会話をしていた吉田が車内に戻って来た。
「いやいや、お待たせしました。鈴音さんの指示通りに今では、生き残った青年団が武装して生存者を探している最中です。それから、これも鈴音さんの指示通りなのですが、生き残った人は全員駐在所に集めるようにしておきまいた。まあ、場所的に言えば神社が最適なのですが、鈴音さんには考えがあるみたいでしたからね。神社は避けて、駐在所にした訳ですが……そろそろ、その辺の理由を聞かせてくれませんかね?」
最後はそんな質問で締めくくった吉田。そんな吉田に対して鈴音は七海の様子をちょっとだけ窺うと、吉田に向かって真剣な顔で告げるのだった。
「それは、先程も沙希と話していたんですけど……私達は……これから神社に向かいます」
はっきりと宣言する鈴音。それでも沙希からも吉田からも、しっくりと来る反応が来なかった。どうやら、なんで鈴音達が神社に向かうのかが分からなかったようだ。そんな二人に向かって鈴音ははっきりと口にした。
「玉虫は私達がそこまで来れないと言う確証があったからこそ、余裕を見せながら消えました。つまり、私達では絶対にそこにはいけないという確証があったんです」
「私達が絶対に行けない場所……この村にそんな場所なんてありましたっけ?」
鈴音に言葉に沙希はそんな問い掛けを吉田にも振るが、二人とも心当たりどころか見当も付かないのだろう。お互いに首を横に振るだけだった。そんな二人を見ながらも、鈴音は七海を少しだけ見ると話を続けてきた。
「まあ、正確には行けないじゃなくて、入れないといった方が確実な表現ですね。なにしろ……そこに行く鍵は一つしかないんだから、ねえ、七海ちゃん」
そこで初めて七海に話を振ってきた鈴音。そのため沙希と吉田の視線も自然と未だに俯いている七海に集中する。そんな七海が静かな声で、ゆっくりと鈴音に向かって話しかけてきた。
「……そこまで……分っているなら、今更、私に尋ねる必要が無いじゃないですか」
そんな言葉を返してきた七海に対して沙希と吉田はがっかりしたように息を吐くのだった。どうやら二人とも七海の口から、その場所が出ると思っていたのだろう。けれども、七海はまるで鈴音が全てを知っているような事を言って来たので、二人ががっかりしたのだ。
けれども、そんな七海の言葉を聞いて鈴音は笑顔で七海との会話を続ける。
「ありがとう、七海ちゃん。正直に言うと……本当にそうなのかな~って、自信は無かったんだよね。だから消去法で残った、そこだそうだと考えたんだけど。七海ちゃんのおかげで私の推論が正しいと確信したよ」
そんな言葉を口にする鈴音。そんな鈴音を呆れた目で見ながら沙希が口を開いてきた。
「それじゃあ、何? 玉虫と最後に言葉を交わしたときも、さっきも、確実にここに玉虫が居るという自信が無かったから、今まで、その場所を口にしなかったわけ」
そんな言葉を吐いてきた沙希に対して鈴音は明るく笑いながら答える。
「だってさ、沙希。確証も無いのに自信満々でそこに行ったら、実は違いました~。って事になると……私ってバカみたいじゃない」
「大丈夫よ鈴音、鈴音は充分にバカみたいだから」
「沙希の意地悪っ!」
いつもの調子で短い漫才をやった鈴音と沙希に対して吉田は苦笑いするしかなかった。さすがに、この状況でこんな漫才をやられては笑うに笑えないだろう。
それから鈴音は話を元に戻すかのように一度だけ大きく咳払いをすると自分の考えを話し出す。
「玉虫の居場所、そこは玉虫の怨念が居付くには最適な場所であり、玉虫の怨念を留めて置くにも最適な場所だったんです。そして、玉虫は怨念を維持するために影から人心を操って作ったのが……平坂神社なんです」
「そうかっ! 平坂神社には御神刀がある、だから玉虫がそこに居る可能性が高いわけだ」
鈴音の言葉にそんな答えを出すが、鈴音は首を横に振るのだった。それから、沙希が言って来た可能性が無い事を証明する。
「確かに平坂神社には御神刀が祀られており、玉虫の怨念を留めて置くには最適な場所です。いや、正確には逆ですね。玉虫が自分の怨念を留めさせるために、玉虫は影から人心を操って平坂神社を建立した。でも……それだと玉虫が余裕を見せていた理由に説明が付かない。玉虫はしっかりと言いました。自分の元へ来れたら相手をしてやろうと、つまり、私達がそう簡単に来れない場所だからこそ、玉虫はそんな言葉を口にしたんです。だから平坂神社なんて、簡単に行ける場所には居ないでしょう。もちろん、御神刀も無いはずです」
「そうなると……玉虫の怨念が未だに残っていそうなところ、つまり玉虫が殺されたところに居る可能性が高いという訳ですか」
さすがは刑事と言ったところだろう。鈴音の言葉から、それだけの推論を導いてみせた。もっとも、こんな非常識な事態ではなかったら吉田は決して、こんな言葉は口にはしなかっただろう。だが、吉田もすっかり非常識な事態に慣れたものであり、鈴音の推論にも付いてこれるようになったようだ。
そして、そんな吉田の言葉を聞いてから鈴音は一度だけ首を縦に振るのだった。それからゆっくりと目を閉じると自分の考えを再び話し始める。
「そうです、玉虫が最後の拠り所にする場所は一つしかありません。それが自分が殺された場所。そんな場所だからこそ、玉虫の怨念は宿りやすいし、悪霊となった玉虫も現世に干渉し続ける事が出来た。けれども、万が一、誰かに自分の存在が知られて、今まで企んでいた計画が壊されては意味が無い。だから玉虫はそこを封印したんです。そんな事を玉虫がしたからこそ、今まで誰もが、そこに入る事が出来なかった。それ故に、そこは聖域と呼ばれるようになった。そこの玉虫が居ます」
「鈴音、そこって……もしかして」
沙希が言葉を言いかけると鈴音ははっきりと瞳を開いて、その場所を口にするのだった。確かな確証と自身を持って、鈴音は場所の名を口にする。
「そう、平坂洞です」
はい、そんな訳で、長らくお待たせしてしまった。第八章も無事に上げる事が出来ました~。ワ~、パチパチ。
そんな訳で、今回は七章の後始末? というべき展開ですかね。まあ、前回で七海との決着は付きましたが、戦いが終わって、それで全てが終わりって訳では無いですからね~。やっぱり、鈴音としては七海を本当の意味で助けるために、最後の最後では、しっかりと話をしておきたかったのでしょうね~。
まあ、場面的には第七章に組み込んでもよかったのですけど……あの終わり方は続きが気になって仕方ない、と読者に思わせる終わり方ですから。だから……私が目論んだ通りですっ!
いたっ! 痛い痛いっ! すいませんでしたっ! だから石を投げないで~っ! というか、前回のような終わり方も、読者を引き付ける手段なんですからっ! まあ……更新に二ヶ月以上も掛かった事はお詫びしますが……。
……えっと、なんで私は縛られてるんでしょう。しかも……なんでロケットに? えっ、このまま発射、あ~、なるほど、これが今回の更新が遅れた罰ゲームですか……。
……勘弁してくださいなっ! これでも頑張ったんですからっ! 頑張って書き続けたんですからっ! そこだけは認めてくださいなっ! えっ、ダメ? というか、発射ってなにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!
…………………………
……がはっ、さすがに、あれだけ飛ばされると、生還するのにも時間が掛かったぜ。けどさ……良かったよ、最後に……空を飛べて……ガクリ。
……はいはい、そろそろ飽きてきたので、というか、次の後書きに移りたいので、そろそろ締めますね~。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。更に、評価感想もお待ちしております。
以上、あっ、旅に出たい、ふと意味不明な事を思った葵夢幻でした。