第五章 その二
羽入家でも一部の者しか知らない道を選んで進む千坂。千坂が堂々と道を進んでいるのには、しっかりとした理由が在った。それは千坂が進んでいる道は羽入家でも血筋の者と一部の使用人しか知らない道だ。
つまり、この道は村の者にも知られていない道だ。羽入家の血筋が暴走して村人を殺すのが目的なら、村へ行く道を選ぶはずだ。だから、こんな村の外、しかも一部の者しか知らない道を好んで進む者は居ないと踏んだからこそ、羽入家の血筋と出くわす可能性が無いと思い。千坂はこの道を進んで次の柱へと向かっていた。
そんな千坂が途中で立ち止まるとジャケットの着崩れを直す。どうやらジャケットの中によっぽど重い物を仕込んでいるのか、千坂は時々立ち止まると身だしなみを直すかのように、ジャケットの下に仕込んだ物と一緒に位置を直すのだった。
どうやら、相当何かを仕込んでいるらしく。普段千坂を見慣れているものなら、体格が少し変化している事から、何か仕込んでいる事ぐらい気付くだろう。それほどの変化がわかるほどの準備をするために千坂は危険だと思われる羽入家へ潜入したのだ。
その羽入家への侵入も無事に成功し、脱出した千坂は現在では重いハンマーを背負いながら、ジャケットの下に準備した物がずれないように時々直しながら、歩みを進めるのだった。
どうやらジャケットの下に仕込んだ物が、あの人を止めるための対抗策らしいが、それを使えば千坂は確実に死ぬ事は千坂自身が一番良く分かっていたし、羽入家のためにも、そしてあの人のためにも千坂はここで自分の命を捨てる覚悟を既に持っていた。その証拠としてジャケットの下にあんな物を仕込んだのだろう。
そして源三郎と約束したように、確実にあの人を止めるためにも失敗は許されない。源三郎はたとえ無駄死にしても鈴音が後始末を付けてくれるような事を言ったが、千坂の心情としてはあの人だけは千坂が自らの手で止めておきたいというのが正直な心情だろう。
だからこそ、千坂は時折立ち止まると、準備した物がしっかりと起動するか確認しながら歩みを進めるのだった。
どうやら千坂が準備した物はかなりの重量があるらしく。ただでさえ重いハンマーを背負っているというのに、そのうえ重たい装備までしているのだ。自然と千坂の歩むスピードは落ちて行った。それもしかたないだろう、なにしろ今の千坂はかなりの重装備をしているのだから。
それでも道幅の狭い道をゆっくりと歩みながら千坂は目標の柱を目指して歩みを進める。
そんな道を突き進む千坂の視界に少しだけ光が差し込んできた。来界村の上空は未だに赤錆のような雲が広がっており、日光を遮っているが、千坂は今まで更に暗い森の中にある道を突き進んできたのである。だから拓けている場所が見えたのなら、そこから微かな日光の光が差し込んできてもおかしくは無い。
けれでも、今まで重装備のためにゆっくりと歩いてきたのだ。だから千坂の目はすっかり暗さに慣れており、微かな日光でも眩しかった。それでも千坂は光が差し込む方へ向かって歩みを進める。その先に目的の物があると確信しているから。
それでも千坂は微かに差し込んでくる光が希望の光であると信じたかった。けれども頭の中ではそんな希望とは正反対の現実を考えていた。それでも、今まで暗い道を突き進んできた千坂である。微かな光に少しだけ希望を見ても不思議ではない。たとえそれが……幻想だと分っていても。
道が終わり、広場のような場所に出ると千坂は天を仰ぐ。まるでこれから起こる事が全て嘘であって欲しいと祈りながら、そしてこれからやろうとする事が成功する事を祈りながら。
矛盾とも言える千坂の心情。それもしかたないのだろう。なにしろ玉虫は必ず千坂の前にも姿を現す事は千坂自身が良く分かっている。そう……あの人と一緒に。だからこそ、千坂はそんな矛盾する心情を抱いてしまったのだろう。
けれども今でも鈴音達が玉虫を止めようと頑張っている。だから、ここで私情に流されて全てを台無しにしてはいけない。そんな思いから千坂は気を入れ直すと再び歩き始める。
広場の中央には柱となっているオブジェが紫色の不気味な輝きをしながら、そびえ立っている。千坂はそんな柱を横目に見ると、何故か柱へは向かわずに広場の端へと歩いていった。
そこは展望台のようになっており、木で作られた柵の向こうには来界村が広がっている。玉虫の力が弱まったのか、それとも日光が強まったのか分からないが、今ではそこから来界村が見渡せるぐらいまで明るくなっていた。
千坂はその展望台に設置してある柵に両手を乗せると、まるで懐かしむように来界村を見渡す。さすがにここからでは遠すぎて村での物音は聞こえないが、村では未だに羽入家の血筋達が殺戮を繰り返しているのだろう。それを止めるためにも、千坂は一刻も早く柱を破壊しなければいけないのだが、千坂は村を見渡すだけで、そこから一歩も動こうとはしなかった。
そんな時だった。突如として千坂の後ろから声が響いた。
「ここに来るのも久しぶりね。ここは私とあなたにとって思い出の場所でもあり、あなたとの契りを交わした場所だったわよね」
「はい、その通りです……七海お嬢様」
千坂はゆっくり振り返ると、そこには血まみれの制服を着て、右手には御神刀を、左手には拳銃を持っている七海の姿があった。そして、その七海の後ろには顔を伏せて漂うかのように宙に浮いている玉虫の姿があった。どうやら鈴音から受けた傷の所為で未だに動く事すら、ままならないようだ。
どうやら鈴音さんの攻撃が相当効いているみたいですね。玉虫の姿を見て千坂はそんな感想を抱く。そして七海にも千坂が何を考えたのかが分かったのだろう。七海は千坂に微笑むと玉虫について話してきた。
「私も、まさか玉虫を傷つけられる武器が存在しているなんて驚いたわ。しかも、それを鈴音さんが持っているなんて、まったく気付かなかったわよ。こんな事になるんだったら、さっき出会った時に殺しておけばよかったのかな? どう思う、千坂」
七海は微笑みながら千坂にとんでもない質問を投げ掛けてきた。そんな七海の姿に千坂はまったく動揺する事無く、今まで背負っていた重いハンマーを地面に下ろすのだった。それから千坂は七海に向かって話しかける。
「鈴音さんを殺してはいけません」
「それはお爺様の命令だから?」
「それもあります。ですがっ! それ以上に七海お嬢様の事を助けたいから、ですから鈴音さんを殺してはいけません。七海お嬢様こそ玉虫と縁を切って私達に協力してください。そうすれば」
突如として銃声が鳴り響く、その銃声に千坂は驚きながらも自分に痛みが無いかを探す。なにしろ七海が持っている拳銃の銃口は千坂に向いており、発砲した証拠に銃口から微かな煙が出ているのだから。千坂としては自分が撃たれたと思っても不思議ではない。
だが驚くべき頃は次の瞬間に起こった。突如として千坂が掛けているサングラスのフレームが弾けると、サングラスは地面に落ちて無残な姿となっていた。それだけで何が起こったのかが千坂には分かった。
そう、七海が放った銃弾は千坂の横顔。しかもサングラスのフレームを少し傷つけるように発砲されたのだ。いくら拳銃の達人とはいえ、そんな精密射撃を簡単にやってのける事なんで出来はしない。けれども七海はそんな達人技をやってみせたのだ。これこそが玉虫の力が付加された七海なのだろう。千坂はそう実感した。
だからこそ千坂は未だに驚きの表情をしている。そんな千坂を見て七海は軽く笑うと口を開いてきた。
「驚いているようね、これが玉虫の力よ。玉虫の力を使えば、こんな事なんて簡単に出来る。つまり……千坂。あなたも一瞬で殺す事も出来るのよ。でもね千坂……覚えているでしょ、知っているでしょ、私の目的を」
「はい、憶えております。七海お嬢様の目的も、そして……ここで約束した事もっ!」
最後だけ強調する千坂。それは千坂が七海にその事を思い出してもらい。また自分を信じてもらいたいという気持ちを乗せた言葉だった。けれども、そんな千坂の思いが込められた言葉も七海には届かなかった。
「約束……そうね、そういえば約束したわね。でもね千坂、あなたは遅すぎたのよ。私は玉虫と出会ってしまった。そして知ったのよ、玉虫に協力すれば……私の目的が実行できるってね。だから千坂、今の私には千坂の力も、そして羽入家の力も必要ないのよっ! 私と玉虫さえ居れば私達に出来ない事なんてないのよ。それを知ったからこそ、私は玉虫に協力する事にした。私の目的を達成するために。だから千坂、今更あなたとの約束なんて意味は無いのよ」
はっきりと千坂との約束を反故を口にした七実。けれども千坂はまるで七実にすがるかのように、悲しい顔をしながら七海に向かって叫ぶ。
「確かに私の力が及ばずに七海お嬢様の目的を達成させる事は出来ませんでした。ですがっ! 今は違います。ここで玉虫さえ倒せば七海お嬢様の目的は達成されます。遅くなりましたけど、これで七海お嬢様も自由になれます。ですから七海お嬢様、どうか考え直してくださいっ!」
必死になって七海に訴える千坂。けれども、そんな千坂の言葉を聞いた七海は今までの微笑とは違い。まるで憎しみの笑みとも言える、憎悪にも似た笑みを浮かべるのだった。
「さすが千坂ね。私の目的をしっかりと分っているようね。そう……私は自由になりたかった。羽入家を縛る玉虫の呪いから逃げたかった。そして何にも縛られる事無く自由になりたかった。それが私の目的」
「なら七海お嬢様、ご一緒にっ!」
「でもね千坂っ! 私の目的が一つとは限らないのよ」
「そ、それはどういう」
最後まで言葉に出来なかった千坂。今まで源三郎の次に仕えてきた七海の事だからこそ、千坂は七海の事を充分に知っているつもりだった。だから今まで七海が隠して来た目的、自由に成りたいという意思も知っていた。だが七海は千坂にも悟られないような目的を、まだ持っていたようだ。
その事実が千坂には驚きであり、驚いている千坂が七海にとっては滑稽でならなかったのだろう。だから七海は再び軽く笑うと、憎悪の笑みを浮かべたまま話を続けてきた。
「千坂……私はずっと恨んできた。私を縛り付ける玉虫の呪いを、そして……そんな玉虫の呪いを受け入れて何もしようとはしなかった羽入家を。ここで玉虫の呪いを解いたとしても、今度は羽入家が私を縛る事は充分に分ってる。だって……お爺様は次の当主に私を指名する手筈になっているのでしょ」
「……ご存知でしたか」
「当たり前よ。お爺様の右腕である千坂、あなたがここで私に忠誠を誓った。その瞬間から私には分っていたのよ。私が本当の自由を手にするためには……羽入家を潰さないといけないってね。そうしなければ私は本当の意味で自由になれない。だから決意したの、玉虫と協力して、この村を、そして羽入家を滅ぼすとねっ!」
その言葉を聞いて千坂は驚くよりも愕然とした。確かに源三郎から七海が羽入家の次期当主になる事は聞かされており、その事実を知っている者は羽入家の血筋でも一部と千坂達、源三郎の側近達だけである。つまり羽入家の次期当主が七海である事は、未だに七海自身にも伏せられていた事実であり、千坂も当然七海は知らないと思っていたが、まさか七海がその事実に気付いていた事は驚きに値する事であり。
そして、それを知った七海が実行しようとしている事を知った千坂は愕然とするしかなかった。確かに千坂は七海が羽入家から逃れて自由に生きたいという意志を知っている。けれども、そんな七海の意思に反するような言葉を知っていた。つまり源三郎が亡き後は七海が羽入家の当主になるという事実を。
とは言っても七海も未だに中学生である。だから、この話はあくまでも源三郎の遺言として残しておく事であり、未だに決定した事ではない。なにより、源三郎が生きているなら、その遺言を書き換える事も可能だ。千坂はそこに可能性を見出して、少しずつ源三郎を説得していたのだが、源三郎としては自分が持っている全てを七海に与えたかったのだろう。
それは純粋に源三郎が七海を孫として可愛がっていたからこそ、そんな事を思ったのだろう。だが結果的には、その源三郎の決断が七海を更に追い詰める事になってしまった。
なにしろ七海は自由を手に入れたいのだ。そのために最大の障害となっているのは玉虫の呪いだけではない。羽入家の存在自体が七海の自由を奪うための鎖となってしまったのだ。だから七海は選択をするしかなかったのだ。羽入家を捨てて逃げるか、それとも羽入家を潰すかのどちらかをである。
だが七海の力だけで大きな組織となっている羽入家を潰す事は出来ない。だからこそ、七海は過去に一度だけ羽入家から脱走した事がある。そう、鈴音が水夏霞から聞いた、七海が家出をしたという話は事実なのである。
だが、その時の七海は知らなかったのだ。なぜ羽入家が未だに来界村という田舎に留まっているのか。なぜ羽入家の血筋は来界村を出ようとはしないのか。その事実を知ったのは家出をした後の事だった。
そして七海は知ったのである。羽入家が……呪われていると。自分には自由になる権利すら無いという事を。その時は、その呪いにほんろうされるだけだったが、七海は玉虫と出会い。羽入家に掛けられている呪いが玉虫による物だと知った。
なにしろ玉虫にとっては羽入家は来るべき時には兵となる大事な人材である。だからこそ、この村から出れないように呪いを掛けたのだ。もし、羽入家の血筋が来界村から出る事があれば、玉虫の幻影は毎晩のように現れ、相手を精神的に追い詰めて村に戻す。まるで悪霊に憑り付かれたような体験をしたのだ。七海も黙って羽入家に戻るしかなかった。
そして源三郎も玉虫の呪いについて知っていたのだろう。だから七海が家出しても探そうとはしなかった。玉虫の呪いがある限りは、絶対に羽入家に戻ってくると分っていたからだ。
そんな過去の出来事を思い出した千坂は改めて七海の心境に付いて考えてみる。
まさか……七海お嬢様が、そこまでご存知だったとは。確かに……玉虫の呪いが消えれば、次の障害は羽入家そのもの。七海お嬢様が本当の自由を得るためには、もう一度羽入家から逃げ出すか……羽入家を潰すしかない。そう考えてしまっても不思議は無いですか。そして七海お嬢様は玉虫と出会ってしまった。ならば聡明な七海お嬢様の事だ、玉虫と協力した理由も納得が行きますね。なにしろ、玉虫と協力すれば……全ての障害を取り除く事が出来るのですから。
つまり七海はこう考えたのだろう。
何かの手段で羽入家に掛かっている呪いを解く事が出来たとしよう。だが、次に待っているのは羽入家の次期当主という鎖である。自由を求める七海にとっては再び縛られる事が我慢ならなかった。そんな時に玉虫と出会い、羽入家の呪いについて知ったのである。たぶん、その時だろう七海が決意したのは。
つまり玉虫に約束させたのだ。自分が玉虫に協力する代わりに、七海の呪いを解く事。そして用済みの羽入家の血筋を絶やす事。そうなれば七海は羽入家にとって唯一の生き残りであり、七海が望まない限りは羽入家は復活する事無く、そのまま絶えるだろう。七海はそこまで考えたからこそ玉虫に協力しているのだ。千坂は七海の言葉から心理までをも読み取っていた。千坂も伊達に七海に仕えていた訳ではないようだ。
そんな千坂が訴えるような目で七海に質問する。
「そんなに恨んでいるのですか。源三郎様を、いいえ、羽入家その物を」
千坂の質問に七海は冷たい眼差しに変わると千坂をじっと見詰める。それから質問の答えを返してきた。
「そんなの……当たり前じゃない。確かに羽入家に居れば不自由はしない。でも、私は不自由でも良いから、本当の自由が欲しかった。そして……その本当の自由を取り上げているのは羽入家そのもの。私が羽入家を恨むのも道理じゃない」
そんな七海の冷たい答えに千坂は熱のこもった言葉で返す。
「ですがっ! 今まで羽入家に、七海お嬢様に仕えてきた者達はどうするのですかっ! 私も含めて心の底から七海お嬢様を慕って仕えてきた者達も犠牲にするのですかっ! そこまでして本当の自由が欲しいのですか!」
千坂は七海に仕えてきた者として、七海の情に訴えた。しかも他の者達の事も自分とは変わらない、本心から七海に仕えてきた事を伝えながら。そうする事で千坂は七海の情に訴えて、少しでも七海を玉虫から遠ざけようとしたのだろう。
七海も自分が起こした行動の所為で、今まで本心から七海に仕えてきた七海の腹心とも言える者達も死んで行っている。この事実を訴える事で千坂は七海を取り戻そうとしたのだろう。だが現実の七海は千坂の言葉を聞いて冷たく笑うだけだった。
「千坂、どうやら、あなたは一つだけ本当に分っていないみたいね」
「ど、どういう意味ですか?」
まさか七海が冷たく笑い出すとは思っていなかった千坂は動揺するばかりだ。そんな千坂に七海は更に冷たく鋭い眼差しを送ると静かに話し始めた。
「確かに、羽入家に居た頃には本心から私の事を心配してくれて、心の底から仕えていた者も居るわ。けどね千坂、私にとって最大の障害、そして最も恨んでいたのは私の腹心達。つまり本心から私に仕えていた者達なの。その次に羽入家全体を恨んでいたけどね。私にとっては私に本当の忠誠を誓う者こそ、私は一番恨んでいたのよ」
七海の言葉を聞いて千坂はやっと自分の誤りに気付いた。そんな千坂が悔しそうに唇を噛み締めて、拳が震えるほど力が入っていた。そんな千坂が自分の間違えについて思う。
そうか、そういう事でしたか。七海お嬢様は羽入家を恨んでいた。それは羽入家が七海お嬢様の自由を奪っていたから。だから七海お嬢様は自分を絡め捕らえている鎖達も恨んだ。そして、その鎖こそ……私達ということですか。
つまりはこういう事である。七海は自由を手にするために羽入家を恨んでいた。だが、それ以上に羽入家に忠誠を誓い、七海にも忠誠を誓う者を七海は恨んでいた。それは七海に忠誠を誓う者こそが羽入家と七海の間にある鎖であり、七海の自由を奪う鎖であるからだ。
どうやら七海の事を思うあまりに千坂達の忠誠心は裏目に出てしまったようだ。千坂達は七海が次期当主だから忠誠を尽くしていたわけではない。七海が羽入家の、源三郎の孫として損なわない行動を取っていたからこそ、七海に忠誠を尽くしても良いと思ったのだ。
だが、そんな者達の忠誠心も七海にとっては羽入家から伸びてきた自分を絡め取る鎖に過ぎなかった。つまり七海に対する忠誠心こそが七海を縛り付ける鎖だったのだ。
源三郎もそこまで考えて、七海の周りに人を配置したわけではない。ただ源三郎が七海を可愛がっている事は誰でも知っている。だから七海に媚売っておこうとした者、七海の行動から七海に本心から忠誠を使う者、七海が次期当主だと知っているから七海に忠誠を誓う者。そんな人々の心こそが七海を縛る鎖であり。七海は自分を縛る鎖を最大限に恨みを感じていた。
だが七海の立場から言って、その恨みを表に出すわけにはいかない。だから千坂が七海が隠していたもう一つの目的について分からなくても当然と言えるだろう。
なにしろ七海は本当の自由を得るために、羽入家を潰そうとしているのだから。その過程で自分を縛っている鎖が勝手に死んで行っているのである。七海にとっては、これほど好都合な展開は無いだろう。
その事をやっと理解した千坂はうな垂れるように頭を落とした。そして確信するのであった。
……源三郎様、申し訳ありません。源三郎様の言うとおりでした。私の力では七海お嬢様を止める事は出来ませんでした。この謝罪は……冥府にてさせてもらいますっ! だから今は、全力を持って鈴音さんが与えてくれた目的を達するために、この命を賭けますっ!
千坂はそう決断すると行動は素早かった。すぐに腰から拳銃を取り出すと、銃口を七海に向けた。そして七海が口を開く前に引き金を引いて発砲する。どうやら千坂も覚悟を決めたようだ。七海を殺す覚悟と……自分が死ぬ覚悟を。
どうやら千坂は拳銃如きで七海を殺せるとは思っていないようだ。そして現実は千坂が思ったとおりに展開される。銃口から飛び出した弾丸は、真っ直ぐに七海に向かって行くのだが、七海はまるで舞を舞うかのような軽やかで素早い動きで千坂の放った弾丸を避けて見せた。
千坂ほどの腕を持っていれば、普通なら一発で相手の急所を射抜く事が出来るだろう。だが七海はまるで今の状況を楽しむかのように、千坂の放った銃弾を避け続けているのである。それでも千坂は動揺せずに発砲を続けると、弾倉が空になって一旦銃撃を止めると、ゆっくりと弾丸が充分に詰まった弾倉を入れ替えるのだった。
その間に七海は楽しそうに千坂に話しかけてくるのだった。
「さすが千坂ね。私を殺さない限りは私は止まらない、そう判断するとちゅうちょする事無く、私を殺しに来た。その決断の速さと良い、的確さと良い、お爺様の右腕と言われるだけはあるわよ。でもね千坂、今の私には玉虫の力が宿っているの。そんな物では私は殺せないわよ」
そんな言葉を聞いても千坂は動揺どころか眉一つ動かす事無く、弾倉の入れ替えを終える。そして七海に向かって言葉を返すのだった。
「七海お嬢様が言っている事が正しいと私も思います。ですが、今の私にはやらねばならない使命があります。そして七海お嬢様が……敵となるのなら、私は……七海お嬢様を排除します」
言葉を途切れさせながらも断言する千坂。それは千坂にとって長年仕えてきた七海対する反逆を意味しているものであり、七海が間違っていると分っていても、七海を取り戻せないのなら、せめて自分の手でと千坂は複雑な心境だった。
そんな千坂とはうって変わって七海は楽しそうだった。どうやら今まで自分に向けられた事が無い千坂の本気を出した殺気を感じて楽しんでいるようだ。そんな七海が楽しそうに口を開く。
「千坂……その判断は正しいわ。でもね千坂、一つだけ違う道がある事には気づいていないようね」
「どういう事ですか?」
千坂は銃口を七海に向けながら質問する。そんな千坂に七海は軽く笑うと、すぐに千坂に向かって答えを返してきた。
「確かに私は私を縛り付けてきた側近達を鎖として恨んでいた。でもね千坂、あなただけは特別なのよ。憶えているでしょ、この場所を、ここで交わした約束を」
「それが今の状況とどんな意味があるのですか?」
「相変わらずせっかちね。あの時、すっかり疲れ果てた私に千坂は忠誠を約束してくれた。幼い私には、その言葉がとても温かく、とても嬉しかった。だから千坂だけは私にとっては特別なのよ。お爺様が千坂を特別扱いするように、私も千坂を特別扱いしたわ。だから千坂、今からでも遅くは無いのよ。ここで、以前に忠誠を約束したこの場所で、再び私に忠誠を誓いなさい。私は千坂を気に行っているの。このまま鈴音さんに取られるのも癪だし、だから千坂、もう一度だけチャンスを上げるわ。さあ、思い出のこの場所で再び私に忠誠を誓いなさい」
そんな七海の言葉を聞いた千坂は悲しい顔で首を横に振るのだった。どうやら千坂の覚悟はすでに決まっているようだ。だから今更、七海から再び忠誠の誓いを立てる事なんて、今の千坂には到底出来ることではなかった。
そんな千坂に七海は少し怒りをあらわにしながらも話を続ける。
「確かに玉虫を倒せる武器は存在しているわ。でも……最後に勝つのは私達よ。もう、この村も、そして羽入家も終わるのよ。今更、羽入家にもお爺様にも忠誠を尽くしてもしかたないでしょう。だから千坂、こっちに来なさいっ!」
最後は命令に変わっている事に気付きもしない七海。どうやら七海が千坂を特別に扱っていたという事は本当みたいだ。だからこそ千坂を自分達の陣営に入れたいのだろう。けれども千坂は決して首を縦に振る事は無かった。
その事が七海を更に苛立たせて、逆鱗に触れたかのように口調も変わっていくのだった。
「千坂っ! あなたはこの村の者では無い、だから殺す理由が無いのよ。それに、ここでの約束を忘れたのっ! 私に忠誠を誓うのなら、今からでも私の為に動きなさいっ!」
最後は完全な命令になっている事にまったく気付かない七海。どうやら七海も千坂を自分達の陣営に入れたくて焦っているようだ。そんな七海の心に気付きながらも千坂は決して首を縦に振る事は無かった。そして千坂は静かに話し始める。
「七海お嬢様、ご恩情ありがたく思います。そしてこの千坂、ここでの約束を決して忘れた事は一日たりともありません。そして七海お嬢様への忠誠も今でも残っております」
「だったら」
「だからですっ!」
七海の言葉を遮って千坂が叫ぶ。
「だからこそ、私は七海お嬢様を止めなければいけません。そしてそれが、私にとって最後の七海お嬢様に対する忠誠となるでしょう」
「千坂、何を言っているの?」
どうやら七海には千坂の覚悟は分からないようだ。そして千坂もすでに話すことは無いと思ったのだろう。再び引き金に指を当てると、発砲をする。
突然の発砲に七海は少しだけ驚きながらも、再び軽やかな動きで向かってくる弾丸を避ける。そして千坂もただ攻撃していては七海には当たらない事は分っている。だから今度は柱に向かって走りながら連射する。さすがに玉虫の力が宿っている七海とはいえ、弾丸を避け続けながら千坂の足を止める事は出来ないのだろう。
そして千坂が柱に到達しようとした時だった。千坂は突如として七海とは違う殺気を感じると考える前に行動に出た。すぐに前に飛び出し、そのまま転がりながら素早く柱の影に隠れる。そのすぐ後だった。何かとてつもない衝撃が柱の方向へ向かって放たれたのは。
その衝撃で突風が吹くが、千坂は逸早く柱の影に隠れたので、何とか直撃する事無く、その余波も受ける事無く、無事で済んだ。そんな現象が終わると千坂は柱の影から七海の姿を覗き見る。
「ふっふっふっ、七海よ。どうやら説得は無駄に終わったようやのう」
玉虫っ! もう鈴音さんから受けたダメージが抜けたのかっ! 突如として行動を起こしてきた玉虫に千坂はそんな事を考えていた。そして七海はというと、これ以上無い不機嫌な顔で玉虫を見ると、すぐに顔を背けた。
「まあ、最初から期待していなかったわよ。鈴音さん達の戦力を取り込めればと思ってただけよ」
そんな言葉を返してきた七海に玉虫は軽く笑うのだった。
「ふっふっふっ、まあ、そういう事にしておこうやのう。それで七海よ、これからどうするつもりやえ?」
そんな質問をする玉虫に七海は顔を伏せると御神刀を強く握り絞めながら答える。
「そんなの決まってるでしょ。柱をこれ以上は破壊されるわけにはいかない。だから……ここで千坂を殺すわ」
「主に出来るのかやえ?」
「出来るわよっ!」
玉虫の質問に怒り気味で答える七海。どうやら玉虫の介入によって完全に千坂を取り戻そうとした七海の計画は完全に頓挫したのだから、七海が怒るのも無理は無いのだろう。なにしろ七海とって千坂は特別な存在であり、今まで表に出した事は無かったが七海と千坂の間には完全な主従関係が築かれていたのだから。
そして、その主従関係が今となっては、まったく無意味となったからには七海とって千坂は敵でしかなかった。だから七海はどうしても千坂を殺さなくてはいけない。それでも七海は心の片隅でほんの少しだけ千坂を信じている部分があるのだろう。だからこそ、玉虫の言葉に怒ったのだ。
玉虫もそんな七海の心を見抜いていたからこそ、ワザとそんな質問をした。ここで七海にはっきりといわせる事で、七海がちゅうちょする事無く千坂を殺せるように仕向けたのだ。
さすがに千年以上も影で動いていただけあって、玉虫は人を言葉巧みに操るのは得意のようだ。千坂は玉虫の言葉にそんな事を感じていた。
どうやら七海お嬢様は完全に玉虫に乗せられたみたいですね。まあ、玉虫の約束が本当だから、聡明な七海お嬢様なら乗せられると分っていても乗るのでしょうね。七海お嬢様が乗ったということは、玉虫との間に交わされた約束だか、契約は本当の事みたいですね。
二人の会話からそんな推理を展開させる千坂はすぐに次の準備に入った。
とは言っても、千坂に主人となる七海を殺す事なんて出来はしない。それでも、七海を止めない限りは、今回の事は収まらないのだ。そこで千坂は自分の命を投げ出す覚悟をして源三郎と会い、羽入家で準備してきたのだ。そう、全てはここで七海との決着を付けるために。
「さあ、千坂っ! 出てきなさいっ! そろそろ私達も決着を付けましょうっ!」
玉虫に焚き付けられて、すっかり戦闘思考に入ってしまった七海を見て千坂は準備を急いだ。なにしろ今までは安全性を考えて、すぐに作動しないようにしていたのだ。ここでいつでも作動させるように準備をするのには、それなりの時間を要するのだった。
だからこそ、千坂は時間を稼ぐために柱の影に隠れながら玉虫に向かって叫ぶ。
「玉虫っ! お前が七海お嬢様をたぶらかして、今回の事をさせたんだなっ!」
そんな事を叫ぶ千坂。そして千坂の言葉を聞いた玉虫は笑ってから、千坂の質問に答えるのだった。
「ふっふっふっ、勘違いも、そこまで行くと笑えるものやのう。七海は自ら私に協力すると言って来たのやえ。まあ、報酬として呪いの解除を約束したのやがのう。だが村が死ねば私も消える、自然と羽入家の呪いも消えるという訳やえ。その事を教えてやったら、七海は快く協力してくれたのやえ。そう、全ては七海の意思やえ」
やっぱり思った通りか。準備を急ぎながらも玉虫の言葉を聞いていた千坂は、そんな事をおもった。どうやら千坂も七海が自ら玉虫に協力しているという事には、少し前から気付いていたようだ。
一方の七海は痺れを切らしたような言葉を放つ。
「千坂、出てこないのなら私から行っても良いのよ」
どうやら七海としては早く決着を付けて、自分の中にある葛藤を消し去ってしまいたいようだ。七海はそんな自分の気持ちに気付きもしないまま、千坂が隠れている柱に向かってゆっくりと歩き始めた。それを見ていた千坂は思わず拳を強く握る。
よしっ、七海お嬢様が近づいてきた。これで成功率が高くなる。それで……これで準備も終わり。後は……。千坂は無線機を取り出すと送信ボタンを準備してたテープで固定して、自分達の会話が鈴音達に聞こえるように、ジャケットのポケットに隠す。これで全ての準備を終えた千坂は天を仰いだ。
源三郎様、まだご恩返しが終わっていないままに逝く千坂をお許しください。せめてもの償いに必ず七海お嬢様を止めてみせますから。どうか、お叱りは冥府にてお願いいたします。そして鈴音さん……勝手な事をして申し訳ありません。ですが、これは私と七海お嬢様の問題なのです。だから、私の手で決着を付けなければいけません。今まで七海お嬢様の心に気付きながらも、何も出来なかった私が全て悪いのですから。どうか許してください。そして鈴音さん、私が失敗した時には、その時は……七海お嬢様をお願いいたします。
まるで祈るかのように心の中で訴える千坂。その姿は、まるで清らかな聖者のような姿だった。それだけ、千坂が抱いていた源三郎や七海に対する忠誠心が本物だったのだと証明しているのだろう。
それから千坂は拳銃を頭につけて、まるで何かに祈るかのように想いを込めると立ち上がり。ゆっくりと柱の影から出て、七海の前に立つのだった。
はい、そんな訳でいよいよ姿を見せた七海ですね。どうやら、この場所は千坂と七海にとっては思い出の場所みたいですが……咎では語りませんっ!!! いや、だって、そこまでやってるとページ数が凄い事になるから。
それにそれに、最初から断罪の日は三部作。つまり三作目である番外編で二人の過去について語ろうと思っております。そんな訳で……解答編である咎では二人の過去は明らかになりませんっ!!! 三作目を待って、その時にでも読んでみてくださいな……まあ、いつ頃出来上がるか、今の段階ではまったく想像できませんが……てへっ
というか、千坂はちゅうちょ無く七海を撃ちましたね。最も七海は全て避けましたけど、けどっ!!! 千坂がちゅうちょなく七海を撃ちに行った理由も次の話で分かると思います。まあ、さすがに全部、三部作目に持って行くのもあれですからね~。本筋で説明しておいた方が良いと思った事は次話か、そのうち説明するかもしれませんね~。
まあ、そんな訳で千坂も最後の手段に出るみたいですが、続きは次話で、というか、数分後には上げますが、そこで二人の決着が付くのでお楽しみください。
さてさて、書く事が思いつかなかったから、軽く次回予告をしたところで、そろそろ締めましょうか。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、昼寝をしたら思いっきり風邪をひいた葵夢幻でした。