第四章 その一
「水夏霞……さん」
本殿の目の前で力無く俯いている水夏霞に鈴音はためらいながらもゆっくりと声を掛けた。そんな鈴音の声が聞こえたのだろう。水夏霞はゆっくりと鈴音に向かって顔を向けると鈴音は思わず驚いてしまった。なにしろ水夏霞は……泣いていたのだから。
涙を流している水夏霞が鈴音の姿を見つけてゆっくりと口を開いて微かに声を発してきた。
「すず、ね……さん」
それだけの言葉を何とか発する水夏霞。何があったのかは鈴音にはまったく検討が付かないが、鈴音には今の水夏霞は見るに耐えない物があったのだろう。鈴音は懐中電灯を消して仕舞い込むと水夏霞の元へ駆け寄る。そんな鈴音に対して水夏霞は鈴音と顔を合わせようとせずに再び俯くのだった。
そんな水夏霞に鈴音は心配そうに声を掛ける。
「水夏霞さん、どうかしたんですか? 何かあったんですか?」
そんな質問をする鈴音に水夏霞は声を発する事無く、ただ首を横に振るだけだった。そんな水夏霞を見て鈴音は困惑してしまう。なにしろ水夏霞は押し黙ったまま涙を流して話しすらまともにしようとしない。こんな状況にどうすれば良いのか鈴音にはまったく分からなくて、鈴音は困惑するばかりだった。
それでも鈴音は何とか水夏霞と話をしようと声を掛ける。
「水夏霞さん、なら今思っている事を私に話してください。それだけも少しは楽になると思いますよ」
そんな言葉を発して笑顔を水夏霞に向ける鈴音。そんな鈴音の言葉を聞いてやっと水夏霞は鈴音に顔を向けてきた。それから何かを話そうとするが上手く言葉が出てこない。どうやら何を話して良いのか分からないようだ。
鈴音はそんな水夏霞を優しく抱きしめてやり、優しく背中を撫でてあげた。少しでも人の温もりを感じる事が出来れば水夏霞も落ち着いて話しやすくなるだろうという鈴音の配慮だ。そんな鈴音の気持ちが通じたのかは分からないが、鈴音には何となく水夏霞が落ち着くのが少しずつ分ってきた。
そこからは水夏霞の言葉を待つ事にした。水夏霞の状態を見て、無理の問い詰めるより、今は優しく見守って水夏霞から話し始めるのを待った方が良いという判断を鈴音は下したようだ。確かに今の水夏霞に鈴音から言葉を投げ掛け続けると水夏霞が話し始めるタイミングを逃してしまう。だからこそ鈴音は水夏霞を優しく抱きとめながら水夏霞の言葉を待ったのだ。
そんな事をしているうちに水夏霞もすっかり落ち着いたのだろう。涙を拭くと鈴音にもう大丈夫と言わんばかりに鈴音から放れた。鈴音も放れていく水夏霞を優しく離してやると数歩下がった水夏霞に微笑を向ける。その方が水夏霞にとっては良いと思ったからだろう。
けれども鈴音の思惑とは違い。鈴音の微笑を見た水夏霞は再び涙を流し始め、俯いて声は出さないものの泣き始めた。そんな水夏霞に鈴音は再び困惑するが、今は水夏霞が落ち着くのを待とうと水夏霞を見守る事にした。
けど水夏霞は先程の鈴音が行った包容のおかげで大分落ち着いていたらしく。そんなに時を置かずにゆっくりと口を開いて話し始めた。そして水夏霞の話が鈴音を驚かせる事になるとは今の鈴音には想像が付かない事でもあった。
ゆっくりと口を開いた水夏霞は何とか鈴音に聞こえるだけの声で話を切り出してきた。
「わ、私が……私が、お父さんと、お母さんを……殺したんです」
「えっ?」
水夏霞の言葉に何を言っているのか、すぐに理解できなかった鈴音。そんな鈴音を確認する事無く水夏霞は心の内に思っていた事を次々と口にしていく。
「なんか、分からないけど……今朝になって思い出したんです。私の……私のこの手で……お父さんとお母さんを……御神刀で斬り殺して。そして、そして……」
それから先は言葉に出来ないのか、それとも分からないのか、どちらにしても水夏霞の告白が鈴音に衝撃を与えたのは事実であり、自分の推理に甘さがあった事を鈴音は悔やんだ。
そっか、そういう事だよね。なにしろ玉虫の傀儡を作る御神刀はこの平坂神社にあるんだから。玉虫なら一番最初に平坂神社の人間を傀儡にしてもおかしくは無いよね。ううん、それどころか、そうした方が今後も動きやすくなる。だから玉虫は水夏霞さんを傀儡にするのと同時に千の首を集めるために神主夫婦を殺したんだ……水夏霞さんに憑依して。
御神刀には玉虫が憑依するために人を傀儡にする力が宿っている。そして、その御神刀が祀られているのは、この平坂神社だ。つまり玉虫が一番最初に行動を起こしたのは平坂神社だと考えるのが自然といえるだろう。
けれども鈴音はその点を見逃していた。それだけ御神刀の力が非常識なものという理由があるかもしれないが、もう少し深く考えれば今回の首狩り殺人で一番最初に神主夫婦が殺された理由もしっかりと推理できたはずだと鈴音は悔やんでいるのだ。
失敗したっ! なんでそこまで考えなかったんだろうっ! 玉虫と御神刀がセットなら一番最初に起きた神主夫婦殺人は当然の事じゃない。だって神主夫婦が一番御神刀に近い位置に居たんだから。だから神主夫婦が千の首として生贄になっても不思議じゃないじゃない。そして、それを実行するためには神主夫婦よりも水夏霞さんの方が今後を考えて憑依するにしてもやりやすい。つまり水夏霞さんもすでに玉虫の傀儡になってる事は間違いない。……でも。
水夏霞の話から推理するからには玉虫が水夏霞に憑依して神主夫婦を殺した事は明白である。そうなると水夏霞もすでに刀傷を負っていても不思議ではない。いや、身体のどこかにあるはずだ。それは玉虫がいつでも水夏霞に憑依出来る証拠でもあり、それだけ水夏霞が危険な存在だという事を示しているのだが……鈴音には今の水夏霞を放っておく事は出来なかった。
水夏霞が危険な事は分っている。けれども、そんな事よりも人としての理念が鈴音を動かしていた。鈴音はゆっくりと顔の力を緩めると優しく水夏霞に話し掛けた。
「水夏霞さん……心中察します……でもっ! 今の水夏霞さんには分かると思いますけど、これ以上の被害を出さないためにも玉虫を止めないといけない。だから水夏霞さん、分っていることだけで良いから、無理に思い出さなくても良いから、分っている事を私に教えて。そうすれば……絶対に私が玉虫を倒すから。そうすれば、こんな事を言っちゃいけないと思うけど、水夏霞さんのご両親も安心すると思うのよ。だって、玉虫さえ倒せば水夏霞さんも解放されるんだから。だから水夏霞さん、分っている事を教えて」
優しく、ゆっくりとそう水夏霞に告げる鈴音。鈴音としては水夏霞の心中を察して精一杯の気持ちで励ましたつもりだった。まあ、それが実際に励ましになっているかは別問題にしておくとして、鈴音の言葉が水夏霞に少しだけ心境の変化を告げた事は確かだった。
水夏霞は未だに涙を流している瞳で鈴音に顔を向けると少しだけ驚いた顔をした。まさか水夏霞も鈴音がそこまで真相に近づいているとは思っていなかったのだろう。それはそうだ、なにしろ水夏霞すらも全てを思い出したのは今朝の事なのだから。
そんな水夏霞が涙を拭く事無く、鈴音と向き合うとゆっくりと口を開いてきた。
「今朝、起きた時は何も無かったんだけど、でも……外を見た瞬間から、まるでその時の場面を見ているかのように私が……両親を殺した時の事を思い出したの。それだけじゃない、他の人を殺した事も、その時に……全部……思い出して」
「そして、その時に自分が玉虫の事や玉虫に憑依されて殺人を行った事も理解したという事?」
そんな鈴音の質問に水夏霞は頷いて見せた。どうやら鈴音の言ったとおりのようだ。そして、その事が鈴音に更なる疑問を持たせる事になってしまった。
えっと、確かにこうなる前は憑依している時の記憶を封じるのは分かるんだけど、そうすれば警察の目から完全に逃れられるからね。だって殺した時の記憶が無いんだもん、だから犯人にしか知らない事も知らないから警察の目から逃れやすい。でも……今になって、その記憶が戻ったのはどういう事なの? 今更憑依していた相手に記憶を取り戻させてどうするつもりなんだろう? そんな疑問を考える鈴音。
確かに鈴音が考えたとおりである。玉虫が完全に復活する前は憑依している時の記憶を封じてしまった方がボロが出ないだろう。たとえ捜査線上に浮かんでも、本人から確たる自白や証拠が出ない限りは逮捕できないのだから。
それに玉虫は次々と憑依する相手を変えて千の首を集めたのである。だから任意同行でも平坂所に行っている間に犯行を行えば警察の捜査は振り出し、そのうえ同行してもらった人物からも何も情報は得られないだろう。だからこそ玉虫は憑依していた時の記憶を封じていた。
だが、それが今になって記憶が蘇っている。そこに玉虫にとってどんな利益があるのかと考える鈴音。けれどもいくら考えても水夏霞の記憶が戻っても玉虫に利益があるという結論は出し辛かった。
なにしろ村はこんな状況で今では羽入家は完全な敵で警察からの増援すらこれない状態だ。それなのに今更事件の事を思い出させて玉虫はどうしようというのだろう。鈴音はそう考えていたからこそ結論が出なかったのだ。
だがそんな鈴音の頭にふと静音の言葉が思い出された。『鈴音、全ての事に理由を求めるのは愚の骨頂よ。何かしらの偶然、何かしらの影響を受けて生じる事柄もある。そんなものに理由なんて無い。だって起こるべきして起こる現象なんだから。だから鈴音……さあっ! 一緒にお風呂に入るわよ。大丈夫、だってこれも起こるべきして起こる現象なんだから』……姉さん、最後の方に変な下心があるから前半が台無しだよ。静音の言葉を思い出したのは良いが、思わず突っ込みを入れてしまう鈴音。けれども、このおかげで水夏霞が記憶を取り戻した理由が鈴音には何となく分かった。
そっか~、水夏霞さんの記憶が戻った事に特別な理由は無い。強いて理由を付けるとしたら、玉虫が完全に復活した影響。完全に復活した玉虫にとって傀儡の記憶なんて、もう意味を成さないんだ。だからこそ水夏霞さんは全てを思い出したんだ。
そんな結論を出す鈴音。考えてみれば鈴音の結論どおりかもしれない。確かにここで水夏霞に記憶を取り戻させても玉虫にとっては何の益も無いだろう。けど、今まで記憶を封じる力を他に使っているのだとしたら、水夏霞の記憶が戻っても不思議ではなかった。つまり今の玉虫には傀儡の記憶など取るべき問題にはならないという事だ。
そうなると水夏霞は憑依されている間、それと玉虫にとっては都合の悪い記憶を持っている可能性がある。鈴音はそう考えると何を水夏霞に聞くべきかを考えるが、その答えはすぐに浮かんできた。それは先程の沙希が話していた内容を聞いていたからこそ出てきた質問だと言えるだろう。それを確かめるために鈴音は水夏霞を慰めながらも質問する。
「水夏霞さん、水夏霞さんは悪くないよ。だって水夏霞さんは玉虫に操られて犯行を行ったんだから、だから悪いのは玉虫だよ。その玉虫を止めるためにも水夏霞さんに聞いておきたい事があるんだけど……大丈夫? 答えられる?」
そんな鈴音の言葉に水夏霞は少しだけ落ち着いたのか、流している涙は止まらないものの、その表情は少しだけ和らいで頷いてきた。どうやら鈴音の質問に答えるだけの気力は取り戻したようだ。そんな水夏霞を見て、鈴音は言葉を選びながら質問する。
「えっと、私が知りたいのは水夏霞さんが憑依される前、つまり誰に刀傷を負わされたかなんだけど、その時の状況を詳しく思い出せます?」
水夏霞は鈴音の質問に対して少しだけ沈黙する。どうやら記憶が戻ったと言っても、思い出すには時間が掛かるようだ。鈴音はそんな水夏霞を焦らす事無く、なるべく自分自身も優しい表情で水夏霞を見守りながら、水夏霞を安心させながら答えをまった。
そして鈴音も黙りながら少しだけ待つと水夏霞は小さく声を上げた。
「あっ」
それは鈴音にも微かに聞こえるだけの音量で発した声だっただけに、鈴音は危うく聞き逃してしまうところだったが、鈴音は水夏霞に話を聞こうと集中していたために、その声を聞いて水夏霞が何かを思い出したのを察する事が出来た。
そんな水夏霞に鈴音は焦る気持ちを抑えながらも質問する。
「思い出したんですね?」
短い鈴音の問い掛けに水夏霞は軽く頷くと小さな声で当時の状況を話し始めた。
「あの時……美咲ちゃんが居なくなった時。静馬さんが青年団に呼び掛けて美咲ちゃんを探していたんです。もちろん、神社の方に来ていないかと私達も美咲ちゃんを探す事になったんです。お父さんとお母さんは森の方に、そして私は神社の方に行ってみると……そこに美咲ちゃんと……それと……それとっ!」
「思い出したくないものは無理に思い出さなくて良いです。思い出せる事だけを思い出して」
途中で再び取り乱しそうになった水夏霞を鈴音は慌ててなだめる。そんな鈴音の言葉がしっかりと水夏霞に届いたのだろう。水夏霞は両手で頭を押さえながら、今にもその場に座り込みそうになるが、それでも思い出さないといけないと思ったのだろう。水夏霞は髪の毛を掻き揚げながらも思い出す事に集中する。そして思い出したのだろう、再びゆっくりと口を開き始めた。
「そう……その時に始めて見たんです。美咲ちゃんと……美咲ちゃんの後ろに居る玉虫を」
やっぱり……美咲ちゃんか。そうなると考えられる事は一つだけかな? 水夏霞の言葉を聞いてそんな疑問を抱く鈴音。水夏霞が落ち着きを取り戻したのを確認しながら鈴音は水夏霞に更に質問をする。
「それじゃあ、水夏霞さんに刀傷を付けたのは……美咲ちゃん?」
そんな鈴音の言葉に水夏霞は頷いてきた。それを見て鈴音はある確信を抱く。だが、それは鈴音だけの確信であり、確たる証拠は何も無い。ここまで来たらいちいち証拠を見つけてから動くのは行動を制限されるからやりはしないものの、状況証拠でも確信に他人を説得できるだけの証拠が無い限りは鈴音は自分の考えを人に話す事を自重していた。
なにしろそれは鈴音の考えであって、何一つとして説得力を持たないからである。だが状況証拠の一つでもあれば、今の状況でも人を納得させるだけの説得力を得る事が出来る。だからこそ、鈴音は確信を得ても、それを確たるものにするために水夏霞の話に耳を傾ける。
水夏霞も思い出しながら話しているのだろう。途切れ途切れではあるが、話を続けてきた。
「玉虫を見て、私……なんだかワケが分からなくなって。呆然としている間に……いつの間にか美咲ちゃんが持っていた御神刀で腰の所を深く斬られて、その痛みで意識を失って……それから……それから、そう、私は洞窟の中に居た。そこがどこだか分からないけど、洞窟の両脇には何段もの棚みたいな物があって、そこに……いっぱいの首があった」
「斬られてすぐの事は憶えてます?」
鈴音がそんな事を尋ねると水夏霞は首を横に振ってきて話を切り出してきた。
「まさか美咲ちゃんに斬られるとは思ってなかったし、あの時は死んだと思ったから、だから……意識を失って。だから……今、思い出せるのは洞窟の事だけ」
「その洞窟が何処にあるかは分からないんですよね」
「うん、見た事も無い洞窟だったから」
う~ん、これで少しは繋がってきたかな。水夏霞の話を聞いてそんな事を思う鈴音。どうやら鈴音の中ではいろいろな物が繋がって一つの仮説を形成しつつしているみたいだ。けれども所詮は仮説は仮説である。どうしても仮説に説得力を持たせる何かが必要だった。そこで鈴音は吉田や沙希の話を思い出してみて、いろいろな事を考えてみる。二人の話を思い出すだけでも何かしらのヒントが生まれると思ったのだろう。
だが生まれてくるヒントがとんでもない事になっても鈴音はまったく動揺しなかった。いや、正確に言えばその可能性が高いというだけで、鈴音はこのまま水夏霞の傍に居るだけで仮説を確信に出来るかもしれないと鈴音は準備を始める。
まずは背負っている重いハンマーを隅に下ろすと布袋に入っている霊刀を取り出した。その霊刀を見て水夏霞は思わず声を上げる。
「なんで、鈴音さんが御神刀を?」
水夏霞は神社の巫女である。だから毎日のように御神刀を見ていたためか、御神刀の模造刀である霊刀を見て、思わずそれが御神刀だと思ったのだろう。けれども実際の御神刀は玉虫が握っている。だからここに御神刀があるはずは無かった。水夏霞は御神刀が喪失している事に気付いていないのか、そんな言葉を口にする。
まあ、それも仕方ないだろう。なにしろ今朝になって自分が自分の両親を殺した事、他の村人を殺した事を思い出したのだ。そのショックだけで他の事に気を掛ける余裕は無かっただろう。
そんな水夏霞に鈴音は霊刀を水夏霞に見せながら、そして軽く笑い掛けながら水夏霞に説明する。
「これって御神刀じゃなくて、御神刀の模造刀なんですよね。ほら、以前に村長さんが勝手に御神刀を持ち出して模造刀を作ったって言ったじゃないですか。その時に作られた模造刀なんですよ」
「あっ、あの時の、それを何で鈴音さんが?」
「村長さんから遺言で譲り受けたんですよ。それに……」
「それに……」
鈴音が最後になって言葉を濁した事に首を傾げる水夏霞。鈴音がいつもの調子で明るく話しているので、水夏霞もいつの間にか鈴音のペースに乗せられて、今ではすっかり落ち着いて、鈴音に合わせて話すようになってきたようだ。それでもショックが消えたわけでは無いから、未だに涙を流し続けているが、水夏霞はその事を気にする事無く鈴音と会話を続ける。そんな水夏霞を見て鈴音はちょっとだけ真剣な顔をすると思っている事を口にする。
「それに……そろそろ必要になると思って」
「必要って、何に使うんですか?」
「…………」
水夏霞の質問に鈴音は答えなかった。いや、答える訳には行かなかったのだろう。なにしろ鈴音はとんでもない者を待つために霊刀を取り出したのだから。だからこそ、霊刀をいつでも抜けるように膝のところに置くと鈴音は本殿にある廊下に腰を掛けた。
そんな鈴音を見て水夏霞は首を傾げるものの、水夏霞と鈴音が出会ってから、鈴音が突然変な行動を取ってもおかしくないと水夏霞はあまり気に留める事がなかった。ただ鈴音を目で追うだけで水夏霞はその場から動こうとはしなかった。
そんな水夏霞に鈴音はあえて話を逸らすような話を切り出してきた。
「『罪を犯した瞬間から罰は始まる。その罪と向かい合う事が罰である』昔ですね、姉さんがそんな事を言った事があるんですよ」
「はぁ」
いきなり脈絡の無い話を切り出してきた鈴音に水夏霞は気が抜けた返事しか返す事が出来なかった。まあ、いきなりそんな事を言われても誰だって同じ反応をするだろう。けれども鈴音はそんな水夏霞の反応を無視するかのように話を続けてきた。
「私は姉さんの言葉を聞いて、その通りかもしれないと思ったの。どんな犯罪にしろ犯罪を犯した瞬間から罰を受けている。それは罪悪感とも後悔とも言える物かもしれない。中には笑い飛ばす人も居るかもしれないけど、それは大きな間違え。犯した罪は過去の物、だから一生消える事が無い。だからこそ、その罪と向かい合って、罪に対してどんな行動を取るか、それが罰だと私は考えたから。水夏霞さん……水夏霞さんは、この言葉をどう思います?」
またしてもいきなりの問い掛けに水夏霞は戸惑うばかりだ。それでも鈴音が言いたい事だけは何となく分かったと水夏霞は思った。だからこそ、水夏霞は鈴音に向かってはっきりと告げる。
「これが……私の罰ですか?」
「水夏霞さんがそう思うのならそうなのかもしれない。大事なのは受けた罰を元に何をするか。それが一番大事な事だと思いますよ」
そんな鈴音の言葉を聞いて水夏霞は再び顔を伏せる。そんな水夏霞を鈴音は少し離れた場所から見守り続けた。鈴音にはしっかりと分っているのだ。今の水夏霞には時間が必要なのだと、罪と向き合い、どんな罰を実行するか考える時間が。
そんな水夏霞を見守りながら鈴音も水夏霞の事を考えていた。
う~ん、確かに今回の事は玉虫に憑依されていたから、完全な水夏霞さんの罪とは言えないけど……水夏霞さんの心にはしっかりと残っているんだろうな~。罰としての罪悪感が……何とかしてあげたいけど、今の私に出来る事はこれぐらいかな。後は水夏霞さんが考える事だからね。
そんな決断を下すと鈴音は来るべき時に向けて精神を落ち着けて集中力を高め始めた。そんな鈴音とは正反対に水夏霞は未だに何かを考えているようだった。やっぱり静音が残した言葉がしっかりと胸に刺さっているのだろう。
確かに水夏霞は自分の両親、それに村人の何人かを自らの手で殺害している。そこに自分の意思がなく、玉虫に憑依されていたとしても実行したのは水夏霞である。だから水夏霞は未だに両親を殺した時の感触を思い出せるほど記憶が鮮明に戻っており、その事にどうして良いのか分からずにいた。
そこに先程の静音が残してくれた言葉が水夏霞の胸に突き刺さったのである。つまり、そこに自分の意思が無くても両親と村人を殺害したのは事実である。それは玉虫の罪なのは明白ではあるが、水夏霞は自分自身の手で殺したという感触が水夏霞にも罪を感じさせている。法的にも倫理的にも水夏霞には罪は無いだろう。けど……水夏霞は思い出してしまったのだ。自分が殺人を犯した事を。
そこに玉虫の意思に操られていようとも両親を、村人を殺したのは自分である。そんな意識が水夏霞を混乱させ、水夏霞は呆然とするしかなかった。けれども静音が残してくれた言葉はしっかりと水夏霞に道を作ってくれた。
確かに水夏霞が罪に問われる事も、非難される事も無いだろう。けれども水夏霞の中には一生両親を殺害したという事実が残る。その犯した罪に自分の意識が有ろうが無かろうが、殺した事は事実であり、確固たる過去である。もうどうする事も出来ない。だからこそ、水夏霞はその罪と向き合う事で罰を受け入れようとしていた。
それは懺悔にも似た行為だろう。自分の意思で犯した罪でなくても罪は罪である。水夏霞はその事を受け入れて、これからどんな罰を自分に下すかを考えなくてはいけない。水夏霞はそう考え、鈴音もそう告げたかったのだ。それこそが静音が教えた来れた事の一つなのだから。
つまり静音の教えとは罰とは罪を犯した瞬間から始まる。罪を犯した瞬間から罪は過去の物となり、一生その人に付きまとう。その罪とどう接するかこそが罰である。中には罪と接する事無く笑い話にする人も居るだろう。けれども、それは一時の事、その時は笑えても数年後、数十年後には笑えなくなる。それどころか逆に後悔する事もあるだろう。
それこそが罪と罰。過去と未来である。そんな罪と罰にどう接するかはその人次第、罪が軽かろうが、重かろうが関係無い。罪という過去をその人は未来も罰として背負い続けるのだから。
だからこそ鈴音は水夏霞を静かに見守っていた。先程も言ったように水夏霞には時間が必要なのだ。自分の罪と向き合い、どんな罰をこれから実行していくかを考える時間が。
けれども現実は水夏霞に結論を出すだけの時間を与えてはくれないものである。いや、正確には一生考え続ける事が水夏霞の罪かもしれない。だが今はそんな事は一時的に忘れなくてはいけない。なにしろ……水夏霞の様子がおかしいからである。
それはほんの数秒前の事だ。水夏霞が何かの衝撃を受けたように身体が跳ねると、次の瞬間から水夏霞は再び顔を伏せて、その手にはいつの間にか御神刀を手にしていたからである。そんな水夏霞の姿を見て鈴音はすぐに立ち上がると霊刀を鞘から抜いて水夏霞に向かって構える。
やっぱり出てきたか~。まあ、出てくる事を予想してたから、こうして準備して待ってたんだけどね。そんな事を考える鈴音。どうやらこうなる事は既に鈴音は予測していたようだ。そう……水夏霞に玉虫が憑依するのを。
水夏霞は御神刀を手にゆっくりと鈴音の方に向くと顔を上げた。水夏霞の顔はすっかり生気を失っており、まるで人形のようだが……涙だけは流し続けていた。そんな水夏霞の涙を見て鈴音は思いっきり気を引き締めると、しっかりと霊刀を構えた。鈴音には分っているのだ、水夏霞が流している涙の意味を。これ以上は罪を重ねたくないという意思を、だが玉虫の力は鈴音が思っている以上に強大なようで水夏霞に逆らう術は無いようだ。だからこそ、せめてもの抵抗として水夏霞は涙を流し続けているのだろう。水夏霞の涙を見て鈴音はそんな事を感じていた。
そうしている間にも水夏霞の後ろには紫色の煙みたいな物がゆっくりと現れて行き、それはやがて人の形となり、玉虫の姿となった。現れた玉虫は吉田や沙希が話していたとおりの姿をしており、身体からは紫色のオーラを出しており、宙に浮くように水夏霞の真後ろに陣取っていた。
そんな水夏霞に霊刀を向ける鈴音はしっかりと玉虫を見据えてから言葉を発した。
「聞いた話だけど、私達と話は出来るんでしょ。玉虫さん」
そんな言葉を玉虫に投げ掛ける鈴音。どうやら鈴音も沙希と同様に最初は舌戦から入るつもりのようだ。そんな言葉を聞いて玉虫は口元に不気味な笑みを浮かべると鈴音に向かってしっかりと言葉を返してきた。
「先程の娘とよい、最近の娘は肝が据わっておるよやのう。まあ、昔から女の方が肝が据わっておったが、わらわの姿を見て動じぬとは、よほどのものやのう。それとも主らが特別なのやえ」
「まあ、特別といえば特別なのかな。私達は村の人間じゃないし、それに……あなたの正体にも気付けたしね~」
「ふっふっふっ、そういえばそうやのう。この状況でわらわの存在や柱の存在に気付いたのは主らだけ。だから抵抗するのも主らだけ、さしずめわらわと主らの合戦と言える状況なのかもしれんやのう」
「そうだね~、もしかしたら……そうなのかもしれないね~」
「ふっふっふっ、ならば、わらわもその合戦を楽しもうとするやのう」
う~ん、思っていたより厄介な相手だな。鈴音は玉虫と話しながらもそんな事を思っていた。なにしろ鈴音としては玉虫を挑発したり、こちらのペースに巻き込むような話し方をしたつもりなのだが、玉虫が鈴音のペースに乗るどころか挑発に乗る事もなかった。……まあ、実際に鈴音の話がそのような効果を持っていたかは不明だが、鈴音の思惑は外れ、玉虫は未だに余裕を出しているのは間違いではない事実であった。
そんな玉虫を睨みつけるような目で見ながら鈴音は思考を巡らす。
どうしようかな~、玉虫の動揺さえ誘えれば楽に行けそうなんだけど、やっぱり沙希が言ったとおりに最後の仕掛けに絶対の余裕があるのかな? 全然こっちのペースに乗るどころか焦りもしないよ~。……しかたないか、ちょっと危ないけど賭けに出るかな。
鈴音が考えている賭けだ。ちょっと危ないどころか危険性が大なのは言うまでも無いだろう。だが、それに成功すれば鈴音達が有利に立てる事は確かだろう。それに鈴音としても自分の考えを確信から確証にするためには、どうしても危険な賭けに出るしかないのかもしれない。
その事を分っているのか、分っていないのか分からないが、鈴音は意を決すると玉虫を警戒しながらも話を続ける。
「楽しんでいる余裕なんてあるの~。だって、私達は十本の内、四本の柱を既に破壊しているんだよ。後六本の柱を破壊すれば私達の勝ちだよ」
ちなみに四本の柱を破壊したというのは鈴音の推測である。報告から言っても吉田と沙希、それに鈴音も一本だけ柱を破壊している。それに鈴音が平坂神社に付いてからというもの、かなりの時間が経っている。だからその間に千坂が四本目の柱を破壊していてもおかしくは無かった。
なにしろ鈴音は水夏霞の姿を発見してからというもの無線の電源を切っておいたからである。鈴音としては水夏霞を警戒しての行動だ。既に水夏霞が玉虫に憑依されているのだとしたら、無線で話している余裕は無いし、返って話しかけられるのは邪魔になる。もし、憑依されてなくても水夏霞とゆっくりと話したいと思ったからこそ鈴音は無線の電源を切ったのだ。
だからその間に千坂からの報告があってもおかしくは無い。けれども時間的に千坂が四本目の柱を破壊している可能性は大いに高かった。
それに鈴音は水夏霞の傍にいるのである。いや、正確に言うと鈴音の意思で水夏霞の傍に居続けたのである。そうなると玉虫が次に狙ってくるのは、既に刀傷を負っている水夏霞に憑依してくる可能性が大きいと踏んだからこそ鈴音は水夏霞の傍に居続けたのだ。
そして事態は鈴音の予想どうりに玉虫は水夏霞に憑依して鈴音の前に現れた。後は玉虫を何とかするだけだ。けれども玉虫は鈴音の話を聞いても、まったく心の揺るぎを見せる事無く、まるで事態を楽しんでいるかのように少し笑いながら鈴音との会話を続けるのだった。
「確かにその通りやのう。すでに四本もの柱が破壊されておるようやのう。だがなや」
「十本目の柱は私達には破壊できない、そう言いたいんでしょ」
玉虫の言葉を遮って鈴音が言葉を挟む。そして鈴音の言った言葉が事実なのか、玉虫はそのまま鈴音の言葉に耳を傾けてきたので、鈴音もそのまま話を続けた。
「今の事態を収拾するためには十本の柱を破壊する事が必要不可欠。でも……十本の柱を破壊する事はあなたを倒すのと同じ意味を持っている。なにしろ……その御神刀こそが十本目の柱なんだからっ!」
「…………」
よしっ! 鈴音の言葉を聞いて玉虫が顔付を真剣になって黙り込んだものだから鈴音は思わず心の中で叫んでいた。なにしろ玉虫の反応から見て鈴音の言葉が的を射ていたのは間違いないだろう。もし間違っていたのなら玉虫は笑い飛ばしていただろう。玉虫と話すのはこれが最初だが、少し話しただけでも玉虫の性格は少しぐらいなら分かる。どうやら玉虫は余裕がある時は、それを存分に見せて相手を引き下がらせるタイプのようだ。だがその性格を逆に言えば、余裕が無くなれば簡単に尻尾を出すのと同じだ。鈴音は玉虫の話を聞いて、こうして実際に話して、そう玉虫の性格を判断していた。
けれども全てが鈴音の想定どおりに運ぶとは限らない。確かに玉虫の顔から余裕が消えたが、それは一時の事。玉虫はすぐに余裕の笑みを浮かべると鈴音との会話を続けてきた。
「なるほどやのう、どうりで警戒を緩めるなと言ってくるわけやのう。まさかそこまで見通しておるとはのう。わらわも予想出来んことやったのう」
「という事は御神刀が十本目の柱だという事を認めるというわけ?」
玉虫の言葉を聞いて、そんな質問をぶつける鈴音。鈴音としてはここで仮説を確実な物にしておきたいのだろう。もちろん玉虫が理由を付けて否定してくる可能性があるが、玉虫は意外な言葉で返してきた。
「ふっふっふっ、そのとおりやえ。この御神刀こそ十本目、いや、一本目の柱やえ。だがやのう、それが分かったからと言って、どうやって御神刀を破壊するつもりやのうか? 御神刀は常にわらわと共にある。そんな状態の御神刀をどうやって破壊するつもりやえ?」
「そ、それは……」
まさかこんな切り替えしが来るとは思っていなかった鈴音は言葉に詰まってしまった。確かに御神刀が柱の一本である確証は得た。だからと言って、どうやって破壊するかは考えていなかった。まあ、こんな状況だ。鈴音達は推測だけで動いていたのだから、そこまで考えている余裕が無かったのだろう。
鈴音達の状況から言っても、鈴音の推理を元に行き当たりばったりで行動するしかなかったのだから。その後の事はほとんど考えている余裕などは無かったのだ。
だが、だからと言って諦める訳にはいかない鈴音はその場で思考を巡らして御神刀を破壊する計画を練るが、そんな計画がすんなりと思いつくほど鈴音の頭は効率が良くは無かった。だが、そんな鈴音の頭でもあるキーワードを与える事で、誰もが予測できないほどの効率を見せる時がある。それが今であり、鈴音は先程の沙希が話してくれた話からしっかりとキーワードを引っ張り出していた。
「依り代」
「…………」
呟いた鈴音の言葉に再び玉虫の顔から余裕が消えた。鈴音としては思い付きに等しい考えだが、鈴音が思っていた以上に当たっていたようだ。まあ、その可能性を前から考えなかった訳ではない。考えている時間と切っ掛けがなかっただけだ。だがこうして玉虫と話しているうちに鈴音の仮説はドンドンと確証を得て確かな物へと変化しているのは確かだった。
だからこそ鈴音は胸を張って玉虫にしっかりと告げる。
「村に出来た九本の柱。それを全て破壊すれば羽入家の暴走は止まる。なにしろあの柱があなたの力を村中に放っているのだから。だから八本の柱を破壊した後で表柱である九本目の柱を破壊すれば羽入家の暴走を止めて事態を収拾する事が出来る。でも、それではあなたをどうにかする事が出来ない。それはあなたも同じ九本の柱が破壊されれば、あなたは依り代しか頼る物が無い。つまり、私達が九本の柱を破壊すれば、あなたは自然と依り代に頼るしかない。その時こそっ! あなたを倒し、十本目の柱を破壊する時だよっ!」
自分の推理を玉虫にはっきりと告げる鈴音。ふと玉虫の顔を見てみると先程まで見せていた余裕の笑みは既に消えていた。どうやら鈴音の推理は核心を突いており、玉虫にとってはそこまで見抜かれては余裕を見せるだけの余裕は残されていないのだろう。
それを証明するかのように玉虫は静かに笑い出した。
「ふっふっふっ、ふふふふふ、どうやらわらわが間違っていたようやのう。そこまで見抜かれるとは予想外やったやのう。こんな事なら言うとおりに早めに潰すべきやったのう」
来るっ! 玉虫の言葉と共に殺気を感じた鈴音は霊刀を構えなおすと玉虫の攻撃に備える。どうやら賭けは完全に鈴音が勝ったようだ。だが賭けに勝った賞品として玉虫を追い詰めて、本気という気持ちを駆り立てたのは確かなようだ。
鈴音としては、そんな賞品はいらないのだが、水夏霞のため、そしてこれからの展開を有利にするため、そして最後の一手を確かめるためにも、ここで逃げるわけにはいかなかった。その前に、ここまで推理を当てた鈴音を玉虫がすんなりと逃がしてくれるとは思えなかった。だからこそ鈴音はここで玉虫を撃退しないといけない。
その事までは鈴音の予想通りだったが、玉虫の力が鈴音の予想をはるかに超えているのを感じるのは、これからの事だった。
はい、そんな訳でやっと第四章を上げましたよ。……お待たせしてすいませんでしたっ!!! いや~、七月の中旬からプライベートな事で思いっきり忙しくなってしまって、小説を書いてる時間が無かったんですよ。
まあ、詳細は私のブログや活動報告でしているので、そちらをお読みくださいな。
さてさて、そんな訳でいよいよ始まりましたね~。鈴音と玉虫の戦闘が、沙希の時でも強大な力を見せ付けてきた玉虫ですから、これからも凄い力を出してくるんでしょね~。……とか思わせといて、あまり目立った力を使わなかったりして~。
まあ、続きが気になる方は、このまま、その二を読んでくださいな。その二では戦闘のみならず鈴音の頭が変……なのはいつもどおりか。そんな鈴音が思い付いたとんでもない作戦を少しだけお見せする事になるでしょう。
けど、そんな鈴音の思惑が……まあ、それは、その二のお楽しみという事で~。そんな訳で今回はこの辺で締めさせてもらいますね。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、本当ならもっと早い時間に上げようと思ってたのに、すっかり死んでいた葵夢幻でした。