第三章 その三
それじゃあ……こいつが玉虫ね。吉田の言葉を聞いて沙希は突然現れた非常識な存在を玉虫だと認識した。実際に沙希の目の前には、先程報告したどおりの女性が空中に浮いており、身体からは紫色のオーラを出している。
そんな玉虫を沙希は睨みながら拳を握り締める。沙希はすでに柱を破壊した。その証拠として沙希から離れたところには折られたオブジェがしっかりと残っていた。だからこそ玉虫は二本目の柱が破壊された事を確認するために沙希の前に姿を現したのだろう。
そんな玉虫を沙希はしっかりと見詰める。身体や着物は先程無線で吉田に言ったとおりだが、顔は長い髪で隠れていて良く見えない。不気味なほどに恐ろしくも感じるが、それでも沙希は玉虫から逃げようとせずに、あえて玉虫に向かって言葉を投げかかるのだった。
「一つだけ確認しておきたいんだけど……あなたが玉虫で村をこんな状態にしている元凶?」
そんな質問をぶつける沙希。そんな沙希の行動は非常識で危険とも言えるものだろう。だが沙希には現れた存在が玉虫ならば、どうしても確かめなければいけない真実があった。その事を確かめるためにも沙希は平静を装いながらも玉虫に向かって堂々と質問する。
そんな質問をぶつけられて玉虫は顔を伏せると、次の瞬間には思いっきり笑い出した。その大きな笑い声と協調するかのように身体から出ている紫色のオーラも一気に噴出し、今まで顔を覆っていた髪も一気に舞い上がる。
まるで玉虫の笑い声が突風に変わったかのように沙希にも襲い掛かり、沙希は笑い声と共に発生した突風に耐える姿勢を取りながらも、なんとか玉虫の方へと顔を向ける。そして沙希は驚きを隠せなかった。
なにしろ初めて玉虫の顔を見たのだから。今までは顔を覆うように髪は垂れていたが、今は玉虫の笑い声と共に長い前髪は両脇に浮く形で整っている。だからこそ沙希はしっかりと玉虫の顔を見る事が出来た。
そして玉虫の顔は生気が無く、青白い顔をしているが表情はしっかりと持っており、それは死人が生き返ったと言っても良いぐらいの顔をしていた。更に沙希を驚かせたのが玉虫の瞳である。玉虫の瞳は真っ赤に染まっており、それどころか赤い光を放っているかのように赤く輝いていた。
そんな玉虫の顔を見たのだから沙希も驚きを隠せないのは当然だろう。確かに玉虫という非常識な存在が目の前で現実として姿を現し、しっかりと自分の目に玉虫の存在が全て確認できたのだ。だから沙希は覚悟をしていたものの、玉虫の存在をはっきりと確認すると驚きを隠せないのだ。
そんな沙希が平常心を取り戻したのは未だに突風が吹き荒れる中で無線から鈴音の声が響いた時だった。
『沙希、沙希っ! 大丈夫なの沙希っ!』
どうやら鈴音は先程、沙希が言った言葉に沙希の近くに玉虫が出現した事を心配して言葉を投げ掛けてきているのだろう。けれども沙希としては玉虫を目の前にして悠長に鈴音と話している余裕は無い。だからこそ冷たくあしらう事にした。沙希は無線を手に取ると鈴音に向かって言葉を発する。
「だから鈴音、うるさい」
『でも沙希っ!』
「分ってる。私の力で玉虫を止められるとは思ってない。けど……少しだけ確かめたい事があるから、その間だけは無線を切っておくから。だから鈴音……心配しないで。そして……私を信じなさい」
『沙希……うん、わかったよ』
そんな会話をする鈴音と沙希。鈴音としては沙希が心配な事に変わりは無い。だが沙希が自分を信じろと言ったからには沙希は決して無茶な事はしないだろうと鈴音は信じる事にした。いや、正確に言うと信じるしかなかった。
なにしろ今の鈴音にはどうする事もできない。これから沙希の手助けに行ったとしても、到底間に合いはしない。それだったら、ここは沙希を信じるしかないと鈴音は沙希を信じて言葉を返すしかなかったのだ。
そんな鈴音の返事を聞いて沙希は無線の電源を切ると、再び玉虫を睨みつける。そんな沙希の視線を感じ取ったのだろう。玉虫は笑うのを止めると再び空中にその姿を揺るがせるように沙希に向かって瞳を向けてきた。
そんな玉虫の瞳に沙希は背中に冷たいものを感じた。なにしろ今の玉虫は先程までとは違って顔を覆っていた長い髪は左右に分けるように浮いており、今では玉虫の顔をしっかりと見る事が出来る。玉虫の顔がはっきりと見えるだけに、沙希も玉虫の不気味さをしっかりと感じ取る事が出来たようだ。
そんな玉虫が口元に笑みを浮かべると意外な事に沙希に向かって話し掛けてきたのだ。
「わらわを見ていきなり質問とは、かなり肝が据わっているようやのう」
確かに沙希は先程、玉虫に向かって質問をした。それがまさか本当に言葉を返してくるとは沙希は驚いたが、その驚きを表に出す事は無かった。なにしろ相手は玉虫でどんな力を持っているかは分からない。だから今はなるべくハッタリでは無いが、平常心を装って玉虫との会話をするべきだと沙希は判断したのだ。
「ある人に鍛えられててね。それで、私の質問には答えてくれるのかしら?」
何度も言うようだが沙希は普通の女子大生である。だからこんな非常識な事に免疫も無ければ鍛えられてきたわけでもない。つまり先程の言葉は沙希の強がりである。沙希には分っているのだ。ここで少しでも弱気な所を見せれば玉虫の餌食になると。だからこそ沙希は震えそうな全身を無理矢理にでも押さえ込みながら玉虫のと会話を続ける。
そんな玉虫があるところを指差したので、沙希は玉虫を警戒しながらもそちらに目を向けると、そこには先程破壊したオブジェがあった。沙希が自分で破壊したオブジェを見ていると玉虫が言葉を投げ掛けてきた。
「それを破壊したという事は、それが何なのかが分っておるのやのう。それなら今更わらわに何者かと尋ねる必要もなかろうて」
やっぱり……鈴音の推理どおりか。さすが静音さんの妹だけはあるわね。というか、しっかりと静音さんの教えだけは憶えてのね鈴音。玉虫の言葉を聞いてそんな事を思う沙希。確かに玉虫の言葉からは鈴音の推理が当たっていると思えるような言葉がはっきりと言われている。それでも沙希は鈴音の推理に更なる確信を付けるために視線を再び玉虫に戻した。
「なら、これが十本の柱であって、あなたが玉虫である事には間違いないというわけね。それにしても意外ね。悪霊と化した玉虫がそんなにも美人だとは思わなかったわ」
「ふっふっふっ、それはどうも」
沙希の言葉に短く返す玉虫。確かに玉虫は異様な姿をしているが、それが無ければ確かに沙希が言ったとおりに美人だといえる容姿をしている。
そして何より、沙希の言葉を否定する事は無かった。だからこそ沙希は確信を抱く。やっぱり、これが十本の柱なんだ。そしてこいつが玉虫……私達の……敵。そんな確信を抱いた沙希は玉虫を警戒するかのように拳を構える。それは沙希の考えがあっての行動だ。そんな沙希を見て玉虫は軽く笑みを浮かべながら話を続ける。
「どうやら、まだわらわに用があるようやのう。良いぞ、話があるなら聞いてやろうぞ」
「さすが神様と祀られていただけはあるわね。随分と偉そうね。出来ることなら、その顔を思いっきり殴ってやりたいわね。けど……そこまで見越しているのなら話が早いわ。私が聞きたい事はただ一つ、京野静音に関する事よ」
はっきりと断言をする沙希。そう、これこそが沙希が玉虫に聞きたいことなのだ。なにしろ玉虫は事件の黒幕かつ犯人と言っても良い。だから静音に関して知っている可能性は大いに高かった。だからこそ沙希は玉虫に静音の事を尋ねるのだった。
そんな沙希の質問に玉虫は軽く笑い出す。その事に沙希は玉虫を殴りたくなり、思わず拳を振るいそうになるが、相手は悪霊の玉虫である。沙希の拳が届く可能性はかなり低いだろう。それが分っているからこそ、沙希はそんな衝動を抑えるように奥歯を強く噛み締めて、地面を強く踏み込むのだった。
それから玉虫は笑うのを止めるが、その顔には未だに薄気味悪い笑みを浮かべていた。そんな笑みを浮かべながら玉虫は沙希に向かって言葉を放ってきたのだった。
「その質問に答えが必要かえ。主もすでの分っているのでやのう。京野静音がどうなったかのやのうを。けど、それを認めたくないからわらわに答えを求めているのでやのう。それでも答えが欲しかったらくれてやっても良いぞ。本当に……その答えが欲しいのやらな」
「玉虫っ!」
玉虫の言葉を聞いて沙希は思わず駆け出すが、数歩走ったところで足を止めた。それから沙希は玉虫に向かって拳を思いっきり突き出すと、顔を伏せて奥歯を思いっきり噛み締める。自分自身の感情に耐えるかのように。
そんな沙希が何とか保った平常心で心に思う。やっぱり……やっぱり静音さんは。でも……なんで静音さんが……事件は静音さんが失踪……ううん、もうこの表現は止めよう。静音さんが殺されたのは事件が始まる前、それなのに静音さんは殺されてる。……やっぱりダメだ。一度気分を入れ替えないと。
そう考えると沙希は玉虫に突き出していた拳で自分の顔を思いっきり叩く。沙希としては何でも良かったのだ。自分の怒りをぶつける先が何であれ。けれども鈴音との約束が果たせなくなった今では沙希は自分自身が一番許せないのだろう。だから沙希は自分を叩く事で鈴音へと贖罪と気分を入れ替えて玉虫と対峙する事が出来た。
そんな沙希が先程よりも冷静な口調で玉虫に尋ねる。
「一つだけ教えてもらうわよ。なんで……なんで静音さんなのっ! 静音さんが殺される理由が何処にあったというのっ!」
そんな事を叫ぶ沙希。もう叫ぶしか沙希に溜まった感情を吐き出す事が出来ないのだろう。そんな沙希の叫びに玉虫は沙希の行動を楽しむかのような笑みを浮かべると楽しげに話しだす。
「その答えが知りたいかえ。だが良いのかやのう、そんな事を聞いては自分達の無力さを露呈するのと同じやえ」
「どういう意味よ?」
玉虫の言葉に沙希は鋭い視線と声で玉虫に尋ねる。そんな沙希を楽しむかのように玉虫は笑みを絶やす事無く言葉を続けるのだった。
「オブジェが十本の柱だと気付いた事、そしてわらわの事を突き止めた事は賞賛してやのう。だが、それが分からないようでは、全ての事が分っていないと言っているようなものやえ。まだ知らない謎があると自ら言っているものだからやのう」
くっ! そういう事か。玉虫の言葉を聞いて思わず奥歯を噛み締める沙希。なにしろ玉虫の言ったとおりなのだから。
つまり先程の質問は玉虫に鈴音側の情報を与えたのと同じだ。それは鈴音達がどこまで真実を知っているかをだ。鈴音達が全てを知っているなら沙希は玉虫にそんな質問はしなかっただろう。だが、まだ鈴音達が知らない真実がある。沙希はその事実を確かめるために玉虫に質問をしたのだが、今回ばかりはそれを逆手に取られてしまったようだ。
要するに玉虫は沙希の質問から鈴音達が全てを知ったわけではない。憶測だけで動いている事を確信してしまったのだ。確かに鈴音達は鈴音の推理を信じて動いていて、何一つとして証拠や確証があった訳では無い。ただ鈴音の推理が当たっていれば玉虫が現れて鈴音の推理が証明されるという曖昧な理由だけで動いていたのだ。
沙希の質問はその事を玉虫に教えたのも同然だ。どうやら沙希は感情を抑えきる事が出来ずに、そこまで気が回らなかったようだ。それに玉虫がそこまで鋭い観察力を持っているとも沙希には予想外な展開だ。だからこそ自分の軽率な質問を悔やんだ。
一方の玉虫は鈴音達が全てを知っているわけでは無いという事実に確信を得て、余裕が生まれたのだろう。沙希に向かって笑みを向けると意外な言葉を投げ掛けてきた。
「まあ、良いやのう。そんなに知りたければ教えてやのうや」
「……くっ」
玉虫の言葉に沙希は思わず悔しそうな表情をする。それは玉虫が浮かべている余裕の笑みを見たからこそ、沙希はそんな表情をしたのだろう。
そう、この時点で優位に立っているのは玉虫である。なにしろ鈴音達は全てを知ったわけではない。だから今の時点で何かしらの手を打てば鈴音達を止める事は簡単だ。いや、もしかしたら鈴音達には解けない謎が既にあるから余裕を出しているのかもしれない。どちらにしても、玉虫には余裕があるからこそ、あえて余裕を見せ付ける事で沙希に敗北感を与えようとしたのだ。
そうする事で今後の展開で玉虫が有利になるのは確かなのだから。そんな玉虫が笑みを絶やす事無く話し始める。
「わらわが千年以上の年月を掛けて千の首を集めておったのは分っておろうや。だが千の首を集める為には何度も仮初の復活をしないといけない。その度に必要なのが依り代と生贄なのうや。それは今回も同じぞ、千の首を集めるために依り代と生贄が必要だったのうや」
「依り代と……生贄っ!」
玉虫の言葉に驚きの声を上げる沙希。それだけで静音の末路が大体察しが付いたからだ。そんな沙希を見て玉虫は更に楽しげに言葉を続けるのだった。
「依り代、つまりはわらわが一番最初に憑依出来るようにわらわを復活させた人物。つまり依り代によって生贄が決まる。そして依り代は村で一番負の感情を持っている者をわらわが選ぶ。正確には憤りを持っている人物にわらわを復活させる事を条件に、わらわはその者の憤りを消滅させて、わらわの依り代となる契約をさせるのやのう」
「……なるほど、そういう事か」
沙希は顔を伏せて静かに言葉を放った。玉虫の言葉は確かに沙希の胸を貫いた。けれども沙希に沸いてきた感情は怒りでは無い。それどころか逆に同情や憤りである。
どうしようもない事実、どうにも出来なかった真実、どうする事も出来たかった現実。その全てを理解した沙希に怒りという感情は沸いてこなかった。逆に依り代に対する同情だけが強く沙希の胸には残った。
それでも沙希は顔を上げると玉虫を睨みつける。
「ようやく分かったわ。全ては……あなたが悪いってねっ!」
玉虫に向かってそんな言葉を放つ沙希。それだけ沙希にとっては玉虫が許せなかったのだろう。だが、その玉虫は沙希にそんな事を言われて、逆に大きく笑って見せた。
「随分と面白い事を言ってくれるやのう。だが、わらわから見れば悪いのはこの村に住む人間達だ。だからこそわらわは千年もの歳月を掛けて復讐の為に蘇ったのやえ」
どうやら鈴音の推理はまた一つ当たったらしい。それは玉虫が村に復讐をするために復活をしたという事。それはつまり玉虫は物語のように自ら生贄になったわけではない。強制的に生贄にさせられたのだ。だからこそ玉虫はその怨念を晴らすために復活を果たしたのだ。
けれども沙希のとってはそんな事の為に犠牲になった人達の方がよっぽど間近で、同情するのと同じ位の怒りが沸いてきた。
「この際だからあんたの都合なんて知らないわよっ! でも……あんたの為に犠牲になった人達の恨みは必ず晴らさせてもらうわ」
そんな沙希の言葉に玉虫は再び不気味な笑みを浮かべると沙希に向かってはっきりと断言した。
「ほう、だが分っておるやのう。主ではわらわに触れる事も出来ないということが。それなのに、どうやってわらわに一矢でも報いようというのや」
確かに沙希には玉虫に対抗する手段は持ってはいない。そんな物があるとすれば鈴音が持っている霊刀に限られるだろう。けれども沙希は確信を持って、玉虫を指差して断言する。
「確かに私にはあなたをどうする事も出来ない。……けどっ! あなたの手駒である一つを潰す事は出来るわよ」
「ほうっ」
沙希の言葉に興味深げに返事をする玉虫。そんな玉虫を見て沙希は言葉を続ける。
「確かにあなたは復活したわ、悪霊としてね。でも……それ故にハンデを抱える事には変わりない。つまり自分自身の力では人は殺せない。だからこそ、今でも羽入家を使っているし、憑依する相手がいない限りは何も出来ない。だからあなたは今まで動かなかった。全てを羽入家に任せて。その事があなた自身の力を露呈しているのと同じよ」
そんな沙希の言葉を聞いて玉虫はゆっくりと笑い出すと最後には大声で笑い出し、笑うのを止めると沙希に向かって赤い瞳を鋭くして視線を送ってきた。
「見事よの、見事や。そこまで分っているなら、わらわが何も用意をしないままに姿を現したわけでは無い事は分っておろう」
「でしょうね」
そんな会話をする沙希と玉虫。
二人の話をまとめると次のようになる。
復活を果たした玉虫だが、その力は村の閉鎖と自分自身を表に出すだけで精一杯だ。つまり今の玉虫には自力で人を殺すだけの力が無い。それは復活前と同じだ。ただ復活前と変わった事といえば村を完全に閉鎖した事と羽入家の血筋を暴走させた事。そして自分自身の実体をあわらにできた事。この三つだけで玉虫には力が残ってはいない。沙希はそう断言したのだ。そして玉虫もそれを認めた。
沙希がそんな理論に辿り着いたのには一つの理由がある。それは玉虫が今頃になって姿を現した事だ。もし、玉虫が自分自身の力で村を壊滅させる事が出来るなら、こんな回りくどい事はせずに自分自身の力でやっているだろう。
だが今までの現象でそんな事は一つも無かった。なにしろ村人の殺害をしているのは羽入家の血筋だし、今までの殺人を行ってきたのも玉虫が憑依してきた人物だ。つまり玉虫は復活した後でも、そのルールだけは変わらない。玉虫には人を殺せる実体が無い。だから今も沙希は無事でいられるのだ。
沙希もそれが分っているからこそ堂々と玉虫との会話を始めたのだ。自分が玉虫だけの力では殺されないという理論を元に。だが、そんな玉虫でも沙希を殺せる手段が一つだけある。それは前の事件と同じ、誰かに憑依してその人物の自由と意思を奪う事だ。そうすれば玉虫は先の事件と同様に沙希を殺す事が出来る。
沙希は正しくその事を指摘して、玉虫もそれを認めたどころか、すでに憑依可能な人物を用意している事を示してきたのだ。
そう、沙希の目的は最初から、そこにあったのだ。沙希には分っていたのだろう。玉虫から全ての真実を知ると自分が冷静ではいられないと、けれども玉虫にはどんな事をしても敵う訳が無い。だからこそ、沙希はここで玉虫の手駒である人物を叩きのめす事で少しだけうっぷんを晴らすと共に今後の行動を冷静に出来るように心の整理を付けようとしていたのだ。
そんな沙希の心までは見抜けなかった玉虫は沙希の言葉は自分に対する挑戦状だと感じ取ったのだろう。玉虫はゆっくりと手を上げると茂みの向こうから一人の人物がゆっくりと歩いてきた。
あの人は、確か……そうっ! 学さん。そう、茂みの向こうから姿を現したのは村長の息子である学であった。その学はまるで意識が無いかのように人形のような顔で、片手には御神刀らしき物を持ってゆっくりと玉虫の傍に歩いて来た。
そして玉虫は学の後ろに周ると学は急に生気が宿ったように御神刀を沙希に向ける。
「なるほど、今までもそうやって千の首を集めてきたというわけね」
すっかり変わり果てた学の姿を見て沙希はそんな感想を述べと玉虫は笑みを浮かべながら話を続けてきた。
「そのとおりやえ。こうやって憑依する事で憑依された人間はわらわの思いのままに動く。だが今ではそれだけじゃないやのう。完全に復活したわらわの力は憑依した者に更なる力を与える。さあ、それでもわらわの手駒を奪う事が出来るのかえ」
そんな言葉を聞いた沙希は自分の拳をしっかりと見詰めると、学に向かって拳を構える。どうやら沙希は完全に学を相手に玉虫に向かって喧嘩を売る気らしい。
沙希の本心を言えば玉虫を叩きのめしたいところだろう。だがそれは沙希の役目では無い。その事は沙希が一番良く分かっている。だからこそ沙希は今後の展開を少しでも有利にするためにここで玉虫を相手に戦う事を決意するのだ。そう、少しでも鈴音への負担を軽くする為に。
確かに玉虫が憑依出来る人物は限られている。だから憑依する人物が一人でも減れば鈴音達に取ってもかなり有利になるだろう。なにより、沙希としては玉虫に一矢でも報いないと腹の虫が収まらない。だからこそ沙希はここで玉虫に憑依された学と戦う事を決意するのだった。
だが、その前に沙希は一つだけ確かめたい事があるのだろう。学の後ろで漂うかのように宙に浮いている玉虫に向かって言葉を放つ。
「やっぱり、村長さんの家に住んでいた人は全てあなたに人質としていつでも憑依出来る状態にしておいた訳ね」
そんな言葉を放った沙希に玉虫は軽く笑いながら答えてきた。
「そのとおりやえ。それにしても、あの時の光景は笑えた物よ。なにしろ、わらわの姿を見て、全ての真実を知った村長の慌てぶりときたら、主達にも見せてやりたかったものやえ」
そんな玉虫の言葉を聞いて沙希は更に鋭い視線と声で返答する。
「はっきり言って、あんたのそういう高見から見ている態度が一番気に食わないのよっ!」
そんな言葉を叫ぶのと同時に沙希は学に向かって一直線に駆け出す。そんな沙希を見て玉虫は口元に笑みを浮かべると、まるで御神刀を構えるような動きを見せる。それと同時に学も玉虫と一緒の動きをする。どうやら憑依された相手は玉虫と同じ動きをするようだ。
けれども今の沙希にはそんな事はどうでも良い。今は玉虫に一矢でも報いれば充分なのだから。だからこそ学が御神刀を構えようとも迷う事無く学に向かって突っ込んでいく。
だが相手は御神刀を持っている学である。更に憑依している玉虫が付いているのだから、学がどんな事をしてくるかは分かったものではない。それでも沙希は学との距離を一気に詰める。そして玉虫はそんな沙希に対して御神刀の間合いに入ると横一線に振るうのだった。
玉虫の攻撃にはまったく無駄な動きが無く。見慣れていない人間ならすんなりと胴を切り裂かれていた事だろう。だが沙希には刀を相手にした訓練を積んでいた。どうやらそれが役に立ったらしく。沙希は玉虫が刀を振るう寸前に急停止を掛けると、そのまま後ろに飛んで一気に御神刀の間合いから抜け出たのである。
そのため、玉虫の御神刀は空を切る事になったのだが、なにしろ相手は玉虫である。たった一度の攻撃を避けただけでは安心は出来ない。沙希は気を緩める事無く、体勢を立て直すのだが、その前に玉虫から一気に距離を詰めてきて御神刀を連続で振るってきた。
さすがに玉虫の力が加わっているようであって、憑依された学の動きにはまったく隙が無く、洗練された動きで沙希に向かって御神刀を振るい続けた。そんな攻撃を避け続ける沙希だが、なにしろ相手は刀である。避けたつもりだが、微かに触れたのだろう。沙希の身体には幾つかの切り傷と、斬り付けられた後として服がしっかりと切られていた。
そんな状態でも沙希の瞳からは闘志が消える事は無かった。それどころか逆に燃え上がったように先程よりも鋭い瞳で学の攻撃を避け続ける。そして段々と攻撃が見切れるようになってきたのだろう。沙希は学が御神刀を振るった瞬間を付いてカウンターである蹴りを学の腹に入れた。
普通ならその場に崩れ落ちても不思議では無いほどの威力を込めた蹴りである。それは沙希が格闘技を習っていたからこそ、それほどまでの威力が出る蹴りが出せたのだ。だが学の身体は崩れ落ちるどころか後ろに跳ぶような感じで下がっていった。
あのタイミングで自分から後ろに跳んで、私の蹴りを軽減したっ! いったいどこまで達人級の身体能力を得てるのよっ! 学の行動を見てそんな事を思った沙希。それもしかたない、なにしろ沙希は確実に攻撃を入れられるタイミングで蹴りを放ったのだ。
それなのに玉虫が憑依した学はそんな沙希の蹴りを自らが後ろに跳ぶ事で威力を軽減させたのだ。そんな動きは素人が出来る技ではない。なにしろ少しでもタイミングを間違えれば沙希の蹴りをまともに喰らってしまうのだから。
だが玉虫が憑依した学は完璧なタイミングで沙希の蹴りを軽減してしまった。それだけでも沙希は驚きだが、沙希以上に玉虫は驚いていた。そんな玉虫が口元に笑みを浮かべながら沙希に問い掛ける。
「見事、見事、それほどの体術をどこで会得したのやえ?」
「ある人から習っておいて損は無いって強制的に特訓させられたのよ。まさかこんな所で役に立つなんて思ってもみなかったけどね。でも、今では感謝してるわよ」
そうですよ……静音さん。どうやら沙希は静音から特別な訓練を受けていたようだ。それは鈴音も知っている事で鈴音が沙希の相手をした事もある。それはつまり、沙希は刀を持った相手の対処法を知っているという事だ。
どうやら静音は鈴音を鍛えるという口実で沙希にも特殊な訓練をしていたらしい。まあ、静音としては相手がナイフや短刀などを相手にした時の護身術としてそんな特訓を沙希に化したらしいが、なにしろ静音の特訓である。普通であるわけが無い。
だから沙希はナイフや短刀よりも長い刀を相手に静音や鈴音の相手をした事がある。静音としては長い刀を無手で捌けるようになれば、ナイフや短刀なんて怖くない。という独自の理論により沙希を強制的に引っ張ってきたらしい。
だからこそ沙希は学を相手にここまでの戦いができるのだ。まさか沙希もこんな所で静音が面白半分で思いついた特訓が役に立つとは思いもよらなかっただろう。けれども、今はこうして鈴音の役に立っているのだから、その点だけは静音に感謝をしていた。
けれども沙希が不利な事には変わりない。なにしろ相手は玉虫が憑依している学である。しかも以前の事件が起きていた時とは違い、玉虫は完全なる復活を果たしている。だからどれだけの力を持っているかは沙希には予想も付かないが、警戒を緩めるわけにはいかなかった。
そんな玉虫が御神刀を鞘に収めると、学は腰を落として独特の構えを見せる。
あの構えって、確か……居合いっ! そう学は居合いの構えを取ったのだ。だが居合いは一撃必殺の構えで沙希が刀の間合いに入らない限りは沙希を傷つけるどころか、一撃で斬り裂くことは出来ない……普通なら。
玉虫は沙希が未だに距離を取って刀の間合いに入らないのに、鞘から刀を一気に抜くと横一線に振り抜いた。その行動を見た沙希は防衛本能だけで咄嗟に思いっきり、その場から上に飛び上がる。そして沙希は足元に風が通過するのを感じると、沙希の後ろに生い茂っていた茂みが一斉に切り裂かれたのを目にしたのだった。
って、こんな事。どんなドーピングよりも卑怯じゃないっ! 思わずそんな事を思ってしまう沙希。なにしろ玉虫は居合いの一撃だけで遠くに居る沙希を切り裂こうとしたのだ。そんな事は普通の人間には出来はしない。玉虫が憑依しているからこそ出来る技なのだろう。
そんな玉虫が刀を構える事無く、楽しげに笑いながら沙希に話しかけてきた。
「見事見事、まさかわらわの横一線を避けるとはのよう。どうやらかなりやりおるようやのう。それでこそ、こちらも楽しめるというものやえ」
そんな余裕を丸々出した発言をする玉虫を沙希は思いっきり睨み付けながらも、これからの対抗策を考える。
横一線だっけか、確か静音さんからそんなような事を聞いた事があるけど。静音さんは今では伝説的な技だから出来る人なんて居ないって言ってたっけ。それがまさか、こんな形で見る事になるなんてね。……けど、居合いなら相手が刀を抜いた瞬間にならどうにかなる。
確かに沙希が考えたとおりである。玉虫が使った横一線は刀を鞘に収めたまま、抜く時の鞘走りを利用して一気に加速させて高速で刀を振り抜き。空気を切り裂いて真空の刃を飛ばすという達人以上の技だ。
昔の文献では確かにそのような技が記されている物があるが、それが実際に出来る技かというと怪しいものである。実際に真空を生むほどの高速で刀を抜く事すら難しいのに、そこから真空の刃を飛ばすのだから。だが文献では大体一、二メートル先の相手を斬り裂いたともある。
だが先程の玉虫が出した横一線は優に十メートル以上は飛んでいる。それだけ玉虫の力が付加されて技自体が威力を増したのだろう。だからこんな非常識な技を玉虫は軽々とやってのけたのである。
そうなると沙希にはあまり距離を置く事は許されなかった。玉虫から距離を取れば、どうしても横一線の餌食となってしまう。だからと言って近すぎると普通に切られてしまう可能性がある。だから沙希は玉虫が横一線を使えて、学が持っている御神刀が届かないギリギリの距離で玉虫の出方を窺うのだった。
それでも沙希はゆっくりと後ろに退がるのだった。なるべく玉虫に気付かれないように、どうやら沙希には何か考えがあるみたいだが、それをやるには危険すぎるだろう。だが、先程あんな技を見せられては沙希もリスクを負わないと玉虫に対して一矢を報いる事が出来ない。だからこそ、沙希はリスクを承知して少しずつ後ろに退がっていくのだった。
もちろん、そんな沙希の動きを玉虫が見逃すはずが無い。ゆっくりと遠のいていく沙希。なにしろ沙希は武器を持たない無手である。だから沙希が攻撃をする範囲はどうしても限られてくる。だから沙希が学から遠のけば遠のくほど玉虫には有利なのである。
そして沙希が反撃が出来ないだろうと思われる距離まで退がると玉虫は一気に行動に出た。一瞬で刀を鞘に収めると、目にも見えない動きで再び刀を抜いて一気に振り抜く。再び横一線を放ったのだ。
もちろん、そんな事をされれば沙希には避けるしか選択しが無い。だが沙希はそこに勝機を見出したのだ。
沙希は先程と同様に上に跳んで横一線をやり過ごす。だが今度は真上に飛んだわけではない。少しだけ助走を付けて学に向かって跳んだのである。そう、これこそが沙希の狙いであった。沙希は玉虫が横一線を放つ瞬間を見切って、一気に学に向かって大きく飛び上がったのである。
確かに横一線は高速の剣技である。だが、それだけに一度抜かれた刀は方向修正が出来ずに一番最初に狙った場所にしか放つ事が出来ない。つまり沙希の動きに合わせて横一線の角度を変更する事が出来ないのである。
刀を抜いて振り切るだけのタイミングは刹那の瞬間と言ってもいいだろう。だが沙希も伊達に静音に甚振られて、いや、鍛えられてきたわけでは無い。沙希は相手が刀を抜く瞬間をしっかりと見極めて、刀が振り切られる寸前に跳んだのである。
横一線が真空の刃を飛ばすのは刀を振り終わった瞬間。沙希は先程の一撃でそれを見極めていた。沙希も伊達に格闘技を身に付けていた訳ではない。基本である相手の動きをしっかりと把握する技術をしっかりと身に付けていたのだ。だからこそ、横一線の特徴を正確に把握する事が出来た。
そして沙希は一気に学との距離を詰めるとそのまま一気に懐へと入り込む。こうなると今度は沙希が攻める番である。なにしろ刀はその長さから言っても、懐に入られると自由に振るう事が出来ない。刀はある程度の距離を置いてこそ、その真価を発揮するのだ。
だから今の沙希がしているように刀を自由に振るう事が出来ない距離まで詰めてしまえば、さすがの玉虫が憑依した学も沙希の拳や蹴りをよける事が精一杯でとても反撃する事が出来ない。だから玉虫は何とかして沙希から距離を取ろうとするが、沙希は絶対に学との距離を空ける事無く、刀を振るえない間合いで攻め続ける。
そんな沙希が絶対的に有利な状態だというのに玉虫は楽しげに沙希の攻撃を避けながら話しかけてきた。
「なかなかやるものやえ。その体術は賞賛に値するものやのう」
そんな玉虫の言葉にも沙希は耳を貸さずに学を攻め続ける。沙希にも分っているのだ。ここで攻撃の手を緩めれば確実に玉虫からの反撃を喰らうと。
だが玉虫はそんな沙希の心境を見抜いているのか、とんでもない事を言い出してきた。
「だが、一つだけ忘れているようだから教えてやのう。主が相手にしているのはわらわの傀儡だけではないぞ。わらわの事を忘れるではないやえ」
「……まさかっ!」
沙希が玉虫の言葉に含まれた真意に気付いた時には遅かった。学の後ろで漂っている玉虫は学の後ろから沙希に向かって手を突き出すと、衝撃波のようなものを一気に放った。そう、これこそが玉虫の力なのだろう。一言で言えば超能力。それに近い力を持っているようだ。
まさか玉虫に直接的な攻撃を喰らうとは思ってなかった沙希は思いっきり吹き飛ばされて、地面に叩きつけられると数回転がってやっと止まった。その衝撃で沙希の体中には激痛が走るが、沙希はそんな激痛を無視するかのように、気合だけですぐに立ち上がると玉虫の反撃に備える……が、すでに遅かった。
玉虫はすでに沙希の目の前まで迫っており、学は沙希に向かって刀を振り下ろすのだった。
はい、そんな訳で沙希は玉虫に喧嘩を売りました~。まあ、沙希としては静音の事を聞いては黙って逃げる事なんて出来ないんでしょうね。それに玉虫も吉田の時とは違ってしっかりと準備してましたからね~。二人ともやる気マンマンですね。
まあ、そんな事はさて置き……予想外に沙希と玉虫との会話が長くなったっ!!! ……いやね、本来なら少し会話させて一気に沙希と玉虫が戦って三話で終わらせるつもりだったんですけどね……やっぱり長くなって三話に収まりきらなくなった。
……まあ、いつもの事だよね~( ̄ω ̄)
という事で話を次回に引っ張る事にしました。
……それにしても……書いているうちに静音という人物がドンドンと崩壊して行くのは私の気のせいでしょうか。……いやね、今回も沙希にいろいろと仕込んだのは静音になってるし、まあ、静音ならそれぐらいやっていても不思議では無いんだけど。……初期設定はそんな人ではなかったんだよね~。静音……すまん。
まあ、そのおかげで沙希が戦う事が出来たので、今では静音に感謝感謝です。
それから先に言っておきますけど、玉虫は最初からあんなような感じで登場させようとしてました。まあ、前回では玉虫の恐怖感を出すために、あえてあんな登場をさせましたが、今回は喋らす事ですっかり人物像が崩壊してますね。
まあ、それも計算の内なので……いや、本当ですよ、これは当初からの予定ですよ。なに、その疑う視線は……よし分かったっ! そこまで言うなら証明してやるっ!!! 私が切腹する事でっ! ぐはっ!!!
そして復活っ!!! ……そろそろ飽きた?
まあ、何にしても今回はこの辺にしておきますか。そんな訳で第三章は次回で終わりです。沙希の戦いがどんな結末を迎えるかも楽しみに次回を読んでみてくださいね。
そんな訳で締めま~す。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、これって推理物の作品だよね? という質問を禁止すると宣言した葵夢幻でした。