第4話 甘え上手の罠 前編
※本話では、浮気・不倫未遂・秘密の関係性など、センシティブな恋愛描写が含まれます。
また、会話の中に含まれる過去の因縁や不穏な暗示が不快に感じられる場合がありますので、苦手な方はご注意ください。
恋愛は女の勲章?
それとも慰め?
“モテる私”を武器にしてきた桃子
今日も放つ無自覚のマウントに、
テーブルの空気が揺れる。
けれど、
彼女が知らない“致命的な秘密”が、
可奈子の胸の中で密かに疼いていた。
「ねえ、聞いて。私、また年下に告白されたの〜♡」
薬膳ランチの店から歩いて5分。スパイス香る異国風カフェに場所を移した一行。
赤い木彫りのランプが下がる店内で、桃子の恋愛話は、さながら劇場の幕開けのように始まった。
「この前、取引先の子でさ、25歳。
まーた“初めて年上にドキッとしました”とか言うのよ〜!
もう。困っちゃうよねぇ」
「ほぉ〜」
「またか〜」
「さすが桃子」
そんな生ぬるい反応が、テーブルを囲む5人から漏れる。
だが、本当に“生ぬるい”のはその空気だけではなかった。
「でね、断ったんだけど。
こないだ夜中にLINE来て、“今でも考えちゃう”とか書いてあってさ〜。
ちょっと、も〜。こっちは寝ようとしてたのに、みたいな♡」
桃子はカフェラテの上のミルクフォームをスプーンですくいながら、唇の端に笑みを浮かべた。
恋愛を語る彼女の目は、他人の視線を心地よく跳ね返す“自信”に満ちていた。
が。
その反対側で、菜津の眉が微かにピクリと動く。
「年下って……私、もう体力がもたないかも。
前に28歳の子と遊んだ時、翌日寝込んだもん」
菜津の声は、どこか引きつっていた。
だが、それを気取られぬように、彼女はストローを唇で挟みながら、目線を遠くに逃がしている。
桃子は笑いながら手を振った。
「やだぁ〜菜津。遊んでたの?
今の旦那とでしょ?」
菜津の頬がほんのり赤く染まる。
「ま、まぁ……。
でもさ。桃子の話聞いてると、自分が色あせてる気してくるわ〜」
「何言ってんの。
菜津なんて十分華あるじゃん。
ていうか、私たち、昔からそうだったよね? Cが美人で、私がモテ担当♡」
「あ〜、言ってたね〜それ」と、呑気な口調で小百合が口を挟む。
「“美人とモテは違う”って、桃子の座右の銘だっけ?」
「そうそう!
だってさ、モテるって要は“人懐っこさ”じゃん?
私、ほら、人の懐に入るのうまいのよ。
昔から、男にだけじゃなくて、おじいちゃんとか、先生とか、犬とかさぁ」
「犬!?」
「それはモテじゃなくて懐かれてるだけじゃ……?」
皆が笑いながら突っ込むが、可奈子の表情だけは、ひときわ静かだった。
可奈子は桃子の「懐に入る」力を、昔からよく知っている。その無邪気さが時に人の心を動かし、時に“境界線”を壊してしまうことも。
それがどれほど無自覚であっても、結果として──
壊される側には傷が残る。
可奈子の記憶の奥に、あの夜の風景がよみがえる。
夜更けのバーで、偶然出くわした菜津の夫と桃子。
酔って肩を寄せ合い、笑い合うふたりの距離は、明らかに“友人”のそれではなかった。
菜津が知らない世界。
桃子が気づいていない代償。
そして。
可奈子だけが知ってしまった“関係”。
「……ねぇ、桃子」
可奈子は、カップを置いてからそっと口を開いた。
「菜津の旦那さん似の人とは、最近どう? 」
菜津がわずかに体をこわばらせる。
桃子は、きょとんとした顔で可奈子を見る。
「え? あ〜、あの人ねぇ……。
あんまり会ってないけど。
前に一緒にカフェ行ったのも、もう半年くらい前かな?」
「へぇ。菜津の旦那と、カフェ?」茶化すように小百合が言う。
菜津の目が細くなる。
空気が、わずかに凍りつく。
桃子は、気づかない。
『なによ、それ〜』とケタケタ笑い流す。
「いや、それだって偶然だよ? たまたま街で会って、“久しぶり〜”って言って。
あの人、ああ見えて面白いのよ。映画の話とか詳しくて」
「ふーん、映画に詳しいんだ……」
菜津の爪が、コーヒーカップの縁を無意識にこすっていた。
「ほんっと、ただの偶然よ〜。
だから安心してよ、菜津♡」
桃子はそう言って笑った。
「菜津の旦那の体で言ってみた♡」小百合を真似て茶化す様に。
その笑顔に、菜津はかろうじて微笑みを返すが、その目は、底冷えするほど冷たかった。
“甘え上手”は、
時に最強の武器。
けれどその無邪気さが、
人を壊すこともある──
次回・後編では、
菜津の不安と怒りが
静かに噴き出し始めます。
桃子の無邪気な“罪”が、
ついに表面化する……?