第二話 リア充の正体 前編
※本話には、家庭環境や恋愛観・価値観のズレを含む描写があります。
日常会話風の展開ですが、会話の裏に潜むマウントや探り合いなど、人間関係に敏感な方はご注意ください。
「リア充」
──その言葉に、
いくつの嘘が詰まっているだろう。
SNSの光に照らされた彼女の生活は、
誰のための“幸せ”なのか?
今回は菜津の視点で、
薄氷のような日常が描かれます。
ランチ会の翌朝。
菜津は鏡の前でファンデーションを塗りながら、口元の小じわを指で引っ張った。
「また目の下、乾いてる……。
もう、韓国コスメでも限界なのかな……?」
小声で独り言をつぶやきながら、スキンケアの失敗を隠すように、やや厚めのコンシーラーを叩き込む。
寝不足だ。
夜中、SNSに投稿する旅行写真を選ぶのに時間を費やしながら、あのランチ会の光景が頭の中で何度もループしていた。
(桃子のやつ。ほんとに私の夫に……?
いや……。まさか、ね?)
でも、昨日のあの瞬間の沈黙と視線。
可奈子の意味深な笑み。小百合の煽り。
桃子の顔──。
あれは、知らない男の話をする顔じゃなかった。
「……許さない。
私の、今の幸せだけは、崩させないんだから!」
菜津は唇を赤く塗り直し、微笑みをつくる。
完璧な見栄えの“仮面”は、これで完成。
彼女のスマホがブルッと震えた。
LINEの通知。
グループ名《ランチ会_ゆるく自由に》
名前と裏腹に、その内容はまるで戦場の斥候報告のようだった。
桂子:桃子のこと、やっぱり放っておくの?
小百合:でもさ、あいつ昔からああだし。今さら止められる?
亜美:関わらない方がいい。私はしばらく会わない。
可奈子:……見たくないものは、見なきゃいい。ただ、それだけ。
(……なに、それ)
可奈子のコメントだけが妙に冷たく響いた。
『見たくないものは、見なきゃいい』って……。
──それって、何を見たっていうの?
可奈子は、何を知ってる?
どこまで知ってるの?
菜津はスマホをテーブルに乱暴に置き、夫の写真立てに目をやる。
撮影現場で撮ったツーショット。白い歯を見せて笑う夫。
その隣で、彼女自身も満面の笑みを浮かべていた。
でも、あの笑顔はいつのものだっただろう。
もう1年近く、まともな会話もしていない。
夫は最近、撮影と称して家を空けることが増えた。そのくせ、投稿された写真には桃子と同じピアスが写っていたりする。
──偶然、とは思えなかった。
(でも、そんなこと認められるわけがない)
彼女の“リア充”は、もはや世間に対する自己防衛そのものだった。
SNSには毎週のように旅行写真、ランチ、子どもの笑顔。
心の中が荒れていようが。
現実がどうであろうが。
それが“幸せそう”に見えればいい。
今日も、予定していた通りインスタを更新した。
『✨夏のソウル旅✨
子どもたちとまた行きたいなぁ〜
#韓国コスメ
#母娘旅
#ステキな思い出
#リアルが一番』
「……本当は、写真も去年のやつなのに」
ソウルに行ったのは、去年の初夏。
その頃はまだ、家族の空気もいくらか柔らかかった。
それが今や、夫はどこにいるかも分からず。
子どもたちは口数が減った。
菜津はひたすら“自分を保つ”ことに疲れていた。
その夜──。
リビングのソファで寝落ちしかけた頃、夫が帰ってきた。
遅い……。
時計は午前1時を過ぎていた。
「……どこ行ってたの?」
「撮影。地方のスタジオ。
朝からだったから、前乗りで……」
「ふーん。じゃあ、昨日のあの投稿……。
“青山のカフェで”って、誰が撮ったの?」
夫の手が止まる。
菜津は笑った。
「別に、問い詰める気はないの。
ただ、“撮影”って言葉がもう、信用できないだけ」
夫は答えなかった。
代わりに、目を伏せてそのままバスルームへ向かっていった。
菜津は笑ったまま、またひとつ深いため息をついた。
(あぁ……。
なんで私、こんなにみじめなんだろう)
だが、翌朝になればまた彼女は“リア充”を演じる。
ママ友とのLINEにはハートをつけ、インスタには過去の写真を“今風”に加工して投稿。
ランチ会の予定には誰よりも早く「参加希望」と入力する。
それが彼女の、社会との“接続”だった。
虚構であっても、断たれることの方が、恐ろしかった。
菜津は今、
自分の足元が崩れていく音に気づいていない。
“リア充”という名の化粧は、
誰の目にも濃すぎて見えるのに。
次回、後編では
菜津の“誤算”と
可奈子のある確信が交差します。