第7話 静かなる余波 前編
※本話では、人間関係の崩壊、離婚、暴露、家庭破綻、精神的ショックを伴う描写があります。
特に恋愛や信頼関係に敏感な方はご注意の上お読みください。
昼下がりのカフェテラスに、薄曇りの空が重たくのしかかる。
湿気を帯びた空気の中、微かに漂うラベンダーの香りが、無理やり穏やかさを演出していた。
そんな空気にそぐわぬほど。
7人の間には気まずい沈黙が流れていた。
誰かが喋らなければ、この空白は崩れない。
「……ねぇ。さっきの話……。
本当に何の冗談かと思ったわよ、桃子。
やっぱりウソでしょ?」
沈黙を破ったのは、桂子だった。
声は笑っているようで、笑ってはいない。
眉間に寄ったシワと、目の奥に浮かんだ怒気が、それを物語っている。
桃子は、いつものふわりとした笑みを浮かべながらも、瞳の奥に一瞬だけ影を落とした。
「ん?
どの話?」
「とぼけないで。
菜津の旦那さんとのこと。
……まさか、本当に……?」
菜津は、それまでずっと口をつぐんでいた。しかし名指しされるや否や、椅子を軋ませて立ち上がった。
「ねぇ、桃子!
本当に……うちの人と?」
桃子は、ふうっと一つ大きく息を吐いた。
「本当に、分かんなかったの!
まさか彼が、菜津の旦那さんだったなんて。
名前、違ってたし。カメラの話とか、しなかったし……」
「だからって!
信じられない。よりによって、私の……」
菜津の美しい顔が、怒りと羞恥で真っ赤になっていく。
周囲の客がこちらを見ているのを気にもせずに。
手のひらで口元を覆い、椅子に座り直す。行き場のない思いを託す様に目の前のグラスを睨みつけた。
可奈子は、何も言わなかった。
ただその場の空気を飲み込みながら、桃子の顔と菜津の横顔を見比べていた。
(気づいてたよ、ずっと。
けれど、誰にも言わなかった。
言ってどうなるものでもないし。
けれど……)
場の空気が凍ったまま、時間だけが過ぎていく。
誰かが咳払いをしようとして。
それすら音を立てるのを憚って止めたような……
重苦しい時間。
そんな中で、小百合がぽつりと言った。
「ねぇ……。
何で、そんなにお互いの生活に首突っ込んで、傷つけ合うの?
もう、疲れない?」
唐突な問いに、全員が一瞬、彼女の方を見た。
「……何かさ。
私、今日の会、全部見てて思ったんだけど……。
昔は楽しかったじゃない。
でも今は、誰が一番幸せか比べるために集まってるみたいで、息が詰まるよ」
「小百合……」
可奈子が呟くと、小百合は鼻で笑った。
「私さ。
あんたらみたいに良い家庭とか、順調な人生なんて持ってないよ。
でも、やっと最近、やり直せてんの。
准看取って、病棟で働いてさ。患者のウンチ洗って、吐瀉物片付けて、足の爪切って。
キレイごとなんか一つもないけど、毎日が、ちゃんと生きてる!って、感じてる」
その言葉は、何よりも重かった。
マウントも、見栄も、比較も、そこには通用しない。
地に足をつけて、泥水を啜りながら歩いてきた小百合の言葉が、全員の胸に突き刺さった。
「……桃子も、菜津も。皆んなだって。
あんたらは、なんだかんだで守ってきたものがあるんでしょ。
壊したくなきゃ、少しは向き合いなよ。
人のもの欲しがってる場合じゃないよ」
小百合の声は、まるで母親のようだった。
菜津は、肩を落とし、手元のスプーンをいじっていた。
桃子は、何か言いたげに唇を噛んでいた。
可奈子は、ただ静かに。
その場の空気を見つめながら、小さくため息をついた。
(みんな、必死に「勝ち」を探してた。
でも……。
勝ち負けじゃない。
そういうことに、気づく時がきてる)
——そして。
誰よりも早く「勝ち負けから降りていた」のは、自分。
それを、今さらながら確信した。
その確信が、可奈子の表情をやわらげた。
空が晴れ間を見せ、カフェの影がテーブルの上に模様を落とした頃——
美知子がそっと口を開いた。
「……うちの店ね。
閉めるかもしれない」
静寂が、また落ちた。
後編では、
それぞれの内面の変化や、
菜津の最悪な結末へと向かう転落、
そして
可奈子の真の人生の充実が
じわじわと明かされていきます。




