第6話 沈黙の主役 前編
※本話では、不倫・浮気・裏切りに関する直接的な描写が含まれます。
また、人物の価値観や関係性の崩壊が進行します。倫理的に不快な場面もありますのでご注意ください。
あの日、ランチ会がいつになく“全員集合”したのは、きっと偶然ではなかった。
季節は秋。陽射しはまだ強いものの、風の温度がすでに変わっていた。
空気にはうっすらと乾いた冷気が混ざり、銀杏の葉が黄色くなる手前で、夏の残り香と共に揺れていた。
会場は、珍しく美知子の店ではない。
駅前の小洒落たビストロだ。
理由は小百合の一言だった。
「たまにはさ。
美知子のとこじゃないとこで、ちゃんと金払って“食事”したいわけよ。
いいでしょ?」
美知子は鼻で笑っただけだったが、少し不満げに視線をそらした。
「ま、あんたらみたいに昼からワイン飲める身分じゃないからね」
可奈子はその会話の外側で静かに頷いた。
ひっそりと手帳の隅に記すメモ。
『MC:店以外→不満→SYに軽口』
もう十年以上の習慣だ。
誰にも見せるつもりのない“観察記録”を続けている。
誰も可奈子がそんなことをしているなんて、夢にも思っていない。彼女はいつだって「聞き役」だからだ。
グラスが鳴り、前菜が運ばれ、小百合の笑い声が響いた。
「でさー!聞いてくれる?
うちの旦那、とうとう“DIY教室”通い出したの!
定年してから、ずーっと暇持て余してたから。
ほんと、可愛いっていうか、間抜けっていうかさ」
「へえ……。DIYねぇ、何作るの?」
菜津が皮肉っぽく笑う。
ボブカットに韓流メイク。彼女の表情は、常に『私、満たされてます』風だ。
「棚とかさ、椅子とか?
何なら自分の棺桶とか?」
「うわ〜、それは本当に間抜けだわ」
言葉の棘は、すぐに空気に紛れる。でも、可奈子は見逃さない。
小百合の口元が一瞬だけきゅっと引き締まったことも。菜津の指先がグラスの脚を軽く叩いたことも。
亜美がパンをちぎりながらぽつりと呟く。
「うちの次男さ。最近ちょっと元気ないのよ。
就職しても続かなくてさ」
桃子が顔を上げた。
美知子も意外に思う気持ちを抑えながら亜美を見た。
「あー、うちの子もなんか似た感じ。
やっぱり、時代が変わったのかな。
男の子って、弱くなったっていうか」
「でも、愛情で育てればきっと大丈夫よ。
うちの子なんてさ、もう可愛くてさ。
昨日も手作り弁当、写メ送ってきてくれて〜♡」
桃子が携帯を取り出そうとするより早く、Cが眉をひそめて止めた。
「……あんたさ。
それ、毎回やるけど飽きないの?」
静かに一同の目線が桃子に集まる。
桃子は口元で作り笑いを浮かべたまま、携帯をそっとテーブルに戻した。
「だって〜!
子どもしか自慢できるもんないでしょ、うちらさ〜?」
笑いを取るつもりの冗談だったが、重く沈んだ空気がその場を包む。
「それ、誰に言ってんの?」
美知子が切り込んだ。
「子どもどころか、恋愛自慢してる桃子には言われたくないんだけど。
あたしの店で、あんたの元カレと誰かがーとかの話、聞かされてどんだけ気まずかったか」
その一言に桂子がナプキンを握り締める。
「……もう、その話やめなよ。
ここはそういう場じゃないでしょ」
可奈子はフォークを置いて、手元のスープに視線を落とした。
全員の温度が一度に上がり、逆に部屋が冷えたような気さえした。
だが、菜津がそこで、スッと口角を上げて言った。
「てか、可奈子ってさ。
いつも聞き役でずるくない?
自分のこと、全然話さないし」
その声に、全員が一瞬だけ息を止めた。
「うん、そうそう」と亜美が追随した。
「可奈子って昔からそうだった。
なんかいつも上手く流すよね。
私らがバカみたいに語ってる間に、可奈子だけ“冷静なポジション”にいるっていうか」
「“勝ち負け”って好きじゃないとか言いながら、内心じゃ絶対“勝ってる側”にいたいんじゃないの?」
菜津の言葉に、誰かが笑った。
小百合か桃子かは分からなかった。
「そうね、可奈子って、ずっと“選ばない”ことで自分を守ってきた感じよね」
桂子がその場を宥めようとしたが、可奈子は穏やかに笑って言った。
「そうね。
でも、誰かの人生を選ぶより、自分の人生を選んでいたいだけなのよ」
「ほら、そういうとこー!」
菜津がカトラリーを置いて両手を広げた。
「そうやってさ。
何か悟った風なこと言って、みんなの上に立ってるつもり?」
「別に上に立ちたいわけじゃないけど。
見える景色が違うとしたら……。
それは、地面じゃなくて空を見てるからかもね」
可奈子の言葉に、誰もすぐ返せなかった。
美知子が苛立ったように水を飲んだ。
「ほんっと、何者なの?あんた。
どこで何してるのかも全然言わないし、変に綺麗なまま年取って。旅ばっかして」
「旅はいいよ。
人の“外側”を見てると、意外と“内側”も整理されるから」
「は?」
小百合が笑い出した。
「何それ、ポエム?
まったく。可奈子ってほんと変なとこあるわ」
笑い声が弾けたが、可奈子の瞳は静かなままだった。
誰も知らない、その奥にあるものを守るように。
その時、桃子の携帯が震えた。
彼女は画面を見て、ピクリと口元を引きつらせた。
その一瞬を、可奈子は見逃さなかった。
“菜津の夫”からか。
彼女の瞳に、微かに陰が差した。
「ねぇ、来月のランチ会さ、もう日程決めちゃおうよ」
誰かの声が遠くで響いた。
だがその時。
可奈子の中では何かが、静かに決まった。
自分の人生が“整った”理由。
彼女たちに教える時が来たのだ。
次回後編では、
可奈子が語り出す
「彼女だけの物語」が明かされ、
誰よりも充実していた
人生の“中身”が
浮かび上がっていきます。




