第37話 慟哭(ラヴィ視点)
魔王宮は、風雲急を告げていた。
「ヴァン……ラヴィを、頼んだぞ……」
「魔王様……」
「イヤ!絶対にイヤよ!我もお父様と一緒に戦う!」
謁見の間に通された人間は4人だった。
技術協定の申し出だと言うからなんの警戒もせず招き入れたのが、我の父、魔王ゼルビアの大誤算だった。
「逃げられると思っているのか?魔族は皆殺しだ」
蛇のような瞳を細めながら、下卑た笑みを浮かべて我らに死の宣告を下した男が、我ら前に立ちはだかっている。
名をティエリ・ボーガン。
世界最強の錬金術師、グレイル・ボーガンの長兄だと自称している。
「……わからぬか?ラヴィ。我らが束になっても、こやつらには勝てぬ」
「で、でも!」
「ラヴィ様……魔王様のご遺志、無駄にしてはなりません」
すでに護衛の魔族は、ティエリとその仲間たちによって蹂躙された後だった。無残に刻まれた、十数体の仲間の遺体が傍で転がっている。
すべては、不戦協定を破棄するために人間側が仕組んだ壮大な罠だったのだ。
ガレスウッドの魔物と人間を少しずつ合成獣に仕立て、期を図らってウォーレンを壊滅させる計画。仕組んだのは魔族であるとデマをながし、偽りの大義をもって不戦協定を破棄する口実を作るためだけに用意された非人道的な計画。
奇しくも、1年がかりで調べていたエルドラゴンとウォーレン前領主の生体情報の一致を確認したのは、つい先ほどだった。
すべてが遅かった。
我らが悠長に合成獣の証拠がどうのと調査している間に、人間側……いやこの策略を仕組んだ張本人、グレイル・ボーガンは全ての準備を終えていたのだ。
「合成獣の錬成は明確な協定違反だ。しかもあろう事か、それらを使ってウォーレンを襲わせるとは……。非道にもほどがある」
ティエリの魔力が唸りを上げている。
とても人が出力できる魔力量でないのは、一目瞭然だ。
もはや謀略だなんだと喚き叫んだところで、時すでに遅し。今は、この場をどう切り抜けるかだけに思考を集中させなければいけない。
でも……
「アナタたちのその力も……魔物由来のもの、よね?」
「ほう。よく気づいたな、魔王の娘よ。先に協定を破ったのは魔王軍だからな。お父様は目には目を、ということで私たちにも力を与えて下さっただけだ」
どうしようもない詭弁。だが反論するだけ無駄。
あえて時間をかけて合成獣で協定破棄を狙ったのは、実験も兼ねていたからだろう。人間が魔族に勝つための戦力を整えるため、人間の意思を残したまま魔の力を手に入れるための実験。
魔物には、我ら魔族と同じ魔の遺伝子が組み込まれている。それらを人間が取り込むことで、我らと同位の魔力を手に入れるかもしれないと考えたのだろう。
「いやはや、魔の遺伝子というのは強烈だな。人間が絶対に魔族に魔力で勝てないと言われるだけのことはある」
そしてそれは、どうやら完全に成功してしまったらしい。
グレイル・ボーガンという錬金術師は、神と悪魔の合成獣がごとき、あり得ないほど優秀な男なのだろう。いまだに信じられないが、もう事実として受け入れざるを得ない状況にすでになっている。
「さて、おしゃべりはここまでだ。魔王の歴史は今日で終わる……!?」
構えを取ったか取らぬかのうちに、父がすでにティエリとの間合いを詰め、攻撃を仕掛けていた!
「ヴァン!ラヴィを連れて早く逃げろ!」
「ラヴィ様!行きましょう!」
「いや!いやよ!ちょっと放して……離してよ!ヴァ……ン……」
我の腕を掴んで退路へ向かおうとしたヴァンに抵抗していたら、急にお腹に鋭い痛みが走り、気が遠くなっていく。
「ラヴィ様、御免!」
「あとは頼んだぞ、ヴァン!」
「今まで……お世話に、なりました。ゼルビア様」
いや……ウソ……お父様……いや……
「ジャミルとレイラは奴らを追え。アルスティンは私ととも魔王討伐だ」
『了解』
ティエリの仲間たちが作戦の同意でハモる声を遠くに感じ、ヴァンが我を抱えて走る感覚を覚えながら、我は意識を失った。
◇◇ ◆ ◇◇
「……はっ!?」
どれくらい気を失っていたのか。
意識を取り戻して身体を起こすと、ヴァンが草場の陰から前方の様子を中止する姿が目に入った。
「……ヴァン?」
「(しっ!お静かに!)」
ヴァンに声をかけようとしたら、凄い形相で振り返った彼が小声で私に無言を貫くよう指示してきた。この状況から推察されるのは、おそらく前方にいるであろう敵から身を隠しているのだと心得た。
「(今、一体どういう状況……)」
「(ラヴィ様。絶対に、ここから動いてはいけませんよ)」
ヴァンは前方を注視しながら唇を噛みしめている。確実に芳しくない状況なのは一目瞭然だが、彼の見ている先でいったいなにが……
「もう終わり?おばあちゃん」
「伝説の魔女とは名ばかりだったな」
透き通った女性の声と野太い男性の声が聞こえた。
いや、ちょっと待って。今、伝説の魔女って言ってたような……
ま、まさか!?
「(リ、リゼリアばあちゃん!)」
「(ラヴィ様。絶対に、ここを動いてはいけません!)」
「(なんでよッ!?このままじゃ、おばあちゃんまで……)」
ついに草場から覗いたその光景。
私達を追ってきたティエリの手下2人が、片膝をついて額から血を流すリゼリアばあちゃんにトドメを刺そうとしている!
「(面目ない、ラヴィ様。あの後、なんとか敵を攪乱しながらここまでやって来たのですが……裏目でした。奴らは、私達の目的地を最初から読んでいたのです)」
「(そんなことはもういいから、早くおばあちゃんを……)」
「(ラヴィ様……隙を見て逃げるんです)」
リゼリアおばあちゃんを囮にして、逃げる?
また、我は逃げなくてはいけないの?
「……情けないのぉ」
「そうだな。伝説の魔女も、来る年波には勝てない様子だな」
「……いいや、ワシじゃない。お主らが、じゃよ」
「なんだと?」
おそらくもう瀕死のリゼリアばあちゃんが、何故か敵を挑発している!
もう、もう止めてよ!おばあちゃん!早くなんとかそこから逃げて……
「せっかくキレイなヒトの遺伝子を持って生まれながら魔に堕ちるとは……まさに、愚行の極みと言うておこうかのぅ」
「貴様等魔族に鉄槌を下すためだ。合成獣化のリスクは承知の上」
「いや、なぁんもわかっとらんよ、お主らは……」
「おばあちゃん。遺言はもういいかしら?」
女のほうが杖の先端に魔力エネルギーを収束させ、リゼリアばあちゃんの鼻先へ突きつけた!
あんなの喰らったら、おばあちゃんが消しズミになっちゃう!
「(ダメです!ラヴィ様!)」
「(んんんん~!!)」
ついにヴァンが私の口と身体を押さえつけてきた!
本当に、こんなにも弱い自分に心底腹が立つ!我は、我は魔王の娘でありながらなにも出来ないの?お父様を見捨て、次はばあちゃんまで……
そうまでして、我に本当に生きる価値なんてあるの!?
「なにを遊んでいる、ジャミル、レイラ。魔王の娘はもう片付いたのか?」
なっ!?なんでアイツまでここに……
ティエリともう1人の仲間。えっ?彼らがここに来たってことは、お父様は……
「え?ティエリ。まさかもう魔王片づけちゃったの?早すぎじゃない?」
ティエリが仲間たちの元に近づき、手に持っていた《《とある物体》》をリゼリアばあちゃんのひざ元に投げつけた。
「……ゼルビア」
「魔王の娘はどこにいる?魔女よ」
ティエリが投げたその物体が転がり、我の視線が合った。いや、目は閉じていたから視線は合わないか。合わないよね……
お父様。
「本当に、お主らは、なぁんもわかっとらん……」
「レイラ」
「はい」
「殺せ」
「はーい」
……ボシュ
あ。ああ……ああ……
ああああああああああ!!!!
「貴様等……貴様等ぁぁぁぁ!!絶対に、絶対に許さんぞぉぉぉ!!」
我はヴァンの全力拘束を振り切り、純然たる殺意を秘めた激しい慟哭とともに、敵前へと躍り出た!
「やはり近くで見ていたか、魔王の娘とその付き人よ。気配を消してこれ程近くに潜んでいたのは大したものだが……激情には、抗えなかったようだな」
「殺す!」
怒りで、すべての思考は憎しみに支配されていた。
◇◇ ◆ ◇◇
「威勢だけは、よかったが」
「……ぐっ!」
「ラ、ラヴィ様……」
怒りに任せて敵を駆逐できるなら、今こんな状況にはなっていないと思う。結局我は、ただ憤怒で荒れ狂う魔力の荒波すら制御できず、あっけなく敵の手に落ちた。
ジャミルという名前の大男に首根っこを掴まれ、宙吊りにされた我。すでに意識が飛びそうで声も出ない。ヴァンも、まったく善戦することなくティエリと他の仲間たちにやられ、捕らえられていた。
もう、万事休す。我らに抗う術はない。
……はぁ。
こんなことになるくらいなら、1回くらいビエルに無理矢理でもいいから会っておけばよかったな。もう今となってはそれだけが心残り。
元気にしてるかな?アイツ。
まぁ、彼は人間だから、我らみたいに襲われる心配はないから大丈夫か。それにアイツはとんでもなく強いし、ちょっとくらい困難なことがあっても、「余裕」とか言って生き延びられるわよね。
ああ……なんか、ボーっとしてきた。
お父様……お母様……それに、リベリアおばあちゃん。我もヴァンと一緒にそっちの世界に逝くから、今度はみんなで一緒に仲良く……
ドゴォォォォォォ!!
「……えっ?」
鼓膜が破れそうになるほどの破壊音とともに、我の首を絞めつけていた圧力がなくなり、今わの際から一気に現実へ引き戻された私。
代わりに、包み込むような優しい抱擁の感覚が我をさらに混乱させる。
顔を上げ、我の肩を抱く男の姿を認識する。
瞬間、涙が溢れた。