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逃げ得るか

作者: 平田嗣吉

 明け方の夢は不思議な夢だった。

何の模様もついてない真っ黒な幕が、舞台中央に垂れ下がり、やがてフットライトに照らされたピエロが、その黒い幕を下手から上手へ引いていくと観客はさも重大な芝居が終わったように、盛んに拍手をしていた。俺は観客席の最後列にいて、その拍手を聞きながら腕組みし何事かを考えているが、自分でも何を考えているのかはっきりしない。俳優の老人はよく見ると、どうも俺によく似ている。いらいらする気持ちがこみ上げて来て、

「今の芝居は誰の脚本だ!」と叫ぶと同時に夢からさめた。不思議な夢だった。俺は夢から醒めると、なかなか寝付けないのでベッドサイドのライトを付け、昨日仕事からの帰りに買ってきた書物を枕元に取り出した。書物はまだ書店で買ったままの紙袋に入っている。この年齢になると昨日買った本のタイトルさえ忘れている。俺はサイドテーブルから老眼鏡を取り出し、カサコソと紙袋の中から本を取り出した。その音で妻が何やら寝ごとを言いながら、背中をこちらへ向けるようにして寝返りをした。

 本のタイトルは「孤立無縁の思想」となっている。書店にいる時はどんな思いで買う気になったか知らないが、ベッドで読むには堅そうなタイトルだ。

思想だ、革命だと云うには余りにも年を取りすぎている。老眼が光りに慣れるまで目を閉じていると、また、先程の夢が思い出されたので、俺は夢を再度組み立ててみた。それは俺の経験とは全く関係のない、田舎の芝居だった。俺に似た、しかし俺よりかなり年老いた人が舞台の中央で歌っているのか、踊っているのか、内容は不明だが何か大声を出している。腕から上は人間の形をしているが、その下は半ば白骨化し、ふらふら泳ぐようにして歩き、石につまずきガラガラとくずれたところで幕となったのである。その後観客の拍手があり、俺が叫んで夢から醒めたのだが何とも気味の悪い夢であった。俺は過去にこれに似た夢を見たことがある。あれは確か二十代前半だった。一ヵ月程、精神病院へ入院する前のことで、あの時の夢は、自分の死体が川辺で腐敗し、波に洗われていて、それを自分で眺めている風景であった。今日の夢も自分自身を客体として眺めている。俺は再び精神が異常になるのだろうか。

 目が光に慣れたので先程の書物を広げた。近頃は老眼鏡で物を読み始めると急に目が疲れ出し、涙が出ることがよくある。その上、入歯が合わなくなっているのでこれをはずし、包装紙の上に置いた。著者名は「高橋和己」となっている。今までにこの人の書物を読んだことがない。

 午前四時を知らせる時計の音がした。

本をめくると、目次だけでも六頁はある。一頁目をめくった。「革命と戦争の世代」となっている。次ぎの頁をめくると「失明の階層 中産階級論」となっている。どうやらこの著者は革命家なのだろう。俺だって若い頃は革命家に憬れたものだ。それら革命家が書いた書物だって、何十冊手に入れたか知れない。食費を切り詰めてでもよく買ったものだ。あの頃は如何にも革命が目の前で起こりそうだった。朝、目が醒めると体制は変化して、俺たちは変化を支持するグループにいなければならなかった。しかし、我々の運動自体が資本主義の中だからこそ出来るのだということには、俺たちは気づかなかった。

「その人生のなかばに、正しい道をふみあやまり、ほの暗い森の中にみずから見出した「神曲」の詩人ダンテはものすさまじい想像力によって、罪と試練と許しの三つの架空の伽藍を構築したとき」どうも哲学的な書物は、この年になると頭の中にうまく入って行かない。

「その発端、地獄の門前に、地獄からも拒まれ続ける最も悲惨な人々をおいた。絶望の門にすら入れぬゆえに、永遠に救済される望みも絶たれた人々」俺自身は取り立てる程の宗教心はないが、人間の死後の世界はキリスト教や仏教にせよ、必ず対立する世界をつくり、人間界における行為の当然の帰結として、誰でも天国か地獄のどちらかに所属することになっていた。しかし、この書物によると、そのどちらにも所属しない部類もいるらしい。

「熱くもあらず冷ややかにもあらざるゆえに、吐き出されて見捨てられ、またその中立的態度ゆえに天国からも地獄からも拒まれつづけ」俺はもう一度タイトルを見た。「失明の階層 中産階級論」となっている。まさしく俺自身のことだろうか。もう少し続きを読んでみる。

「これらの人々には死にゆくことの望みもなく、しかしてこの失明の中に生きることのいやしさは、彼らをしていかなる他の宿命をも羨ましむるなり、世は彼らの名のつたえらるるを許さず、慈悲にも正義にも彼らは軽んぜられる。われもまた彼らにつきて言うことを止めん、汝ただ見てすぎよ」

 ふいにクシャミをしたので、妻は目をさましたが会話はなかった。俺は電気スタンドのライトを消した。もう五時を過ぎていた。台所の電気のスイッチを入れて、今朝の献立を何にするかを考える。妻は強度の貧血で朝の水仕事は全く出来ない。子供にも色々躾てきたが、台所仕事を嫌い、いつの間にか俺が受け持つことになってしまった。冬は、電気鍋に米びつから米を入れ、水道水で米をとぎかけると、背筋にジーンと寒さがしみる。とくにこの二三年前から骨身にこたえるようになった。この朝は、昨日、仕事の帰りに書店に立ち寄り、それから途中のスーパーで買ってきたシジミを取り出し、清まし汁を作り、オカズに玉ネギとベーコンの卵とじを作る。このようなことはこの二十年でほとんど機械的に出来るようになった。しばらくすると玄関の新聞受けに新聞が入る音がする。シジミのスープがカリカリと音を立てる。俺は新聞の見出しを見ながら煙草を吸う。普段だったら、この頃に息子が起きてくるのだが、今日はキャンプに行って留守をしているので、妻と二人だけの食事である。妻は食事が出来上がる頃に起き出し、洗面もしないでテーブルに着く。そして食事がうまいとも、まずいとも言わず黙って食べる。最近は二人の間に会話らしいものもない。食事が終わると妻は自分が食べた分の食器をシンクに突っ込むと黙って洗面所へ入る。俺はその後に夕べ使った食器と今朝の分を洗い、乾燥機に入れてスイッチを入れ、妻が出た後に洗面をする。

 五十年近く付き合った自分の顔のヒゲをそりながら鏡を見た。すっかり老境に入り、この顔に若い頃があったと云う証拠をさがそうとする。鏡に顔を近付けよく見ると、眉毛の中に白髪が二本混じっている。

「熱くもあらず冷ややかにもあらざるゆえに吐き出され見捨てられ、その中立的態度ゆえに天国からも地獄からも拒まれ続け、これらの人々は死にゆくことの望みもなく、しかしてこの失明の中に生きていくことのいやしさは彼らをして他の宿命をも羨ましむるなり」俺はヒゲをそりながら明け方に読んだ書物が脳裏をかけめぐった。洗面を終え、衣服を着替え、ネクタイをしめて薄くなった頭髪に櫛を使いながら、書物の言葉の続きのように、文語体の言葉が口をついて出た。

「ああ我、生を受けて五十年、未だ心より歓喜の内にことをなしたるためしなし、さりとて怒りの内にことをなし得ず。不明、天国も地獄も我を受け付けず、ただ盲者となりてこの世に止まるべけんや」また鏡を見る。眉毛の中の二本の白髪は気になってしかたがない。左手で眉を押さえ、右手で引き抜こうとするが、老眼鏡のために思うようにいかない。何度かの試みも失敗した頃、妻は出勤の準備が出来たらしく、玄関で靴を履く音がする。俺は白髪のことをそのままにして、車庫へ行き、車のエンジンにスイッチを入れた。妻はやはり黙って座席に座った。俺も黙ったまま車を走らせた。子供が小さい頃は色々と話もあったが、大きくなった現在では、取り立てて話し合うこともなかった。俺はカーラジオのスイッチを入れた。

「昭和二十六年マッカーサーの共産党追放令により、徳田球一らとともに、地下に潜行した伊藤律氏は、一時期死亡説があったが、この程ようやく中国に生存していることが判明し、中国側の好意により、帰国する運びとなりました。このことにより日本の歴史の空白部分が・・・・」

 今までラジオ聞いていると思った妻は、それとは関係なく

「先日、お父さんと一緒に書いた童話ねー、あれ落選したわ、十万円の賞金は逃したけど、お父さんにいばられなくてよかったわ」俺はラジオを消して黙って運転した。これが二十年以上連れ添った妻の言葉かと思った。妻が云う童話とは、某新聞社が五年に一度の記念事業として創作童話を募集していたが、俺と妻は共同で作成することにし、その発端をキリスト教と仏教に原点を置き、天地創造の童話を作りあげた。構想すること二ヶ月。仕事の合間合間に市の図書館に通ったり、有名書店を回ったりして書き上げたものだった。そのものの出来は妻の想像を遙かに超えて、我ながら素晴らしい出来栄えに思えた。これに妻が絵をつけて、十八頁、表紙をつけて二十頁は手頃の絵本だった。このようにして出来上がった絵本を妻の名前で応募したのであった。その作品が当選すれば世間的には当然妻の名前で公表される。しかし、家庭では永遠に頭が上がらない。だからそれより落選して良かったと云うのだ。そうであれば何のために俺の協力を求めてまで応募したのだ。二十年以上連れ添い、生活の全てに介助を要した妻が、二年程前にある小学校の教頭になった頃から、未だ平社員である俺を小バカにする態度が多くなった。教頭になったことにしても俺の支えがあって始めて出来たことではなかったのか。もうそろそろ俺の保護のもとから独立させなければなるまい。

 車は妻が勤務する小学校の前まで来ていた。車から降りるとドアーを閉め、人が変わったように俺に向かってバイバイと手を振り、元気に校門から入って行く。子供たちはそばから「お早ようございます」とあいさつするのが見える。妻もそのたびに軽く会釈をしている。俺はその後ろ姿を見ながら、なんだかこれが最後の見納めのような気がした。と同時に体中の疲れがどっと出て来た。二十年以上も通い慣れた職場に出勤するのが億劫になり、今日一日でいいから誰もいないところで過ごしてみたくなった。日本全国では沢山の蒸発人間がいるらしい。彼らは妻や子はもちろん、親親戚、地域などの一切の係累から永久に逃れて、ドヤ街などで暮らしているらしい。俺はまだそこまでは考えていないが、それにしても彼らの気持ちがよく分かるような気がする。車はまるで道を覚えているように、職場の玄関をさして進んでいたが、俺はそこを通り越して次の通りを左に曲がった。そこには我社が取引してる銀行があった。この銀行に、俺は老後に備えて、いくばくかの預金をしている。銀行の開店時間にはまだ間があった。俺は銀行の駐車場に車を止め、さもこの銀行の庭が最も安全であるかのように、車のシートを倒して目を閉じ、これからの自分の行動について、考えようと務めた。

「昭和十年代に生を受け、教育を受けた我々は、ある日その価値観の急変によって支柱を失い、何事をなすにも決断が遅く、それ以前の世代からも、それ以降の世代からも優柔不断と言われ、確かな目的もなく生き、確かな目的もなく就職し、確かな目的もなく結婚し、そして子を作り、何事を成すにも中途半端で、家族にとっても、父親の威厳はなく、地域にあっては何ら組織に加入せず、この島の文化との係りに至っては全く無価値で、空気の存在より希薄である。」

 俺は疲れた。ここら当たりで一休みしたい。

しばらくすると銀行が開店するベルの音がした。俺は妻に秘密にしている訳ではないが、老後の用意として、この銀行に若干の預金をしている。さいわい車のボックスには先日の給料日から預金通帳と印鑑が入れたままになっていた。カウンターで支払い伝票に一の後に0を六個を書いた。自分で蓄えた金の何分の一かである。この程度を勝手に使ったって罪になる事はあるまい。通帳に用紙を挟み、印鑑を添えて窓口に出し、しばらくソファーに腰をおろし、近くにあった婦人雑誌を手に取ると、何かしら不安が襲って来る。

「我、産まれし時をたがえ、何を根拠に生きん。知らず。矢の如く過ぎいく時にすがりて、老いさらばえゆく肉体をば何に止どめん」

明け方に読んだ本がどうも頭の中を支配している。カウンター嬢が俺の名前を呼んだようであったが、俺はそれを聞き取れなかった。何度目かにそれに気づいて窓口に行くと顔は青ざめてこわばり、手が幾分震えていた。自分の名前を聞き漏らすことが、どんなに犯罪に近いかをその時知った。そして、自分の預金を引き出すのがこんなに勇気がいるとは思ってもみなかった。果たしてカウンター嬢の目は笑っていたが、顔全体は笑わず「何にお使いですか」と聞いた。俺にとっては全くの予想外の質問だった。「ちょっと旅行でね」とどぎまぎして嘘を云った。しかし、その後に俺は本気で旅に出ようと云う気になった。

 銀行の封筒に入れられたお金を、いつも持ち慣れている黒革のバックに入れ、車を大通りに走らせた。すでに学校や官庁や会社関係の出勤時間は過ぎていたが、通りは相変わらず渋滞していた。俺は取り合えず多くの蒸発人間が利用したであろう空港へと向かった。差当たりどこに行くと云う当てはないが、空港まで行けば答えは出ると思った。しかし、空港は人々でごった返し、おまけに顔見知りの人に会いそうであった。

「何事の決断にあたっても、その行動の優柔不断さゆえに、男からも女からも嫌われる哀れな存在としての世代」ゆえ、そのまま車から降りず、空港を一周して元来た道を引き返した。しかし、俺は家出をしたのである。家族も会社も誰もまだ気づいていないが、俺は確かに家出をしたのだ。信号待ちの間に空を見上げると雲行きが朝より早くなっている。カーラジオのスイッチを入れた。若者たちがギアーギアー騒いでいた。とりあえず今日一日でいいから、誰も知らないところでひっそりとしていたい。

 俺は車を五八号線に出し北へ向けた。とにかく行けるところまで行こうと決心した。ラジオは天気予報を告げている。六月にしては珍しく、大型でスピードの早い台風が接近しているらしい。そのせいか車に受ける風力も、時間の経過とともに強まったように感じられる。嘉手納町を過ぎた当たりでは雨が降り出し、恩納村を通る頃には時折激しい雨と風で木の葉が舞い、電線もうなりを上げていた。車のワイパーを強にし、スモールライトを付けた。ラジオには雑音が入る。名護市に着く頃はすっかり台風模様となっていた。時間はまだ十一時過ぎだった。「休むには早過ぎ、やめるには遅過ぎる」時間だった。俺は車を本部町へ向けた。風雨はますます激しくなり、海岸沿いの道路は護岸を超えて海水がしぶきを巻き上げそして叩きつける。一瞬にしてフロントが被われ視界が0になることがある。

 本部半島を回りかける頃には、風雨はいよいよ激しさを増し、砕石工場の近くの海は茶色に染まり、又、道路の両側の溝も濁流が走っていた。ラジオには韓国語か中国語か俺の語学力では不明だが、ひっきりなしに雑音として入って来る。車はやがて海洋博会場跡に来ていた。時刻は十二時を過ぎていた。その時になって、今日一日適当なホテルで過ごそうと思いついた。せわしく動くワイパーの間から道の両側の看板を見ながら車を走らせていると、銀ネムが風に吹かれて道路に倒れかかり、思うように走れない。途中それらの間から「ABCホテル空き室あり」の看板が見えた。海洋博の頃は賑やかであったであろうこの一帯も今は連れ込みホテル並みに「空き室あり」の看板が出ている。俺はしばらく銀ネムの間に車を止め、嵐の中で一人でホテルに入るのに何かしら後ろめたさがあった。約三十分もしただろうか、一人の浮浪者風の男が、麻袋を肩に担ぎ、左手に酒びんを持って、向こうの銀ネムの林の中に消えた。俺は一瞬、今朝の明け方に見た夢を思い出し、なんだかあの男が自分の未来の姿のように思えてならなかった。時刻は午後三時を回っていた。俺は日が暮れるまでこの叢にいるべきか、ホテルに行くべきかと迷っていた。シートを倒し、ラジオのボリウムを一杯に開け、雑音混じりの台風情報を聞いている。どうやら今夜半には通過するらしい。

 突然、けたたましいクラクションで飛び起き、振り向くと後ろに真っ赤なスポーツカーがライトをつけたまま止まっている。俺は仕方なく車動かしホテルの玄関に止めた。ホテルは室内灯はついているが、合図をしても嵐の音で聞こえないのか、すぐには返事がなかった。赤いスポーツカーも俺の後ろから追い掛けてきたらしく、白人の青年と金髪の日本女性がフロントに来るなり、備え付けのベルを振った。その音を合図に奥の方から一人の女性がスリッパを引きずりながらあらわれた。俺はその顔を見た瞬間、思わず「希世子!」と叫ぶところであった。しかし、それは俺が知っている「希世子」ではなく顔形は似ているが、全くの別人だった。見るからに生活に疲れている風だった。

 「どうぞアドレスなどお書きください」と云って、彼女はカードを渡した。俺は住所を会社の所在地とし、氏名と年齢をどうするか迷ったが、結局偽名を書いた。部屋番号は四〇三号である。部屋へ入ると急に空腹を感じた。昼食はまだだった。室内電話でフロントに問い合わせたら、夕食は7時からとの事だった。俺は習性になっていつも持っている黒いカバンを椅子の上に置き、上着をとって壁にある室内灯のスイッチを入れ、ベッドサイドにある冷蔵庫からビールを出して、テレビのスイッチをひねった。

「次に台風情報をお伝えします。沖縄気象台午後三時発表の台風情報によりますと、大型で非常に強い台風第〇〇号は北緯00度、東経〇〇度付近にあって毎時よんじゅ四十キロメートルの速度で北北東に進んでおります。中心付近の気圧は九百八十ミリバール、中心より二百五十キロメートルの範囲は、風速四十メートルの猛烈なしけとなっておりますので、この付近への船舶の航行は厳重にご注意下さい。また、本島北部は今夜半過ぎまで引き続き厳重な警戒が必要です。なおただ今までに警察本部に入りました被害情報によりますと、・・・・」俺はテレビのスイッチを切った。職場ではそろそろ俺のことを気づいているだろうか、存在感のない俺の事だから、意外とまだ誰も気づかないかもしれない。あるいは明日の朝、何食わぬ顔して出勤しても、「昨日はどうした」と云う人がいるかどうか。それはそれでいい、職場の人間関係はその程度のものなんだ。ところで妻だって、まだ学校にいる時間だ。特に責任者的存在になってからは帰りが遅い。このことは俺が食事の準備や家事一切をやっていることにもよるかもしれないが、最近は意識的とも思えるほど帰りが遅い。まして今日のように台風の日は帰りは遅いだろうし、俺が家出したことなど、気づくはずがない。いや、そのことに気づいても、そのことの問題よりも、自分の夕飯が出来てないことの方が問題なのかもしらない。

 どうだ、俺は誰も知らない場所に来ているのだ。今朝からのことを考えるとそれは遠い遠い出来事だったような気持ちと、今ならまだ引き返せると云う心が去来する。ベッドサイドの明かりを付け、カバンからノートを取り出し、ペンを握った。「遺書」

 何故そのような文字になったか、自分としても理解出来ないが、ただ、書いてみたらそのような文字だった。しかし、文字はそれ以上は進まなかった。遺書を書くには余りにも自由だった。匿名者と云うべきか、覆面者の自由のように今ならどんなことでも出来そうだった。俺にとっての現実でこのような自由があろうとは、今の今まで考えたこともなかった。俺は嵐の日のホテルでカーテンを開けて、裸になって部屋を歩き回り、ビールを飲み、それから風呂に入った。風呂に浸りながら手足を伸ばし、自分の身体を見る。たるんだ腹部の皮膚はどう見ても初老のそれである。この肉体に、よくぞ今までご苦労であったと思わずにはいられない。

「天国からも地獄からも拒み続けられる」この肉体に感謝するのは妻でもなく息子でもなく、自分以外に地上に存在しないのだ。

 それにしても今朝の夢は何だっただろう。この肋骨が全部白骨化している夢だった。下腹部にも白髪が混じっている。肉体的な衰えは全身を包んでいる。風呂から出て、鏡を見ると今朝方気づいた眉毛の中の白髪が気になった。右目の上で、その上老眼と来ているものだからなかなか思うように取れない。かなりの時間をかけて、それを取り除き、風呂を終え、ホテルの浴衣を着け、ベッドに腰を降ろし、又、テレビのスイッチを入れた。子供番組だった。窓から外を眺めた。外は相変わらず猛烈な台風だ。あの俺とよく似た浮浪者はどうしたろう。銀ネムは道に倒れ、電線は唸りを上げていた。時折、窓ガラスを叩きつける風雨に木の葉が混じっているのが分かる。もう日は暮れていた。何もするのが無かった。サイドテーブルに向かって、俺は先程書きかけたノートに再び次のような文章を綴った。

 「昭和十年代に生を受けた我等にとって、貧困とこれを克服する努力は、血の中にひそめる如く密着し、栄養のアンバランスな肉体は、瓦礫の上に立てる草木のごとくして、夜に薄命と囁かれながらも、耐えてきたこの半生、今、自らの命に重き荷を感ず」

 これ以上続けられなかった。いや、次に何を書けば良いのか、何も思い出せなかった。次の頁をめくり、

「突然のお便りを差し出す非礼をお許しください。あなたの青春の大半を奪ったに等しい私が、これから注文することは、余りにも身勝手でありますし、済まないと思います。ただ、砂漠のような私の生活に、生き甲斐を与えてくれましたあなた様に、何もなしえず、逃避することの卑怯さも充分知っております。先日お会いしたときに、あなたは交際中の人がいるとのことでしたが、その後の進展はどうなっているでしょうか。毎日気懸りです。一日も早くその人とご結婚され、仕合わせな家庭を築かれることを祈ります。あなたも、もう若くは無いのですから、これ以上道草する必要はないと思います。

 私のことは二三日すれば、新聞やテレビで報道するかも知れません。しかし、あなたは私のために焼香する必要はありません。何故なら葬式は単なる儀式であって、私たちの間にはそれほど深い意味は無いからです。私はあなたの記憶の片隅の墓場でひっそりと眠りたいのです。いや、そのことがあなたの人生の妨げになるようでしたら、どうかあなたの記憶の隅から追い出してください。

 今日は、ホテルの外では春には珍しく、大型の台風が荒れております。何時かあなたと過ごした嵐の夜を思い出しております。あれはあなたを知ってから、二年目の頃でした。二人で出張した時のことでしたね、古ぼけた旅館を挟んで一方は大木が茂る山で、反対側は川でした。私たちはその川に面した部屋が気にいって泊まることにした。部屋の中は暖かったが、外の風はすさまじく、轟々とうなりをあげて流れる川と、吹き荒れる木々への嵐は、まさにこの世のものとは思えなかった。

「このまま、この旅館と一緒に流されて、行方不明になったらどうしよう」抱き合ったまま私が云うと、あなたは

「離ればなれの行方不明っていや」と云って、私にしがみついたものだった。

 その頃の私たちは若かった。天も地も充実し、今で云えば背徳の美学に酔い痴れたもんだ。しかし、私は今百年の半分に近付きつつある状況の中で、確実に人生の壁に遭遇したのです。希世子にとっては、私の行為は身勝手であり済まないと思います。許してください。最後に月並みですが、一日も早く仕合わせになりますようお祈りします。」

 俺はこの遺書を希世子に送る気持ちは無かった。いずれは二人の関係を清算するときに具えてと云うべきか、彼女に好きな彼が出来たと報告を受けた時から、心に残る事は無いかと戯れに書いたまでだった。本物の別れの挨拶は手紙などに残さず、口から直接云うつもりだった。俺は書き上げた頁をそのままにしてノートを閉じた。外は真っ暗になり、嵐が吹き荒れ、電線の唸り声と透き間風の音が、異様に恐怖の調和をしていた。

 そのとき、突然室内電話のベルがけたたましく鳴った。受話器を取ると、先程のフロントの女性からであった。「食事の準備ができました。どうぞ」と事務的な案内があった。俺は一階へ降りた。夫婦らしき老人が一組と、赤いスポーツカーの二人が食事をしていた。テーブルは三十脚以上が余っている。食堂の片隅には、大き過ぎるテレビが気象情報を伝えている。どうやら後二時間ほどで通過するらしい。俺は「希世子」に似た女性が、料理を持って来たときに「ここでもお酒が飲めますか」と聞いた。その女性はトイレの向かいがバーになっているので、いつでもどうぞと云った。海洋博当時は、にぎやかだったと思われるこのホテルも、今日は嵐のせいなのか、この食堂にいるだけがすべての客のように思われた。

 食事を簡単に済ませて、俺はバーに行った。そこは食堂とは異なり、ピンクの光が充満し、ミラーボールが回り、騒々しい音楽が流れていた。俺が入り、しばらくしてあのスポーツカーの二人が入ってきた。この一帯が華やかな時は使用人が何名もいたに違いないが、今はそれもなく一人のありふれた女性がいた。その女性は我々が入って行っても、黙ってジュークボックスから流れる音楽を聞いているだけだった。その内、白人の青年がその女性に近付き、何やら話した。するとその女性はカウンターの中に入り、女性用のワインか何かとウイスキーのカクテルを二人の前に置いた。俺は飾り棚の右端にある高級なウイスキーをボトルごと注文した。その時になって初めてこの女性は俺に口を聞いた。

「ご出張ですの」

「ええ、まあー」

「大変ですわねー台風の日に」

「台風だから出張したんじゃなく、出張したら台風になったんだ」

「そりゃご苦労さんですね。」

話しながら、ウイスキーと氷とグラスや摘みなどを手際よく調えてくれた。しかし、俺はこの女性とこれ以上話す気になれなかった。これ以上何かを話せばおそらく、海洋博で島全体が巨大な詐欺にあったようなものだとか、如何に借金しているかとかの愚痴を聞くはめになりそうだった。少し酔いが回った。酔いながら俺は何故このホテルにいるのか、時々自分でも意味が不明になったりした。日本全国では、毎年、行方不明、蒸発または失踪と云われる人が何千人もいる。今現在の俺はまさしくその内の一人である。とてつもなく大きな自由だ。

「明日は何時の出発ですの」とその女性は聞いた。そうだ俺には明日があったのだ。今まで明日のことを全く考えてなかった。彼女にそのように云われ俺はとっさに、職場の出勤時間を云ってしまった。

「そうですか、じゃーごゆっくり休めますのね」と云って、グラスにウイスキーを足し、そばからアイスも加え、クルクルと回した。

「いや、弁解するつもりはないが、本当はその時間に職場にいなければならないのだ。済まないが朝早く出発するつもりだ。だから宿泊料その他、この場で精算出来ますか。そして、このボトルも自分の部屋でゆっくり飲みたいので、その分も勘定して欲しい。」

「あちらのホテルとここは経営者が一人ですので、それは出来ます。それからこのボトルと、氷その他はどうします?」

「何もいらない、これから少し、身辺を整理するのがあるので、それを終えてから寝酒に少し飲んで寝るつもりです」

 俺は今日銀行から引き出したばかりのお札で支払い、飲みかけのボトルを受け取ると、本来なら四二号で死に号室であるべき、四三号室へ帰ることにした。このホテルにはエレベーターがなかった。俺はアルコールが体内にかなり充満していることもあったが、この年になると、階段の登りはかなりきつく動悸がする。立ち止まって、出窓から外を見ると、風は幾分おさまっていたが、そこは真っ暗で、見えないところで電線が風を切る音だけは唸っていた。

 死に号室に帰ると、冷蔵庫からコップを出し、持って来たボトルをサイドテーブルの上に置き、また例のノートに向かって文字を書きながら飲むことにした。同僚や上司や家族から解放され、全くの自由の身と云うのは、何物にも換えがたくそして酒もうまかった。

 「亜希へ」それは名ばかりの妻だった。

「夫婦と云うものは、一般的には手紙を交わすこともなく、日常の会話等によって相手の胸中を察するものであり、手紙がなくとも、すでに私の今日の行動は推察されるべきですが、私たちは、その一般的夫婦とは若干異なりますので、あえてここで一文を書きます。

 あなたも、今や社会的地位と名声が確立し、今後の生活にも何ら不安がありませんので、私の今日の行動によって、いささかの影響も受けないと信じます。世間ではどのように思うかも知れませんが、私たち夫婦にとって、この二十余年間とはどのような意味があったのでしょう。私にとっては何もなかった。子育ては雇いの伯母さんがやってくれたし、人様が作ってくれた「借家」を中心に、私たちの関係はそれぞれが下宿人であった。いや、その借家は駅の待合室であったかも知れません。目的も行方も全く異なるものが、ただ、この世間から異端視されないために、肩を寄せ合って、架空の生活を営んできたのです。

 あなたの内と外の生活の違いは、私には理解を越えます。とにかくあなたは女性としては輝かしい、小学校の教頭になり、そのついでに男女平等協議会の会長として、その業績はいずれ大臣表彰になるであろうと・・・」

 そこまで書いてから続きの文章がなくなった。酔いがひどく回っていた。ボトルの半分以上は無くなっていた。外では電線が風を切る音は少し止んでいた。




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