第6章 夫視点(1)
とても胸糞悪い男が出てきますので、ご注意ください。
フォーラ伯爵家の領地管理人である私は、最近ずっとイライラしている。
生意気で小煩い義妹のカローディアがようやく王都へ行って清々としたはずなのに、領地経営があまり上手くいっていない。
そのせいで領内の年寄りどもが文句ばかり言ってきて面倒だ。
娘達なら私の顔を見て赤くなってうっとりしているだけで、何もうるさいことなど言ってこないからいいのだが、父親に上手く取りなしてくれと頼んでも役に立たない。
やっぱり女も見かけや体だけ良くても駄目だな。多少頭が良くないと使い物にならない。ようやくそれがわかった。今頃になって妻だった女に未練が出てきた。いい夫を演じるのが面倒になって予定より早く消えてもらったが。
私がいくら愛の詩を謳っても全く感動もしない、情緒が欠落した味気ないつまらない女だったが、体の相性はまあまあ良かったし、領民とも商売相手とも上手くやっていたのだから。
彼女は学園にも通っていなかったから、てっきり社交が苦手なのかと思っていたらそんなことはなかった。むしろ溢れるほどの知識や情報を持っていて、交渉術にも優れていた。
こんなことなら、あの女を妻にしたままでも良かったかもしれない。
私のように眉目秀麗な男には、キャスリンみたいな無愛想できつい顔付きの令嬢より、愛らしくて可愛いエリミアの方が妻に向いていると思っていたのだが。
そもそもエリミアは正妻の座など最初から望んではいなかった。私の側に居られればいいといつも言っていたしな。
てっきりそれは健気な女を演出するテクニックなのだと思っていたのだが、どうやら本心だったみたいだ。
しかも近頃では私のことより息子のローリスを優先するくらい可愛がっている。有り難いはずなのに、それが妙に苛つくのだ。
それに、学園時代に成績は優秀だったのだから領地経営の方の仕事を少し手伝ってもらおうとしたら、いつになく冷めた顔をしてこう言われてしまった。
「それは貴方のお仕事でしょう? 私の仕事ではありせん。私の仕事はナニーです」
「だから子供の面倒を見る合間に手伝ってくれればいいんだよ」
「幼い子は一瞬でも目を離すと、命の危険にさらされるのですよ。それなのに合間ってなんですか? 子育てを、ナニーの仕事を貴方は馬鹿にしているのですか?」
これまで穏やかな笑みを絶やすことのなかったエリミアがその怒りを隠そうともしなかった。そのことに私は激しいショックを受けた。
おかしい。こんなのおかしい。
ついこの間までは誰もが私の顔を見れば頰を染め、私が愛の詩を吟じてやれば、なんでも言うことを聞いてくれた。そう、キャスリン以外は。
男友達だって、女性を紹介してやればみんな媚びへつらってきたし。
それなのになぜ領民も取引相手も使用人達も思うようにならないんだ。そしてエリミアまで。
なぜなんだ!
しかも近頃領民だけでなく屋敷の人間までも幽霊の噂で持ち切りだ。皆が脅えてオドオドと落ち着くかない。
しかもその幽霊が、二年半前に死んだ妻だというくだらないことを言い出す者までいて、その噂を知ったエリミアまで脅え出した。
「妻を知らないはずの君までがこんなに脅えていたら、屋敷の者達に怪しまれるではないか! もっとしっかりしろ!
今息子はタウンハウスで預かってもらっているからいいものの、そうでなかったら息子の世話もできなかっただろう?
もし息子が屋敷にいる時にこのザマだったら、私は君をクビにせざるを得なくなるのだぞ、わかっているのか?」
そう叱責するとエリミアは震えながら頷いていたが信用ならない。たかが幽霊騒ぎでこれほど動揺するとは、思ったより小心者で驚いた。
婚約者のいる男にすり寄って愛や物をねだってくるような強かな女だから、金品さえ与えてやれば平気で愛人くらいやるだろうと思ったから付き合ったのに。
本当にこの女は大丈夫だろうか?
不安が頭をよぎり、そろそろ彼女を切り捨てようかと思い始めていたところに、息子を迎えに行ったはずの乳母で侍女のフローラが、息子を連れずに戻って来て、義父の手紙を私に寄越した。
開封してみると、なんと息子のローリスが王太子の第一王子の遊び友達に選ばれたので、暫く王都のタウンハウスに置き留めると記されていた。
今はまだ単なる遊び友達だが、孫はかなり賢い子のようだから、側近候補になる可能性が大きいと。
これは大変名誉なことだ。その朗報に私は心から喜んだ。
それに息子の前で良い父親の振りをし続けることにも嫌気がさしていたので、義父母が世話をしてくれるというのなら正直助かると思った。
ローリスがどこで暮らそうと、あの子の父親が私だという事実はかわらないのだから。
それに朗報はそれだけではなかった。
義父は私に再婚を勧めてきたのだ。娘がいなくなって既に二年近く経つし、君もまだ若いのだから独り身のままでは気の毒だ。良い人がいるのなら一緒になったらどうかと。
ただし伯爵夫人になれるわけではなく、あくまでも領地管理人の妻だということを認識してくれる相手にして欲しい。
そして子供が生まれても伯爵家の籍には入れないので、それも了承してもらった上で決めて欲しいと。
つまり義父が何を言いたいのかといえば、結婚相手は別段身分を問わないということなのだろう。
跡継ぎは産めないし、貴族夫人にもなれない。それがわかっていて結婚する貴族令嬢など、訳ありでもない限りいるわけがないのだから。
これは好都合だと思った。ようやく愛らしいエリミアを妻にできる。子供はうるさくて煩わしいだけだからローリス一人いれば十分だし。
ずいぶんと待たせてしまったが、彼女も喜ぶことだろう。
少し前まではそのエリミアを切り捨てようかと思っていたのに、これも長年の付き合いによる情なのか、私はそう思った。
実家のモーランド侯爵家からは再婚を反対されたが、私はそれを無視した。
そもそもあいつらの都合で好きでもない女と政略結婚させられたのだ。その妻との間に跡取りもちゃんと作ったのだから、もう自由にしてもいいだろう? 文句を言われる筋合いは無い。
妻の死後、一時的に領地経営が上手くいかなかった時もあったが、今はなんとか持ちこたえて、実家にも迷惑をかけてはいないのだから。
それに実際その時なんとか乗り切れたのは、実の家族ではなく、義妹と義父の寄越してくれた優秀な執事見習いだった。
実家にとやかく言われる筋合いは無い。ようやく私は真実の愛の詩を、本当に愛する女性の前で謳えるのだ。
意気揚々と私はそう思った。領地経営が最近また上手く行かなくなってきていることなど、私の脳裏からすっかりこぼれ落ちていたのだった。
そして、義父から再婚を許されてから三か月後、フォーラ伯爵領の管理人である私は、領都の神殿で結婚式を挙げた。
実の両親や兄達夫婦、義両親、義妹とその婚約者、そして義両親の知人だという第三騎士団長夫妻、城の内務大臣、私の詩集を出してくれた出版社や新聞社の人間まで参列してくれていた。
私は幸福の絶頂にいた。六年前に嫌々やった前回の結婚式とは大違いだった。
司祭の前でエリミアと夫婦になる誓いをし、結婚証明書に二人でサインをし、キスをした。
そしてその証明書をその場にいた役所の職員に手渡した瞬間に、私達二人は正式な夫婦として認められた。
その後新郎である私は、新婦のエリミアに向かって今度こそ愛のこもった詩を朗々と謳い上げた。それがこの国の結婚式の流儀だったからだ。
前回の愛の詩は嘘八百で、愛の詩人として名を馳せている私にとっては駄作だった。
しかし今回の詩はこれまでの私の作品の中でも傑作の一つとなるだろう。そして今後花婿となる男性諸君にとって、最高のバイブルになるに違いない。
詩の朗読が終わると周辺は物凄い拍手と声援に覆われた。
気付かなかったがいつの間にか聖堂の扉が開かれていて、そこには屋敷の使用人達と多くの領民がいた。どうやらサプライズらしい。
私は最高に美しい花嫁をエスコートしながら再びバージンロードを歩き、聖堂の扉から一歩外へ足を踏み出した。
「ブーケを投げてやれ! 幸せのお裾分けだ」
私の言葉にエリミアは小さく肯き、まばゆい笑顔でブーケを高く、そしてできるだけ遠くへと放り投げた。
ところが、バサッという音と共に、花束は無惨にも地面に落ちて花びらを散らしてしまった。
「「えっ?」」
私達は予想外の顛末に喫驚した。何故誰もブーケを受け取らなかったのだろう? 遠慮でもしたのか?
私がそう思った瞬間、人混みの中から警邏隊の騎士達がこちらに向かってやって来るのが目に入った。そして私達二人に一枚の紙を高々と提示してこう言った。
「貴方方を重婚の罪で逮捕します」
「はぁ? 重婚ってなんですか? 私は前妻が亡くなった後、今日まで誰とも結婚なんてしていませんよ!」
理由のわからないことを言われて、私は腸が煮えくり返った。こんな最良な日になんてことを言い出すのだ。容赦はしないぞ。
私は騎士達に対して怒りをあらわにした。しかし、騎士達も眉間にしわを寄せて、人波の先を指し示してこう言った。
「何を言っているんですか? 貴殿の奥方はあちらにご子息と共にいらっしゃるだろう?」
私がその指につられて顔を動かした瞬間、隣のエリミアが、
「ゆ、幽霊! 幽霊だわ! 私達を恨んで現れたんだわ!」
と悲鳴を上げて後方を指差しながら、夫である私の胸に顔を埋めた。
妻の指先を目で追うと、そこには、まるで全身血塗れになったような真っ赤なドレスを着たまだ若いご婦人が、私の息子のローリスと手を繋いで立っていた。
二人は共に黒髪で、瞳の色も同じペリドットだった。
「なぜ君がここにいるんだ? 死んだのではなかったのか……」
私はその女性を驚愕の眼差しで見つめなら、呆然とその場に立ち尽くした。
そしてその後私はエリミアとは別々に連行されて、第三騎士団の監獄に入れられ、厳しい尋問を受けた。もちろん重婚ぐらいでそんな厳しい尋問を受けるはずがない。
私の容疑は殺人未遂だ。前妻のキャスリンと侍従のアルトを、馬車ごと崖下に落として殺そうとした容疑だ。
そう未遂だ。なんと、彼ら二人は死んではいなかったのだ。
そして義父はキャスリンの死亡届を最初から出していなかった。死体も遺留品も何一つ見つからないのに、愛する娘が死んだなんて認められるわけがないじゃないか、そう彼は言っていたらしい。
妻がまだ生きているのに、私は再婚してしまったのだ。しかし、私の犯した大罪はそんなことではなかったのだ。
これで話が完結したように思えるかもしれませんが、まだまだ話は続きます。伏線を回収しつつ、なぜこの結末を迎えることになったのかを語っていきます。