第5章 侍女フローラ視点(3)
カローディア様が王都へ行ってしまってから数か月後、フォーラ伯爵領は領地管理人のジュリアン様がさらに好き勝手なことをし始めたので、領民達から少しずつ不満や不平が出始めていた。
しかもそれに加えて、領地内では次々と不可解というか気味の悪いことが次々と起こり始めた。
見知らぬ女が夜な夜な街中を歩き回っているとか、森の中で見たことのない獣を見たとか、この世のものとは思えない泣き声が至る所で聞こえるとか。
何か悪い事が起きる前兆かも知れないと、領内の人々は次第に怯え始めたが、領地管理人は下らないと相手にしなかった。特別被害が出ていたわけではなかったからだ。
ところがそれからさらに数か月経った頃、フォーラ伯爵家のメイドが突然階段から転げ落ちて大怪我を負い、近くの医院に入院した。
誰かに背中を押されたと本人は主張したが、現場を見ていた者達はそんな人間はいなかったと証言したので、彼女の不注意による事故として処理された。
それから間もなくして、まだ幼い次期当主と乳母である私を王都のタウンハウスの祖父母の下へ送り届けた帰り道、伯爵家の馬車の馬が突然制御不可能になり、御者が振り落とされて大怪我をして瀕死の重体に陥った。
その後男は一命を取り留めたが、そのまま近くの病院に入院を余儀なくされた。
その後も屋敷内で食中毒が起きたり、ボヤ騒ぎが起きたりして、伯爵家では次に何が起きるのかと、皆が戦々恐々となっていった。
しかも街中だけでなく屋敷の中でも、若い女性の霊を見たとか、知らない声や歌が聞こえたとかいう者達も出てきて、みんなは本気で怯え始めた。
そんなある日、執事と侍女長以外の使用人達が、たまたま使用人部屋に揃った際に、古株の侍女が突然こんなことを言い出した。
「あれはキャスリンお嬢様の霊よ。間違いないわ」
その一言で、みんなも不可解と思われる事象は全て二年半前に亡くなったお嬢様の霊の仕業のように思えてきた。
しかし、それではなぜ自分の生まれた屋敷内でそんな真似をしているのか?ということになった。
彼女は幸せの絶頂で亡くなったのだから、たしかにこの世に未練はあっただろう。
しかし、彼女は家族同様に使用人のことも大切にしていた。そんな慈悲深く優しい方だったのに、使用人を脅かすそんな真似をするのだろうかと。
そもそもあの方が闇落ちしただなんて思えないとみんなは頭を捻った。
そしてみんなで侃々諤々と話し合っているうちに、女伯爵となるはずだった若奥様が亡くなって二年以上経ってから、今まで気付かなかった様々なことが表に出てきた。
表面上は夫婦円満に見えていた若夫婦が、実は仮面夫婦で、子供が生まれてからというものベッドも共にしていなかったこと。
この数か月の間に何らかの被害を受けた者達は、旦那様に色目を使ったり、旦那様の言いなりになって、隠れて若奥様に嫌がらせをしてきた者達だと。
「御者のオットーさんが生きるか死ぬかの大怪我をしたのも、若奥様の復讐なんじゃない?」
一人のメイドが突然こんなことを言い出した。
「復讐って、オットーさんが何をしたっていうの?」
「それはわからないけど」
言い出しっぺのメイドが尻窄みになった。そこで今度は私が彼女の代わりに、彼に対して抱いている疑問を口にした。
「奥様は馬車の事故で亡くなったことになっているけれど、それってただ一人生き残った御者のオットーさんの証言だけよね?
本当は馬車に細工でもされてあって、誰かの意図があって起きた事件なんじゃないの? 若奥様と侍従のアルトさんは馬車共々崖下に落ちてしまって、証拠なんて何もないんだから。
それに、階段から落ちて片目を潰したメイドのカレンって、事故当時私の代わりに若奥様付きになっていたはずよね?
それなのに、たしか途中の休憩場で具合が悪くなったと言って付き添いをやめたから、運良く事故に巻き込まれずに助かったのよね?」
私が眉間にシワを寄せながら厳しい顔をしてこう言うと、みんなはハッとして顔を見合わせた。
そう。たしかにキャスリン様付きといえば皆私のことを思い浮かべることだろう。しかし、あの馬車の事故があった当時、私はローリス様だけでなくまだ幼い自分の二人の子供の面倒を見ていたため、主の遠出のお供ができなかった。
そのためにキャスリン様が遠出をする際は、私の産休中からキャスリン付きになっていた、メイドのカレンが付き添っていたのだ。
みんなもよくやくそのことを思い出したようだった。
そんな彼らの様子を私が厳しい眼差しで見回していると、私と目が合った若いメイドと料理人がガクガクと震え出した。
怪しい!
私だけでなく他のみんなもそう思ったらしい。仲間から疑惑の目を向けられ、厳しく追求され続けた二人は、とうとうその場で自分の過ちを洗いざらい全て白状した。
三か月月前に食中毒を起こしてかなり辛い思いをした料理人のアボットは、若奥様の生前、若旦那様の命令で奥様の料理に体調を悪くする薬を少量ずつ混ぜ込んでいたことを告白した。
「毒ではないし、バレても重い罪にはならない。婿養子だと陰で馬鹿にしてくる妻に少しだけ嫌がらせをしたいだけだって、ジュリアン様言われて、ちょっとした小遣い稼ぎのつもりでやってしまったんだ」
しかし、そのせいで若奥様は体調不良になり、療養地へ向かう途中馬車の事故で亡くなってしまった。自分のせいで死なせてしまったと、この二年近くずっと悔やんでいたのだと、彼は両手で頭を抱えながら言った。
「食中毒でのたうち回るほど苦しんだのも罰が当たったのだと思っていたんだ。だけどお天道様のバチではなくて、若奥様の悪霊に祟られたんだな」
と彼は項垂れた。
(お嬢様が悪霊だなんて、なんてことを言うの! せめて幽霊って表現しなさいよ!)
一瞬怒鳴りつけようと思ったけれどどうにか堪えたわ。
そして料理人に続いて、やはり食中毒になったメイドのコリーヌも泣きながら告白した。
旦那様と関係を持ったことを若奥様に知られて注意され、それを根に持ち、陰で色々と若奥様に嫌がらせをしてしまったと。
「若旦那様と浮気をしたのがバレたら怒られるのが当然だろう。普通なら即クビだぞ。それを逆恨みに思うなんて、なんて図々しいしいんだ!」
そう仲間に叱責されたメイドは涙をこぼしながらこう言い訳をした。
「若奥様が亡くなった後、私もようやくそのことに気が付いて後悔したわ。そもそも若奥様は私のために注意してくださったのに、なんて愚かだったんだろうって。
だって若旦那様は、気に入った使用人には手当たり次第手を付けるような女ったらしだったんだもの」
「あなた以外にも若旦那様の浮気相手がいるの?」
「いるし、いたわよ。ここ数年で辞めた下働きの子達はみんな手を出されていたみたいだし。
それにほら、階段から落ちたカレン。あの子は若旦那様が若奥様とまだ婚約中だった頃から関係を持っていたみたいよ。私に自慢気にそう言っていたから。
でも、若奥様だってそのことを知っていたみたいなのに、あの子には何の注意もせずに自分の担当メイドにしていたから、余計になぜ私ばかり叱るのかと悔しく思ってしまったのよ。
でも、若旦那様ったら若奥様が亡くなって一月もしないうち、新しく雇ったぼっちゃまのナニーにまで手を出しているのを見て、うんざりしてしまった。
ああ。若奥様はこんな最低な若旦那様の正体を知っていたから、私に注意してくださったのだなって。そう思うと余計に申し訳なくて」
メイドのコリーヌはしゃっくりを上げなからこう告白した。
それを聞いていた仲間達はあまりに衝撃過ぎて、唖然として彼女を見つめていた。そして皆同じ事を思ったことだろう。
(なんてクズな最低男なんだ、あの若旦那様は! ああ! 若奥様が悪霊になって復讐しようと思っても当然だろう)
と。半地下の使用人部屋で、みんなは暫く呆然としていた。
しかしそんな仲間達に向かって私はこう言った。
「今聞いた話は明日ローリスお坊ちゃまを迎えに王都へ行った時に、私が大旦那様と大奥様に伝えてくるわ。
だから、みんなは今聞いたことを絶対に他に漏らしては駄目よ。あの方に知られてしまったら、口封じされてしまうかもしれないからね」
すると、全員が大きく頷いたのだった。