第3章 侍女フローラ視点(1)
夫婦となったキャスリンお嬢様とジュリアン様は、婚約時代とは違って仲睦まじく暮らし、一年後無事に跡取りとなる嫡男ローリスにも恵まれ、フォーラ伯爵家は安泰だと思われた。
ところが、お子様が生まれて二年後に、体調不良気味だった若奥様のキャスリン様が、静養地へ向かう途中で馬車ごと崖から落ちて、なんと侍従のアルトと共に亡くなるという不幸に見舞われた。
しかも深い谷底だったので、ご遺体さえ見つからなかったので、旦那様だけでなく正直私もこの事実を受け止められなかった。
大切な主で妹でもあるキャスリン様と、幼なじみで親友であるアルトを同時に失ったのだから。
大切な跡取り娘を亡くしたショックはかなり大きく、旦那様は王都のタウンハウスに引きこもってしまった。
せめて葬式だけは挙げなければと奥様と若旦那様は当然主張したが、旦那様は頑としてそれを拒否した。
常識ではあり得ないことだったが、旦那様のキャスリンお嬢様への愛を感じられて、却ってお嬢様が報われたような気がした。
幼少期は父親っ子だったお嬢様も、話も聞かずに無理矢理結婚させたお父上に絶望していたことを知っていたから。
キャスリン若奥様の死後、夫であるジュリアン様が、まだ幼い次期後継者であるローリスぼっちゃまの後見人となった。
そしてキャスリン様の年の離れた妹であるカローディア様と共にフォーラ伯爵家を支えることになった。
妹のカローディア様も姉のキャスリン様同様に王都の学園には通わず、領地で家庭教師について学んでいたからだ。
しかし、若奥様の生前中は穏やかで優しげだった若旦那様が豹変し、まるで自分が伯爵であるかのように振る舞うようになり、好き勝手に領地経営をするようになった。
そしてそれに意見した義妹のカローディアをジュリアン様は疎ましく思ったのか、カローディア様の縁談を急いで進めようとした。
それに気付いた私はこっそり王都にいる旦那様にそのことを報告した。
すると旦那様から、フォーラ伯爵家の子供は全員成人を迎えるその日まで、きちんとした教育を施すという家訓がある。
それ故に後二年、カローディアが成人を迎えるまで、義兄として面倒を見て欲しい、という、ジュリアン様を一応立てた形の依頼の手紙が届いた。
それを読んで、さすがの若旦那様も、カローディア様を追い出すことができなくなった。
そこで世間には、愛していた妻の大切な妹に、いつまでも子供の面倒を見させて申し訳ない。早く幸せになって欲しくて縁談を勧めようとしたのだが勇み足でしたと、若旦那様は反省の弁を語った。
そして良き義兄のふりをしながら、ジュリアン様は義妹が成人するまではと辛抱することにしたようだった。
そして二年が経ち、カローディア様が十八になった途端ジュリアン様は、再び色々な縁談話を持って来た。
そのほとんどがフォーラ伯爵領からかなり遠い領地のお話ばかりで、彼の魂胆は見え見えだった。
カローディア様は愛する甥のローリス様のためにずっと縁談を断り続けていた。
しかしやがて命の危険を感じるようになって、ついに家を出る決意を固められた。私もずっと以前からそれを勧めていた。
カローディア様は姉であるキャスリン様によく似ていた。そのためにジュリアン様の触手は動かないとは思っていたが、あの男は色魔の節操だったので可能性がゼロとは言い難いと思っていたからだ。
それにしても頑なに領地に残っていたカローディア様が、突然領地の屋敷を出ることにしたのは、その少し前にお嬢様の親友であるクリスティーナ=オーダント伯爵令嬢様から届いたお手紙がきっかけだった。
カローディア様は珍しく笑みを浮かべると、若旦那様にこう言った。
「これまで内緒にしていましたが、私には王都に心に決めた方がいました。
その方からようやく結婚準備が整ったと連絡が来ましたの。そのため、私の方も準備を始めなくてはいかなくなったので、王都のタウンハウスで暮らすことにいたしました。
これまで色々とお世話なりました。ローリスのことをどうかよろしくお願いします」
そして、生まれ育った屋敷を出て行ったのだった。
カローディアお嬢様のこの言葉は嘘ではなかった。彼女には元々幼なじみの恋人がいて、いずれ結婚するつもりでいたのだから。
しかし、まだ幼い甥のローリスが心配だからと家に残っていたのだ。
こうして屋敷に残ったのは、ついに幼い次期当主であるローリス様と、その後見人で伯爵家の領地管理人をまかされていたジュリアン様、そして私を含めた使用人達だけになった。
しかしその後、まだ幼い子供を若い父親だけで育てるのは無理だということで、乳母である私の他にナニー(幼児教室のプロ)が雇われた。
そのナニーは没落しているとはいえ子爵令嬢ということで、マナーも教養も申し分ない美しい女性だった。
こうして、どうにかフォーラ伯爵家も落ち着いてきたと、屋敷の者達も領民も親類達もホッとし始めた。
ただし私は侍女長からは、
「学園出の優秀なナニーに来てもらえて本当に良かったわ。亡くなった若奥様もあちらできって安心なさっていることでしょう。
あなたはたまたま、去年赤ん坊を産んで母乳がまだ出るからと乳母に選ばれただけですしね」
と嫌味を言われたが。
侍女である私フローラは貧しい男爵家の娘だった。しかし子供の頃に没落して父が爵位を返上したので私達は平民の身分になったのだ。
慣れない平民の暮らしで両親はすぐ生活に困るようになり、私はフォーラ伯爵領地内にある聖堂に預けられた。いや、捨てられたのだ。その後二度と彼らは会いには来てくれなったのだから。
そしてその聖堂から紹介された職場が、フォーラ伯爵家だった。
十歳の時からフォーラ伯爵家でキャスリンお嬢様付きのメイドとなり、五つ年下のお嬢様と共に厳しい教育を受けさせてもらった。
そのおかげでメイドとして下働きをしながら教養やマナーを学ばせてもらった。
お嬢様は私の主であると同時に大切な妹のような存在だった。私は誠心誠意尽くし、お嬢様も私を信用してくれていたのだと思う。
その後私はお嬢様付きの侍女に指名されたのだから。
しかし使用人仲間の中にはそれをよく思わない人達もいた。侍女長もその一人だった。
「孤児院出の平民が女伯爵となられるキャスリンお嬢様付きの侍女になるなんて、本当に信じられないわ。伯爵家の恥だわ。なぜあなたは分不相応だと自分から辞退しなかったの?」
何度もそう嫌味を言われていろんな実際に嫌がらせもされたわ。
平民平民と馬鹿にするけれど、彼女だって男爵家の出身なのだから、元男爵令嬢の私と実質そう変わらないのに。
彼女は学園を卒業していたから私とは違うと思っていたらしい。
しかし、私は学園の教師より優秀だと言われている家庭教師にお嬢様と同じ授業を受けてきたのよ。つまり、あなたは私を貶す事でお嬢様まで馬鹿にしているのよ?
そう思ったけれど、さすがにそれは口にしたかった。
しかし、その考えはあれから何年経っても全く変わらなかったらしく、ジュリアン様が決めたナニーを私と比べて、素晴らしい、安心できるとしきりに褒めまくった。
その時、さすがに私は侍女長を軽蔑したし、彼女を侍女長に選んだ奥様の人を見る目の無さ、家政の能力の低さに改めて幻滅したわ。
だってそのナニーはジュリアン様の学園時代からの恋人で浮気相手。そして今では愛人なんだもの。
それを私が暴露しなかったのは、私がクビになったらローリス様を守れなくなってしまうから。それだけはどうしても避けたかったのだ。
もっとも、彼女がローリス様に害を与えるような真似をしたら、さすがに旦那様に直訴しようと思ってはいた。
しかし、エリミア=オースティン子爵令嬢は、ナニーとしては一流だった。
経験はまだ一年ほどだったが、前の職場でもとても評判が高く、残って欲しいと引き止められたのだと聞く。
だてに特待生だったわけではなかったようだ。ふわふわした儚げな令嬢は男を誑かす一方で、子供への愛情はかなり深いものがあるようだった。
「私は子供が大好き。たとえ自分の子供が産めなかったとしても、この仕事が続けられるのなら幸せだわ」
そう口にしていたが、それは本音のように思えた。何せ、ジュリアン様から夜の相手を求められた時でも、その時たまたま体調を悪くしていたローリス様の方を優先したことを知っていたから。
異性関係にはかなり問題ありだが、ナニーとしては本当に優秀そうだ。そう思ったので彼女のことは、取りあえずみのがすことにしたのだ。もちろん完全に信用したわけではなかったので、厳しく監視することはやめなかったが。