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第2章 侍従アルト視点


 キャスリン様は、ストレートの長い黒髪を靡かせながら乗馬や狩りを好む、活発な少女だったが、成長すると完璧な淑女と呼ばれる伯爵令嬢になっていた。

 そのきっかけは、長らく子育てを夫任せにして社交に励んでいた母親である伯爵夫人が、久し振りに領地に赴いて、初めて娘の真の姿を目にして絶句したからだった。

 それまでたまの僅かな時間しか接していなかったので、夫人は娘の演技にコロッと騙されていたのだ。

 それ以後放任主義だった彼女もさすがに少しは反省したようで、社交を控えて娘二人の子育てに少しばかり熱を入れるようになったのだ。

 しかし、正直キャスリン様と五つ年下の妹のカローディアにとってはありがた迷惑だったろう。

 

 何しろ夫人は、キャスリン様のことを社交界に出したら自分が恥をかくと思ったらしく、大切な嫡女であるにも関わらずキャスリンを王都の学園には通わせず、領地で跡取りになるための教育を施すことに決めたのだから。

 するとお嬢様は元々頭が良く何をやらせても優秀だったので、数年後には完璧でお淑やかな令嬢となっていた。

 それ故に学園に入学したり社交界に出ても困ることなどなかっただろうに。

 

 それなのに夫人はお嬢様を領地に閉じ込めて王都にこさせず、社交をさせなかった。そしてキャスリンお嬢様は社交が苦手なのだと勝手に決めつけてしまった。

 そしてその結果、彼女の代わりに社交を任せられる相手を探し始めたのだ。そんな人を見る目がない夫人が気に入ったのが、まだ学生でありながら社交界を賑やかせていた、あの有名な美形の詩人だったのだ。

 

 

 しかし、そもそもこの婚約を申し込んできたのはモーランド侯爵家の方だった。ジュリアン卿は三男でスペアにもならない息子だが、すこぶる見かけが良い。

 しかも幼い頃から詩作の才能があったため、政略結婚をさせる良い駒だとして、婿入り先を吟味していて我が伯爵家に目を付けたらしい。

 いくら容姿や文学的才能に恵まれていても、騎士にでもならない限り新たに爵位を賜ることはできない。平民になりたくないのなら養子か婿入りするしか貴族でいられる方法はない。

 幼い頃から親からそう言い含められてきたのだろう。ジュリアン=モーランドは本当に自然体でキャスリンお嬢様に愛を囁いてきた。

 お側にいた侍従兼護衛の俺のことなどまるで気にすることなく、まるで舞台俳優か何かのように、堂々と余裕ある態度で。

 一体何人のご令嬢に同じようなことをしてきたんだろうと、呆れた気分になった。それはお嬢様も同じだったらしく、冷めた目で彼を眺めていた。

 

 モーランド侯爵家からの申し込みはフォーラ伯爵家にも利益をもたらすものであったらしく、あっさりとこの縁談は結ばれた。

 親の決めた婚約は貴族の娘として従うのが当然だと、当初キャスリンお嬢様も文句も言わなかった。まさしくそれは口煩い母親と厳しい家庭教師の教えの賜物だったのだろう。

 とはいえ元々の性分は変わりようがなく、唯々諾々と親に従いながらも、お嬢様が内心では両親対して反発心を抱いていたことに、俺とフローラは気付いていた。

 そしてジュリアン卿に対しては全く思い入れがないように見えた。

 お嬢様の婚約者は王都の学園に通っていたため、彼とは滅多に会うことはなく、たまに中身のない薄っぺらな愛の言葉を囁くような手紙が届けられるだけの関係だったからだ。

 

 

 ところが婚約して数年が経つと、さすがのお嬢様も婚約者に対してあからさまに嫌悪感を表すようになっていた。

 ジュリアン卿に長年邪険にされ続けた挙げ句、社交場にたまに一緒に参加すると嘲笑の的にされたからだ。

 それなのに婚約者はお嬢様を庇うこともせず、毎回ただ爽やかな笑顔を他の参加者に振りまいていただけらしい。

 お嬢様付きの侍女であるフローラからそんな話を聞かされる度に、俺の拳に力が入った。腹立たしくて憎くて。

 なぜあんな素晴らしいお嬢様がそんな惨めな思いをしなくてはいけないんだ。

 

 

 しかし侍女のフローラによると、婚約者に対してだけでなく、お嬢様はご自身に対しても腹を立てていたらしい。

 女性からの嫉妬による嫌がらせはまだいい。しかし、所詮男の見た目と口のうまさに騙された愚かな女だったと、皆から思われたまま、それを否定することもできない非力なご自分が、惨めで情けなかったようだと。

 そう。お嬢様は婚約者に愛されていないことなどなんとも思っていなかった。

 それよりも寧ろ、あんな男におめおめと利用されようとしている自分が悔しかったのだ。

 だから、彼が女遊びをしようが親密な女性ができようが、嫉妬心などわかなかったし、寧ろこちらからから婚約破棄できるくらいにもっとやらかして欲しいと願っていたようだった。

 

 

 そして婚約者のジュリアン卿が学園の最終学年になった年、彼が運命の人と出逢ったと、幼なじみのローディス=オーダント伯爵令息から知らされた時、キャスリンお嬢様は心底嬉しそうだった。もしかしたら婚約破棄できるのではないかと。


 ジュリアン卿の運命の人となったのは、奨学生として入学してきた没落子爵令嬢エリミア=オースティンだった。

 ウェーブのかかったシルバーブロンドヘアーに水色の瞳をした、まるで白い百合の花の様に可憐で愛らしい美少女だったらしい。

 艶のある黒いストレートヘアにペリドットの瞳のキャスリンお嬢様とはまさに対照的だ。

 まあ、人の好みは仕方のないことだが、お嬢様の方が数倍も美しいし賢いし上品なことは間違いない。そもそも婚約者がいるとわかっていながら、平気で男女の関係になれる倫理観のない女性を好きになるあの男の気がしれないが。

 

 ジュリアン=モーランド侯爵令息に婚約者がいることをみんな知っていた、とローディス様は言っていた。

 しかしその婚約者は領地で家庭教師に付いて学んでいたので学園には通ってはいなかった。

 それ故、顔も知らない彼の婚約者よりも、健気に勉学に励みながらも教師達の手伝いをして小銭を稼いでいる苦学生に同情的になるのは自然のことだったと。

 そして儚げな美少女を虐めや暴力から守っている見目麗しい彼は、まさに小説の中に出てくるヒーローのように映ったことだろうと。

 学園内で二人を批判する者はほとんど存在しなかったようだ。

 そもそも学生時代に婚約者以外の女性と多少仲が良くなっても、さほど問題ではないと考える者がほとんどで、注意する者さえあまりいなかったらしい。

 田舎と違って王都では、政略結婚と恋愛は別ものだと考える若者が多いのだという。

 

 しかし時代がいくら変わってもそれは、学生時代の学園内だけで通用する話だ。そんなことにも気付かない学園生のレベルの低さに俺は呆れた。

 官吏試験合格者の学園出身者の割合が、年々減ってきている話もこれで納得できる。

 

 こういういい加減で甘い環境の中にどっぷり浸かり、誰からも交際を反対されたり注意を受けたりしなかったために、ジュリアン卿とエリミア嬢は恋人同士であることを隠すことはしなかったようだ。

 というより、人前で堂々と愛の詩を(うた)っていたと聞いている。

 そのために二人の仲は学園内に留まらずに社交場でも知られるようなり、それが彼の両親の耳にまで入り、慌てて息子に注意をしたが時すでに遅し。

 婚約者に恋人がいる話を耳にしたキャスリンお嬢様から彼の卒業直前に婚約破棄をしたいと告げられてしまった。当然だ。

 

 ところが、自分達はただの友人同士であった。それなのに、それを婚約者のキャスリン嬢が邪推して散々嫌がらせをしてきた。

 そのために、後輩のエリミアは心を病んで、学生寮の自分の部屋に引きこもってしまった……

 そんな三文芝居のような噂を流して、ジュリアン卿はよりによって婚約者であるキャスリンお嬢様の方を悪女に仕立ててしまった。

 

「一度も会ったことがないのにどうやって彼女に嫌がらせをするの?

 私は領地にいて、滅多に王都になんて出ていかないのに」

 

 キャスリン様が呆れたように呟いていたが、詩人として既に名を成していたジュリアン卿の言葉を皆は疑うことなく信じてしまった。

 すると彼は浮気を認めないどころか、寛大な心で彼女を許すと彼は皆の前で宣言した。

 婚約者の、愚かに嫉妬するところも可愛いと、大袈裟にお嬢様に対する愛を彼は語ったのだ。

 そして、疑心暗鬼になっている婚約者に信じてもらうために、自分の持っている書籍の著作権をキャスリンお嬢様の名義に変更するとも発表したのだ。

 

 なんと懐の深い紳士なのだと皆はジュリアン=モーランド侯爵令息を褒め称えた。

 そしてフォーラ伯爵夫妻も娘の話だけを聞いて君を誤解していたと彼に謝罪したのだ。

 そのため、ジュリアン卿はキャスリンお嬢様とやり直すことしたと改めて宣言した。お嬢様の意志などまるっきり無理して。

 絶望して全ての気力を無くしてしまったお嬢様をなんとかして救いたかったが、平民でただの侍従に過ぎない自分では結局何もできなかった。どんなにお嬢様を愛していても。

 

 それから間もなくジュリアン卿は学園を卒業し、伯爵家の領地経営の勉強をするめに領地へ赴いた。結婚式は半年後だ。

 こうして、刻一刻とお嬢様の結婚式が近付いてきたある日、俺はフォーラ伯爵様のお供をしながら王都のタウンハウスから領地に戻ってきた。

 俺がいつものようにキャスリンお嬢様の部屋に挨拶に行くと、当主になる者しか知らないという、お嬢様の部屋の隣にある秘密部屋に唐突に押し込まれた。

 そこで俺は、顔色を無くして人形のような顔になったお嬢様から、ある衝撃的な決意を聞かされ、絶望のどん底に突き落とされたのだった。

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