第14章 第三者視点(4)……再会
キャスリンは怒りに燃える目をして、低い声で誰に向かって言うわけでもなしにこう呟いた。
「愛人を息子のナニーにするなんてなんて非常識な人なの! ローリスをその女から早く引き離さないと、彼女に何を教え込まれるのかわかったものじゃないわ」
「あ、愛人?」
クリスティーナは、その事実にその日何度目かわからないショックを受けた。
そう。キャスリンとローディスは、自分の妹達にはジュリアンとエリミアの話をしていなかった。
とてもじゃないがまだ十代半ばの少女に、男女間の醜いスキャンダルについて教えることはできなかったのだ。
「キャスリン夫人、あのエリミアという子爵令嬢は、倫理観はめちゃくちゃですが、学園時代の成績は優秀で、学園の推薦状をもらって、たしかどこかの高位貴族のナニーになっていたはずです。
まさかその後でフォーラ伯爵家に勤めていたとは気付きませんでしたが。
ナニーとしての仕事ぶりは良かったと風の噂で耳にしていましたから、表面上問題はないのでしょう。
ただ、真実を知ってしまうと、このままでいいとは到底思えませんけれどね。
ただし、ローリス君の保護者はあの男ですから、無理矢理引き離すわけにはいきません。ですからやつの犯罪の証拠をしっかりと掴むことが何よりも先決です」
ローディスの客観的な意見にキャスリンとアルトは頷くことしかできなかった。
特にキャスリンにはこの一年分の記憶しかないのだから。
しかしアルトから息子の話を聞いてからというもの、彼女は一時も息子の存在を忘れたことがなかった。記憶はないはずなのに、顔も知らない我が子への愛おしさで胸が苦しくなっていた。
勉強を教えている村の子供達を見る度に、ローリスはどんな風に笑うのか、どんな風に泣くのか、どんな話をしてくれるのか、想像しては涙にくれた。
息子と生き別れになるなんて、お天道様を裏切った罰なのだろうか? そう思ったりもした。しかし、そんな彼女の考えをアルトは否定した。
「この世の全ての生き物をお天道様が把握できているわけがない。何か上手くいかないことがある度にそれを天罰だと考えることは止めるべきです。
今、こんな状態になったのは天罰でもなんでもない。元凶はあの男だ。それだけははっきりしている。だからあの男の罪を暴かなければローリス様は助けられない。
貴女が今やるべきことは、後悔や懺悔などではありません。あの男とあの男に手を貸した者達に対する制裁です」
淡々とそう語るアルトに、キャスリンは弱い心では息子を守れないのだと、気持ちを新たにしたのだ。
そしてこの日オーダント兄妹から、ローリスの置かれた状況を知らされて、彼女はその思いを強くしたのだった。
その後、クリスティーナからの手紙を読んだカローディアは、祖父母が逢いたがっているという理由を作って、ローリスを連れて王都にやってきた。侍女のフローラや彼女の子供達と共に。
カローディアとクリスティーナはまだ幼い頃から頻繁に手紙のやり取りをしていた。そして年頃になると他人には知られたくない話題も出てきたので、二人だけで通じる暗号を作っていた。
今回のクリスティーナが出した手紙にもその暗号がたっぷり含まれていた。
そのため、第三者が読めばなんてことのない内容の手紙だったが、カローディアは一度読み終えて絶句した。
そして間を空けて何度か読み返した後、心を落ち着かせるために大きく深呼吸をすると、急いで親友への返事を認めた。
『貴女から頂いたお手紙の内容はとても信じ難いお話ばかりでしたが、貴女があんな酷い作り話をするわけがないとわかっているので、確認のためにすぐに王都に向かいます。
ローリスとフローラ母子も連れて行きます』
と。
王立図書館近くの裏通りの静かなカフェで、カローディアは亡くなったと思っていた最愛の姉と劇的な再会を果たした。
完璧な貴婦人だと名高く少し気難しそうだった姉は、清潔そうだが質素なワンピースを身に着け、とても柔らかな丸い感じの女性になっていた。
それでも黒髪とペリドットの瞳は以前と変わらず輝いていて、自分の大好きな姉に間違いないとカローディアは思った。そしてそれは記憶のないキャスリンも同じだった。
二人はしっかりと抱き合うと、いつまでも涙を流し続けたのだった。
そして再会したその翌日、カローディアは甥のローリスと侍女のフローラ、そして彼女の二人の子供を連れて王立の動物園へ向かった。姉に甥を見せてあげるためだ。
キャスリンは少し遠目からローリスを見つめた。
薄茶色のふわふわヘアーの六歳くらいの女の子と、その女の子に良く似た風貌の四歳くらいの男の子。そしてその二人に両手を繋がれた、三歳くらいの男の子が見える。
黒いサラサラヘアにペリドットの宝石のような瞳は彼女と同じ色で、顔立ちはアルトにどことなく似ていた。
ウーン、ウーン! 力みながらの寝返り。
物凄い勢いのはいはい。
お気に入りの木馬の口に触りたくてするたっち。
笑顔満開でのよちよち歩き。
まんま、まんまと言いながら両手を伸ばす愛らしい子を抱き上げる……それは、私?
数え切れないくらいたくさんの映像が、キャスリンの頭の中でフラッシュバックした。
「ローリス!」
彼女はそう叫ぶと幼子に向かって走り出した。思い出したのだ。何もかも。
すると名前を呼ばれた男の子は、一年前と同じ満面の笑顔を母親に向けたのだった。