第10章 四年前の出来事(キャサリンがアルトから聞いた話)
暴力シーンや倫理観に外れる行為がありますので注意して下さい。
第10章 四年前の出来事(キャサリンがアルトから聞いた話)
四年前、私は十八歳になって間もなく、同じ年のジュリアン=モーランドと結婚したらしい。
結婚式当日は晴天で、我がフォーラ伯爵領地内にある聖堂の建物の周りには秋薔薇が美しく咲き乱れていたという。
式は滞りなく進み、最後は新郎ジュリアン=モーランドによる嘘八百の愛の詩の朗読で大層盛り上がったという。彼は自分に酔いながら高らかに私への愛を謳っていたらしい。
その偽りの愛を捧げられていた花嫁である私は、吐き気を催さないように必死にそれを右から左に聞き流していたみたいだけれど。
そして気分が悪いからと一足先に披露宴会場を抜け出し、私はメイドと共に屋敷に戻った……らしい。
(アルトから聞いた過去のキャサリン視点)
「浴槽には薔薇の入浴剤を入れてね。旦那様のお気に入りの香りだから」
私は屋敷に戻るとすぐに入浴をして体を綺麗にした。そして浴槽を出て側に控えていたメイドからタオルを受け取ると、その瞬間にそのメイドを浴槽の中へ突き落とした。
突然のことに驚いて手足をバタッかせているメイドの頭を、私は数回湯の中に押し込んだ。
そして彼女を頭のてっぺんまで湯で濡らした後、激しく咳き込んでいる彼女に向かってこう言った。
「この私をずっと馬鹿にしてきた罰よ。
あなた、この部屋のベッドのシーツを交換していて気付いていなかったのかしら? 私が一年近くずっとこのベッドを使っていなかったことに。
あなたとあの男が何度も寝ていたこのベッドなんて、気持ち悪くてとても使えなかったわ。だからずっとソファーに寝ていたのよ」
「し、知っていたのですか?」
「何白々しことを言っているのよ? 勝ち誇ったような目で時々私を見ていたくせに。時々私のアクセサリーも盗んでいたわよね。
えっ? 何故黙っていたのかですって? あんな男がくれた物なんて捨てしまいたいと思っていたから丁度良かったからよ。
でもね、いくら要らない婚約者やアクセサリーだって、使用人が主の物を盗むなんて重罪よ。我が伯爵家による罰と、牢獄とどちらがいいの? 選ばせてあげるわよ」
「お、お許しを……お許しください。うちにはまだ幼い弟や妹がいるんです。何でもしますからお許しください」
「今さらお涙頂戴の芝居をして同情が引けるとでも思っているの? 馬鹿にしないで欲しいわね。
あなたにはたしかに幼い兄弟はいるけれど、みんな既に養子に出されているでしょ! 今さらあなたがいなくてなっても誰も困りはしないわよ」
「ああ、何でもします、何でもしますから勘弁してください」
メイドのカレンは泣きながらこう訴えてきた。だから私はたっぷりと時間を置いてから、「わかったわ」と言った。
それからカレンを浴槽から引きずり出すと、濡れた服を脱いでタオルで体を拭くように命じた。
それから裸のままで鏡台の前に座らせて一枚の白紙を差し出し、言われた通りに文章を書くようにと命じた。
カレンは震えながら言われた通り、自分の罪状を記し、最後にサインをした。
私はその紙を取り上げると、無表情のままこう言った。
「これから私の命じたことをあなたがきちんとこなしてくれさえしたら、これまでの罪は問わないわ。
大丈夫。そんなひどいお願いはしないから。むしろあなたにとっては喜ばしいことかもしれないわ。
だって、あなたは気持ちよくなれる上に小遣いも稼げるんだもの。
でもね、そのことを誰かに一言でも漏らしたら、この告発状は騎士団へ届けられることになるわよ。それをよく理解しておきなさい」
(自分にとって喜ばしいって何のこと? そんな罰があるわけないじゃない)
きっとカレンはそう思っただろう。でも私がこれから指示することは、本当に彼女にとってはそれほど悪い話ではないはずだわ。
だって、私が命じることは、その仕事をする前に必ず避妊薬を飲むこと。
そして妻である私に媚薬入りのワインを飲まされて、幻覚症状を起こしているジュリアンのお相手をすることなのだから。
もちろんその媚薬は薬屋で調合してもらった、安心安全な薬で副作用もない。
(あなたはジュリアンに抱かれていつも気持ち良さそうだったもの、嫌どころか嬉しいはずよね?
二人が事をなし終えるまで、クローゼットに隠れることになる私にとっては、気持ちが悪くて地獄のようだろうけれど)
「私ね、あんな男に触れられたくないの。でも、あなたは嬉しいのでしょ。いつも気持ち良さそうな声を出していたものね。
私の代わりをしてくれる手当は、当然今後は私が出すわ。それに加えて夫があなた自身を誘う場合もあるでしょうから、結構いいお小遣い稼ぎになると思うわよ。
それと、避妊薬は飲みたくないなら飲まなくてもいいわよ。一応あなたのためにと思って用意するものだから。
でも、もし子供が生まれても私生児になるだけだから、一人で育てられる自信がないのなら注意しておいた方がいいわよ。
たとえ自分の子供であっても、自己愛の強いあの男が役にも立たない子供の面倒を見るなんてとても思えないから」
私からそう言われたカレンは、ベッドの上に自分が用意したスケスケの高級そうな夜着を自ら身に着けると、私が渡した小瓶から薬を一錠取り出してそれをコップの水で流し込んだ。
それからゆっくりと夫婦のベッドの中に身を横たえたのだ。この屋敷の若旦那様であるジュリアンが好む、薔薇の香りを全身から漂わせながら。
✽
かつて自分がアルトの指示でやったという事柄を、彼から聞かされて、私は目眩を起こしそうになった。
記憶をなくす前の私って、そんなに怖い女だったの? メイドを浴槽の中に頭から突っ込むなんて。しかもメイドを自分の身代わりにして夫の相手をさせるなんて。
えっ? アルトの作ったお芝居の悪役令嬢をただ演じていただけ? でも、普通そこまでできるかしら?
うーん。
この私が禁忌を破り自殺しようとしていたというのだから、つまり普通じゃなかったとうことなのでしょう。それにしても、そこまで追い込まれるほど私は辛い思いをしていたというの?
両親は娘が死にたいと思うほど苦しんでいたのに助けてもくれなかったの?
それに、私はアルト以外の男と結婚していたの? そんな浮気男と? 信じられないわ。
でもアルトが私とキスさえしなかったのは一応私がまだ既婚者だったからなのね。相手はもうとっくに再婚しているかもしれないのにね。
アルトから過去の話を聞かされて、私の体はガタガタと震え始めた。でも、怖くてもどうしても確認しなければならないことがあったので、私は、震えたまま彼にこう訊ねた。
「では本当に本当に、私は夫だったという人とは初夜は迎えなかったのね? そしてその後も体の関係を持っていなかったのね?
……何もなかったのね?」
「ええ、間違いありません。あの男は貴女だと思ってずっと愛人のメイドを抱いていたのです。
貴女の産んだローリス様は貴方と私の子供です」
信じられない話ばかりが続いたけれど、この話はその比ではなかった。
自分が経産婦であることは妊娠線で何となく気が付いていたけれど、その子が今どうしているのか、そしてその子の父親は一体誰なのか怖くて、とてもアルトには聞けなかった。
でも、その子はアルトと子供だと聞かされてどうしようもなく嬉しかった。天を欺く行為で産んだ不義の子だというのに。
四年前、ジュリアンと政略結婚した後、私は父親の侍従だったアルトに縋ったのだという。
「子供が生まれるまで、私はずっとあの男に関係を迫られ続けるわ。互いに愛してもいないのに」
「・・・・・」
「あの男は次期当主の父親としてこの伯爵家を牛耳りたいの。あの人は人の上に立って人を自分に従属させるのが望みだから。
私の振りをしたメイドのカレンとの情事中に気分が上昇すると、いつもそんなことを語っているの。
お前のことは嫌いだが、どうしてもお前の子が必要だ。だから早く孕め。そうすればもうお前なんて抱かなくて済むって。
でも子供がいつできるかなんて誰もわからないのよ。それなのに、私はずっとそんなことを言われ続けないといけない。
それにカレンがいつまで身代わりを続けてくれるかもわからないわ。見かけとは違ってあんな強欲で心根の醜い男だとわかって、さすがに彼女も愛想を尽かしているんじゃないかしら。
ねぇ、アルト、私は早く子供が欲しいの。そしてあの男とは距離を取りたいの。
でもだからといって、憎い男の子供は産みたくないの。何の罪も無い子供を憎んでしまいそうだから」
私の切実な想いを聞いたアルトは絶句して、暫く何も言葉を発せないでいたという。
そりゃあアルトも困ったでしょうね。私も当時の彼の気持ちはわかるわ。だって助けたくても、逃げ出すしか他に方法があるなんて思えないもの。
だけど妹のことを考えると駆け落ちは無理。そして自死もだめだというなら他にどんな方法があったというの?
でもその時、なんと私はとんでもない発言をしたらしい。
「私は自分の子供を愛したい。だから愛する貴方との子供が欲しいの。幼い時からずっと私は貴方が好きだった。それは前にも言ったわよね?」
その必死な私の懇願に、ついにアルトも決断してくれたのだという。
「共に罪を背負って生きて行こう。そう。もうとっくに罪人になっているのだから」
アルトは私の全身の骨がミシッ!と音を鳴らすほど強く抱きしめて、何度も何度もこう囁いてくれたらしい。
「俺こそ貴女をずっとずっと愛してきたんだよ」
と。
聖堂で育ったという彼が、聖堂の教えに背いて不義行為をするという決断をしてくれたのだ。そのことに対して、私もかなり罪悪感を抱いて葛藤したと思うわ。
自分のせいで愛する人にそんな辛い思いをさせてしまったのだから。覚えていない過去のことではあるけれど、本当に申し訳なく思った。
しかし、その一方でそれを嬉しいと感じるわがままで醜い私もいたのだった。