第2話『差出人:消え入りそうなくらい儚い小さな一人の女の子』
それは快晴で閑静な街並みに、近くの市場は似合わぬ賑わいをしていた。
とはいえ、昨日あった国を挙げた戦勝パーティーに比べたらそれは大分落ち着いている。
それは少し曇りがかっているが、曇天と言うには似つかわしくない。
しかし、旅に出るには申し分ない。
「いいのかい? お前さん、ずいぶん身なりがいいように見えるが、作物を王都に売りに来たこんなじじいの後について王都を出ちまうなんて」
荷馬車に乗って、馬の手綱を握り白いひげを蓄えた男は、目の前の軍服の男に言った。
「いや、構わん。あいにくもはやここに残る意味もないからな」
不意に振り返ると、巨大にそびえたつ王城が見える。
――さらばだ。
二度と会うこともないだろうがな。
軍服の左肩にかけてあるぺリース越しに、その本来あるはずの左側に手をかけようとしてやめる。
当時のアンダルチアには、もはや自分をいたわる余裕もなかった。
どうやったらこの息苦しさをぬぐえるか。
ただそれだけしか考えられなかったのだ。
――従軍で金は稼いだ。
これでやっと、田舎にでも引きこもればまともな生活が出来そうだな。
それが、それをやっと営めることが、アンダルチアの悲願で心安らぐときになるはずだった。
荷馬車の後方に乗り込んで出発を待っていると、前に座る老人に声をかけるものが出ていた。
「あ~、すまないんだけどね~? あの~、この荷馬車に軍服の男性乗ってたりしない?」
声は聞いた感じ女性のもので、それにどうやら目当てはアンダルチアらしいと盗み聞きして分かる。
何か用がある人でもいたか、と考える間もなくバっと後方のカーテンが開けられ、その声の主とご対面を果たす。
後ろには屈強な男が一人控えており、いかにもやばい感じがしてならない。
「え~っと、君がアンダルチア・アンタレス少佐で合ってるかな?」
「合ってる、けども?」
両手を腰に当て、エッヘンと今にも言いそうな見た目の少女は、荷馬車に乗りこんでアンダルチアの顔にぐいと近づいてマジマジと見た後、隣に腰を下ろした。
「この荷馬車はどこ行きですか?」
「ここから遠く離れた小さな村じゃよ。三日もかかるわい」
「三日って言うと~エンツォン? いや~、ジウェーン? もっと奥だったりする?」
急に少女はう~んとうねりだしたかと言うと聞いたこともないような地名を連呼していった。
「お嬢ちゃん、そこまで小さい村じゃないさ。セルフィアってわかるかい?」
「お~、あれは良かったよ~。魚の~、何とか焼きがおいしくってね~」
「そうそう、うちはバドロ焼きが有名でね~。……お嬢ちゃん大分詳しいじゃないか」
「いや~、地理には結構自信あってね~。なるほどね。おじいさんちょっと出発って待てる?」
「ああ、構わんが……」
おじいさんに了承を得た後、少女はアンダルチアの方を向き直って、目を見て話をしてくる。
「まず、ボクの自己紹介からしようか。ぼくは、カルタ―カン王国第三皇女、アルストル・リーセン。よろしくね~」
それを聞いたアンダルチア、並びにおじいさんは開いた口が塞がらない。
「……そ、そんな偉い人がぼくに何用で?」
首をかしげるアンダルチアに対して、アルストルはニコニコとした笑顔で返し口を開く。
「お~、よくぞ聞いてくれたね~。ずばり、勧誘だよ」
「勧誘って言うと、何の?」
またしても首をかしげるアンダルチア。
しかし、先ほどと違ってアルストルは真剣な顔になって言葉を出した。
「ボクのお父様、カルタ―カン王国のサダン王は重病にかかって余命も短い。そこで、ぼくも含めた九人の娘たちで王位を争うことになったんだ。でも、残念なことにボクらは全員母親が違ってね、ものの見事に意見が九等分、それに伴って王宮内の派閥も九等分さ。そこで……そこでね、あの~……」
急にアルストルは真剣な顔つきから一変してモジモジとし出す。
それを見かねてアンダルチアはついつい声をかけてしまう。
「どうかしましたか?」
「い、いや~、そう言うわけじゃなくてね、アハハ~。あの~、ボクについてくれる貴族があんまりいなくって~、ボク負けちゃいそうなんだよね~、アハハ~」
苦笑ばかりの声は弱弱しく、今にも消えそうなろうそくくらい頼りがいがない。
「だから、君の力が必要なんだよ! ……まあ、ボクの後ろ盾がいないのは、ボクの性格が原因とか散々言われてるけどさ! 全く、余計なお世話ですよ~だ、べ~」
プンプンと、頭から煙を出してアルストルは話す。
「アハハ~、ボクってば愚痴ばっかりで全然君の言うこと聞いてなかったね~。それで、どうかな? ボクの手、取ってくれる?」
アルストルは手をアンダルチアに伸ばす。
アンダルチアはその手をじっと見て口を開いた。
「何のために王位をかけて争うんですか?」
「……民のためだよ」
即答だった。
互いに真剣な目つきをしている。
その迫力に控えていた屈強な男もたじろいでいる。
「民のため……」
反芻して思いなおす。
――今更ここに残ってどうする?
ぼくは所詮無力だぞ。
こんな瀕死の重病人を囲ってどうする?
じゃあ、見捨てるか?
いや、そういうわけじゃ……。
じゃあ、残って戦うか?
他の姫君と?
いや、それは貴族と戦うってことで、つまるところ……。
「ボクの、王権殺しの剣になってくれよ」
その声は、弱弱しく、まるで姫君が出すような声ではなく、ただ一人の助けを求める少女の声に過ぎなかった。
いろいろな思考を張り巡らせた結果、アンダルチアは一言言った。
「こんな老兵が役立つならば……」
伸ばされた腕はがっちりと掴まれていた。
「えへへ~、やったぁ~。断られたらどうしようかと思ったんだよ~。あ、これから少佐って呼んでもいいよね~。退軍してるとか野暮なこと良いからね」
トン、とアルストルは荷馬車から降りる。
はい、そう手を伸ばして笑顔をアンダルチアに向ける。
アンダルチアはそれを掴んで荷馬車から降りた。
「悪い、まだここでやる仕事があったみたいで、王都から出るのはまた今度にするよ」
「あいよ、じゃあな。元気でな」
アンダルチアはおじいさんに申し訳なさそうに言って荷馬車を見送った。
そしてアルストルの方に向き直ると、眼前に広がる屈強な肉体を目にする。
先ほどから控えていた男が目の前にいるのだ。
腕を組んでこちらを威嚇するようにガンを飛ばしている。
腰には四本の剣先が異様に細いナイフらしきものが、ホルダーに付けられている。
護衛と言うには軽薄な格好で、鎧を着るでもなく何か防具らしきものを付けている様子もない。
どちらかと言うと、これでもかと動きやすさに舵を切っている服装に見える。
「お前が少佐か」
「ぼくのことを知っているのか?」
腕組みを解除してゆっくりと口が開かれる。
「オレはそう言うの興味ねえよ。ただ、あんだけ街を賑わせりゃあ、どんなボンクラの耳にだって入るだろうがよ」
「どうもと言っていいのか……何と返せばいいのか」
男は蓄えられたひげを弄りつつ、口角を上げてアンダルチアを見る。
見られた当の本人は困惑の顔を見せ、どうしたものかと今にも頭を抱えそうな勢いであったが。
「お前、強いのか?」
「やるのか? 嫌だぞ」
「そんくらいわかってるっつーの。お前がいたのは軍で、個人戦は出来ねえって話だろ?ってなるとだ、なおさら何で姫さんがお前をスカウトしたんだっつー話よ?」
好戦的な笑顔を向けられたアンダルチアが即答で返すと、男は再び腕を組んで左上に目を向けながら首を傾げた。
「少佐を仲間に加えたのは~、ずばり、ナッちゃんの進言だね~。いや~、だって私達意外と統率力ないじゃん? いや、まあ、ボクが皇女としてみんなを率いていけないのが問題とか言うかもしれないけどさ。頑張ってるもん! ボク頑張ってるね? ね?」
「ま、そっすね」
急に話に入ってきたアルストルの同意に、慣れた手つきで肯定の言葉を発し男は流した。
「あ、それでね~? 少佐にはボクらの軍師になってほしくてね~。いや~、ボクのところ、裏方と戦闘要員しかいなくてね~。あ、裏方って言っても占い師だからね~。少佐とその裏方の子で頑張ってもらうことになるかな~」
アハハ~とアルストルは笑いつつ、人差し指を出して指をさす。
指さした先には馬車があるものの、馬が暴れており、いかにもやばい、と言った雰囲気を漂わせている。
「今からあれに乗ってボクらの家に帰るからね~。準備は任せるよ、ジュラ君」
「はいはい、任されましたよ」
ジュラと呼ばれた男はアルストルが指さした馬車の方に向かって歩き出し、馬をなだめ始めた。
「あ~、そうそう、そう言えばジュラ君のこと話してなかったね。フルネームは、ジュラバラン・ウスカオラオブ。ボクの護衛を任せてるよ。多分~、本気でやったら少佐といい勝負できるんじゃないかな~?」
「それはぼくの過大評価してるんじゃないんですか?」
「いやいや~? そんなことないと思うけどな~。だってナッちゃんの激推しの人材なんだよ? あ、ナッちゃんって言っても分からないよね~。アハハ~、ボクってば早とちりなんだから~。まあ、そう言う事色々馬車の中で話すから、よろしくね~」
そのまま手を引いて馬車に連れていくアルストルに対して、アンダルチアは何の抵抗も見せずに、馬車に乗り込む。
そしてその中で、魔法使い、護衛、メイド、占い師――と言うよりは発明家――、そして、剣士がいることを教えてもらった。
どんな名前で、どんな見た目で、どんな人柄で……。
ガタンと大きな音を立てて馬車が止まったかと思うと、アルストルがアンダルチアの腕を引いて馬車から降りる。
「ここが今日から君の家だよ~」
アルストルの背に見える建物を見上げてみると、外装からしてとんでもない物件だという事がわかり、思わずうぇっ、と困惑の言葉が口から洩れる。
「あ、やっぱり~?な~んか、みんなそんな反応するんだよね~。まあ、見た目からして分からなくもないけどさ~。いや~、だってね? 聞いてよ? ここは王都にギリギリ入ってるのに家賃が安くて、それに王都外に出やすいんだよ? あ~、そこ、カルタ―カン王国の端から端までどんな小さな村の意見でも漏らさず聞きたいから、遠征費がかさんで九姉妹の中で一番お金がないとか言わないの!」
「別に金がないことが悪いことなんで誰も言わねえっすよ。あ、お前姫さんと報酬の話したか?」
僻み始めたアルストルに迅速に対応しにやってきたジュラバランが、急にこちらを見て、アルストルの方に向き直る。
「あ~、その件なんだけどね~、少佐~。ボク、お金なくって~……あっ、でもでも! しっかり衣食住は保証するし、王様になったらそれなにの官職与えるし~……だ、ダメかな?」
「……あ~、もし、お姫様がご即位されたら、官職とか要らないので五十枚金貨ください」
報酬の話になって、あたふたと自分の身のことを話して大したものは用意できないけど、との前置きを置いて説明するアルストルに対し、冷静にアンダルチアは人の心のない要求を突き付けた。
「あ、後払いってこと? ……けど、そんな金でどうするの? まあ、それくらいあれば楽な仕事だけで生きていけるとは思うけども」
「ぼく、王都での市民権がないんで、買わないといけなくて……」
「……お前それどういうことだ?」
「えっ! それ今すぐ解決しなきゃいけない問題だよ。……えっと、ボク今手元に五十枚金貨あったかな~?」
アンダルチアがお金の用途を説明すると、それを聞いた二人は驚きのあまり少しの間、言葉を失っていた。
しかし、しばらくすると麻酔が解けたかのように、その驚きを言葉で表現した。
「あ~、まあ、軍を退軍したのでその退軍金として金貨百枚があるのでそこは問題ないですよ。まあ、ほんとはこんなところ出ていって田舎の小さな村で金貨百枚で六十年くらい暮らすつもりだったんですけどね?」
「金があるなら問題ねえんだけどよ」
「そうだぞ~、ボクたちをびっくりさせるな~。……って言うか少佐が市民権持っていないなんて前代未聞だよ~」
「ハハハ、ぼくだってなんでこんな事になってるのやら……」
笑って見せているものの、アンダルチアは心ここにあらずという目をしている。
――人生プランが狂った……とは言い難いけど、まあ、数年間の暇つぶしが出来てワンチャン金が帰ってくるなら悪くない、か。
尤も、相手が相手の可能性もあるし、死ぬリスクだってあるわけだけども。
まあ、この姫君のもとが危なくなったら逃げるなり、殉職なりで何でも起こるままになるだけか。
自分の身の事だけを考えて、さもそんなことを思っていないかのような笑顔がアンダルチアには張り付いていた。
しかし、いきなりであった人に仲間になれと言っても信用も何もないのは当然であるのだが。
「まあ、立ち話もなんってやつだし、一旦家に入ろうか~」
「そっすね。暖かい季節って言っても残雪があって寒く感じることもありますし」
ジュラバランが家の扉を開け、アルストルが家に入ってアンダルチア、ジュラバランと続いて家の中に入る。
家の中に入ると、右手側の一人のメイドが目に入る。
「おかえりなさいませ、お嬢様。ジュラバラン、何か異変は?」
「ないっすよ。だって姫さん五体満足でぴんぴんしてるっすよ?」
素早くアルストルに対して頭を下げてお出迎えし、顔を上げたかと思うとジュラバランに対して鋭い眼光を向けて問いただした。
「こらこら~、リンちゃんもっとみんなと仲良くしてって~」
「失礼しました、お嬢様。しかしながら、恐れ多くも申し上げますは、あのボンクラどもはお嬢様を軽視しすぎかと存じます。どいつもこいつも礼儀、作法がなっていない、それこそお嬢様の臣下にはふさわしくないかと……」
「え~? そうかな? アハハ~、だって貴族なんて信用できないし、元々ボクのことをそんな信用をしてくれる人なんていないし、そもそも王宮にボクの居場所なんてなかったんだよ。それなのに今はボクの考えに賛同してくれる人がこんなにいるんだよ? こうでもしなきゃボクは王位聖戦に勝てないんだよ? ボクの判断間違っていたのかな?」
「……そんなことねえだろ。早くこんな勝負蹴りつけて姫さんが正しかったこと証明するぞ」
「……今日だけはあなたの言い分の賛同します、ジュラバラン。そうです、お嬢様。私が言いすぎました。申し訳ございません」
「……いや、まあね~。王族としてどうなんだって言うのはずっと言われてきたし今更って感じもあるし……勝ってみんなと納得させればいいんだよ~、その通りだね~」
ヤバイ雰囲気を感じ取ったのか、ジュラバランが飛んでリンライフィードとアルストルの間に入って話を仲介し、その場をなだめた。
「そう言えば、お嬢様、そこの見ない顔が新入りでしょうか?」
「あ、そうそう~、そうなんだよ~。彼が新入りのアンダルチア・アンタレス少佐だよ~。ナッちゃんの薦めで勧誘したんだけどね~。いや~、これでいよいよボクらも王位聖戦で戦えそうな感じしてきたよね~」
リンライフィードとアンダルチアが目が合うと、リンライフィードはアルストルに事の詳細を尋ね、再び
アンダルチアをにらみつける。
しばらく眼を飛ばしたのちにリンライフィードはアンダルチアに高圧的な態度を見せつけた。
「貴様が新入りか。まあ、お嬢様が見込んだ男、と言うのならば私は納得せざるを得ない……しかし、貴様は一番の新入りであることを忘れるなよ? 一度でもお嬢様に敵意を向けてみろ? この私が貴様の胴と首を切り離し、目玉をえぐって獄門をしたのち、烏の餌にしてやるからな?」
アンダルチアは向けられた鋭い視線に背筋を張るものの、ジュラバランやアルストルはいつもの事かと気にした様子ではなかった。
リンライフィードは言葉を鋭く言い放った後、玄関から右手側の扉を開けて入って行った。
その後、アンダルチアがアルストルに、これからどうしましょうか、と声をかけようかと体をアルストルの方に向けた時だった。
玄関から正面の階段からキイィ~と音を立てて何かが下ってくる音がした。
「貴様が、アンダルチアか?」
赤い服で全身を覆ったかなり身なりのいいように見える男がこっちへ向かってきていた。
彼の名前は、セイ・キギリネル。
凄腕の剣士で、なんでも自分から売り込みに来て臣下を志望したとか。
剣の腕はカルタ―カン王国でもトップクラスで、負け知らずとまで称えられた逸材らしい。
「外へ出ろ、貴様はオレが斬る」
「は? え? な、いきなり何言ってるんだよ⁉」
突然指をさされて宣戦布告をされたアンダルチアは、困惑のあまり短い文字しか口から出ず、全く状況が掴めない状態に陥る。
その一方でセイはにじみ出る殺意を隠しきることなく、いや、もはやわざと出すかのようにこちらに殺すという視線を送ってきている。
「セイくんさ、ボクだって強い人と戦いたいって気持ちはわからんでもないけどね? いきなり一応これから家族になるっていうお客さんにそうやっていきなり戦闘を仕掛けるのはよくないと思うよ?」
「わかってないな。こいつはオレが斬る。こいつが果たしてその名に合うものか、オレは甚だ疑問だ。官位を持っている取るに足らんやつなど、ごまんとオレは見てきた」
セイはアルストルの冷静な静止に対し、あくまで冷静に返し、アンダルチアとアルストルの間を通って家の外に出る。
アンダルチアは、困惑した顔のままアルストルの方を向いて、何も言わずどうしようか、と尋ねたそうな顔を見せると、アルストルは首を振ってやめておいた方がいいよ、といった顔をする。
「セイくんはそう言うところあるからね~」
「ちなみにオレもああやって戦闘を仕掛けられた。負けちまったけどな」
いつもの事、と流す二人に反して、アンダルチアは家の外に出たセイに悪い気がしてならなかった。
と言うよりはむしろ、いかなければならないように思えた。
――なんか、気持ちが悪いな。
心臓に毛が生えてそれが逆立っているかのような……いや、表現下手だな。
行くしかない、のか。
無意識のうちにそう思っていた。
アンダルチアは右手をぺリースに隠された腰に下げた日本刀にかけて、今しがたくぐったばかりの玄関口を再びくぐる。
外は、何もない荒原が広がっており、この家はまさに街のはずれ、と言うにふさわしい光景が広がっていた。
家から少し離れたところにセイが左腰にかかった剣の鞘に左手を置いて佇んでいた。
「止められなかったのか? 彼らにばかばかしいと」
「言われたよ?」
アンダルチアを目にとめて、剣の鞘を右手で握り臨戦態勢となったセイはアンダルチアに質問を投げた。
あまりに冷静な顔に、アンダルチアもふざけた表情一切なしに冷静に食い入って即答する。
「そうか」
セイの口角が上がりニヤリと笑う。
その笑顔は不気味と言うよりは、安堵、期待と言った様子だった。
しかし、次の瞬間、セイの目には怒りが映っているように見えた。
「ならば、遠慮はない。アンダルチア・アンタレス」
思い切り土を踏んでこちらに飛び掛かってくる様子はさながら虎の狩りのよう。
わずかな数秒すら感じられないほど、切迫した雰囲気の中で集中しても追いつかないほどに機敏に動くその姿は、明らかに人間業であるとは思えなかった。
――見えねえって。
流石に早すぎる。
これは五合打てたら褒めてほしいくらいだよ、ねっ!
実際の時間にしてわずか六秒、アンダルチアの体感時間にして約一秒にしか感じられないほど、早い一撃がアンダルチアの眼前に放たれる。
ぺリースを大きく羽ばたかせ、思い切り剣を引き抜きセイの剣に狙いを定め、当てる。
カキンッ! 普通だったら剣と剣——金と金の交わる音はそんな音がしただろう。
しかし実際に鳴ったのは、ガンッ! と言う鈍い音だった。
いや、それは決してアンダルチアの体が斬られた音ではない。
セイの剣が、錆びていたのだ。
「どんな剣してるんだよ、君の剣⁉」
「驚くのも無理はないだろうな。驚かないやつなどいなかった。どう思う、オレの剣を。この剣は剣士に相応しいか否か」
驚きのあまり、剣を持つ手から力が抜けてしまい、押し切られると思った矢先、セイはバックステップをとり距離を引いた。
そして、刀身を顔の近くに持ち上げてこちらにまじまじと見えるようにしてこちらを見た。
「――だが! オレはあえて言わせてもらおう。オレは剣士だとな」
「その剣じゃ、大したものは切れないと思うけど」
「斬るのではない、引き裂くのだ」
苦笑が混じりながらアンダルチアから出た言葉に対し、セイはきっぱりと言い切って返した。
――何を考えてこんな剣を握っているのか分からないぞ。
いつ折れるか分からないあんな剣を……。
魔法か? 不壊の魔法、なんてあったか?
いや、どのみち聞いてみないとどうしようもないか。
如何せん知識が乏しいか。
知らないって言うのは恐怖だな。
やりずらいことこの上ないぞ。
「お披露目会は終わりだ。治癒魔法と替えの服を準備しろ」
「まだ負けるって決まったわけじゃないけれど」
「御託はいい。どのみち今から三手で殺す」
スッと姿勢が低くなったかと思うと、右足に力を込めてまた力強く土が踏まれる。
先ほどと何も変わらない速さの機敏性は、もはやどこに攻撃が来るか、それを読む脳内当てゲームに等しい。
――詰まるところ運ゲー。
きついのは相も変わらず、いやむしろVSアンダルチアでぼく側に五分ついたことがない。
――じゃあ、無理?
そう諦めるのはまだ早いよ。
ガンッ! 鳴ったのはさっきと同じ鈍い音。
「やっぱり? 撃ちたいよね、ぼくの左側に」
「仕留め損なったか。速さについてこられなければ貴様に勝機はないが、読みはどうやらいいらしいな」
「左目、見えないの知ってんだろ?」
「ああ、もちろん。よく知っている、鬱陶しいくらいにな」
剣を弾き返すと、もはやセイの姿はそこになかった。
次の一撃が来る、セイがアンダルチアの後ろを通ったことが感覚的にわかったため、すぐに迎撃の体制に戻る。
シュンッ! と風を切る音、時折宙に浮く土地面に映る影、急にそれらをアンダルチアは感じ取る。
今までそれらに集中していなかったのだ。
視界の端々に見えた気のする赤色を追って、しまいには左腕も左目もないから左を狙うという読みに賭けて剣振るった。
――早いことは早いな、やっぱ。
着眼点さえよければ、いけるっぽい。
どこから来るか、読めるぞ!
土の跳ねる方向が変わり、風を切る音がなくなった。
――音の最終地点は、右後ろ!
振り返りざまに振るった剣が錆びた剣とぶつかり、ガンッ! と鈍い音を立てた。
――よし、当たりは完璧、ここからどう展開するか、このチャンスで決める。
その業、見破ったり、と口角が上がったアンダルチアは先ほどと違う何かをここで感じる。
――剣が、軽い?
セイの振るった剣は、アンダルチア同様右手一本で握られており、セイの左手の行方は既にアンダルチアの頭部の右側で控えていたのだ。
――魔法か⁉
そう思い立った時にはすでに遅く、セイは何やら口を動かし詠唱を始めている様子だった。
アンダルチアは詠唱に集中し始めたその瞬間、片手一本で支えられてアンダルチアと鍔競り合いをしているその錆びた剣を弾き、セイの手のひらに日本刀の柄頭の部分を押し付ける。
「これで、魔法は撃てないな」
「それで勝った気になるなど笑止!」
次の瞬間、セイがサッ! と地面を蹴り上げたかと思うと、アンダルチアの上を軽々しく飛び越えた。
その時に、セイの錆びた剣の剣先はアンダルチアに向いており、まるで剣が目の前から投げられているかのようだった。
セイの左手のひらの柄頭を当てていたため、とっさにアンダルチアは剣をうち返すことが出来ずに、左足を一歩右に寄せて体幹をずらし避けるほかなかった。
しかし、セイの攻撃はこれだけにとどまらず、セイを目で追いかけ後ろを振り向くと、まるで龍のごとくこちらに突進してくる。
――さっきよりは安い。
すでに視界に捉えているんだ。
ここでカウンターを決める。
アンダルチアが剣を振るう。
血が流れた。
アンダルチアの攻撃が当たったわけではない。
セイがアンダルチアを斬ったのはない。
セイの錆びた剣先は、アンダルチアが剣を弾こうと上向きから振り下ろしたのとは全く逆で下に向いており、その剣がアンダルチアの右の太ももに刺さっているのだ。
「引き抜く時が地獄だ」
セイがアンダルチアの太ももに刺さった剣を引き抜くと、錆びによってできた大小さまざまな凹凸がアンダルチアの肉を抉った。
錆びた剣の剣先から約五㎝、鮮血に染まったそれは輝いていた。
アンダルチアは、ぐわぁ、だのうわぁ、だのとあまりの痛さから剣もその場に置き捨てて、うめき声をあげてその場に倒れる。
その様子を見ながら、セイは吐き捨てる。
「オレの負けだな。三手で決まっていない」
「勝ちは勝ちだろ、自分で自分縛る意味ないって」
いたたた、とうずくまって傷口をおさえるアンダルチアは、セイを見上げ疑問を呈する。
「あ、一つ聞いていい?」
「ああ、構わんが」
「それ、日本刀?」
既に納刀を終え、剣の柄の部分だけが見えているセイの剣を見て、アンダルチアは言った。
「……ああ、あの人は大切そうにそうと言っていたな」
「そう、やっぱり? ……あのさ、とりあえず肩持って家まで運んでくれない?」
「いいだろう。尤も、オレは貴様を仲間とも、その強さも、その官位も、人となりも認めないがな。ただ、目的は同じだ。今は、味方と認めてやろう」
アンダルチアの剣を拾い、アンダルチアの右手を引っ張り立たせ、肩を貸して納刀まで手伝いつつも、一切目を合わせないでセイは独り言のようにつぶやいた。
右足を引きずり、肩を貸してもらって歩くアンダルチアは無様と言うほかなかった。
玄関口からこちらに向かって来る二つの影は、こちらから見ると逆光で後光が差しているようだった。
一つの影はニヤニヤしながら、もう一つの影は頬を膨らませてご立腹の様子。
――いやぁ、ぼくは戦いたいって言うから付き合ってあげた、だけなんですけどね?
「ぼくの負けだね」
「オレの負けだ」
眼前の小さな影が歩みを止めた時、二人は同時に声を発した。
その小さな体に似合わぬように、頬を膨らませ、腕を腰に置き、むぅぅ~、とうねり声をあげて誇張して見せる。
「勝ち負けとかじゃないから!」
「ああ、そうだ。問題は勝ち負けじゃない。こいつが仲間に足る力があるかどうかだ」
「そう言うことじゃないの~‼」
アルストルがプンプンと怒るっているのにもかかわらず、セイは一つも態度を変えなかった。
「お前足刺されてんじゃねえか! ひっどい傷だな。リンのやつに後で手当てしてもらえよ」
「……そうしたいけど、怖いから自分でやるよ」
ニヤニヤしながらついてきたジュラバランはアンダルチアの傷をじっくりと見る。
「オレの時は止めてくれなんだがな。切られるったぁ、お前も運が悪い」
「貴様の時はオレの気分が良かっただけだ」
「ありゃ、そりゃどうも」
ジュラバランの言葉に反応してセイが相変わらずの目つきを向け言葉を返す。
玄関から家に入る直前、アルストルが足を引きずって体勢が低くなったアンダルチアの耳元にボソッと他の人に聞こえないように声を出した。
「……で、本気出してないよね、少佐?」
「……さ、さぁ? ぼくは勝負で全力を出さないのは相手に失礼だと……」
「ん~、そっか。じゃあ、また今度見せてもらうね~。期待してるよ~、少佐」
一瞬だけいつもと違う口調、それも圧が入ったように思えたが、アンダルチアが一言返すといつものフニュッとした口調に戻っていた。
――本気を出していない、ねえ。
ぼくの本気なんてきっとたかが知れていて、それで出したとしてもきっと勝てない。
だからきっとこの力は出しても意味がない。
……時間稼ぎにも向かないしな。
家に入ると、大変不服そうな顔をしたリンライフィードに迎えられる。
「けがの手当てと部屋に案内します。ついてきてくださ……ついてきなさい」
丁寧な口調でしゃべり始めたリンライフィードは、アンダルチアの顔を見るや否や態度を急変させ、クルッとそっぽを向いて歩き始めた。
「顔だけで嫌われてんのかよ、お前」
耳元に口を寄せてジュラバランは、リンライフィードに聞こえないようにアンダルチアに耳打ちする。
「ボク自分の部屋に戻るから、リンちゃん後頼んでいいかな?」
「はい、お嬢様。お任せください」
玄関から入って正面にある階段を上り、アルストルは右に曲がって自室と思われる部屋に入った。
それ以外のみんなも同じように階段を上って自室へ入って行った。
「さ、行くわよ」
ぶっきらぼうに言ったリンライフィードは階段を上って左手側、手前から3番目の部屋にアンダルチアを案内した。
部屋の内装は、キレイ、と言うか何もないというのが正しくて、小さなクローゼットと机といす、ベッド以外には何もなかった。
「ここに座りなさい」
肩を貸していたリンライフィードは、肩を貸すのをやめ椅子をとりに行ってアンダルチアを一人にする。
しかし、アンダルチアは痛みをまるで感じないかのように歩き椅子に座った。
「貴様痛くないのですか? なら処置はしなくて済むのですが」
「いやいや、めちゃくちゃ痛いよ? でも兵士が傷を受けたからって『助けてぇ~』なんて声出すわけないじゃん? すごい必死に我慢してるんだよ、ぼく」
「あっそう……じゃあ、消毒しますねー」
興味なさそうな声を出した後、リンライフィードは棒読みでそう宣言してアンダルチアのズボンをめくり消毒液をかける。
「いってぇ」
傷口から消毒液がしみて思わず声が出る。
――昔から消毒液は嫌いだ。
なぜ、痛い所に痛みを感じるものをあてるのか。
そのあと、リンライフィードはアンダルチアの傷口に包帯を巻いたりして処置は終わった。
「やぶれてますね」
「……え、勝負に負けてだっさ、って意味?」
「……無様ですね」
「なんだよ、今の間。それと『あ、その手があったかぁ』みたいな顔するのもやめろ」
リンライフィードは、少し間を置いた後こちらを蔑む様な目をした後、一瞬アンダルチアが指摘したポンと手をたたいて納得したような顔をする。
「まあ、勝負に敗れた敗者の貴様の話なんかどうでもいいです。問題はそれ、その服の方です。一体破れたその服をどうする気ですか? まさか、そのまま放置する、なんて言わないですよね? お嬢様の臣下であることの自覚を持ってほしいものです」
「う~ん、時間見つけて自分でやるかな」
「貴様がやると縫い目が見えて貧相な感じが出るに決まってる。貴様が頭を下げてどうしてもと言うならやって上げないこともないですけど……?」
「お願いします」
即答した。
完全に見下した目をしたリンライフィードは、しばらく色々言ってやろうか、と思案するような顔をしていたが、その顔が一気に崩れる。
――まあ、メイドって言うくらいだしそりゃあ、まあ、さぞすごいんだろうし任せた方がいいよなぁ。
実際頭下げる程度で面倒ごと押し付けられるんだったらありか。
「貴様プライドはないのですか?」
「ないね。長い物には巻かれろって軍人時代に教わったばかりですし」
「……しょうがないので今回はやって上げます。決して動くことがないように? 動いたら針を貴様の血管から心臓まで送ったのちそれを糸で一気に引き抜いてその針で貴様の目玉をくり抜いたのち、池に投げ捨ててあげます」
「はいはい、分かりました」
こちらを刺すような目で睨んだのち、リンライフィードは、どこからともなく糸と針を取り出して破けた服の修繕を始める。
しばらく、と言うには短い時間でリンライフィードはアンダルチアにできました、と声をかける。
「早くない? それに……縫い目が見えない。完璧じゃん」
「私にかかればこの程度、造作もないです」
先ほどまで剣で貫かれて穴が開いていたズボンは、ほぼ戦闘をする前と同じ見た目まで戻っていた。
「それじゃあ、私はこれで」
ぶっきらぼうに言ってリンライフィードは部屋を出ていった。
バタンと勢いよく閉められた扉が当たってもいないのに痛く感じて体が仰け反った。