さよなら、ダークヒーロー.3
反射的に出た言葉だ。そこに勇気はない。自分のなかに住んでいる、自分とよく似た人影に背中を突き飛ばされたにすぎないのだ。
半信半疑で聞いた雪姫のアドバイスは、アドバイスした張本人である雪姫さえも驚くほどの効果があった。
話し上手より聞き上手。
そう言って不敵に微笑んだ雪姫が、僕にくれた助言はたったの三つ。
一つ、話しかけられたら、とにかく相手のほうを向き直る。
これは、話を聞く気があることを相手に示すためのものだ。
二つ、相手の質問には相槌をしてみせたり、頷いてみせたりすること。
これも、話を聞いているアピールだ。
三つ、可能であれば、相手の言葉を繰り返してみること。
これについて、一体何のためにするのか雪姫に尋ねたところ、人間は自分と同じような行動、発言をする相手に自然と親しみを覚えるものなのだと教えてくれた。
ミーラリングだなんだと言っていたが、正直、あまり細かいことは覚えていない。
重要なのは、それらを意識して会話するだけで周囲の反応が変わったということだ。
一言、二言言葉を交わして去っていたクラスメイトたちが、その場に留まって自分の話をしてくれるようになったのだ。
流行のファッション、音楽、ストリーマー、ドラマ、インフルエンサー…。
正直、僕にとってはあまり興味をそそられない話題だった。しかしながら、段々と友人っぽい振る舞いをしてくれる人間が増えていくのは、こう…言葉にし難い高揚感があった。
「よかったじゃない、友だちができて」
教室での変化を雪姫に語ったら、そんなふうなことを涼しい顔で言われた。
「いや、まだ友だちと呼べるレベルじゃない。これからしっかり仲良くならなくちゃ」
「ふぅん」
僕の感想を聞いて、雪姫は片眉を上げる。
「どっからどこまでが友だちだとか、夕凪は決められるの?」
「え…?それは、まあ…信頼できる人間って、感覚で分かるもんじゃないのか?」
「さあ、知らない。あ、言っとくけど、『友だち』の定義付けは私以外の誰かとやってよね。面倒だから」
そんなことは、お前には頼まない…という言葉は飲み込んだ。
雪姫と出会って一月ばかりが経ったが、彼女について分かったことがいくつかある。
まず、彼女『も』クラスにおいて孤立している。
共に行動する友人もいなければ、すすんで雪姫に話しかけるクラスメイトもいない。自分なんかより、よっぽどクラスにおいて浮いている人間だった。
とはいえ雪姫は僕と違い、そうした環境を自ら望んで作っているようだった。そうでなければ、クラスメイトから雑談を振られたとき、無視したりはしないだろう。
こうした態度について、僕も雪姫に質問してみたことがある。
『どうして、あんなふうに周囲の人間を邪険にする?恨みでもあるのか』…と。
そうしたら彼女は一拍おいて、『そうかもね』とだけ自嘲するみたいな顔で答えた。
深く掘り下げることもできずに僕は、彼女の拒絶的な横顔を見つめた。
なぜ、孤独を好む北宿雪姫という人間が、僕に接触を図ったのだろうか…と考えたことも一度や二度ではない。
その度に、僕が行き着く答えは一つだ。
(僕が彼女と同じ、クラスで孤立した存在だったから…)
口にしたって、素直に雪姫は認めないだろう。そんな純朴な人間じゃないことは百も承知だ。
「なあ、北宿」
少しだけ心の距離が縮まった呼び名で彼女の名前を呼ぶ。
どういう風の吹き回しか、今日は少しだけ雪姫の内側に踏み込んでみようと思った。
「北宿は、僕に友だちができて、こうしてここに来なくなっても平気か?」
口にしてから、しまった、と思った。こんなことを言えば、雪姫は鬱陶しがるか、汚物でも見るような目で僕を見るのは明らかだと思ったからだ。
しかし、彼女は僕の想像とは裏腹にとても驚いた顔をしてから、ゆっくりと青天井を見上げ押し黙ってしまった。
怒っているとも、悲しんでいるとも読めない表情に、僕はその沈黙を受け入れるほかなかった。
「そんな仮定の話、あんたに一人でも友だちができてから言いなさいよ」
結局、彼女がしてみせた返答は予想通りではあった。ただ、その間に横たわった雄弁な静寂は、僕にいつもの皮肉を口にさせることを躊躇わせるには十分だった。
「…そうだな」
雪姫と同じものを見るため、僕は首の角度を上げる。
空にはもくもくとした雲があちこちに散らばっていた。
もうすぐ、春も終わる。
梅雨がくれば、こうしてここにはいられないかもしれない。夏になれば、この場所は灼熱の棲家になるからなおのこと。
だったら、今のうちに言うべきなのかもしれない。
僕と、友だちにならないか…と。
だが、それを言う勇気は、僕の中にはないのだ。
僕は、しとしとと雨が降る音に耳を傾けながら廊下を進んでいた。
途中、クラスメイトの何人かが僕を見て、「また明日、夕凪さん」とはにかんでくれたから、律儀に足を止めて手を振った。それだけで彼女らは嬉しそうにしてくれるから、ありがたいことだった。
未だに、友だちという友だちはできていないけれど…連絡先を交換するようなクラスメイトは何人もできた。
雪姫曰く、『それは友だちなんじゃないの?』とのことだったが、僕から言わせてみればそれは違う。
ゲームやアニメ、小説で出てくる『友』というのは、真なる理解者だ。
上辺だけの理解ではなく、心の底から相手のことを理解し、尊重し、対等にぶつかり合う。少なくとも、こちらのことをほとんど何も知りもしないような存在ではない。僕はそう思っている。
実際、僕が大好きだったダークヒーローもそうだった。
誰にも心を開くことのなかった『彼』に、主人公は真っ向から、ありのままでぶつかっていく。
もちろん、数えきれないほど衝突するが、最後には『彼』も友と認める。…まぁ、最後は『最期』でもあるのだが…そうした残酷な運命に導かれるのもまた、『彼』らの魅力ではある。
とにかく、だから彼女らは僕の『友だち』ではないのだ。
梅雨のある放課後、僕がそう熱弁すれば(ダークヒーローのくだりは伏せている)、雪姫は呆れたような顔でこちらを凝視してきた。
「夕凪、あんた、こじらせすぎ」
「なんだと」
雨垂れの音をBGMに、僕は雪姫と屋上の一角に座り込んでいた。小さいが、一応屋根がある場所なので二人寄り添って座れば濡れずに済む。
弊害があるとするなら、雪姫の棘のある言葉を至近距離で聞かなければならないこと、そして、時折、彼女の甘い匂いに目眩がしてしまいそうになることぐらいだ。
「こじらせてなどいない、普通だろ、普通」
「普通じゃないわよ。真の理解者って…誰よ、それ。いるわけがないじゃないの。そんな奴」
真っ向から否定されて、僕はムッとする。
「いるかもしれないだろう」
「どこに」
「…これからできる友だちとかだ」
「はぁ」と短いため息と共に雪姫が肩を竦める。「夕凪、青い鳥症候群って知ってる?」
「知っている」
たしか、青い鳥を求めるみたいに、どこかに自分の理想とする人物や環境があると信じ、あてもなく探し求めることだったはずだ。
「僕がそうだといいたいのか」
「そうよ」
躊躇なく、彼女は頷いた。
「そんなレベルの人間を求めてるから、いつまで経っても友だちができないのね。あーあ、哀れだわ、あんたも、あんたの取り巻きも」
「取り巻き?」脈絡のない発言に顔をしかめながら首を傾げると、雪姫は少し考えるふうに唸って、「なんでもないわ」と一方的に告げる。
それからしばらく、僕と雪姫は『友だちとはどうあるべきか』を議論した。
『友だち』の定義付けはよそでやれと言っていたわりに、彼女は真剣に意見のやり取りをしてくれた。
拒絶的な台詞や乱暴な表現の多い彼女だが、なんだかんだいって世話好きなのである。
こうした姿を他の人間にも見せれば、整った容姿も相まって、少なくとも一定層からは好かれるだろうにと思うが、雪姫がそれを望まないようだったから、僕も何も言わないことにしていた。
ややあって、僕たちは互いの意見がどこまでいっても平行線であることに気づいた。
「とにかく、夕凪は『普通の』友人関係を学んだほうがよさそうね」
「ふん、言ってろ。いつか僕に『真』の友だちができたら、減らず口も叩けなくなるだろうからな」
そう吐き捨てて彼女を睨みつけたところ、雪姫は目を細め、じっとこちらを見つめてきた。
怒ったか、と様子を窺う。しかし、普段のように攻撃的な言動を見せる様子はなく、彼女はただ、黙っていればクラスの誰よりも美しい顔を悩ましそうに歪めるばかりだった。
どうした、と瞳だけで尋ねれば、雪姫はすっと目を背けてから己の指先を重ね合わせ、俯いた。
そこにある種の悲しみというか、哀れみを覚えた僕は、無意識のうちに、言わずにいようと思っていた言葉を発していた。
「北宿が僕の友だちになってくれよ」
口からこぼれ落ちた言葉は、外で繰り返し降り注ぐ雨と似ていた。
天から落下すれば、二度と戻れない。
時が来て、乾き果てるまではそこにいるが、その後はもう駄目だ。
「嫌よ」
間髪入れずに返ってきた言葉は、僕もどこか予測していたものだった。
「そう言うとは思ったがな…一応聞かせてもらおう。なぜだ?恥を忍んで頼んでいるんだぞ」
「なぜも何もないわ。ただ、あんたとは友だちにはなれないってだけよ」
それは、雪姫がクラスメイトらに向けるような冷たい拒絶の言葉とは少しだけ違っていた。
雪姫の猫みたいに大きな瞳のなかに、諦観の嵐が見える。
枯れ木をへし折ろうとする、凶悪で無慈悲な風だ。それを受けて強く上下にしなる枝が脳裏に浮かんだ。
「僕のこと、嫌いか」
「そういう問題じゃないの」
「だったら、いいだろう。今のは結構、勇気を出して言ったんだぞ」
僕はそうして小さな嘘を吐いた。
反射的に出た言葉だ。そこに勇気はない。自分のなかに住んでいる、自分とよく似た人影に背中を突き飛ばされたにすぎないのだ。
何度かのやり取りの後、とうとう雪姫は露骨に嫌な顔をした。
「うるさい、しつこいわよ」
引き際か、という気持ちと一緒に、苛立ちが鎌首をもたげる。
気を遣ってやった、とは口が裂けても言えないが、指先三寸ほどはクラスで孤立している雪姫のことを考えて言ったつもりだ。まあ、それを伝えればありがた迷惑と一蹴されることだろうが。
「もういい、分かったよ。少なくとも僕が、お前の友だちの定義に当てはまらないのは理解した」
僕は明らかな落胆と共に、虫でも払うかのように片手を上下に動かす。
「だがな、だったら僕は思うんだ。友だちでもない奴にこうして放課後付き合わされることを、北宿は迷惑してるんじゃないかとな」
そうは口にしながらも、僕は雪姫がたいして迷惑がっていないことは察していた。
北宿雪姫は典型的なエゴイストだ。
やりたいことをやり、嫌なことは嫌と断じる。
それは相手が誰であったって揺るぎはしない。実際、クラスの人気者に声をかけられても弾き飛ばすし、教師から諌められても、それが気に食わない内容であれば鋭い視線で反感を示し、言うことを聞かない。
彼女はいついかなるときも『個人』だ。
…そこにはある種、僕が憧れた信念さえ垣間見えることがある。
少し前から僕が忘れようと、捨て去ろうとしている孤独な光だ。
だから、僕は別に雪姫が嫌がっていないことなど自覚していた。そのため、彼女が弾かれるようにこちらを向いて発した言葉に驚かされた。
「め、迷惑なんてしてない!」
必要以上の声量に、びくっ、と肩が跳ねる。雪姫も同じ感想を抱いたのか、小さな声で、「ごめん」と謝罪しながら俯いた。
ほんのりと赤らんだ頬に、僕はしばしの間、見惚れた。
やたらと背が伸びた僕と違って、華奢で小柄な骨格が、庇護欲をそそる。
「だったらいいんだ。僕のほうこそ、試すようなこと言ってすまない」
そのまま肩でも叩こうかと思ったが、鬱陶しがられるな、と考え直してやめる。
雪姫は少しの間、抱えた両膝の上に顎を乗せて、遠くを見つめていた。
雨に穿たれ続けるアスファルトの上、水たまりが際限なく波紋を生み出している。水面に映った空は当然のことながら、醜い鉛色だ。
すると、不意に雪姫が首だけでこちらを見た。
言葉にし難い言葉を象る視線の動き…その真意を探ろうと真っ直ぐ雪姫を見つめ返していると、桜色の唇が小さく開閉した。
「あくまで、役ならいい。なってあげる」
「え?」
何のことか分からず、僕は頓狂な声を上げる。そうすれば、彼女はムッとして唇を尖らせつつも、頬を染め語気を強めた。
「だから、友だちの話!『友だち役』なら、なってやってもいいって、そう言ってんのよ!もう、鈍いわね、夕凪!」
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