さよなら、ダークヒーロー.2
黒々とした双眸だった。夜の闇を思わせる黒の中で瞳がきらきらと光るから、どうしても星みたいに見える。
僕は雪姫にしつこく尋ねられて、ノートの詳細を明かすことにした。
もちろん、友人や恋人を作りたいと願った経緯は語っていない。
その点も雪姫は執拗に訪ねてきたが、僕が真面目な顔で、「人には誰しもが事情というものを持っている。そこに土足で踏み込むのは品がないぞ」と忠告すれば、思いのほか彼女は素直に引き下がった。彼女なりに思うところがあったのかもしれない。
一通りの話を聞き終わった雪姫は、あろうことか、「ふん」と鼻を鳴らすと、僕が大事に抱えたノートを指差しこう言った。
「それでそのノートの中身ってわけ?小学生じゃあるいまいし、もっとまともな内容にしなさいよ」
これには、また僕も沸騰しかけてしまう。
「僕なりに調べた内容に上から目線でケチをつけるな」
「僕なりに調べた?どうやって調べたのよ」
「それは…」
「まさか、ネットだなんて言わないでしょうね」
図星を突かれて口ごもれば、雪姫は呆れて肩を竦める。
「そんなことだろうと思ったわ。…しかも、意味の分かんない情報のピックアップの仕方だし。そんなんじゃ、何の役にも立たないわよ」
「なぜだ。僕は合理的だと思った部分を――」
「どこが合理的なのよ。ちょっと、そのノート見せなさい」
「えぇ…」
「いいから!」
雪姫は先ほどの失敗を反省していないのかと思いたくなるような手付きで再びノートを奪い取ると、右手と左手に半分ずつ持った状態で座り込んだ。
色々と言いたいことはあるが、しょうがなく僕も対面に腰を下ろす。
彼女は短い内容に一通り目を通すと、何か考えを巡らせるように目を閉じた。
長いまつげ、筋の通った高い鼻。ほんのちょっとだけ空いた桜色の唇。閉じられた瞳は大きく、猫を連想させた。
その顔を見ていると、どうにも落ち着かない気分にさせられる。漫画とかでよくある、キスシーンに似ているからかもしれない、と自分で分析しつつ、それをはぐらかすために僕は雪姫に質問する。
「北宿はどうしてこんなところに?」
「…クラスメイトのあんたが、立入禁止のはずの屋上に消えていくのが見えたからよ」
「それで後をつけてきたのか?わざわざ?」
「…うるさいわね、今、考えてるの。邪魔しないで」
雪姫にそう突っぱねられた僕は、不服に思いながらも反論したい気持ちをどうにか抑え、心配してくれたのかもしれないな、と都合よく考えた。
そのうち、雪姫が瞳を開いた。
黒々とした双眸だった。夜の闇を思わせる黒の中で瞳がきらきらと光るから、どうしても星みたいに見える。
ぴっ、と指が一本立てられる。白魚のように白く細い指だ。
「しょうがないから、いくつかアドバイスしてあげるわ」
「別にいい」
「友だち、欲しくないの?」
挑発的な笑みと共にそう尋ねられると、簡単には却下できなくなる。
僕が無言でいることを肯定と捉えたのか、雪姫は喜々として口元を綻ばせるとありがたい助言を並べ始める。
「どの目標も、『それができたら苦労はしない』って内容じゃない。せめて、そのためにどんなことをするのかを書きなさい。分かる?結果目標じゃなくて、行動目標よ」
てっきり小馬鹿にされるのかと思っていたら、思いのほか真面目な顔つきでそれらしいアドバイスをしてきて、僕は驚いた。
その気持ちをそのまま伝えると、彼女はつり上がった目元をさらにつり上げ、「人の努力を笑ったりしないわよ。なに?そんなに性格悪そうに見えるわけ?」と僕を睨みつけてきた。
残念ながら、という言葉は飲み込む。だが、表情に出ていたのだろう。雪姫は不愉快そうに顔をしかめた。
「ふん、まあいいわ。とにかく、現実可能な内容にしなさい」
「どうして北宿さんに決められなきゃいけないんだ」
「友だち、欲しいんじゃないの?」
「そのための手段をそこに書いている。余計なお世話だ」
今までみたいに皮肉を口にしてしまったところ、雪姫は顔を歪めてからノートを僕に押し付けるように渡した。
「あっそ!だったら好きにすればいいわ」
そう言って体を反転させた彼女は、ぴたりと屋上の入り口で足を止め、億劫そうにこちらを振り返った。
「あんた、どうせ友だちできないわよ。言っとくけど、これは予言じゃなくて警告だから」
ドン、と錆びた扉が閉じるより早く、雪姫の姿は屋内へと消えていった。
僕は彼女の残した言葉に釈然としない苛立ちを抱えながら、半分に千切られたノートを見つめた。
それができたら苦労はしない…。
ふと、雪姫の言葉が頭をよぎる。
悔しいが、確かにそうだ。
いくら鏡で練習しても、笑顔は上手に作れない。仏頂面のドッペルゲンガーがいるだけ。
当然、何を話したらいいか分からないから自分から声をかけるなんてできないし、無論、盛り上げるなんてこともできない。
分かっている。それができたら苦労はしないことなんて。
だけれど、今の自分に必要なことなんて、それ以外思い当たらなかった。適切な友だちの作り方なんて、誰も教えてくれなかったのだ。
僕が北宿雪姫にありがたい忠告を受けてから一週間ほどが経った頃。僕は、雪姫を屋上に呼び出して、その白く端正な――しかし、酷く冷酷そうな顔と向かい合っていた。
「なによ、こんなところに呼び出して」
「…相談したいことがある」
恥を忍んで話を切り出すと、雪姫はすぐに勝ち誇ったような面構えをしてみせる。
そうして、『ほら、私の言ったとおりでしょ』とでも言いたげな顔のまま、彼女は僕に続きを促した。
「へぇ、何のことだか分からないけど、言ってみなさいよ」
「白々しい…」
思わずこぼれた言葉に、雪姫が眉をひそめる。
いけない。機嫌を悪くされると、話がさらに面倒になる。
僕は一度咳払いしてから、以前、雪姫が言ったように、友人ノートに記載された目標は土台無理のあるものだったことを認めた。
「ほら、私が言ったとおりじゃない」
「…こっちも思ったとおりだがな」
脈絡のない返しに小首を傾げた雪姫を軽く流すと、僕はグラウンドからは見えないフェンスの足元に腰を下ろした。
話が長くなりそうだと思ったのか、雪姫も隣に腰を下ろす。隣といっても、そこには人三人分ほどの隙間がある。
「この間、現実的な内容にしろと言ってたな」
「ええ」
「それについて、詳しく教えてくれ」
そっぽを向きながらそう頼むと、雪姫は挑発的に微笑んだ。
嫌な予感がするには十分な表情だ。
「いらないって言ったじゃん、あんた」
「…」
「友だち、できてないんでしょ」
オブラートに包まれていない発言にため息が出そうになる。正論であれば何を言ってもいいとは限らないのではないか。
僕は言葉にし難い感情を抑えるために、ざらりと足元のコンクリートを指でなぞった。
春風が運んできた砂の感触と、コンクリートの素材が生まれ持つざらつきにため息をこぼす。
「…ふん、人の警告を無視するからよ」
「人を指でさすな。いいから、教えてくれ」
雪姫はまだ何か言いたそうだったが、僕のげんなりした顔に気づいたからか、そこで小言を言うのをやめて、この間の助言の続きを説明してくれた。
「まずね、一部の目標が結果目標なのよ。分かる?『こうなりたい』っていう結果が書いてあるの。そうじゃなくて、そうなるためには何ができるか――行動目標のほうを書かなくちゃ」
「なるほど…。具体的にはどうなんだ」
「そうね…。『会話を盛り上げる』なんてのが分かりやすいわ。どうやって盛り上げるつもりなの?」
その問いに、僕は口をつぐんだ。
「何も考えてないの?」
「失敬な、考えているよ。…面白いことを言う、とか」
「うわぁ」
雪姫の哀れみと嘲りを含んだ苦笑に、僕は思わず相手を睨みつける。
「おい、なんだその顔。僕だってユーモアの一つや二つくらい言えるぞ」
彼女は肩を竦めると、綺麗な指先を真っ直ぐと向けてきた。
「はい、じゃあそれやってみて」
「え?」
「やれるんでしょ」
「う…」
二人の間に長い沈黙が横たわる。
自分には難しいことを察しているくせに、雪姫は次のリアクションを何も起こそうとはしなかった。おそらく、こちらがやるまでそうしているつもりだろう。なかなかに意地悪だ。
やむなく、僕は思いついたことを口に出す。
「北宿さんの名前、キラキラネームだよね」
「はぁ?」一瞬で空気が凍った後、ぐっ、と雪姫の目元が吊り上がる。「私、この名前嫌いだって言ったわよね?なに、あんた、煽ってんの?ぶっ殺すわよ」
物騒な脅し文句にぴったりの凶悪な顔に、僕はがらにもなく縮こまりそうになって、すっと視線を逸らした。
雪姫はしばらくの間、視線だけで人を殺せそうな眼差しをこちらに向けていたのだが、たっぷりと罵詈雑言を吐き捨てたことで多少は溜飲が降りたのか、最後に舌打ちを残して本題に戻った。
「とにかく、これで分かったわね」
「なにがだ」
「ユーモアの欠片もないあんたに、その目標は無理ってことよ」
正直なところ、未だに腑に落ちていないところはあったのだが、これ以上、彼女の怒りの炎に油を注ぐのは危険だと判断し、僕は渋々頷く。
話は振り出しに戻り、僕は雪姫にどうしたらいいのかを率直に聞くことにした。
雪姫はさらさらの髪を指先で軽く弾くと、「夕凪、あんた、自分から話しかけるのだって難しいでしょ」と尋ねてきた。
そんなことはないと否定したかったが、さっきの二の舞いになることを恐れ、僕は素直に肯定する。
「だったら、答えは簡単よ」
そう言って胸を張る雪姫は、少しだけあどけなく僕の目には映った。
彼女のことはほとんど何も知らないが、僕はその瞬間にようやく、雪姫とクラスメイトであることをリアルに感じた。
「話し上手より、聞き上手よ。夕凪」
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