グラジア侯爵領の探求
次に目を覚ました時は、窓から夕日が差していた。
寝すぎたと思って自らの身体を見下ろすと、若干ではあるが全体的に縮んで……いや幼くなった。
今日は一度も魔力の消費をしていなかったから、身体に出てしまったようだ。
私の身体は魔力が多く、今でも増やそうと身体が勝手に容量を広げようとしている。
普通の魔力を持つ者と違い、私の身体では抱えきれない程の魔力を持ち続ける為に自らの身体に影響を与えなければ保てないのだ。
魔力が増える事を止めることは出来ない。
だから私は消費して少しでも幼体化を止めなければならない。
「何にするか……」
ベッドから離れて近くに何かないかと探ると、ディアナのカバンから空の小瓶を見つけ、その中にゆっくり魔力を濃縮させて詰め込んだ。
小瓶の中にたぷたぷと液体のように揺れる自らの魔力を眺めた。
透明な水のようなそれにコルクで詮をしてテーブルに置く。
少し軽くなった身体を伸ばしてから見渡すと、まだ誰も帰ってきていないのは分かったが、カバンなどの荷物が寝る前までと変わらない位置にある。
あれから誰も帰ってきていないのか……
寝る前に話していたガルムの顔を思い出し、猛省した。
いくら身体が不調だったとは言え、自分の対応は間違っていたんじゃないかと思う。
正直、ガルムは何故あんなにも苛立っていたのか分からない。
だけど、もっと違う対応をしていたら結果は変わっていたのではないか……いや、更に怒らせたかも。
「変に謝ればまた怒らせてしまいそうだわ」
あえて触れずにいようと決めて、皆の帰りを待っていたが、夜になっても誰も帰って来なかった。
みんなで夕飯でも食べているのかな……なんて考えながら待っていても、やはりみんな帰って来ない。
私だけ置いて出て行った……と考えはしたが、荷物がある時点でそれは考えにくい。
今回の宿屋の部屋は大部屋で、ベッドも6つある。武器など必要なもの以外の荷物はみんなここに置いていた。
しかも金貨の入った袋もランドールが置きっぱなしだし、手切れ金にしては多い気がする。
もちろん他の皆はちゃんと財布を持っているから、ランドールが一人じゃなければお金に困ることはないはず。
手紙を届けてる。そのお礼に一泊させてもらってる……っという事にしよう。
さっきガルムに言われたばかりだから、勝手に出たら怒られるだろうし。
私は再びベッドに潜って不貞寝した。
しかし、朝になっても皆帰ってきた気配がなかった。
「……お腹空いた」
戻った身体には安心したが、胃はぐるぐると音を鳴らしてご立腹だ。
昨日は机にあったパンを食べたけど、今日はもう食べ物は何もない。
ご飯の買い出しって事なら許してくれるだろう……そう思ってランドールの金貨を一枚拝借して部屋を出た。
宿屋の受付で呼び止められて金を払うように言われたので、連泊するからと金貨を渡したら、銀貨9枚がおつりで返ってきた。
肩に掛けていたカバンの中に銀貨を入れて宿屋から出ると、まだ朝だからか人が疎らで、露天も開いているのは数件だけ
私はマートルと行った店に向かうと、先に買い物をしている一人の男を見つけた。
燃えるような赤い髪……グレアだ。
グレアは既に私を見つけて、人好きする笑みを向けてヒラヒラとこちらに手を振っていた。
逃げても仕方ないか、と諦めてグレアに近づく。
「おはようさん」
「おはようございます」
挨拶を交わしてから互いに見つめ合うが、グレアはニコニコしながら持っていた紙袋の中からリンゴを出して渡してきた。
「朝飯まだでしょ? あげるよ」
「……ありがとうございます」
リンゴを両手で受け取ると、そのままフード越しに頭を撫でられる。
びっくりしたが、私は動かず黙って受け入れた。
「ちょっとは警戒しなよ。ここ最近は物騒な奴らも多く入り込んでて、君みたいに可愛い娘は簡単に拐われちゃうよ」
頭から手が離れたのでグレアのほうを見上げれば、蒼色の瞳が細めて口角を引き上げられた表情は、明らかに悪いことを企てていそうな顔をしていた。
「……気をつけます」
そう返事をして立ち去ろうとしたが、グレアはローブを引っ張って
「待って。せっかくならマートルの訓練でも見て行きなよ……きっと喜ぶよ」
何を考えているのか分からないがリンゴをもらったし、それくらいは付き合うか。
恐らく、グレアはまだ私と一緒に居たいのだろう。
私の何を知りたいのか分からないが、彼は昨日同様にずっと警戒の色を漂わせている。
ローブから手を離してから、私は大人しくグレアの横を歩いた。
「あっ、ルルシア! 来てくれたんだね!」
公園に着くと、マートルが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「あれ、グレアと一緒にきたの?」
「何だよ。俺が市場で見つけたから連れてきてやったんだ。感謝しろよ」
「まさか無理やり連れてきたのっ?」
「同意の上だよ。なぁ嬢ちゃん」
「は、はい」
先ほどのように警戒はなく、マートルに対して親しく話していた。
マートルは私と向き合い
「来てくれて嬉しいよ!」
「はい……えっと、訓練、頑張って下さい」
「うん!」
ベンチまで案内されてからマートルは再び人集りのなかに入っていく。
私の座わる横でグレアも座り、ニコニコしながら
「マートルは君の事がとても気に入ってるようだね。見る目があるなぁ」
私は黙って聞き流していたが、グレアは更に
「マートルはね、グラジア侯爵家の三男なんだよ。」
あのマートルが……貴族のようだとは思っていたが……まさかグラジア侯爵の子息とは
ではあの屋敷はグラジア侯爵の屋敷だったのか。
「嫁ぎ先としては最高じゃないかな。今の内に仲良くなっておいて損はないよ」
嫌な言い方をする人だ。
しかしどうやらグレアは私とマートルをくっ付けたいという事なのか。
「……すみません、私はそのようなお方だと知らずに近付いてしまったのですね」
辞退します。と心の中で断りながら少し後退りすると、グレアはニヤリと横目で見下してきた。
「君って魔力が多いんだね。俺よりあるんじゃない?」
聞きたいのはそこか。
しかし彼よりも魔力が多い人間は沢山いる。彼が分かるのは自己より下の者だけだ。
私の魔力量が分かる人間は、魔術師どころかこの国の誰にも分からないだろうと自負している。自分でも分からないくらいだからね。
「分かりますか?」
目を反らして聞き返せば、隣からクックッと笑い声が漏れていた。
「分かるさ。これでも国営の魔術学校を卒業してるからね」
国営……一般市民が通う中でもレベルが高い学校だったはず。
私が通っていた貴族専用の高等魔術学院とは違うが、国営でも平民の中でも特に優秀な者しか入れないはずだ。
「凄いですね。あの学校を卒業されるなんて」
「そうさ。だから俺は侯爵様に力を買われてマートルを見てるわけ」
なるほど、だからマートルの危害になる人間かもしれないから尾行してきたのか。
しかし昨日見ている限り、マートルには体術や剣術等の訓練はしていても魔術を教えている姿は一切ない。
当然だ。マートルには魔力が全くないんだから
「マートルを見て何か思わないか?」
私はマートルのほうを見つめた。
頑張って鍛練する姿は素晴らしいと思っていると、痺れを切らしたグレアから
「気付かない? 魔力がないんだよ」
さらりと言われた。
私はグレアのほうに視線を向けて見つめ返す。
「見た目からしてまだ学校にも通えてないから分からないかもしれないけど、全く無いんだよ」
再びマートルのほうを見つめて、私は黙ってグレアの話を聞く。
「グラジア侯爵家は代々魔力の高い魔術師が多い。だけど必ずしも子どもがそれを受け継ぐかは別だ。マートルの兄三人は魔力もあるがその量は俺と大差ないらしい」
そういえば、学院に通っていた時も貴族の魔力減少傾向について論文が出されていたっけ。
平民の魔力所有人口のほうも年々減っているが、貴族のほうが実は深刻なのだとか……
誰かが言ってたな……魔力と血筋は必ずしも
直結しない、とか。
「マートル自身も気付いてるから体術や剣術に力を入れてる。俺はそれでいいと思ってるが、侯爵様の考えは違うんだよ。まだ成人していないから魔力の発現もあり得るはずだとね」
あぁ、一時期出ていたニュースにあったな。
とある平民の子どもが成人になる少し前に魔力がある事が分かったとか。
ただ私が思うに、あれはあくまでも魔力を見つけたのがその時であって、ずっと前からあったものを最近見つけたに過ぎないのではないかと。
生まれながらに、魔力のあるなしが決まっている。
その量の上下は成長過程で分かってくるが、量を増やす技術は存在しない。
「マートルにとって何が幸せか考えれば、ほっといてやればいいのに……侯爵様は期待してるんだよ、魔術師としてのマートルをさ」
グレアはマートルを見ながら皮肉に笑っていた。
彼なりにマートルの事を思っているのだろう。
「ただまぁ、ちょっとしたお節介をしたかったんだ。マートルの初恋を応援したかったし、その相手が魔力の多い子ならマートルの立ち位置も少しは安定するかと思ってね。今じゃ貴族とか平民とか関係なく結婚出来るからさ」
色々ぶっちゃけ過ぎだが、マートルにとっては悪い人ではなさそうだ。
私は重く閉じていた口を開いた。
「……私はマートル様と一緒にはなれません」
「そんなすぐに答えなくても」
「私の結婚は、親が決めるので……私にはその権限はありません」
「何それ、君って良いとこお嬢さん?」
「はい」
「ふーん、話し方から商人の子どもかなって思ってたけど、旅商人とかじゃなくて結構な豪商なのかな?」
「……詳しくは言えませんが、似たようなものです」
「そっか……でも君の親だって貴族と結婚出来るほうが莫大な利益になるだろう? なにせあのグラジア侯爵家だし」
「そうだとしても、私の親は魔力のない方との婚姻は絶対に受け入れないでしょう」
我が伯爵家も魔力のあるなしに厳しい。
ましてや魔力量の多さに今も尚釣書は届いているだろうし、それを両親が吟味しているのも知っている。
私の身体が元に戻ると知ればすぐにでも縁談を持ちかけてくるはずだ。
「……どこの親も同じか」
呆れるグレアに、私は頷いた。
「魔力が無くても、多くても……子どもは苦労するんだな」
そう言ってグレアはベンチから離れて人集りのほうに向かった。
「けど、最後まで見てけよ。マートルの為に」
私はそれを見送ってから、再びマートルの訓練の様子を見つめながらもらったリンゴをようやく食べ始めることが出来た。
「ねぇルルシアっ、良かったら今日一緒に町を回らない?」
訓練の後、マートルは汗を輝かせてキラキラした瞳と笑顔を向けて誘ってきた。
「えっと……私は」
「それいいじゃん。俺も着いてくわ」
横から顔を出したグレアが言葉を遮る。
断りたいんだけど……というか皆を探したいのに。
「グレアは来なくていいから!」
「何言ってんの。俺はマートル坊っちゃんの用心棒だろ?」
それで色々事情も知ってる訳ね。
グレアが付けていたのも身元確認の意味があったのか。
「それにさ、マートルが嬢ちゃんに変な事しないか見張らないといけないからな」
「なっ! 俺はそんな事しないからっ、グレアと一緒にしないでよ!」
マートルがおろおろして私を見ていたので、私も何も言えずにいると、グレアがニヤニヤしながら
「そういう事だから、三人で行くぞー」
私に拒否する権利はないのか……
皆、勝手過ぎるよ。
「ここは焼き菓子が美味しいんだよ!」
いつの間にか手を繋がれ、マートルの案内によって色んな店の説明を受けた。
「はい、良かった食べて!」
そして買い渡される。
私はそれを後ろのグレアに渡して持ってもらう。
「マートル、買いすぎだぞ。嬢ちゃん困ってるだろ」
「え、そうなの? ごめんねルルシア」
あわあわして焦るマートルに、私も
「沢山頂きましたから、もう十分で……」
「じゃあお土産はこれくらいにして、今度は観光スポットを紹介するよ!」
再び手を掴まれて歩き出すマートルに、私はただただ着いていくしかなかった。
あぁ、帰りたい……
中央の広場から離れ、とある要塞の壁である石積の壁面の前に来た。
一見普通の壁面だが、一部色違いの石積があり、後から造られた跡があった。
「ここは“アルデュールの戦い”で壊された場所なんだよ」
マートルが壁面に触れながら話始める。
「騎士アルデュールが他国の侵略を食い止めた場所なんだ。彼は一人で立ち向かい、100人の敵と戦い、グラジア領を守ったと言われているんだ」
騎士が100人と戦って守りきれるものなのか疑問に思ったが、昔話というのは人伝に語られるもので、いつの間にか話が大きくなってしまったのだろう。
私も壁面に近づいてよく見ようとした時、壁の向こうから微かにディアナの気配がした。
それだけじゃなく、何かドンドンと音がする。
壁に耳を近付けてよく聞こうと思ったが、壁が厚くてよく聞こえない。
「どうしたの、ルルシア?」
「壁の向こうから音が……」
そう言い終わる前に、私は何かによって壁から離された。
腰に巻かれている腕に気付いて見上げると、何故かグレアが壁を警戒して睨んでいた。
グレアの逆の腕にはマートルもいたが、すぐに腕から離れて腰に下げていた短剣を抜いて構えた。
壁から離れたのに、ドンドンと鳴る音がよく聞こえた。近付いてきている。
だけど魔力の気配じゃない。
向こう側にディアナの魔力の気配しか分からないが、グレアやマートルは別の何かを感じとっているようだ。
「……嬢ちゃん、ちょっと俺の後ろにいて」
グレアは私を下ろすと、前に出て警戒していた。
私はよく分からず後ろに下がった。
音が近付くにつれて、一定ではない地鳴りをこちらにも感じとれたが、グレアもマートルも動こうとしない。
「マートル、お前は援軍を呼びに行け」
「ここまで派手に音を立ててたら呼ばなくても向こうから来るでしょ」
「確かにな。じゃあ嬢ちゃんを連れて安全な場所に……っ!?」
グレアの言葉を遮るように、警戒していた壁が動きを見せた。
壁の一部が石から砂へと一瞬で変わり、バフッと落下して砂ぼこりが舞う。
その砂ぼこりが落ち着くと、二つの人影が現れ、よくよく見れば体格の良く、顔の似た男が二人、半裸の状態で壁の内部へと侵入してきた。
半裸の身体は傷跡だらけだが、古傷ばかりで怪我はしていない。
かろうじてズボンを履いているが、そのズボンもぼろぼろだ。
彼らは不思議そうに辺りを見渡していた。
「何者だ」
グレアが問うと、二人の男のうち黒髪ほうが先に答えた。
「私はタルク・ダグラと申します」
丁寧にお辞儀までしている。
隣の癖のある茶髪の男も前に出てお辞儀しながら
「私はサマル・ダグラと申します」
こちらも丁寧な言葉遣いをしていた。
違和感が残る中、グレアは警戒を緩めることなく問い続ける。
「何しに来た?」
黒髪の男はお辞儀から顔を上げると、そこには強い意志をもつ目をして
「無論、話し合いに参りました。」
答えてすぐに、高い壁面が上から砂へと変化して落ちて来た。
その崩壊に紛れて二人の男はすぐに動き出す。
砂ぼこりの中に見える人影が二人だけじゃないことに気付いても私たちは身動き取れずにいた。
壁の外から何人も入ってきている影は見えているが、何故か何人も入ってきているのに私たちに攻撃してくる気配がない。
人の流れを気にしつつ、私はグレアたちから離れて壁の外に向かった。
砂を足を取られそうになりながら外を確認しながはディアナの気配を辿る。
近くの森の中にいる。
そう思って走ろうとした時、後ろから肩を掴まれて止められた。
「危ないよルルシア!」
マートルの声に振り返れば、グレアも周りを警戒しながら
「無闇に動くな。まだ敵がいるかもしれないんだ。安全な場所に……」
「でもっ、仲間がこの森に居るんですっ」
マートルの手を振り払い、私は駆け出してディアナの気配を辿る。
その気配はすぐ近くにあり、そこにはディアナとローウェンがいた。
「ルルシア! どうしてここにっ!?」
驚く二人を見れば、ディアナの身体は砂で汚れていたが負傷している訳じゃないようで、ローウェンも疲れているだけで身体の不調は見たところ無さそうだ。
「ガルム様とランドール様はどこへ?」
「……なんでルルシアがここに?」
聞いてすぐに森の奥から二人が現れた。
二人とも私が居ることに驚いていたが、急にガルムが私の後方を警戒する。
「ルルシアっ!」
追いかけてきたマートルとグレアが着いてきて、マートルが私を抱き寄せて皆から離された。
そしてグレアが前に出て構えている。
「あの、この方たちは私のっ」
「嬢ちゃんの連れ……にしては物騒な奴らだな」
グレアは魔力のあるディアナやランドールよりもガルムやローウェンを警戒していた。
「人攫いか? 嬢ちゃんの魔力を利用しようって輩か」
何か勘違いしてるのか、グレアは色々言って挑発していた。
というか、四人相手に勝てると思っているのか?
「人攫いはどっちよ。ルルシアは私たちの仲間よ、早く離しなさいガキが」
他人に苛立ちを露にしているディアナを初めてみたが、マートルに凄んでいる目は据わっていて怖い。
マートルも回す腕にギュッと力が入っていた。
「あのっ、本当に私の仲間でっ」
「ルルシアちゃんから離れなさいっ! いつまで抱きついてるつもりよっ!」
ローウェンの声に掻き消された。
何とかならないかとランドールのほうをみたが、ランドールもグレアを警戒していた。
ガルムに関してはいつ切り込むか様子を見ているのが伺える。
うーん……どうすればいいんだろう。
「マートルっ、それにグレアも止めるんだ!」
急にガルムとランドールの後ろから現れた新たな人間に、マートルとグレアは驚いた。
「父上!」
「サルバドール様!」
暗い中から現れた中年の男性は、マートルと同じ髪色と瞳だが少しぽっちゃりした体型をしていた。
なんでこんな所にグラジア侯爵が?と思ったが、侯爵がいたことで、お互いの警戒が少し薄れたようだ。
「……近くに小屋がある。皆で話をしよう」
侯爵の声に、皆従い、少し歩いた場所に小屋……とは言えないほどの立派な二階建ての一軒家が姿を現した。
私以外の皆は疑いなく入っていく。
私は正直入りたくないのだが、マートルが「大丈夫だよ」と笑いかけられて、複雑な気持ちでマートルに腕を引かれて中に入った。
広いリビングの中で、グラジア侯爵はマートルと共にソファに座り、後ろにはグレアが。
その向かいのソファにランドールとディアナ、その後ろにガルムとローウェンが立っていた。
私はというと……
何故か左はマートルが、右はディアナに手を引かれて揺らされていた。
「ルルシアはこっちよ、あんた離しなさいよ!」
「あなたみたいな乱暴な人にルルシアを渡せない。あなたが離して下さい」
ディアナも侯爵家の令嬢だもんね。
家格は五分だもんね、言いたい放題だよね。
「俺のほうに座ってよ!」
「もう、早くこっちに来て!」
あぁ、面倒くさい。
そしてあまり揺らさないで……
すると、咳払い一つした侯爵が
「君は外で遊んで来なさい」
完全に子ども扱いされた。
まぁ、関わらなくていいなら出ていくかと緩んだ二人の手を抜け出して扉まで行ったが、それを横から止められた。
「あぁ、ようやく会えましたねぇ。ルルシア嬢?」
どこかで聞き覚えのある声に、私は見上げてその人を確認すると……あぁ、こいつは
「学院卒業後から行方知れずでしたがぁ、まさかこんな所で再会できるなんて……まさに運命ですねぇ」
深く被るフードを取って顔を出した男に、私は隠すことなく苦い顔で後退る。
葡萄酒色の紫の髪に、珍しい桃色の瞳は濁りを見せている。
中性的で整った顔立ちだった三年前よりも男性らしく無駄に色気を出していた。
そういえば、こいつはずっと私の前で魅了の魔術を使い続けていたな。
「どうです? 前よりも魅力的になったと思いませんかぁ?」
相変わらずねちっこい語尾も三年前まで嫌というほど聞かされた。
聞いているだけで胸焼けしそう。
「ハインツ殿、知り合いかな?」
侯爵の問いに、私の片手を掴んで顔を引き寄せてくる。
さすがにヤバいと、空いている片手で顔を離しが、そのままぬいぐるみのように抱き上げられてしまった。
「彼女は僕の学院時代からの親友です」
嬉しそうに言う男、もといハインツ・マルティンは嘘をつきながら私を紹介した。
マルティン伯爵家の長男だが美容魔術にハマって家督を次男に渡して高等学院に編入して入ってきた男だ。
在籍は1年しか被らなかったが、こいつは始めから私を付け回しては魔術の質問責めを繰り返していた。
教師に教えを乞えばいいのに、やたらと私に絡む。質問に答えられなかったり分からないとしても一緒に調べようと無理やり連れて行かれる。
ああ……私ってずっとこんな感じだな。
「学院卒業とは優秀なのだろう……ん? まさか……ルルシアというのはっ」
侯爵はソファから立ち上がり、私をじっとみてから徐々に戦慄き
「君があの……ルルシア・シュトレなのかっ!?」
驚きで止まっている侯爵に対し、マートルはよく分からない様子だが後ろのグレアは酷く驚いていた。
だが、そんな事はお構い無しのハインツは私を下ろして両肩に手を添えた。
「私の美の魔女であり、知性の魔女であり、実りの魔女であり……私の掛け替えのない初恋を奪った魔女」
魔女魔女うるさい……そして奪ってないよ。
「ああ、この運命の再会にどうか私にベーゼを……」
再び顔が近づいて、私は咄嗟に心の中で術式を唱える。
「ヴぅ……あぁ、これも久しぶりぃ」
酔いが回ったように頬を赤らめて気絶したハインツを尻目に、私は慌てて扉に向かったが侯爵に呼び止められた。
「待ってくれルルシア嬢、どうか君にも私の話を聞いて欲しいんだ」
嫌です。面倒くさいです。ハインツがいる空間に一秒でも出たいんです。勘弁して下さい。
心では拒否しつつ、私は「……はい」と返して、しぶしぶ部屋の片隅に行って聞く姿勢をとった。
「ありがとう」
そう言って、侯爵は話に始めた。
私はハインツを警戒しつつ、それに耳を傾ける。
始まりは1年前にグラジア侯爵自身が病気を患い、薬などの治療をしていたが一向に良くならなかった。
魔術師によって詳しく調べたところ、それは“呪い”の類いだと分かった。
魔術師曰く“呪い”は分野が違うので治療出来ないそうで、次に頼ったのは教会の聖職者による“聖なる力”による治療を試したが、それも効かず。
しかし今の国王陛下は学院時代から親しくしており、グラジア侯爵の事を気にかけて優秀な魔術師二人を派遣した。
一人がハインツ・マルティンだ。
ハインツは美容魔術に興味がある一方で、治療魔術は群を抜いて優秀な男なのだとか。
もう一人はマルセル・ルブタンという攻撃魔術に特化した者らしく、グラジア侯爵が伏せっている間に侯爵領を守ってもらう為に派遣されたらしい。
私はマルセルという人物に会ったことはないが、ルブタンとえば子爵でその家名があった気がする。
その魔術師によってここ半年は侯爵領は変わらずにしたが、最近になってマルセルが可笑しな動きを始めていると分かった。
「アリア殿のおかげで気付くことが出来たんだ」
は? アリアが?
あの他人なんて気にしない魔女アリアが?
グラジア侯爵が言うのだから何か助言したんでしょうが、代価を出せとか言ってそうだけど……
「だが、あまり動けない私に代わって軍事強化を勝手に始めて……」
軍事においてもマルセル自身が指揮をとり、今では海のほうに進軍して闘いに行こうとしているらしい。
グラジア侯爵の思いとは違う行動に、家臣たちも困惑していたが、異議を申し立てれないほど、マルセルという男が場を支配していた。
家臣でも魔術師ばかり集めた故にそうなったのだろう。
静かに聞いていたランドールが口を開いて
「私がここに来たのは次期国王のライオネル殿下からの手紙を渡しに来たが、サルバドール殿の話を聞いて、どうやら現国王によって引き起こされた可能性があると思ったんだ」
現国王陛下様……式典以外ではあまり表立って出てこない。
一度学院を最優秀で卒業したからと謁見の場を設けられた時も、陛下の表情は変わらないが内に渦巻く魔力は弱く怯えをみせていた。
そんな人がこんな事を引き起こしたのか、正直不思議ではあったが、歴史上でも家臣に言われて国が間違ったほうに動くこともあるし。
「私も友人を疑いたくはないが、彼の性格上あり得なくはない話だ」
グラジア侯爵はそれからランドールたちにアリアを送るついでに隣の領であるダグラ子爵領の戦士を集めて進軍して貰った。
あの壁を魔術で壊し、彼らを向かわせた。
交渉出来ればいい。無理ならばマルセルとそれに従う者を討伐してもらう予定だとか。
私が寝ている間に色々してたんだなぁ……なんて考えていると、倒れていたハインツがいつの間にか目覚めていて、私をジロリとガン見していた。
さすがに身体は動かないようで倒れたままだったが、私と目が合ったハインツはみるみる顔を紅潮させて嬉しそうにニヤニヤ笑っていた。
「はははぁ……ルルシアがいるよぉ」
気持ち悪い。
部屋の片隅にいるのでこれ以上逃げ場がなくて、失礼を承知でグラジア侯爵の隣に移動した。
近寄って気付いたが、グラジア侯爵からユリの花に似た匂いがした。
これはまた……なるほど。
「ルルシア嬢は愛されているのだな」
他人事のように話すグラジア侯爵に、私は目を向けてじっと見つめた。
グラジア侯爵の瞳に薄く濁りが混じっている。その濁りはグラジア侯爵のものとは違う色が混じっていた。
薄い紫色のそれがゆっくり漂っていた。
やはり……そうか。
「……グラジア侯爵様も、凄く愛されているのですね」
と返せば、グラジア侯爵は困ったように笑って見せた。
「そうかな……そうだと言いが……ぐっ、ゴホッゴホッ」
急に咳き込み、私は背中を擦ると手からピリピリと微弱な痺れを感じた。
私は心で術式を念じながら擦り続けると、グラジア侯爵は徐々に楽になる。
「……ああ、ありがとう。とても楽になったよ。君は大丈夫かい?」
「はい、少し痺れを感じましたが特には」
「君ほどの者ならその程度で済むようだ。他の者では痛みを感じるようだから」
「そうなんですね……では従者は魔力のないものを側に置いているのでしょうか?」
「必然的にそうなるな。やはり魔力がないからそのような痛みもない。有難いことではあるが……」
身の回りの警備が手薄になるのだろうか?
まぁ、マルセルという人がグラジア侯爵をどうにかするのはまだ先だろう。
まだ統率もとれているのかも怪しいし。
「……うぅん、やっぱりルルシアの術は効きが弱くてツラいわぁ……」
ふらふらしながら立ち上がるハインツに、私は嫌悪感をむき出しにして一歩下がる。
しかしハインツの表情はキリッと引き締めて、私を見据えた。
「それで、何か分かったんだろ?」
期待しているようだが、私も気になっていたことがあった。
「貴方は、誰に従っているの?」
雇われた先が現国王陛下なのだとしたら、迂闊に話など出来ない。
「私はいつだって強い者の味方だよ」
顔は笑ってみせているが……
「では、私の味方ではないという事ね」
「どうしてそうなるのさ、君はもっと自己評価を上げるべきだよ」
呆れたようにため息をつく。
「言いたくないのならいいわ。貴方とは二度と会わないようにすればいいだけよ」
「おぉ怖いねぇ、優しい君がそんな事出来る訳ないだろうに」
「あなたはもっと自己評価を下げるべきよ」
「そうしたら本当に君と二度と会えなくなっちゃうでしょ」
「……言うの? 言わない?」
ピリッとした空気の中で、ハインツはため息をついてから躊躇うことなく
「私はパトリシア王女様に言われてここに来たんだ」
そう言うと、近くにいたランドールが驚いていた。
パトリシア王女は現国王と正室との間に生まれ、第二継承権のある方だ。
私もお互いに小さい頃に会ったが、歳上の彼女は当時とても我が儘で癇癪持ちだった。
初対面で私の髪が欲しいと駄々を捏ねられたときは、さすがに周りの大人たちも引いていたな。
「王女様の考えは分からないけど、治してこいとしか言われてないよ」
それが本心かは分からない。
疑いの目を向けていたら、ランドールが急に入ってきた。
「大丈夫だよ。パトリシアなら……悪い結果にはならないはずだ」
随分信頼してるんだな……彼女も大人になっていたということか。
続けてランドールは私に
「今の会話から察するに、ルルシアは“呪い”を解く方法を知っている……というか?」
「いえ、方法は分かりませんが……とある古い文献の事を思い出しただけです」
くるっとグラジア侯爵のほうを向いた。
グラジア侯爵も緊張した様子で私を待っていた。
「グラジア侯爵様、過去や現在に愛していらっしゃる方はいますか?」
「……は?」
気の抜けたグラジア侯爵は、近くにいた息子のマートルの存在を少し気にしている様子だったが、私は続けて
「これは“呪い”であり、魔術でもあるかもしれませんね」
「どういう事かね?」
「愛している方と互いの魅了の魔力を移し合った事があったのではありませんか? グラジア侯爵様の瞳はその方の魔力で濁りを見せている」
ハッとして何か思い当たる事があるようだ。
「し、しかしそれは一時的なものだ。通常であれば自分のものではない魔力はすぐに消えるだろう?」
「そうですね。しかし別の物に移して互いに渡しあった。それを身体の中に取り込んだ……」
「な、なんでっ」
何故知ってるのかと言いたいのだろう。
随分と危ないことをしたものだ。
「勿論、それでも片方の気持ちが離れれば何もなかったでしょうが、今も尚お互いの想いは通じ合っている」
「何故わかる? 彼女とは既に疎遠になって大分経っている」
「それは、今グラジア侯爵がその方の病を分け合っているからでしょう。その彼女は未だに想いながらも病に伏せっている」
「そ、そんなっ……エルザがっ……」
信じられない様子で焦りを見せていたが、グラジア侯爵は私のローブにすがり付きながら
「どうすればいいっ、どうすればエルザをっ……」
「まずはその方の治療を薦めて下さい」
「そ、そうか、そうだなっ」
従者を呼んですぐに手紙を書いていた。
一番早いのはグラジア侯爵自身からその魔力を取り除くことがいいのだが、グラジア侯爵は彼女から貰ったそれを手放したくないのだろう。
いつの時代も“恋愛”というのは恐ろしいものだと改めて思った。