また会う日まで
「さぁ、話も纏まったことだし、ルルシアは私とお風呂に行きましょう!」
「え? はっ、えぇっ!?」
いきなりディアナがそう言うと、ローウェンの膝にホールドされていた私をスルッと抱き上げて拐うと、周りの声など聞かずにさっさと部屋を出た。
「そうだわ、ルルシアの服も揃えなくちゃね!」
「あ、あの、私は別にっ……」
「軍資金は沢山あるから気にしないで、最近お尋ね者の盗賊捕まえたばかりだから懐は潤ってるのよ」
ディアナは自らの豊満な胸をドンと叩いた。確かにディアナのそれは十分潤っているでしょうね……と自虐的に思いつつ、私は返す言葉がなかった。
宿屋から出て夜の町を見ると、昼とは違って夜営業している店が多く賑わっていた。
ディアナは服屋を見付けると私を抱えたまま入り、店員さんに子ども服を出すように伝えた。
「うーん、とりあえずコレとコレと……」
「そ、そんなに入りませんよ!」
「予備は必要でしょ? ルルシアのお陰で荷物が軽減されてるからこれくらい何てことないわよ」
結局、ディアナの独断で服と下着を決められた。それらを見ると茶色やうぐいす色などの地味な色合いのものばかりで安心した。
最後に、フード付きの濃い緑色のローブを追加で買い、丈を合わせてもらうよう注文していた。
明日には出来上がると言われ、ディアナは私をずっと抱えたままで荷物も片手に持ち、歩き始めた。
「私、降りますからっ」
「いやよ。ローウェンやランドールが可愛がってるの見てて羨ましかったんだから。私だってルルシアを甘やかしたいもの!」
「いえ、あの私はこんな見た目ですが16歳でして」
「あのババァが言ってたもの、知ってるわよ。でも可愛いものを愛でたいっていう気持ちに年齢は関係ないのよ」
それは貴方の考えであって私は違うんだけど……もういいや。
諦めて連れ去られ、温泉のある場所に行くと身体を洗いまくられ、一緒に湯に浸かる。
令嬢が人の世話するなんて珍しいなと思いつつ、完璧なスタイルと整った顔の美人の隣で、私はいつ上がれるのかとただ待つしかなかった。
ぐったりしながら宿屋に戻り、私は久しぶりに人と話したことで精神的に疲れ、ディアナが二人部屋のベッドの上に下ろされた時にそのまま眠ってしまった。
目が覚めて見慣れない天井をぼーっと眺めて聞き慣れない寝息?を聞きながら少しして慌てて起き上がれば、隣のベッドに眠る美しい令嬢のディアナが、その顔に似合わず口を開けて大きなイビキをかいていた。
美女にもこんな一面があるのね……なんて思いつつ、窓のほうへ視線を向ければ、そこにはまだ星が煌々と輝く夜空があった。
部屋にあった水差しからコップに水を移して一気に飲む。
ディアナの様子をチラッと見て、よく眠っていることが分かり、私は静かに部屋から出た。
隣の三人部屋の扉を見ると、ランドールは寝ているみたいだ。ローウェンとガルムの気配は分からないけど、時間的に見ても寝ているだろうと判断し、私は宿屋の入り口まで歩く。
受付に一人の男がいたがカウンターに伏せて寝ていたので、音を立てないようにこっそりと前を通り過ぎて宿屋を出た。
夜更け過ぎる時間のせいか飲み屋の2、3件はまだ灯りが灯っていたが、昨日のような賑わいも人通りもなくとても静かだった。
私は迷う事なくとある場所へと向かう。
人の少ない時間に町に来ることは何度かあったがこんな夜更けに来るのは初めてで、道の真ん中を堂々と歩けることで少し気分が良くなった。
しばらくくねくねと路地を辿りながら着いた場所は、いつも薬を買ってくれる家の前で、私は勝手口のほうに回って出入りの戸を8回ノックすると、かかっていた鍵がガチャリと自動で開く音を立てた。
私はいつものように中へと入れば戸が締まり、内側の鍵は自動でガチャガチャと音を立てて閉まる。
次に薄暗い部屋の奥から声をかけられた。
「こんな時間に珍しい……あぁ、ルルだ。ルルが来たんだ」
覇気のない若い男の声が発せられ、すぐに私だと分かると暗闇から姿を現した。
男は黒い癖のある長い髪をまとめることなボサボサのままで、磨かれていないアメジストのような瞳は鋭く細めて私を睨みつけていた。
黒い上下の服は所々焦げて穴があったり裂けていたりしているのに、洗濯を欠かさないのか生地自体はいつも清潔で汚れ一つない。
「こんばんは、私のルル。迷惑極まりない時間の訪問に反吐が出そうだよ」
男の名前はランティス。いつも定期的に薬を買い取ってくれている商人だ。
異国の血が流れているのか、あまり見ない容姿をしている。年齢も不明だが恐らく20代中盤位だろうと予想している。
肌も平均より白いが、これは彼があまり昼間に外を出ないからだと思われる。
口が悪いのもいつもの事で、昼間に来た時も同様の話し方をする。
髪で隠れて見づらそうな目の下も、夜闇の中でみえにくいが相変わらず隈がひどいはずだ。
「ランティス様こんばんは、今日は薬を売りに来た訳じゃないのです」
「おや、別の物を売り付けようって事かな? 不要品には興味ないんだ。さては喧嘩でも売りにきたということか、ルルとは一度手合わせしたいとは思っていたけど」
「しばらく薬を売りに来れなくなりまして」
「何ソレ? あのババァがまた課題とやらを出したから?」
「はい、そうです」
ランティスは分かりやすく盛大なため息をつき、部屋にあるテーブルと2脚の椅子のうちの右側にドカッと座る。
長い足を組んで椅子の背もたれに寄りかかると、左手の人差し指を私に指してからその指を左の空いている椅子を指した。
彼なりの“座れ”の意味だ。
これもいつもと同じ合図のようなもの。
それに従い椅子に腰掛けてランティスを見ると、指していた指をテーブルに下ろして爪でカツカツと音を立てた。
「お前たち魔女の都合で動くなよ。いい加減に“修行”とやらを辞めて薬作りに徹しろ。それがお前の仕事だろう?」
「薬を作る素材や器材がないので作れないのです」
「なんだ、もう作らないからと売ったのか?」
「いえ、アリアに家ごと全て壊されました。一から作るにしても高級品質のものが出来るまでは早くても半年は必要になります」
カツカツと鳴らす指先をテーブルから浮かして離し、その手を黒い上着の袖の中に隠した。
「……前からイカれているとは思ったが、とうとうボケ始めたか。可哀想にな」
「私はアリアの課題で“旅”に出ます。なのでしばらく薬は卸せません」
ランティスの話を無視して話を続ける。
ここでいちいち訂正などしていたら更に話が遠退く事になるのは今までの経験上で予測はつく。
「旅……ね。今まであのババァがルルを近くに置いていたのも可笑しな話だったが、とうとう見放されたか」
「いつ帰れるか分かりませんが、しばらく取引出来そうにないです」
アメジストの瞳が濁りを深める。
その瞳で私を見つめながら、妖艶な笑みを向けてきた。
その濁りは身体に魔力を巡らせている動きの現れだ。
ランティスもまた魔術師でもあり、特に魔力を持つ人間に対して魅了させる事を得意としている。
今の彼は明らかに私を魅了で支配しようとしていることがその瞳の動きで分かる。
「ルルシア、私の所に来い。死ぬまで面倒みてやるから」
私はその濁る瞳をただただ見つめながらその瞳の奥から見える彼の魔力量を読み取る。
「ランティス、それは私には効きません。いつも言ったでしょう?」
「ルルシア、君を愛している……と言っても信じてはくれないだろう?」
「信じただけでは満足しないのでしょう。私は貴方に何かを与える事は出来ませんよ」
ランティスは笑みを止め、瞬きして瞳の濁りを消した。
魅了の力がなくなった瞳でじっと私に見つめて捕らえる。
焦りを感じて思わず自ら視線を外したら、ランティスのほうから大きなため息が聞こえた。
「課題とか、旅とか……君はいつまで魔女アリアの言葉に従い続けるんだ。そうやって他人にすがり付いて生きたいのなら私相手でもいいじゃないか」
「アリアは私の師匠で他人ではありません。すがり付く相手だって誰でもいい訳ではなく私は……私が信じたものに従っていきます」
「ハッ、本気で自分が魔女アリアを信じていると思っているのか? 未だに警戒心を露にして接している事は誰の目から見ても分かるというのに」
瞬時に苛立つ自分を慌てて抑えて魔力の巡りを一定に保てるように深呼吸をして調えた。
そんな私を面白がるようにニヤリと笑ってからかうように言葉を続ける。
「図星だろう。もっと感情的になってもいいんだぞ」
「……利用する相手を選ぶ貴方と同じように、利用される相手を私は自ら選んでいます。感情的に接する相手もまた同じ」
「へぇ……私にはそんな姿を見せたくないか?」
分かるでしょう? 何を当たり前の事を……
その言葉は心の中で呟くだけに抑えて、私は座っていた椅子から降り立つ。
「ランティス様、今までお世話になりました」
軽く頭を下げると、ランティスはまた大きなため息を着いてから
「そう突き放すことないだろう? 今回は私が悪かったよ……いずれまた取引しよう。私はこの街か王都の店にいるから立ち寄ってくれ」
「また機会がありましたら」
「……必ず来てくれ。取引がなくても会いに来て欲しい」
珍しく素直な言葉に顔を上げようとしたら、いつの間にか私の前に来ていたランティスが私の頭を撫でた。
「利用する相手として選んでくれても私は構わない……だから、また顔が見たい」
撫でられているからランティスの顔は見えなかったけど、声色はとても優しかった。
「……分かりました。また来ます」
そう答えると撫でていた手が離れていく。
ようやく見上げた時にはランティスが既に背を向けていた。
黒い上着の背中は前と違って穴も破れもなくてキレイだった。
身体に添うようにきっちりした上着から浮き彫りになる広い背中をみて、今更ながら大人の男なんだな……と思って見つめてしまった。
「……早く出てけよ、私は眠いんだ」
低い声で発せられる言葉から、本当に今は出て行って欲しいのだと察して扉の前まで行ってから
「すみません、夜分遅くにお邪魔しました」
それだけ言って私は既に解錠されていた戸を押して外に出れば、閉まった戸からすぐにガチャガチャと施錠された音が背中から聞こえた。
「……また、会いに行きますね」
呟いた声が、自分のものなのに思っていた以上に柔らかく出ていた事に驚いた。
少し白けてきた明けの空を見ながら歩き、私はランティスの事を考えていた。
私は何だかんだ言ってもランティスの事は嫌いになれないのだろう。
彼の優しさは分かりづらいけど、慣れると心地の良いものだった。
面倒見もよくて私は何度も助けてもらっていた。今回のことも彼の優しさから出た言葉だろう。
「……いや、この考えは卑怯だな」
見ないフリも、はぐらかすのも、自分の為にしている事だ。
交わることなく平行に関係を維持したい私の我が儘を、彼は深く指摘しないでいる。
お互いに終わらせたくない思いは一緒なのに、望む先が違うだけでこんなにも面倒なところまで来てしまった状態を皮肉に思い、力なく笑ってしまった。
「……止めよう、考えても仕方ないことよね」
気持ちを切り替えて私は帰路を辿り、部屋に戻って眠るディアナを起こさないように先ほどまで寝ていたベッドに再び潜り込んだ。