妖精たちの悪戯
「ルル~、腹減った~」
「もうすぐスープが出来るわ。エドアルドはパンを軽く炙って頂戴」
「は~い」
1日目は野宿することになった。地図を見て方向を指す私と運転するエドアルドで進んで行くが荷馬車のある旅はレアンドロの時よりもゆっくりになる。
1ヶ月以内と括っているのだし、急ぎというほどではないだろう。
村や町によりながら進んでもガーディア領まで恐らく10日位で着く予定だ。
出来たスープをコップに入れて渡せば、エドアルドが炙ったパンと交換してくれた。
焚き火の前で夕食をとり、幌馬車の中で毛布を敷いて二人で横になる。
「結界張ってるから、悪意があるやつは入れないよ~」
「なんだか聖なる力って便利よね。悪意から護れるなんて魔術では出来ないもの」
「お互い良し悪しあるよね~。ルル、もっとこっち詰めて」
「うん?」
別に私のほうは広いけど……なんて思いながらエドアルドに近付けば、急にガバッと抱き付かれた。
びっくりしたものの、エドアルドは私に掛布をかけてくれた。
「……暖か~い、子ども体温最高~」
「……そう、良かったわね」
抱き枕ってところか、まぁいいや。
私も何だか温もりが心地よくて、エドアルドの方にも掛かるように布を引っ張って、そのまま自然と目を閉じた。
「……ルルが……心……安らぎ……ますよう……」
最後に何か聞こえた気がするが……まぁ、いいや。今は眠い
次の日は私も馬車の運転を代わり、エドアルドには後ろで休んでもらった。別にお互いに疲れている訳ではないが、話し合いをして運転は交代制になり、私は昼までの担当になった。
寝転びながらエドアルドは、幌馬車を動かしてくれている馬の名前を必死に考えている。
「……カイト……ルシアンもいいな~」
「カイトはサロマ男爵の領主の名前で、ルシアンはバルバドス侯爵の子息の名前にあるわね」
「アンドラ……フィアナ……ガルム……」
「アンドラやフィアナは女性の名前よ。ガルムは……ロダン伯爵の子息にいるわ」
そういえば、ガルムたちは無事だろうか?
流石にまだ王都には着いていないはずだが、ハインツも一緒だし、仲良くやってるといいけど……
ランドールの事も心配だ。何とか折り合いをつけて不問にして貰えないか……ガルムたちには伝えているけど、ハインツはあまり良い顔をしていなかった。
私も別に気にしてない。
むしろランドールも気にしないでいて欲しい。私の身体はそもそも
「アルベルトとかカッコ良くない?」
「王族にいるから、それは駄目よ」
「そうなの~? でもコイツのほうが優秀だぞ~、アルベルトの方が名前変えればいいじゃん」
「ふふふ、今は私だけしか聞いていないけど他の人にそういう話をしてはいけないわよ」
「分かってるって~、ルルも笑ってんじゃん! 俺と同罪な~」
「じゃあ国外に逃げなくちゃいけないわね」
「そうなったら俺、アシュフィードやタボルアンに案内するよ! 観光巡りしよ~よ」
「逃亡してる時に観光地に居たらすぐに捕まるわよ?」
「大丈夫! 裏道とか抜け道とか詳しいからさ~」
「指名手配されたらバレちゃうわ」
「そう? 逆にルルを渡したくなくて国で保護しそうだよ~」
「何だか貴重な動物扱いね。解剖されないかしら?」
「解剖はないにしても~、何処に行っても他の国もルルの扱いは同じじゃないかな~」
「兵器扱いって事ね。動物より扱いが酷いな」
「いっそ動物に変身しちゃえば~?」
「無理よ。それが出来たらずっと人間に戻らないでいそうだもん」
「確かに~」
エドアルドは再び名前を考え口に出すが、私がその名前を使っている人を言っては再び考えて雑談して……を繰り返した。
「マティアス様からもらったから、マティーとかど~?」
「後から知られたら面倒だから、別の名前がいいわよ」
「ローズ……リリー……ペチュニア……」
「急に花の名前になった」
「植物もいいだろ~? パキラ……ソテツ……ポトス……」
「穏やかな子だから、悪くないかもしれないわ」
レアンドロの愛馬よりも私に対して素っ気なさはないが、反応が薄くていい。
エドアルドには好意的でよく近付いている姿を見ていた。聖なる力との相性がいいのかな?
だけど動物は感が鋭い。
人の心が読めるのではないかと思う時もあるほど、自分とは違う何かが見えているようだ。
だから、まだ名前のないこの馬も私に懐かないのも頷ける。
……そう、騙されちゃいけないよ。
「じゃあドリーにしよう!」
「ドリーか、聞いた事ないね」
「俺の知り合いの名前だよ~、いいでしょ~」
「エドアルドがいいならいいけど」
知人と同じ名前を馬につけるのはどうかと思うが、彼はそれに決めてしまったようだ。
御者台まで出て来て私の隣に座り、馬のことを「ドリー、お前はドリーだぞ~」と機嫌よく話かけていた。
しばらくすると三差路にぶつかるのだが、私は遠くから馬が走ってくる音が聞こえて道の左端に寄せて止まる。
それで荷台に寝ていたエドアルドがそろりと御者台に顔を出した。
「後ろからじゃないね~……右かな?」
エドアルドの視線が三差路の右の道に向けられ、私も耳をすませて音を聞き取る。
「早馬……じゃない馬車か、しかも随分急いでるね~」
どうも馬車は二頭立てのようで、馬の蹄を蹴る足音が複数あるようだ。
急いでいるようだが馬車自体もガタガタと、ここからでも聞こえるほど荒い運転をしている。
「とりあえずこのまま……あっ!」
「左の道に行ったね~」
あっという間に木々の隙間から駆け抜けて行ってしまった馬車は、少ししか見えなかったが黒い車体に金の装飾のあるもので、貴族が乗るタイプのものだと分かった。
近くを通りすぎることなく過ぎ去ったのは良かった。ああいうのは関わらないほうがいい。
「ルル、俺が運転するよ」
珍しく警戒する様子が気になったが、私は何も聞かずに手綱を渡した。
「俺たちは右でいいんだよね?」
「う、うん……」
「さっきの馬車も変だけど、何か……右の道の方から嫌な感じがするんだ」
「行っても大丈夫なの?」
「分からないけど、行かないといけない気がする」
真剣な眼差しを進路に向けて、ドリーのペースで走り出した。
少し早めに進んでいるが、隣のエドアルドは進むにつれて険しい顔になり、徐々に焦りを見せていく。
「人の血の臭いだっ、しかもまだ新しい……野党に襲われたかっ?」
私には当然、臭いなど分からず、今のところ目にも見えない何かを彼は嗅ぎ分けて進む。
森の中とはいえ、ちゃんと踏み込まれた道をひたすら走る。
「近いっ! もうすぐっ……」
エドアルドの顔に汗が滴っていた。
疲れからではなく、別の緊張感からくるものだとは分かるが、私は未だに視界からも嗅覚からも何も得ておらず、黙って目視しながらもエドアルドの話に耳を傾けた。
しかしすぐにエドアルドが慌ててドリーを停めると、そのまま御者台から飛び降りて森の茂みに入っていく。
「おーいっ! 大丈夫かーっ!?」
声をかけながら進むエドアルドを後ろから眺めながら、ドリーの手綱を持って辺りを警戒した。
ドリーの鼻息以外、静かな森……
鳥のさえずりもなく、珍しく風も止んで木々も揺れず静かな状態を不思議に思っていたが、私まで動く訳にも行かず、そのまま待機した。
数分後、エドアルドの方から複数の足音がして振り返れば薄暗い森の中からエドアルドが何かを抱え、その隣には二人の人影が同じペースで歩いてくる。
彼らが近付けば近付くほど、エドアルドが抱えていたものが人である事が分かる。
自分と変わらない年頃……恐らく15、16歳の女の子で、腹部には血が広範囲に服に広がっていた。
しかしエドアルドの着ていたローブの端が切れて短くなっており、その切ったであろうローブの布を彼女の腹部に巻いていたが、既に自身の血で染まってしまったようだ。
着いてきた二人は男女で、ケガをした彼女に似ている姿に恐らく両親なのだと察した。
険しい顔を更に青くさせたエドアルドは、私の前まで来て
「ルル、この子を近くの村まで乗せて欲しいんだ……お願い、早く医者に見せたいんだ」
鬼気迫る彼と、懇願する親、そして息を荒くして痛みに耐える彼女の表情を見てから、私は後ろから幌馬車の扉を開けて厚手の布を敷いた。
それを見たエドアルドが何も言わずに急いでその上に彼女を寝かせる。
私もそれを確認して、彼女の両親に
「お二人共、私の代わりに村まで動かしてもらえますか?」
「は、はいっ……!」
「勿論です!」
私が幌馬車の扉を内側から閉めると、二人も慌てて御者台に乗り、男のほうが手慣れた様子でドリーを動かす。
私は改めて寝そべる彼女の腹部を見ながらエドアルドに問う。
「エドアルド、説明しなさい」
しかしエドアルド自身、焦ったままローブの布を裂いては彼女の腹部を固定するように巻いていく。
「……状況を聞きたいの」
まだ返事がない。むしろ聞こえていない。
彼は次に握った右の拳の上に自らの左手を重ねて何かを唱えていた。
何を言っているのか聞き取れない……恐らく聖なる力を使っているのだろう。
聖なる力は魔力と違い、その詠唱を誰でも聞ける訳じゃない。その詠唱は人ならざる者……神、天使、精霊、妖精……その者たちに話かけて協力を仰ぐようだ。
昔、教会で言葉を習おうとしたが、色んな人から教えてもらったが、それを理解することも覚える事も出来なかった。
魔力がある者は、そうなるのだと教えられた。
だからエドアルドが何に頼んでいるのか、何を願っているのか分からなかった。
私は私で出来る事をしようと心の中で密かに術式を展開した。
走り出してから数十分程で、村に着いた。
敷地は広く住居も多くあり、小さな町とも言えるほどの大きさだ。
幌馬車は村に入ってからも走り続け、村の端にある小さな二階建ての屋敷の前に停まった。
それに気付いたエドアルドは何も言わずに内側の扉を開け、彼女を布ごと抱えて外に出てそのまま屋敷の扉を背中で押して入っていく。
彼女の両親も御者台から降りたが、私がいるのを気にして一緒に入れずにいたので
「今は気にせず、早く彼女に着いていきなさい」
「すみませんっ、ありがとうございます!」
「このご恩はまたいずれっ」
「いいから、早く行きなさい」
二人は慌てて後を追った。
私はとりあえず一息つき、ドリーに近付いて
「頑張ったわね。沢山走ってくれてありがとう……ドリー」
そういうと、ドリーもまるで人間のようにハァとため息を着いていた。
私はそれから村の人に聞いて宿を取った。
幸い、馬車を停めるスペースや馬小屋もあり、とりあえずドリーには先に休んでもらい、水をバケツに入れて出すとすぐに飲み始めた。
近くの井戸は汚染もなく綺麗で、もしかしたら誰かが浄化した後なのか……はたまたここにはまだ汚染するような呪いをかけていないのか
「お疲れ様、本当に助かったわ」
フンッ、と鼻息を荒くして抗議する姿勢のドリーに思わず笑ってしまった。
それから宿に荷物を移動したりを宿屋の店主に手伝ってもらい、何とか落ち着けるスペースを確保できて安心した。
私は外に出て他の井戸を回るが、やはり井戸水は綺麗であった。それが分かってからエドアルドがいる屋敷まで歩く。
屋敷の扉をノックしたが返事がなく、恐る恐る開けながら
「失礼します……」
と言いながら入るが、誰もいない。
一階の内装は町医者のものと同じで、待合は受付のテーブルに、椅子やベンチがいくつかある。
その奥に扉があり、そこから何人かが話す声が聞こえた。
私は扉の近くにある待合用の椅子に腰掛けて待つことにした。
人の声が聞き取れないが、主導しているのは男性の低い声で、聞いた事ないのでここの医者のだろう。
私は先ほどの彼女の腹部を思い出した。
あの時は出血も多く出た後のようだし、私も出来る事しか施せなかった。
大変ではあるが、通常の医者ならばお腹を縫うことも出来るだろうから、後は彼女次第になるだろう。
今の私は何も出来ない役立たずだし、大人しく待つしか無さそうだ。
そうしていると、急に扉が開き、治療室らしき部屋から一人の若い男が出てきた。
若いとは言ってもエドアルドより年上のようで、背丈は平均より低いが立ち姿は美しく所作も優美だ。
医者特有の白衣を身に付けているかは医者なのだろうが、何故この人だけ出て来たのだろう?
更に男の行動を見ていると、何やらキョロキョロと辺りを見渡し、私がいるのに気付いて目が合えば、男はグレーの瞳を輝かせながら嬉しそうに私の座る前に跪く。
「あなたは……様々な魔術を巧みに使いこなす叡智の魔女シュトレ伯爵家のルルシア嬢ですね!」
「……名前は合っていますがその様に言われた事がないので、きっと違う方でしょうね」
「いえっ、いいえ! 私が貴方を見間違えるはずがございませんっ!」
「私をご存じなのですね……何処かでお会いしましたか?」
「まさかっ! 私のような一介の魔術師が貴方の前に姿を現せられるほどの才も無ければ力もありませんよ!」
「今、現れてますよね」
「ハッ! 失礼しましたっ、感動の余り距離を計れない私をお許し下さい!」
慌てて私と距離をとり、2メートル位先に正座したまま目をキラキラさせて何かを期待していた。
私は神でも無ければ精霊でもないよ。
騒がしさで、治療室から何人かがぞろぞろ出て来た。
エドアルドと先ほどの両親、それに年老いた女性
「先生っ、どうされたのですかっ!?」
その女性が慌てた様子で先生とやらに駆け寄り、肩に手を添えた。
「アグリ! 私は今人生の最高の気分だよ! 今なら空も跳べそうだ!」
女性はアグリというらしい。興奮する先生の姿に、落ち着かせる為に肩から背中に手を移動して擦っていた。
「落ち着いて、患者が完治してからなら勝手に空でも何でも跳んで構いませんから……」
「これは比喩だよ! 空を跳べる程に私は歓喜しているんだ!」
「先生、治療はどうするのですか?」
「処置は終わったぞ! 後はしばらく腹を動かさないようにして薬を飲めば大丈夫だ!」
その声に、両親は肩を撫で下ろして安心したようだ。
エドアルドはまだ先生に何か言いたそうで、私の前に来て背を向けられた。
目の前の先生を見下ろしながら声を荒げる。
「終わってないだろっ、お前は切られたとこすらちゃんと触ってもいなかったじゃないかっ」
「処置するイコール触れるなんてこの国ではナンセンスだよ。魔術による治療は技術さえあれば触れずとも治せるのだよエドアルドくん」
「はぁっ? じゃあどうやって治したっていうのか説明しなよっ、俺にも分かるようにさ!」
「まぁまぁ。私は確かに切られた患部を結合したが早い段階で緊急処置を行ったのは恐らくルルシア嬢さ、彼女に感謝する事だね」
「ルルが……?」
ようやく私の方を見が、エドアルドは何の事か分からず私と先生を交互に見ていた。
先生は正座から立ち上がると、隣にいるアグリが先生のズボンに付いた砂ぼこりを払っていた。
「細菌の増殖を抑える浄化の魔術をしてから、止血する魔術を重ねたようだね。私も患部を見た時は驚いたよ……このような事が出来るだけの魔力がある魔術師はなかなか居ないからまさかとは思ったが」
魔術を組み合わせて使うより、続けて魔術を重ねて使うほうが当然消費が激しくなる。
だけど止血だけでは後々のリスクも気になった。
エドアルドが巻いていたローブの布を見て、悪いけど綺麗な物とは思えず、先に浄化をした。
次に出血の問題を解決する為に術式を展開した……言葉で説明するのは簡単だが、実際にやるとなると魔力の消費が凄いのだとか
「人の怪我を魔術で治せるなんて……」
エドアルドは信じられない様子だったが、他国では魔術による治療が余り知られていないようだ。
我が国は長い月日をかけて魔術の研究を行っていた。それは魔力を持たない者にも施せるように
治療の歴史は長い。
様々な術式の開発、自然との関連、人体の仕組み等を調べに調べた結果、ここまで進んでいる。
「私は結合の魔術のみで、後はルルシア嬢がやってしまった……本来ならまだ治療していただろうがね」
「もしかして……ルルは始めから彼女を治せたの?」
「それは違うわ。私は人体の結合の魔術は使えない。あくまで自分が出来る魔術を使っただけ」
「結合の魔術はそんなに難しいものではないんだ。恐れ多くもルルシア嬢を差し置いて私のような者でも使える位のものだ」
「ルルは、どうして使えないの?」
「こういう人体の結合に関するものは攻撃魔術の分類で、私には使えない分野なのよ」
「それでも止血は特に難易度が高い魔術だよっ、ルルシア嬢は攻撃魔術以外は何でも使える魔女として有名なんだぞ!」
「……じゃあ、本当にあの子は大丈夫なんだね?」
エドアルドが念を押すように先生を睨むが、先生は爽やかに笑いながら
「当然さ! 天才ルルシア・シュトレと秀才ディエゴ・ベラガンバによる治療のマリアージュは最高の出来だったと言えるだろう!」
おい、マリアージュとか面倒な単語を使わないで頂きたい。勘違いされる。
「まりあ? 誰それ?」
エドアルドは分からないらしい。知らなくていいよ。
「ベラガンバという事は、ここは既に男爵領なのですね」
「ああ、名乗り忘れておりました! 私はディエゴ・ベラガンバと申します。男爵家の三男坊です、どうぞ可愛がって下さいレディ」
ウィンクされたよ。男の人にウィンクって……ああ、ローウェンにもされてたね。
だけど分類的にローウェンとは違う気がする。貴族の男性らしくはあるが、余りにもあからさま過ぎて引く。
可愛がるって……私より年上じゃないの?
というか、この旅で会った貴族でまともな人が全然いない。エヴェリーナは別枠だけど
「私の事は既に知っておられるようなので省略します。ディエゴ先生も伯爵家など気にせずお話して下さって構いませんから」
「ああ、美しい聖女の如く慈悲深く優しいルルシア……貴方は闇夜の中でさ迷う私を助けた一筋の光」
既に呼び捨てだよ。早いね。
そして気軽どころか訳が分からない文言になってるし。
ディエゴを無視し、私は改めて彼女の両親である二人に視線を向けた。
「今回の事を、領主や村長にも早めに伝えたほうが宜しいかと」
そう言うと、父親のほうが頭を下げてからすぐに出て行く。
残された母親は治療室に再び入り、中にいる彼女のベッドの近くに行った。まだ完全に治った訳ではないのだ、心配だろうに……
「そう言えば何故彼女は腹を切られたんだい?」
今になってそれを聞くディエゴにエドアルドは呆れていたが、私も聞けてないのよね。
アグリが治療室の扉を閉めて、一旦落ち着くためにディエゴとエドアルドに座るように薦めた。
ディエゴが私の向かいに椅子を寄せて座り、その横にアグリが席につく。
エドアルドは当然のように私の横にピッタリとくっ付くように椅子を隣に寄せ、体も完全に触れてる状態だが、ディエゴは特に気にしていない様子で足を組んでいた。
間を置いて、エドアルドが話し出す。
「野党に襲われたと二人は言ってたけど……多分違う。あれは貴族の仕業だ」
黒い馬車から話し始め、着いた時には彼女は腹部を切られた後で三人とも酷く怯えていたということ、頑なに野党だったと言い張る様子にそれ以上を聞くことが出来なかったらしい。
確かにあの馬車は怪しかったけど……いまいち証拠にかける。
「……ふむ。我が領地に他の貴族が来る予定はなかったが、ただ通行の為に我が領地に入ったか」
「馬車も豪華な造りだったし、普通の商人が乗れるようなものじゃなかった」
「それだけ目立つものなら町か村に寄れば警備兵にも気付かれるはずだが……まぁその辺りは兄に問い合わせよう。しかし何故わざわざ通行している平民を切りつける?」
「いちゃもん付けられたとか、声かけて断られたからとかだろ。貴族はいつも理不尽な理由で平民を蔑ろにするじゃないか」
「そういう者も少なくはないが……あまり貴族の前ではそういう話はしない方がいい。私やルルシア嬢が意図してないところで、周りが勝手に騒いで事を大きくする事もあるからね」
ディエゴがそう話している間、隣のアグリは眉間に軽く皺を寄せてエドアルドを見ていた。
エドアルドもそれに気付いて、口を閉じる。
「エドアルドくんも疲れただろう……一旦話は保留にしよう。良ければ我が屋敷に部屋を用意しようか」
「いえ、既に宿の手配は済んでおりますのでお気になさらず」
「それは残念だ。ルルシアと最近の魔術についての話をしたかったが」
「有難いお話ではありますが、今は供の者を休ませたいと思っております」
「それもそうだね。気になるようなら、また明日にでも様子を見に来てくれて構わないよ」
「ありがとうございます」
私は椅子から腰を上げて立ち上がり、軽くお辞儀をしてからエドアルドの少し短くなったローブを引っ張る。
「行きましょう」
「うん……」
エドアルドもディエゴに頭を下げてから私と一緒に屋敷を出た。
宿に着いてからエドアルドの部屋を案内すると、彼は驚きながら
「一緒の部屋じゃないのっ!?」
と言うので、私は首を傾げた。
「一人の方がエドアルドもゆっくり出来るでしょう?」
「ルルは一人が良いってこと……?」
「私? 私は別に……」
「じゃあ部屋は一つでいいじゃん! この部屋は使わないから伝えてくるっ」
出て行こうとするエドアルドを引き止めて
「待って、私の部屋にはベッドが一つしかないから、別の部屋にして貰いましょう」
「ベッドも一つでいいからっ」
何だか落ち着かない様子のエドアルドを不思議に思いながら
「ベッド一つじゃ狭いわよ? エドアルドは身体も大きいのだし」
「ルルは小さいし俺も寝相は悪くないし問題ないから……ルル、嫌なの?」
昨日も一緒に寝たじゃん。と言われ、何をこんなに頑ななのか分からないが、どうも彼が自棄に食い下がるので、私は諦めて
「宿の事は私が伝えるから、エドアルドは荷物を部屋に移して置いて……これ部屋の鍵よ」
ズボンのポケットから鍵を出してエドアルドに手渡すと、明らかにホッとした表情になり、荷物を持って出ていく。
一人が嫌なタイプには見えなかったけど……
先ほど事がよっぽど尾を引いているのか……
エドアルドも男の人だし色々あるだろうからと気を遣って部屋を別にしただけで、私はどちらでも構わなかった。ただ……
「一緒に寝るのは別にいいけど、ベッドが狭い事がちょっとな」
伸び伸び寝たいとは思っていたが仕方ないか、今日は特にエドアルドも不安なのだろう。
私は諦めて、一階の受付に向かった。
今日は色々あったが早めに村に着いたので村でやれる事をやってしまおうと思い、荷物整理をして色々確認する。
その間、エドアルドは部屋の椅子に座ってボーッとしていたので、声をかけてみる。
「この村には入浴場があると店主から聞いたの」
「……そっかー……」
「エドアルドも行くのよ。早く用意して」
「俺は……あっ」
エドアルドは自分の服を見下ろしてようやく気付いたようだ。
ローブが黒いから目立たないが、よく見れば所々血がついていて、服も木々の枝に引っ掛かったようで葉っぱがついていたり裂けていたりとボロボロだった。
「行きましょう。洗濯もしておかなきゃいけないもの」
「ルル、俺……」
「一緒に行くのよ」
「…………うん」
渋々だがエドアルドは立ち上がり、準備を始めた。
私も新たに服等を出して小さいカバンに移し入れた。
男女別の入浴場なので、私が出た時には既にエドアルドが先に外で待っていた。
「お待たせ。しっかり洗った?」
身体の匂いを嗅いで確かめていると、エドアルドが両手を広げた。目は合わせるが無言だった。
確認しろという事か……?
胸の辺りに近付くと、広げていた両手が下がってそのまま私の背中に回された。
苦しくない程度にぎゅうぎゅうに抱き締められたが、やはり何も言わない。
改めて匂いを嗅ぐと、石鹸の香りがした。
「匂いは合格ね」
「ちゃんと洗ったよ」
「髪の毛も?」
すると、背中を丸めて頭が下りてくる。
近くに来た頭を横から嗅げば、これも石鹸の香りがする。
「良し。じゃあ次は洗濯ね」
そう言ったのに、エドアルドは一向に離す気配がない。
私は胸の辺りを手で叩けばすんなり離してくれたが、代わりに叩いていた片手を掴まれ、そのまま繋がれてしまった。
これなら歩けるから良いかと妥協し、洗い場に行く。
洗濯している間は手を離してくれたが、ジーッと見られていた。
エドアルドの洗濯もしようとしたら、さすがに彼も慌てて「自分でやるから~!」とちょっと調子が戻っていた。
照れた様子だが、さっき思いっきり私が下着を洗ってるのをガン見してたよね?
まぁ、子供の下着に欲情するようなタイプじゃなくて安心したが
「ルル~、まだ~?」
宿の裏手に洗濯物を干させてもらったあとエドアルドからお腹が空いたと言われ、外食しようと提案したが却下された。
仕方なく宿屋の台所の片隅を借りて作っていたが、彼は後ろから催促していた。
すると台所にいた宿屋のおばちゃんがそれを見て
「大の大人が飯一つ待てないのかい? 妹さんが可哀想だよ」
年の離れた兄妹って設定で宿をとったので、おばちゃんは私に「男ってのは面倒だろ? それが兄妹なら尚更」なんて私に同情していた。
「……ん、ごめん、ルル」
しょんぼりと私に見せる姿に、おばちゃんはエドアルドの素直な姿に顔を赤らめて
「こ、これだから色男はっ……全く、少しは手伝っておやりよっ」
照れるおばちゃんに言われて、エドアルドはパンを持ってきて温めたり、器を用意したりしてくれた。
「素直で良い男じゃないか」
最後にはおばちゃんも褒めていた。
こういう可愛さがあるから熟女のほうが合っているという事かもしれないね。
香草で焼いた肉や、野菜たっぷりスープを一階の食堂で食べ始めた。
「ルル、これ美味しい~!」
香草の肉をいたく気に入って食べていた。
「野菜スープも食べてね。身体にいいから」
「スープも食べるよ~、ルルが作るものは臭くなくて美味しい~!」
「ありがとう」
肉や野菜の臭み問題はアリアと生活している時に散々言われていた。
炊事担当になってレシピを見ながら作っても美味く出来なくて、アリアからよく注意された。
私も貴族出身で家ではシェフの作る美味しい料理に慣れていたから、早く何とかしないとと思って、人に聞いたり色々と研究もした。それこそ来た当初は魔術よりも真剣に取り組んでいたものだ。
その甲斐あって今は獣臭さや青臭さ等を消す薬味や薬草、調理方法を覚えて活かせるようになり、今ではアリアの文句も聞かなくなった。
「今日は宿のお客も俺らだけなんだね~」
食堂には私たち二人だけだが、他の部屋からも人の気配が無かった。
「店主が言ってたわ。この村はあまり旅人が立ち寄らないって」
「なんでだろ~?」
「私もここに村があるのを知らなかったわ。地図にも載っていなかったから気付かなかったし」
「地図に書いてないか……確かに今日はもっと先の村に着く予定だったもんね~」
「日が暮れる前に着くかどうかの場所だったから、手前に村があって良かったわ」
「こんなに大きい村なら、地図にありそうなのに」
「確かに、人数が少ない村なら地図に書かれない事もあるでしょうけど、これだけの規模なら商人や旅人に知られていそうよね」
「口止めされてるとか? でも隠す必要ないよね~」
「観光や買い出しが出来る場所は宣伝したいはず、それは村の為にもなるのに」
「宣伝したくない何か別の理由があるとか?」
「こういう場合よくある理由は納税の問題が多いわ。人数を偽り国に納める税を軽減して貰うように嘆願している可能性もあるわね」
「領民も税が少なくて済む……って簡単な話じゃなさそうだよね~」
偽っていたとして、それが領民の為ではなく私服を肥やしている……なんて話はよく聞く話だ。
「……変に巻き込まれない為にも、この村の存在については黙秘しておいた方が良さそうね」
「まぁ~村の中だけ見れば、領民が苦労してるって雰囲気じゃ無さそうだし、その方がいいかもね~」
「既に男爵の子息には会ってしまったけれど」
「大丈夫でしょ~、あのディエゴって先生はルルの事好きみたいだし」
好きなのかな?
ただ色々出来ることに感心して興味があるだけでは?
「そもそも地図って誰が書くの~?」
「一般的には商人や旅人が歩いて調べて書いたりするの、それを模造して販売しているものを私たちが買う事が多いわ」
「その土地の人が書いてないんだ~」
「書いてる事もあるから、詳しく知りたいのなら主領都市や町の各ギルドで地図を購入していく方がいいでしょうね」
常に更新してると思って買っていく方がいいのだが、今は持っている地図はマティアスに用意して貰ったものだからわざわざ買う必要もないし、無駄に地図ばかり買っていられない。
「それに地図にない村は沢山あるから、そんなに気にしなくていいわよ」
「勿体ないね~魔術師の医者もいる村なら、もっと人が来てもいいのにさ~」
町でも小さいところでは医者がいない事もあるし、確かに貴重な存在だ。
彼はあくまでも貴族だが、貧富の差など関係なく民を診る姿は素晴らしい……確かに勿体ない。
「あの馬車も地図に載っていなかったから村の事を知らずに通り過ぎたのね、今回はそれが良かったのかも」
そのまま放置して村に着く前に勝手に亡くなる事を想定して逃げたのかもしれない……ただ彼女だけに傷を負わせて、あの親たちに手を出さなかったのは気になるが
例え村の場所を知っていても、相手が貴族では分が悪い。
横暴に民を扱うようなら領主の代わりにディエゴが出ることになっても、彼は男爵家だ。上位貴族相手では強く出れないだろう。
あの彼女は痛手を負ってしまったが、ディエゴであれば私が居なくても上手く治療出来ていたはずだ。どちらにしても助かっていただろう。
今回一番の功労者はエドアルドだ。私では気付くことすら出来なかっただろうから……その事を彼に話せば、少し照れていた。
部屋に戻り、私は先にベッドに潜るとエドアルドも当たり前のように隣に寝そべる。
やっぱり狭いな……なんて思っていると、エドアルドが私を抱き寄せて、再び腕の中に収まる。
「ルルは温かくていいな~」
「ほら、掛布もかけないと風邪ひくわよ……」
掛布を引っ張ってエドアルドの背中に手を回してかけてあげると、彼は嬉しそうな顔をしてからゆっくり目を閉じた。
「俺さ、誰かと一緒に寝るのって落ち着かないから苦手だったんだ」
「……今からでも部屋をとりましょうか」
「“だった”って言ったでしょ~、今は逆で、一緒じゃないと落ち着かないの!」
「それはまた……難儀な身体になったのね」
「本当にね~。ルルなら嫌がられない気がして、だから付いて行こうと思ったんだ~」
「自分が抱き枕要員とは知らなかったわ」
「夜に安心して寝られるのって、凄く大事な事だよ」
「エドアルドも聖なる力を使って結界を張ってたじゃないの」
「それだけじゃないよ~。ルルは親切で温かくて母さんのように優しくて、俺のような奴でも許してくれる……ルルは凄いんだよ」
母さん。その言葉で彼の動向にピントが合った気がした。
家族愛に飢えている……という事だろうか?
だけど私は親切でも温かくも優しくもないし、何でも許せる人間じゃない。
勝手についてくるエドアルドを深く考えずに置いているだけで、彼が居ようと居まいと私の目的は変わらないだけ。だから凄い訳ではないのに
否定しても良かったが面倒だと思って、私は言うのを諦めて目を閉じた。
「……おやすみなさい」
「うん、おやすみ……ルルが心安らかに眠れますように」
「エドアルド……あなたも……」
「……え? ルル……俺の言葉…………」
今日も私は先に寝落ちした。
エドアルドが呼ぶ声がしたが、私は気にせず身を任せて眠りに落ちていく。
意識が浮上し、ゆっくり目を開けた。
すると眼前には整った顔の男が……私を見ていた。
「おはよ~、ルル」
目を細めて優しく微笑みかけた男は、照れながら私の額に唇が寄せられ、そのまま触れられた。
何してるんだろう……と他人事のようにそれを見た。
寝起きで頭が上手く回らない中で私はただただボーッとしていると、男の唇が離れて、私を再び見つめた。
「まだ寝ぼけてる~」
次に私の頬に男の手が触れ、さらさらと弱く撫でる。くすぐったくて顔を背けようとしたのに、触れてきた手が私の後頭部に移動して男の胸に押し当てられる。
とくとく……心臓の音が聞こえて、少し安心してしまう。
「……逃げちゃ駄目だよ」
私は何をされてるのだろう……?
瞳だけを横に向けると、部屋の中には日が射していた。
ここは宿屋の部屋で……そうだ。エドアルドと同じベッドで休んでいたっけ。
目の前にいるのはエドアルド……ん?
声は同じ、顔の造りも同じ……だが色が違う。
日焼けしていない白い肌に、髪の毛も白……というより銀のようなプラチナブロンドの長く綺麗なもの。
瞳も私と同じ琥珀……全体的に私と同じ色合いになっている。
どういう事?
「ルル起きて~」
「……起きてる」
「おはよ~」
「おはよう、ございます」
顔を上げて、改めてエドアルドを見てもやはり色が違う。それ以外は変わらない。
機嫌が良さそうに笑みを浮かべるエドアルドに、私はとりあえず頭を整理したくて身体を起こした。
「顔を洗ってくるわ」
「俺も行く~」
彼は先にベッドを離れ、カバンから手拭いを二枚出した。
それを見ながら、彼が気付いていないのが引っ掛かったが、特段他に変わりないようだから様子見をしようと思った。
井戸に行って顔を洗ったり、宿屋に戻って食堂に行き、おばちゃんが作った朝食を済ませたりしたが、彼だけでなくおばちゃんや店主もエドアルドの姿を見ても何の反応も無かった。
これはもしかして私の目だけがおかしいのかもしれない……ならば、余計な事は言わずに居ようと決めた。
「おや? エドアルドくんは随分と見た目を変えたようだね」
昨日の屋敷に行き、会って早々に指摘したのはディエゴだった。
「何言ってんの~、何も変えてないけど~」
しかし当の本人や、近くにいたアグリまで訝しげた目をディエゴに向けていた。
ディエゴも周りの反応を見て何かを諦め、最後に私の方に視線を向けてから力なくため息を着いた。
「私の勘違いかな? まぁいい、昨日の患者はあちらの部屋にいるよ」
昨日とは別の扉を指差すと、エドアルドはノックして返事を貰い、中に入っていく。
後を追うようにアグリも入ってからその扉をディエゴが静かに閉めた。
待合のロビーで二人になるとディエゴは治療室の方に足を進め、そちらの扉を開けた。
「……魔力がある者同士、話をしようじゃないか」
私はため息をついてから開けられた部屋に入ると、ディエゴは扉を閉めた。
中には治療室というより本棚に囲まれた図書室のような内装で、大きい机や椅子が幾つかあり、部屋の真ん中にベッドがある事以外は違和感のない感じがした。
広い机の上は羽ペン等は木箱に収められ、書類が積み重ねてあるが全体的に片付いている。その机の椅子を引いて、ディエゴは私に座るように促す。
そこに座れば、ディエゴは私の向かいにある椅子に座った。
「……気付いているのに指摘しなかったようだね」
重ねられた書類の束を自分の前に引き寄せ、何かを確認するように一枚ずつ目で文字を追いかけていた。
私は書類を見ないように、視線を逸らしながら
「皆さん気付いていないご様子でしたので、私の思い違いだと片付けておりました」
「旅の相方なのに、その様なスタンスは如何なものかな」
「彼は私の従者のようなものですから」
「貴族らしく一線をひいているのは悪い事ではないが、少し心配してあげてもいいのでは?」
「心配はしておりますが今のところ大丈夫な様子ですし。無駄に心配しても良いことはないでしょう」
「あんなに懐いているのに、彼の片想いなんだね」
「何れは離れて行く者ですから。私も馴れ合うつもりはありません」
「友達や知人くらいに思ってあげればいいじゃないか、君の一線はどちらかしかないのかい?」
「男性には特に曖昧にしてて良い思いをしたがないので……察して下さい」
面倒で放っているのも、ある意味では曖昧にしてる行動でもあるけどね。
「規格外の人タラシは言う事が違うね。そんな人間ばかりじゃない、なんて言葉も簡単にはアドバイス出来ないね」
「……私とは違い、先生はエドアルドを心配して下さっている様ですね」
「貴方に先生と言われるのはむず痒い、ディエゴと呼んでくれ。それに心配というほど私は彼の事を気にしてはいないよ」
さっき私には心配しろなんて言ってたのに……医者でもあるし、忠告した本人なら多少は気にしてあげてくれ。
ディエゴは書類の束から一枚の紙を横によけて、それを私の前に差し出した。
読めという事かと、姿勢を正して書類と向き合う。
「……これは、また……」
書類には遭難者に関する事が書かれており、その中でも聖なる力を持つ者がとある里に引き寄せられてしまい、遭難する事案がいくつかあるようだ。
あまりにも聖なる力の所有者ばかりが遭うので、妖精が悪戯をして人を拐ってしまうのではと仮説を立てているらしい。
「人智を越えた力に引き寄せられて、誘惑され、気に入られてしまえば里に留まらせる」
「困った話ですね」
「ルルシア、これは他人事ではないんだ。今この村の話をしているんだよ」
驚いて顔を上げ、ディエゴを凝視した。
ディエゴもため息を着き、私の前の書類を元の束の中に戻した。
「この村に住む人間の大半が始めは遭難し、導かれてこの場所に来た。留まる選択をした者だけが居を構えて暮らしている」
「まさか……では、何故ディエゴ様までこの村にいるのですか? 魔力持ちならば迷う事はないのでしょう?」
「無論、私は迷ってここに来た訳じゃない。昔からこの村については父から聞いて興味があってね。管理する条件で私は研究の為にここに移ったんだ」
「迷わずに来れる村なんですね」
「いや、私は昔からこの地に出向いていた身だが何度も来ては道を覚えて、今でも多少迷いながらも戻れるようになったくらいだ……それに比べて、聖なる力を持つ者はほぼ辿り着けないようだ」
「妖精の気分で変わる等ですか?」
「そうだろうね……聖なる力を持つ者は、一度村から別の村に行き来した者は辿り着くまで何年、何ヵ月もかかったり、未だに戻れない者もいる」
「では、エドアルドが妖精に引き寄せられたから私たちはこの村に辿り着いたと?」
「出る時と違い、村に入る時は魔力を持っていてもいなくとも、多少行きづらいが辿り着ける。しかし今回は彼よりも傷を負った彼女が引き寄せられたのだろうね」
地図に載っていなかったのも場所がハッキリ分からないからと、聖なる力の者が巻き込まれないように配慮されたからか。
「彼女を心配した妖精たちが導いた……と」
「同様に彼女を心配したエドアルドくんも道連れのように好かれたかもしれないな。彼の見た目も妖精に悪戯されたのだろうね」
別の書類を出されてそれに目を通すと、妖精の悪戯の被害について書かれていた。
妖精の力は様々で、人間が力を借りて使うものとは異なり、妖精たちは自ら使う力は人間にとってはよく分からない使い方のものが多い。
エドアルドのように急に髪等の色が変わることもあれば、若返りや、身体の機能の向上もあるようだ。何れも本人や周りは気付かない。
「不思議な事に、魔力がある者でもある程度力がある者だけは気付くようだね」
その原理は何だろう?
むしろ聖なる力の持ち主同士で分かる方がいいのでは?
「聞いている限り、あまり迷惑なものは少なさそうですね」
「そうなんだよ。実は悪戯された者に話を聞くと、本人がそう願ったケースが大半でね」
え? じゃあエドアルドはあの色になりたかったの?
「悪戯というより、願いを叶える妖精ですか」
「それが効いているのはこの村にいる間だけで、本人や周りも気付かないで妖精だけが楽しんでいるんだから、ただの悪戯だよ」
なるほど。エドアルドが何でそれを願ったのかは分からないが、妖精の仕業なのは十分に理解した。
「……私はまだ旅を続けないといけませんが、エドアルドが彼女を心配して残るのなら、ここで別れてもいいのかもしれませんね」
「何を言っているんだ。彼はルルシアと一緒に居たいからあの姿を望んだのだろう。なのに置いていくのはあんまりじゃないか?」
「……一緒に居たいからあの姿になったという理由が分かりません」
「違和感なく居られるようにだろう? 兄妹として旅をしていくスタンスならば、見た目が似ていないのはおかしい。だから髪色等をルルシアに寄せられたらと願った」
昨日、母さんみたい……という話を思い出し、私は「ああ」と力なく肩を落とした。
彼は私と家族になりたかったのか
「私には理解出来ないです……赤の他人にそんな期待向けられても」
「貴方は随分と……いえ、人間は様々な考えを持つもの。必ずしも理解し合える訳ではないよ」
「その言葉を、国のトップにも聞かせてあげたいですね」
「王都も大変らしいね。私も自領から出ないから兄から噂でしか聞いていないが」
「私も噂程度しか分かりませんよ」
それからディエゴと世間話をしていると、途中でエドアルドとアグリが入ってきた。
彼女の状態をエドアルドと聞き、今は安定している話を聞いて安心していた。
「彼女の事は大丈夫だ。君たちも旅を続けるといい」
ディエゴの言葉に私はエドアルドを横目で伺うと、意外にも迷った様子はなかった。
「気になるようなら滞在してもらって構わないよ」
「い~え、俺たちは先を進まないといけないので、後の事は先生にお任せします」
そう言ってエドアルドが頭を下げる。
すぐに頭を上げて「お邪魔しました~」と機嫌良く私の手を引いて歩き出した。
私も慌ててディエゴとアグリに向けて
「ありがとうございました!」
とだけ伝えると、二人は微笑みながら手を振って見送ってくれた。
宿に戻るとすぐにエドアルドは荷物をまとめ、早々と準備を終えて村を出た。
ドリーを運転するエドアルドの隣で、私は周りの景色を目に焼き付けてみた。
いつの間にかエドアルドの色が戻っていることに後になって気付く。
しばらくして昨日の三差路が現れ、私たちは地図に従って進む。
しかし昨日とは違う景色に見えてしまう。
いつまで経っても昨日彼女たちを見付けた道に辿り着けなかった。
エドアルドも話しかけられる事なく会話がないまま進んでいく。
日が暮れる前に次の村に着いた。
当初の予定だった村は小さく宿もない。
幌馬車を停めさせてもらい、私たちは村長に願い出て空き家を借りた。
井戸を巡ると、この村も汚染していたので浄化を施した。
夕食のスープを作っている間、エドアルドは何も言わずに私をじっと見ていた。
出来たスープを器に入れて渡した時に「ありがとう」と一言だけ伝えられ、二人で黙々と静かな食事を済ませた。
夜になり、私は厚手の布を敷いてその上に横になる。エドアルドは何も話さないが、そういう時もあるだろうと気にしないで居ようと背を向けて休もうとしたが
「……ルルは、俺が居ても居なくても、どっちでもいいんだね」
エドアルドの呟く声に、私はどう返していいのか分からず、そのまま目を閉じて寝たふりをした。
反応しない私に、彼は更に言葉を投げ掛ける。
「始めから分かってたのに、何でこんなにツラいのかな~……なんて」
独り言だ、私の返事が欲しい訳じゃない……
そう思いながらも、彼の呟きに耳をすませてしまう。
「それでも俺は一緒に居たいから、だから、置いてかないでよ……ルル」
そういえば、今日ディエゴと話したな。
それを聞かれたのか……でも、それも分かっていてもらわないと私も困る。
長く居られるなんて期待されても、私じゃなくて周りがそれを許さない時が来る。
いつだって私は自分の意思とは関係なく流される……足掻く事すら面倒で、今は何かをする気すら起きない。
エドアルドが私にどんな期待をしているのか分からないけど、魔力で何とか出来る事じゃなくて私の感情的なものであれば、応えられそうにない。
「……寂しいよ」
やはり彼には応えられない。
私は諦めて、そのまま眠りについた。
まだ何か話すエドアルドを置いて、深い海の中に沈めていく感覚に身を委ねた。