違和感のままに進む
1時間程走り、スーラが山間にある小さな村に入ったところで立ち止まり、私を下ろすと、スーラ自身も地面に座り込む。
「だ、大丈夫?」
「ハァ、ハァっ……さすがに疲れたっ……ッス……」
「私まで抱えて走り続けたんですもの……スーラ、ありがとう」
「いえいえ! ルルシア様がご無事なのがなによりッスから」
スーラの事をじっと見つめてから、ため息をついて視線を外した。
「……アリアから直接指示されたの?」
「分かりまスか? やっぱりルルシア様は察しがいいッスね!」
今までもアリアの家にいた時から何人か仕向けられていたから
常に疑い続けてしまうのは、昔からの性格だけど、アリアに会ってからは更に酷くなった。
アリア以外もそうだ。王都を離れてからずっと私を嗅ぎ回っている人間を何人も見ていたから……
「だって! ルルシア様がグラジア領に向かってるってアリアから聞いて、居ても立ってもいれなかったッスよ!」
それからスーラはグラジア領の事を話してくれた。
スーラが働いていた屋敷があの町から少し離れた隣町にあり、臨時で雇われながら町の人や商人、旅人や使用人から情報を集めていたそうだ。
そして一年前からグラジア侯爵があまり表に出て来なくなり、兵役の募集が始まり、要塞都市の中に人が集まり始めたという。
町の空き地や広場で訓練する兵士も増え、町の人たちは何か始まるのではと気にして、一部の人間は何かを察して町から別の場所へと住処を移していった者もいて、スーラのいた町にも、何人もの人が移り住んできていた。
スーラの町に徐々に人が増え続ける中で、最近になってグラジア侯爵ではない別の人物が軍の指揮をとっているという噂が出てから、要塞都市に住む人は更に減ったと移住者から聞いた。
「町には他領の人間も何人か紛れ込んでたって聞いてたんスけど、まさかルルシア様まで来てたなんて……アリアから聞いてて良かったッスよ」
「最近アリアと会ったの?」
「自分、2週間くらい前に仕事の為に王都にいたんスよ。その時にアリアに見つかって」
「そっか……アリアは元気だった?」
「ンー? 見た目は年寄り過ぎて分かりませんが、忙しいって口では愚痴ってましたよ?」
「じゃあ元気でしょうね」
「あと、これも言ってましたよ? 選択次第でルルシア様の同行する人間を変える必要があるって」
いつもアリアの考える事は毎回分からないし、いつだって私は当たらないから、深く考えるのを諦めるが……
今回は本当に訳が分からない。
選択を間違えたから私は今、ランドールたちから引き離された……って事よね?
「……それなら、次に別の人と旅を続けろって事なのね」
「どうなんスかね? 自分は次に向かう町までの同行なんで」
「次の町って近いの?」
「馬車なしで村3つ通って行くんで、5日はかかるんスけど」
「そっか、スーラには迷惑かけるけど、宜しくね」
「いいんスよ。とりあえず今日はここに泊まりまスよ、村の人に空きのある納屋を貸してくれたんで」
荷物もそこに置いてるんで! と、スーラは立ち上がり、私の手を引いて案内してくれた。
スーラが私の分の寝床を用意してくれている間に、私は村の中央にある井戸を確認しに行く。
微量ではあるが、あの黒い藻のようなものが溜まっている……前のように小石に力を込めて井戸に投げ入れた時、ちゃぽんという落ちた音と同時に「こらっ!」と声が上がった。
後ろを振り返ると、そこには村人だろうか、40代くらいの女性が気桶を持って近付いてくる。
怒っている様子に、私はおろおろしていると、女性が木桶を井戸近くに置いてから腰に手を宛てて私を見下ろしながら
「こらっ! 井戸に何入れたっ!」
「……あ、近くに落ちてた小石を……」
「子供の遊び場じゃないんだよ! この井戸は村で唯一の大事な飲み水用なんだ、石なんか入れんじゃないよっ!」
「す、すみません……」
「あんた見ない顔だね? よそ者かい?」
「……近くの町から来て……」
「近く……ああ、あの領主様の町からここに引っ越ししに来たのかい?」
「いえ、今日は泊まらせてもらって、まだ先に進む予定です」
「そうかい。親はどうした? 子供一人にして何してんだい」
「親はいませんが、姉と一緒に……姉は私の寝床を作ってくれてて」
スーラと話して、親のいない年の離れた姉妹と設定して旅をしようと決めたばかりだった。
親がいない……という部分が刺さったのか、女性はばつが悪そうに顔を背け、井戸の水を汲み上げた。
「……まぁ、いいけど。井戸に余計なもの入れるんじゃないよ」
「す、すみませんでした……」
引き上げた水を盗み見ていると、黒い藻のようなものが無くなっていて、一人安心していたら、女性は再び私に目を向けて……
「なんだい? じろじろ見て」
「いえ、あの、ここは飲み水用って言ってましたけど、井戸は他にもあるんですか?」
「一応2つあるよ。だけど1つは濁って飲めたもんじゃないから洗い物用だ。もう1つはほとんど干上がっちまって使えないのさ」
指を差しながら話してくれた。
それを聞きながら、前の村と似ている状態だと思っていると
「あんた、どっちの井戸でも遊ぶんじゃないよ」
と、釘を刺され、私は頭を下げてから足早に納屋に向かった。
戻るとスーラは寝床を整え終わり、荷物の整理をしていた。
「ルルシア様、今日は私が夕食作りまスね!」
元気に言うスーラに、私は
「私は、この村の井戸を見てくるわね」
と、口にすると、スーラは一瞬驚いた顔をしてからすぐに荷物を端に寄せてから、真剣な顔で私のところまでやってきて
「ルルシア様は知ってるんスね」
なるほど、スーラも気にしていたのか。
「前に泊まった村が同じ状況だから不思議だなって思ったのよ」
「自分の知る限り王都からこの辺りまで、だいたいの村が同じなんスよ」
「スーラは大丈夫なの? 飲み水とか……」
「自分には“聖なる力”があるんで問題ないんスけど、どの村でもやっぱり飲んでて不調が出てる人もいるみたいッス」
「……何なのかしら、伝染病の類いなのかしら」
「井戸に行くなら自分も連れてって下さい!」
スーラと共に私はまず、洗い物用の井戸に向かった。
「やっぱ、濁ってまスね……」
水を汲み上げてもらい、中を見ると黒い藻のようなもの以外にも少し泥のような濁りもあった。
私は周りを見渡して村人がいない事を確認してから、私は両手の中に自らの魔力を浄化の術式に変えてから液体化させた。
それを両手に溢れる程のそれを井戸の中に注ぎ入れた。
「ルルシア様? 今魔術してまスか?」
一連の流れの中で、魔力が見えないスーラには確認出来ないようだが、変わった行動をみてそう聞いてきて、私は頷いた。
「もう一度、水を汲み上げてくれる?」
「は、はいッス!」
再び汲み上げた水を見て、私は一安心したが、隣にいたスーラも水をじっと見つめて驚いていた。
「な、なんか水がキラキラしてるッス!」
「スーラ、分かるの?」
だってスーラには魔力がないはず……?
「自分、善意とか悪意みたいなものが物から見える時があるんスよ。さっきのは悪意に満ちてて、今は善意に変わってて」
「善意? 悪意?」
「まぁ、口で説明するのが難しいんスけど、そういう事ッス」
スーラの言う事がいまいちよく分からないが、これの仕業は人為的な悪意がかけられているのか……?
「私も不思議だと思っていたのよ。浄化の魔術をかけて効果があるのが」
「かかってたのは悪意のある魔術って事じゃないんスか?」
「そうだとしても、どうして魔力がない村人に影響があるのかしら」
「確かに……村人が魔力を持ってるって事ッスか?」
「スーラに効かないのも魔力関連だとすれば、やはり村人が不調になる理由がそういう事になるけど、どの村もそうだとすれば、ほぼ全ての人が魔力持ちになるわね」
「それはさすがにあり得ない話ッスよね。じゃあ普通に毒でも入ってるとか?」
「それなら私よりも聖職者が解決できる話でしょうけど、この水に影響を与えらるのは魔術のみ……やはり誰かが魔術をかけているからだと思うの」
「誰がそんな事を……というか、そんな事して何か得でもあるんスか?」
「分からないわ……。とりあえずもう1つ魔術をかけるわ」
井戸の内側を手で触れて、別の魔術をかけておく。
再び水を見れば、スーラは再び驚いまていた。
「濁ってない!? どうやったんスか?」
「泥の濁りを沈澱させて、一部の石壁の中に取り込んだの」
「凄いッスね!」
「これは今ある水の中だけを綺麗にしたに過ぎないよ」
「まさか浄化も?」
「そっちは3ヶ月だけしかもたないの。その間に魔術が弱まればいいけど、新たに魔術をかけられたら元に戻ってしまう」
「それでも十分ッスよ! さすがルルシア様!」
「とりあえずもう1つの井戸にも行きましょう」
「はいッス!」
スーラが作った夕食を食べ、日が暮れてから納屋にろうそくに火を灯したスーラが、麻の布の上に寝そべる私の隣に、同じように麻布に寝っ転がる。
「魔術って凄いッスね、石から水出せるとこ初めて見ました」
先ほどの干からびかけた井戸に行き、前の村の時のように浄化の魔術と、呼び水用の石を作って投げ入れた時、スーラは水が出ている事を凄く驚いていた。
「魔術で作った水も飲めたし、やっぱりルルシア様は他の魔術師とは違いまスね」
確かに、浄化よりも水を出す魔術は使う魔力も段違いで消費が激しいから、わざわざ使おうとする人はいないだろう。
私の中では大した量でなくても、平均的な魔力量の人では術式を作り出すことすら出来ない可能性もありそうだ。
「……誰が、何で、こんな事をしているのかしら」
ふと、口にした言葉に、スーラも同じ思いのようで頷いたあと、こちらに視線を向けた。
「魔術には人を呪うものもあるんスか?」
私もスーラのほうに顔を向けると、ろうそくの火の中で、スーラの瞳が不安で揺れていた。
呪い……ここ最近、あったばかりの事件を思い出してから、私は視線と顔を天井のほうに向けた。
「魔術は闘いに特化しているものもあるのよね、戦争においても使われていたのもあるし」
「戦争……魔術には攻撃するものもありまスからね」
「始めからそこに悪意があるとは思わないけど、ただ人は変わるものだから、いつの間にか自分では分からないほどの悪意になっていた……歴史の中で愚行を犯した人たちはそうなのかもしれないわね」
「……悪意から呪いになったって感じッスか?」
「分からないけど……呪いは自分にとっての善意で、相手にとっては悪意……とか?」
「ルルシア様でも分からない事ってあるんスね」
「私には分からない事だらけよ。今だってそうだもの……」
重くなる瞼に逆らうことなく受け入れ、目を閉じた時に隣から
「……ルルシア様に、安らぎのある時間が訪れますように……」
その声を聞きながら、そのまま意識を手放した。
次の日、朝早く起きてスーラと村を出た。
軽くする魔術をカバンにかけて、浮遊する魔術を自分にもかけた。
私はスーラの背負ったカバンの上に乗せてもらって、行き先を見つめる。
「今日も山を越えるの?」
「そうッスよ、今日明日は野宿の予定なんで
」
あれから2日間野宿を続けてたどり着いた村は、井戸の状態が悪く、体調不良の人間もいた。
体調不良の特徴は主に腹痛、下し、吐き気が多い。
魔術でなくても井戸の汚染によって、よくある病といえる。
今回も井戸の浄化と、湧水の石を投げ入れた。
一泊した後に再び旅立ち、1日かけて次の村に行ったら、同じように井戸は酷い状態だった。
再び浄化と湧水を井戸に与えて、一泊する。
2日の野宿を経て、大きな町にたどり着いた。
宿をとり、一息ついたところでスーラはベッドに寝転びながら私を見上げた。
「自分は明日、先に王都に戻りまスね!」
「今までありがとう。スーラのお陰で助かったわ」
「いいんスよ。それにルルシア様の力を近くで見れて良かったなって思いましたよ、魔術ってあんまり良いイメージ無かったんで」
「……あまり良いものじゃないのは確かよ。信じないほうがいいわ」
「じゃあ、ほどほどに信じまスね!」
スーラの笑顔に、私も応えるように笑ってみせるが、やはり上手く頬が上がっていない気がした。
「今日は休んで、明日に備えましょ!」
次の日の早朝、私は宿屋の外で待っていると、アリアの使い魔のドライがやってきた。
手紙をほどくと、ドライはすぐに飛び立ってしまった。
手紙を広げて、アリアが書いた字である事を確認し、中身を読む。
『レアンドロという男と、ザビの町に向かえ』
「……また面倒な……」
思わず口に出してしまったが、本当に面倒なのだ。
私の知る限り、レアンドロとは王族だ。
パトリシア王女の次に継承権のあるが、側妃が産んだ王女だ。
しかし、その側妃は病を患い、6年前に亡くなった……らしい。
ただその側妃は元々良くない噂ばかりで、一部では病に見せかけて毒殺したのではないかと、未だに言われているとか
レアンドロの地位は不安定で、後ろ楯のない彼は他国にも出せないが自国の縁談も勧められないという、とても微妙な立ち位置なのだ。
ただ、それでもランドールと違って式典には出ていたし、ちゃんと王位継承権があるのは事実だ。
それなのに今からその者が王都から離れ、私と旅をするように言われているのだとすれば、何だか可哀想にも思えた。
周りの貴族や平民で彼がレアンドロだと知れば、場合によっては命を狙われ兼ねないだろう。
彼の母であった側妃は、平民にまで知られているほど金遣いの荒い人だと噂されている。
むしろランドール達よりも彼の護衛を頼まれるかと思ったが、アリアの手紙からは同行者としてしか書かれていない。
身を守る位は出来るということか、それにレアンドロのみではなく他にも従者位はいるはずだ。
「おい、そこのお前」
近くで声がして顔を上げると、少し離れた場所で私のほうを見ている一人の青年がいた。
青年は私と同じようにローブのフードを目深に被り、バターブロンドの目立つ色した長い前髪の隙間から、夏の青空の色をした瞳が私を睨んでいた。
その瞳を見て、ランドールを思い出した。同じ色の瞳……顔も何となく似ている気がする。
「お前が、次の案内人か?」
警戒するように問い質され、私は改めて青年をじっと見つめた。
三年前に見たきりだが、やはり彼はレアンドロ本人だ。
彼の母である側妃は元々他国から嫁いできたから、顔つき等も自国とは違うのに、髪色以外は国王陛下そっくりだ。
ランドールと違って男らしさがあるものの、警戒する姿はまさに国王陛下そのもので、何だか更に面倒な予感がした。
「おいっ、聞いてるのか!」
痺れをきらして近付いて来た青年は私の前で立ち止まり、見下ろしてくる。
ランドールよりも高く、ガルムより低い身長をした青年の顔を見上げれば、青年は私の目を見て驚き、一歩後退った。
「……銀の魔女か……」
その呼び名は稀に言われていたな……と、他人事のように考えていると、青年は険しい表情に変わり、声を荒げた。
「おいッ、お前の仕業かッ!」
は? いきなり八つ当たりから始まるの?
「お前のせいで兄上から急にここに向かえと言われたんだぞ! 馬で何日かかったと!?」
馬使えたんだ……いいな。私は馬車すら無かったけど、ほとんど私も抱えられたりしてたから……まぁ似たようなものか。
「銀の魔女が関わっていたから父上も反対しなかったんだなっ」
おや、王太子殿下だけでなく国王陛下もこの事を知っているという事?
アリアと王太子殿下が繋がっている事が何となく分かったが、国王陛下まで関与してるとなると、三人の利害は一致してる……?
いや、グラジア侯爵や領地については王太子と国王陛下の意見が割れていたよね。
アリアは……まぁ、あの人の考えは分からないが、少なくとも利益にならない事はしないだろう。
「何とか言えよっ」
「私は案内人ではありません。人違いです」
シラを切ってみよう。
まだレアンドロ本人とは限らないし、私は案内人でもない。
というか、関わりたくない。
淡々と告げれば、青年はポカーンとして何も言わなくなったので、私は足早に宿屋に戻って、スーラのいる部屋に逃げ込んだ。
寝ているスーラのベッドに潜り込めば、まだ寝ぼけている様子で、私を抱えて「よしよーし」と頭を撫でてきた。
「きっと夢だわ」
現実から目を背けようと、私はそのまま二度寝した。
次に目が覚めた時には、スーラは先に起きて身支度を済ましていた。
「おはようございますルルシア様、いつの間に自分のベッドに来たんスか?」
「おはよう……確か朝に、恐ろしい夢を見て……」
うん、あれは夢。恐ろしく面倒くさくなりそうな旅の始まりの夢。
「可愛いとこあるんスね! 私はいつでも大歓迎なんスけどね」
スーラは私の前でしゃがみ、私の手に2枚の銀貨を渡した。
「前にルルシア様がくれたお金、ようやく返せたッス」
そういえば、昔スーラが帰りの旅費代がないって言ってたからあげた事があった。
因みにその時あげたのは金貨一枚だったけど。
「ありがとう。これで何とか旅出来るわ」
「いえいえ! とりあえず宿屋は明日まで支払ってるんで安心して下さい!」
「何から何まで助かるわ。スーラも気をつけてね、何かあれば力になるわ……私の出来る限りになるけど」
「それ、ほとんど何でも叶いそうな気がしまスが、いつか使わせて頂きまスね!」
過大評価だと思うけど、まぁスーラの事だから大したお願いはされないと思うけど。
こうして、宿屋の前で私はスーラを見送った。
「……おいっ、銀の魔女! 無視するな!」
スーラの姿が見えなくなってから、声をかけられていたが、私は聞こえないふりをしていた。
「王族を蔑ろにするとは無礼であるぞ!」
こんな往来で王族とか言わないでよ……只でさえ貴方は危うい立ち位置なのに……
仕方ない。と嫌々ながらも諦めて振り返れば、それが伝わったのか、青年は更に苛立ちをぶつけてくる。
「なんだその顔は! お前は昔からそうだ! 兄上や姉上に対してもお前はそうやって見下す目を向ける!」
パトリシア王女には髪渡せ問題もあったし、王太子に関しては……まぁ色々あってキリがないが、少なくとも王族の人たちにとって私はあまり心証は宜しくないのは知っていたが……
大人になっても一番分かりやすく突っ掛かってくるのはこの人くらいじゃないかな……
「母様に対してもお前は応じ無かったな!」
側妃については私ではなく、実家のほうから断ってるのだ。
だいたい、貴方との婚約話なんて、貴方のほうが嫌だろうに……そんなに亡き側妃が好きなのか
「銀の魔女め、まだ無視する気か!」
「……私に何かご用ですか?」
「だからお前が案内をっ……」
「私は道を知りません。案内出来ないのです」
「は? 何をバカなことをっ」
「本当に知らないのです」
「じゃあ、何でここにいるんだ?」
「私も案内してくれた方にここまで連れて来られましたから」
「そいつはどうした、一緒じゃないのか?」
「さっき別れました。彼女とはここまでの約束なので」
「なっ……じゃあ、俺はこれから何処に行くんだ?」
アリアの手紙からは、ザビの町とは書いていたが、この方の目的地がどこか分からないのよね。
「私には分かりません。一度王都に戻られてはいかがですか?」
アリアには悪いが、こんな面倒な人を抱えて旅になんて出たくない。
今回はこちらから手紙を出して断わろうか。
「……待て、お前は何処に行くんだ?」
「私はアリアに言われてザビの町に行きます」
「あの白の魔女か……それなら俺も行くぞ」
「な、何故でしょうか?」
っていうか、来ないでくれ。一人で行け。
「案内人がお前である以上、俺も兄上に従って行くだけだ」
「私が案内人とは限りませんよ?」
「お前だよ。兄上からは“最も力のある者”が案内すると言っていたからな」
力って、魔力の話とは限りませんけど。
王太子も嫌な言い方をするのね。
「……私は同行するだけですよ」
「自分の身くらい守れる。これでも王族の中で唯一の“聖なる力”の保有者だからな!」
また堂々と王族とか言わないで欲しい。
とりあえず、うるさいので宿屋の私の部屋に連れていった。
部屋に入ってからソワソワして大人しくなったので、私は椅子に腰掛けるよう伝えると反論なく座っていた。
腰に下げていた剣をテーブルの上に置いて、部屋の中をキョロキョロしていた。
私物も何もないただの宿屋の部屋が王族には珍しいのかもしれないが、それにしても見過ぎだし、今まで彼がどうやって旅が出来ていたのか疑問になる。
「……失礼ですが、お名前を確認しても?」
「ムッ、私はこの国の第三継承権のあるレアンドロだ!」
ああ、やっぱりレアンドロだったか……分かっていたけど、やっぱり私はこの人と旅するのか……
「レアンドロ殿下、今回の旅の目的は何と言われたのですか?」
「……兄上からは案内人と同行する事しか聞いていないぞ」
聞いていないぞ……じゃなくて、自分で考えなさいよ。
「……そうですか」
これは本当に同行すればいいって、思えばいいのかな?
私も正直、巻き込まれたくないんだけど、ザビの町まで連れて行けばいいだけなら早く送り届ければいいだろうし。
「とりあえず私は地図を買って来ますね」
「ま、待て! 地図ならあるぞ!」
背負っていたカバンを床に下ろし、中から巻かれた紙を出して広げて見せてくれた。
「前の町からここまで供も付けずに来たんだ!」
「……それなら、お一人で行けますよね?」
「俺の事はいい。お前一人ではたどり着けないだろう?」
「いえ、私の事はどうか捨て置いて頂いて結構ですので」
「何? 俺がそんな薄情な者に見えるのかっ?」
いや、気遣いとかいらないんで、本当に捨て置いて下さい。
「レアンドロ殿下は馬で旅をしているのですよね? 私は馬を持ってはおらず……」
「なんだ、それなら俺の馬に乗ればいい。お前一人くらいなんて事ない」
……一緒に乗る気か?
やだなぁ
「さすがに殿下の馬に乗せてもらう訳にはいきませんよ。ですから……」
「えぇい煩いっ、お前は俺の馬に乗って行くんだ! 文句を言うな!」
キレられて、結局それ以上は何も言えずに私は口を閉ざした。
「明日の朝に出発だ! 準備しておけよ!」
そう言って、レアンドロは荷物と剣を持って足早に出て行った。
昼前までに買い出しして旅支度を終え、昼からは時間が出来たので井戸巡りをした。
大きな町だが、井戸の水は全くないとは言えないが比較的マシのようで、これは町の魔術師の誰かが浄化してくれているのかもしれない。
町の人に教えてもらいながら井戸を巡っていると、井戸の前で洗濯をしているおばさん達が何やら噂話をしており、その内容が気になった。
「……グラジア領主の町がねぇ……」
「……やっぱり変よ……はね……」
近付いておばさん達に声をかけた。
「こんにちは!」
「見ない顔だね、どこの子だい?」
「グラジア領主の町から来ました」
「おや、そりゃあ大変だったね」
「あんたみたいに流れて来た人もこの町には沢山いるんだよ」
「グラジア領から来た人って何処にいますか? 知り合いを探してて」
「だいたいは宿屋だろうが、この町に居住いを決めた人なら仕事探しの為にギルドにいると思うよ」
「ギルドって、何処にありますか?」
おばさんたちから場所を聞き、私はギルドへと向かった。
ギルドと言っても様々あるが、普通に職探しするなら商業ギルドか職人ギルド、または農業ギルドといったところだろう。
まずは商業ギルドに行くと、入り口で追い返された。子どもの見た目ではダメなようだ。
職人ギルドも伝手がないと駄目らしい。やっぱり追い返された。
農業ギルドは比較的子どもも仕事を求めてやって来ているようで、中に入る事は出来た。
農業ギルドの建物は横に大きく、中には農具の貸し借りもしているようで、幾つか立てかけてある。
たむろっているグループが何組かいて、その中にグラジア領の人はいないかな……なんて視線をさ迷わせていると、人で賑わうほうに目がいった。
受付近くの貼り紙されている求人を見ては依頼を受ける場合は受付に行くという流れのようで、貼り紙を真剣に見ている者が何人かいた。
目的とは別に求人が気になって、私も一つ一つ見てみると、当然だが大半は田畑の手伝いだ。その中で何の作物かで労働賃金も違うから、皆自分の条件に合うものを探しているようだ。
農作物の大半は野菜等だが、中には家畜や養蜂の助っ人募集まであるらしい。
「あなたも仕事探し?」
隣から声をかけられて振り返れば、私の目線と合わせるように座っていた女の子がニコニコしながら私を見ていた。
女の子の手には求人依頼の紙を持っており、今から貼り出すようだ。
「良かったらウチの仕事しない? 結構稼ぎはいいわよ」
そうして持っていた紙を見せてくれたら、そこには薬草採取の求人だった。
「あなたも魔力があるんでしょ? きっと早く見つけられるわ!」
顔立ちは幼いが、立ち上がると、それなりに背の高い女の子だった。
身体は細く、少し心配になるような肉付きをしていた。
「ね、お願い」
笑顔を向けているが、どこか必死な様子が気になって、私は女の子に言われるがまま受付でその求人の依頼を受けることになった。
「私はミア、よろしくね」
「ルルシアです。よろしくお願い致します」
「畏まらないでいいよ。ほら、ついて来て!」
ミアに言われるがまま、私たちは町外れの森の中にやってきた。
ミアが求人に書いてた薬草の絵を見せて、これを採るように言われたものを探し始めた。
1時間程一人で歩き回り、合流した時に私は依頼分の10束をミアに渡すと驚かれた。
「……うん、間違いないわ、あんた凄いじゃないか!」
「あ、ありがとうございます」
「今日は沢山もらえそうだわ。これはね、薬にするのよ」
「……そうですか」
じゃあこれで……と、町に戻ろうとしたら、ミアが私の肩を掴み
「せっかくだから薬作ってるとこ見て行きなよ! 勉強になるよ!」
「い、いえ……私は別に……」
「作るのはうちの爺さんだけど、薬作りには長けててね。あんたも農業ギルドよりも魔術使った仕事のほうが稼げるよ、さぁ行こ!」
私はミアの強引さに負けて、大人しくついて行くことにした。
逃げようかと思ったが、ミアにしっかり手を握らてしまい、振り払うのを躊躇い、結局諦めた。
町外れの森の入り口に、平屋の家がポツンと建っていた。
アリアの家よりも魔女の家っぽい見た目が、何か入りにくさを漂わせていた。
「爺さん、草とってきたよー!」
気にせず扉を開けて、ズカズカ入っていくミアに引っ張られながら、私もお邪魔する。
「……うるせぇな。ノックぐらいしろって何度も言ってんだろ」
部屋には薬を作る器材が多くあり、その中の一角に机の前に座り、大きな背中を向けたまま話す男性がいた。
「思春期のガキじゃあるまいし、そんな事気にしてんじゃないよ」
ミアは男の向かう机に先ほど採った薬草を置く。
すると男は顔を上げて置かれた薬草をじっと見つめた。
男を見ると、確かに頭は白髪だが、爺さんと言えるほどの歳には見えなかった。40代後半くらいだろうか? 身体も鍛えているのか、筋肉がしっかりついていて、魔術師より騎士のほうがしっくりする見た目をしている。
「……随分と良いものが手に入ったな。群生地でも見つけたか?」
顔を上げてミアを見る視線が、流れるように隣にいた私を見つけ、怪訝な目で私を睨んでいた。
「お前が採ったのか」
「ちょっと! せっかく引き受けてくれたのよっ、もう少し優しい言い方出来ないの?」
「はいはい、ありがとよ。それで、ここには何しに来たんだ?」
「私が呼んだのよ。この子魔力があるし、仕事探してたからさ、爺さんの弟子にどうかなって」
え、弟子とか聞いてませんけど?
勝手に色々決めないでくれ。
「……それならお前はここに居ろ。ミアはさっさと出てけ、旦那が待ってんだろ」
そう言って男はミアに薬草のお金銅貨12枚を机に置いて「出てけ」と手で払っていた。
ミアはお金を受け取り、その内の2枚を私に渡すと、そのままご機嫌に出て行った。
因みにミアは薬草を2束採ったのみだ。
これならさっさと逃げれば良かったな……なんて考えていると、男は近くにあった別の丸椅子を引き寄せて隣に置き、座面を手でポンポンたたいて離した。
「座っとけ、後で町まで送ってやるよ。農業ギルドに行けば採った分は支払われるから安心しな」
「あ、あの、じゃあこのお金は……」
「お小遣いとでも思って貰っとけ」
「あ、でも……弟子のことは、その……」
「アイツの話は気にするな。俺は弟子なんて要らねぇんだよ」
ぶっきらぼうな言い方だが、気遣ってくれてるようだ。
私は丸椅子に座ると、男はチラッとこちらを確認してから私の頭をフードの越しにポンポン触って、再び目の前の作業を始めた。
カチャカチャとガラスボトルがかち合う音が響く。
私は隣で薬作りをずっと見ていて、不思議に思い、身を乗り出して一つのボトルに入った中身をよくよく見た。
「……気になるか?」
隣から声をかけられたが、私は「はい」とだけ返事をしてから、作りかけている分のほうもじっと見た。
やっぱり……この薬って……
「これ……普通の胃薬ですね」
「そうだよ、お前よく知ってるな」
これは魔力を加える必要のない、ただの薬草をブレンドした胃薬。
むしろ魔力がない人間のほうが当たり前に知られている薬だ。
「胃薬が売れているのですか?」
私の頭に過る今までの村での事を思い出し、恐る恐る聞いた。
男は手を止める事なく話してくれた。
「ここ最近は特に売れててよ。町以外の近くの村から買いにくる奴もいるな」
「魔術師ではなく、一般の方が買いにみえるのですか?」
「ここらじゃ魔術師だけ相手にして商売なんかしても儲けは出ねぇのさ。昔っから俺は普通の薬ばっか作って売ってるんだよ」
「そうなんですね。でも何故胃薬ばかりを作られているのですか?」
「知らないのか? 最近この辺りの町や村の井戸がおかしいんだよ。飲み続けると下したり吐いたりしてるんだとよ」
やっぱり……町の中で見る限りそこまでではないにしても、やはりアレが人体に少なからず影響を及ぼしているらしい。
「……井戸の中を綺麗にしたりは出来ないのですか?」
「教会も動いたが効果はなかったらしいぜ。町にいる魔術師も出来る限り浄化して、少しはマシになったが、まだまだ完全には無くならないんだとさ」
だから薬を作っているんだ。と言った男の横顔は真剣で、私は姿勢を正して大人しく目の前にある摘んだばかりの薬草を見ながら考える。
一体この問題はどこまで続くのかしら……どうして力のない者ばかりを狙うのか。
「誰が始めたんでしょうね」
何となく言った私に、男は手を止めた。
音が止んだ事が気になって隣を見上げると、男は無表情で見下ろしていた。
「お前は、これが人為的にやってる事だと思ってんのか?」
「……浄化の魔術が効いているのなら、そうなのかなと思っただけですよ」
男は私のほうに身体を向けて、じっと私を観察していた。ローブで覆っているが身体の隅々を視られている感覚に、私は大人しくしていたのだが、男はため息をついてから再び顔と身体の向きを戻して作業を続けた。
「随分でっかいモノを持ってんだな、羨ましいこった」
魔力の事だとは思うが、この人も平均以上には持っているようだ。
「お前なら魔術ギルドに登録すれば、仕事がわんさかあるぜ」
「いえ、私は旅の途中なので、明日には立ちます」
「そうかい、残念だな。その魔力量なら浄化の魔術を町の井戸全部にかけられそうだがな」
「町の井戸は、いくつあるんですか?」
「だいたいだが、8や9かはあった気がするな」
私は丸椅子から飛び降り、部屋の中を見渡して床に落ちたままの小さめの麻袋を拾って
「すみませんが、これ貸して頂けますか?」
男は不思議そうに私を見るが「構わねぇよ」と返事が来て、私は家から出た。
扉近くを見ても、ちょうどいいものがなくて、うろうろしていると、後ろから
「おい、何探してんだ?」
先ほどの男が出て来ていたようで、私の後ろで訝しげに見下ろしていた。
「これくらいの、石を探してまして……」
私も手のひらを広げて、見せながら説明すれば、男は「こっちだ」と言って、歩き出し、私もついていく。
しばらくすると、小さな川があり河川敷には丸く大きめの石がごろごろあった。
私は歩きながら手のひらサイズの石を拾っては麻袋に入れた。
何故か男はそれをじっと観察している様子だったが、私は気にせず拾い続けた。
麻袋に10個集めた石があるのを確認し、男の前まで移動し、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「おぅ、それは構わねぇけど……ただ石遊びする為に集めた訳じゃねぇよな?」
疑うようにギロっと睨まれたが、私は言っていいのか迷っていた。
今までのように浄化するだけで、悪い事をするつもりはないが……石投げて怒られたこともあるしな……
黙ったまま考え込んでいると、男は近くの大きめの石の上に座り、私の目線を合わせて話続けた。
「さっき、井戸の数聞いてたんだ。何かしようとしてんのは分かるが、そのただの石と何の関係があるのか気になるんだよ」
「……井戸に、石を入れようと思ってます」
「何する気だ? 話次第では井戸の場所を教えてやるぞ」
つまり協力してくれる……という事か。
それは有り難いけど……
「胃薬が売れなくなりますけど?」
「あぁっ? 俺だって胃薬ばっか作って飽きてんだよっ」
心外だとばかりに声を荒げていた。
まぁ、悪い人では無さそうだな。
「一応、この石に浄化の魔術を直接組み込もうと思ってます」
「……は?」
「石に浄化の魔力を入れようと……」
「ま、待て! お前正気か? 井戸の水に直接かければいいだろ? 何でわざわざ石なんかに入れるんだぁ?」
確かに、前のように直接流すのも悪くない。
だが男のいう水に直接かけるやり方は、正直なところ効果が弱い。
魔力を液状化して流せば、井戸の内側に貼り付いてしばらく持つのだが、それならば石に付与して井戸に入れても変わらないのだ。
百聞は一見に如かず。
私は麻袋から一つ石を出して、手の中で力を溜めながら心の中で術式を黙読する。
石はすぐに浄化作用のある白い淡い光を放つものへと変わり、私は男にそれを手渡せば、男は驚きながらも石をじっとみて鑑定しているようだった。
「……何だよこれ……こんなの見た事ねぇぞ」
信じられない様子で、石を色んな角度で見ていたが、やがて石から私のほうに視線を向けて
「……まさか、持っている石全部にこれをかけるつもりか?」
「はい、その予定です」
「こんなの一つでもすげぇ消費なのに、全部になんてかけられねぇだろ」
「かけますよ。明日には旅立つので、それまでには間に合うように」
「無理するなよ。これだけでも十分だろ」
「無理はしてません」
むしろ消費出来るならしたいくらいだ。
身体が辛くなるくらいの魔力なんていらないが、何かの役に立つなら使ってしまえばいいのだ。
私は気にせず、麻袋の中に手を入れて一気に術式を展開する。
光りが漏れる麻袋に、時間を要する事なく全ての石が浄化作用のものへと変わった。
それでも魔力の減りなど感じない。
私自身魔力の消費に対して鈍いのだ。
大きいものであれば別だが、これぐらいなら大したものではないので、むしろ手応えすらない。
呆然と見る男の手から先ほどの石を取り上げて麻袋に入れた。
そのまま私は歩き出して町に向かおうとしたら、男が慌てて着いてきた。
「場所、知らねぇだろ。教えてやる」
そう言って、男は許可なく勝手に私の身体を持ち上げ、逞しい片腕に私を乗せて抱えた。
「こっちのが早いからな」
「あ、ありがとうございます」
そこまで急いでいないが、親切にしてくれているのは分かるので、嫌がることも断ることも出来ずに大人しく運ばれた。
「バル爺さん、孫いたのか?」
「どっかから拐ってきたのか?」
「隠し子かよ、やるなー」
「うるせぇなっ! 知り合いの子ども預かってんだよっ!」
その姿で町に入ると、冷やかす声にイラついて喚きながらも最初の井戸の前で、私を下ろしてくれた。
私は麻袋から一つ石を出して投げ入れると、男も同じように井戸の中を覗き込んむと、井戸の奥で水がキラキラと浄化していく様を見て、感心しているようだった。
「汲むか?」
「お願いします」
すぐに確認したいらしく、男は井戸からバケツで水を引き上げて中を見た。
「すげぇ、黒いのが綺麗に無くなってやがる」
「浄化すれば無くなりますよね?」
「は? 魔術師だって力の有り無しで変わるのは当たり前だろ?」
「……心意気も大事ですよ」
現にディアナはちゃんと浄化の石を作っていた。持続については力量になるが、浄化本来の力は思いの強さに比例するのだ。
そんな話を軽くしたが、男はいまいちピンと来ていないようだ。
早々に話を切り上げて、再び男に抱えられながら次々に井戸を巡っては石を入れていく。
日が暮れる前に、最後の井戸がある屋敷の前にやってきた。
私の背丈くらいの柵と門があり、正面からじゃなくて裏のほうから勝手に入って、井戸の前で下ろされた。
「勝手に入っていいのですか?」
「知り合いの家だ、気にするな」
いいのかな……と、思いつつ、麻袋から石を取り出そうとしていたら
「バルト様! お帰りでしたか!」
急に大きな声がして、慌てて麻袋から手を引っ込めた。
男はバルトというらしい。そういえばお互いに名乗ってなかったな。
近くにいたバルトは頭を掻きながら「やっぱ。見つかっちまったな」と呆れながらも、近付いてくる若い男に一瞥した。
「ただいま。すぐ出るけどな」
「なりません! 奥様とお会いになって下さいませ!」
「やだね、アイツ口うるせぇもん」
「奥様はバルト様を心配されています。その様な言い方はあまりにも……」
「俺は人助けしてんのに口挟むほうがおかしだろ。それに仕事は息子がしてんだからいいだろ?」
「お仕事だけの話ではありませんよ。それに今は屋敷にレアンドロ殿下がお泊まりになっているのですよ。タクト様が対応されていますが、ご当主としても挨拶を……」
え、ここに泊まってんの?
迷惑な人だな、お金あるんだから宿屋に泊まりなさいよ。
「知らねぇな。俺は引退いた身なの、そういうのはタクトがやりゃいいだろ。王族とか面倒くせぇし」
不敬極まりないが、それには私も激しく同意したい。
話を聞いてると、バルトという男はそれなりの地位にいるようだ。屋敷も大きいし、もしかしたら領主の可能性もありそうだ。
二人の話をボーッと聞いていると、男が「早く入れろ」と言うので、慌てて麻袋から石を出して投げ入れた。
井戸の水を汲み上げて確認すれば、やはり浄化されて、黒い浮遊物もなくキラキラしていた。
安心して胸を撫で下ろしていると、後ろから身体を持ち上げられて、再度抱えられたことに気付いたが、バルトがさっさと歩き出した。
「お待ち下さい、バルト様!」
「……バルト」
後ろから止める若い男の声を無視していたが、途中で別の声が加わると、歩いていた足を止めた。
女性の声だった。私は肩越しにその人の切れ長の目が合うと、バルトより少し若いくらいのクールな美しさをもつ女性だった。
「バルト……その子どもは誰なの?」
潤んだ瞳に悲しげな表情に、何か勘違いされているのが分かる。
バルトは振り返って女性を見たが、すぐに目を反らした。
「勘違いするなよ、知り合いの子どもだ」
「そうなのですか……あまりにも仲の良いご様子でしたので」
「この子どもの魔術が興味深くてな。俺はコイツに付いてきただけだ」
「あ、今夜はこちらに戻られては……その、そちらの子と一緒に……」
待って、私も泊まれって言ってんの?
やだよ、レアンドロがいる同じ屋敷なんて休めたものじゃないわ。
バルトさん、断るよねっ? ねっ?
「……そうだな、コイツとはまだ話があるからな」
バルトは踵を返して屋敷のほうに向かっていく。
私は? 私は何も許可してませんけど?
しかし引き止めた女性は一息ついて安心したようで、微笑む姿に私は……拒否出来なかった。
私が断って逃げたら、バルトは屋敷を出るのだろうし……
結局、しっかり抱えられているのだから逃げれそうにない。
諦めて屋敷の中へと案内された。
屋敷の入り口で下ろされ、私は周りを伺うとロビーが広いが、あまり装飾品はなく、シンプルな作りだった。
そういえば……と、女性のほうを見る。
着ているドレスのデザインは質素なものだが、生地は品質の良いものを使っていた。
アクセサリーも控えめで、小ぶりなものだ。髪型も凝ったものでもない。
「挨拶が遅れました、私はヴィータ・マクレガーと申します。どうぞ仲良くして下さいね」
優しく上品な笑みを浮かべるヴィータという女性に、私は慌てて頭を下げた。
マクレガーといえば子爵家だ。
前領主が魔術師の中でも、無類の薬草の研究マニアなのは有名な話だった。まさかバルトが本人とは……ちょっと納得だけど。
「マクレガー子爵夫人とは気付かず申し訳ございませんでした。私は……」
自己紹介をしようとしたら、廊下の方から扉が開く音がして、皆そちらに視線を向けると、部屋から出てくる二人に、私以外の者は恭しく頭を下げていた。
隣にいたバルトが小声で「頭下げろ。殿下だ」と言われ、仕方なく頭を下げる。
しばらくすると、二人はロビーに来て
「頭を上げよ。バルト殿が戻ったと聞き、挨拶をと思ってな。息災か?」
落ち着いた声色だが、偉そうな態度に一人イラつきながらも私だけは頭を下げたままでいた。
「はい、殿下も陛下に似てご立派になられ何よりでございます」
「そうかな。私はまだまだだよ。バルト殿のご子息はとても優秀と聞いていたが、会って話をすると、その噂は誠だったようだな」
「恐れ入ります」
「バルト殿の隣にいる者、顔を上げて良いぞ」
使用人のように下げたままでいたが、バルトの隣にいた事が仇になったか。
寛大さをみせるレアンドロに、私は渋々顔を上げて目を合わせると、レアンドロはみるみるうちに顔を驚かせて
「……何故、お前がここにいる?」
「申し訳ございません。すぐに退出致します」
「待て、お前にはまだ話があったんだ。宿にも戻って居なかったから行方を探していたんだぞ」
「申し訳ございません。お話でしたらまた明日に伺います。私はこれで……」
「行くなっ、お前まさか一人で出る気だったな!」
「そんな畏れ多いこと致しませんよ」
「嘘だ! お前はいつも自分勝手に行動するじゃないか!」
あなたも、人のこと言えませんがね……
「嘘ではありません。私がここにいるのはバルト様とヴィータ様に招かれてこちらに参りました」
ほぼ強制的にね。
私からバルトのほうに視線を向けて
「バルト殿、すまないがこの令嬢も滞在させて下さらんか?」
「はい、お部屋は用意致します。どうぞご緩利となさって下さい」
人好きのする笑みを浮かべでバルトはレアンドロにいうと、近くにいた若い男がそれを聞いてどこかに行ってしまった。
きっと用意されるんだろう……別にいいのに。
「私は宿をとっておりますので」
「貴族のくせに、あんなボロい宿に泊まるな、少しは令嬢としての自覚を持て!」
うるさいな、私の親じゃあるまいし。
私はゲンなりしていると、それに苛立ってレアンドロは更にまくし立てた!
「だいたいお前は格好からしてなっていない! 男のような成りをするな! マクレガー子爵夫人、この者に服を誂えてくれぬか?」
「はい、畏まりました……では、こちらへ」
あれよあれよと、私はヴィータに急かされて別の部屋に連れられ、風呂に入れられ、子ども用のドレスを出されて着せられた。
髪も整えられ、もう勝手にしろという気持ちでされるがままになっていると、ヴィータから声をかけられた。
「お美しい……銀糸の髪に琥珀の瞳……まさかシュトレ伯爵令嬢のルルシア様とは気付かず……」
「お気に為さらずっ、私は貴族ではありますが、家からは遠退いている身ですし、今は魔女としてしか活動していませんから」
「しかし……」
「お願いします、どうか普通に接して下さい。居心地があまり良くないのです」
「そういう事でしたら……ですが、何故我が家にいらしたのですか?」
ヴィータの疑問に、私は農業ギルドから今までの経緯を話すと、困惑しながらも苦笑いで
「バルトは魔術に強い関心があります……特に薬草などに興味がありますが、一番はその原因となるものを追求したいのですよ」
「気持ちは分かりますが、私としては巻き込まれたくないのですけどね」
「ふふふ……そういう星のもとに生まれてしまったのでしょうか。私もルルシア様を初めて見て、逃したくない衝動に駆られましたわ」
なにそれ、怖い……私の身体なんなのよ。
飾り立てられ、鏡の前で全身を見て絶句した。
なんなのこのピンク色に白のフリルはっ!
ドレスに合わせたヘッドドレスなんて初めてつけたよ。
似合わない、似合ってない……
「ルルシア様、とてもお似合いですわ!」
ヴィータや周りの侍女たちが興奮しているけど無視しよう。
こんなのただの道化師よ。
「さぁ、行きましょう!」
「え、いや、これは流石にちょっとっ……」
「さぁさぁ、皆さん晩餐の席でお待ちですよ!」
「ひぃ……た、助け……」
ヴィータに手を引かれながら、私は抵抗虚しく皆の前に晒された。
「……ふん、大分マシになったな」
マシなものか、レアンドロも目を反らすくらいなら着替えなんて要求するな。
「お美しいですね、流石ルルシア様ですね。失礼、申し遅れました。私はタクト・マクレガーと申します。以後お見知りおきを」
挨拶がまだだったが、バルトの息子であるタクトに挨拶され、私も貴族の時のようにカーテシーと共に作り笑いを浮かべて
「お初にお目にかかります。私はシュトレ伯爵が娘のルルシア・シュトレと申します。どうぞ良しなに」
たどたどしかったかな……と恐る恐る顔を上げると、タクトは目をキラキラさせていた。嬉しそうなのは何よりだが、隣のレアンドロが睨んでいるのはなんでよ。
「では、晩餐を初めようか」
そう言われて私の元にレアンドロがやって来て、手を差しのべてくる。慣れてるな。
エスコートしてくれるようだが、身長差が有りすぎません?
「早く手を取れ。鈍いな」
渋々手を添えて、私は屈むレアンドロにエスコートされながら席に案内された。
なんでレアンドロの隣なのよ。食べづらいな。
晩餐の席では他愛ない話を主にレアンドロとタクト、ヴィータがしていた。
私とバルトは黙々と食べていたが、私はたまにレアンドロから「何か話せ」とせっつかれて、「何もありません」と答えれば令嬢なのに貴族なのにと怒られた。疲れた。
背中が曲がれば「シャンとしろ」と注意され、私はため息を押し殺して食事を終えた。もう嫌だ。
食後、私は早めに席を立つと当然のようにレアンドロに引き止められたので、私は悲しげな表情を作って
「今日はとても疲れました。明日の為に休ませて頂きとうございます」
弱々しい姿を見せると、レアンドロもぐっと堪えてから「……仕方ない。話は明日にしよう」と言ったので、私は物悲しく微笑みながら
「ありがとうございます」
さっさと与えられた部屋に戻らせてもらった。
さっそく侍女に着替えを要求し、質素なワンピースに替えてもらい、ようやくひと心地ついた。
それからしばらくして、バルトと話をしたい事を侍女に伝えてもらうと、談話室に案内された。
そこにはバルトとヴィータがいて、四人掛けのテーブル席に案内され、私はバルトとは向かい、ヴィータは斜め向かいに座った。
お茶を出され、従者や侍女は下がるが、先ほどの若い男は近くに控えていた。
それについてバルトが
「こやつは執事のカールだ。俺の事が心配なようで見張ってんだが、気にしないでくれ」
カールという男は私を警戒していた。まぁ当然か。
「それに妻のヴィータも同席させてくれ、まだ疑ってるようだからな」
「私は疑ってなど……ただ殿方と二人きりにするのはルルシア様にとって宜しくないかと思ったまでですわ。それにバルト様も目上の方にその様な話し方は……」
「この嬢ちゃんは気にしてないぜ、むしろ気安い話し方のがいいだろ?」
「そうですね、私としてはバルト様の好きなようにして頂いたほうが良いですから」
「ありがとうございます。私共だけでなく、ルルシア様も気楽になさって下さいね」
ニコッとヴィータに笑って見せてから、改めてバルトと目を合わせる。
「さて、色々あったが、話を戻そうか。今回、浄化の魔術のお陰で我が町の人間は守られる訳だが……お前さんはどこまで知ってるんだ?」
問い質され、私は目の前にいれたての紅茶を口にした。
それから一息ついてから迷いつつ言葉を選ぶ。
「私はグラジア領からここまでやって来たのですが、ここまでの道のりで立ち寄った村の井戸は、町以上に酷いものでした」
「グラジア領!? ルルシア様はまさか戦に巻き込まれたのですか?!」
ヴィータが心配してくれたことに笑みを浮かべてから、表情を戻す。
「いえ、私は何とか逃がされました。本当は残るべきだったのかもしれませんが」
「それは違う。他の領地の問題に首を突っ込む必要はないだろう」
バルトの言ってる事は最もだが、私には色々背景があったからこそそう思っていたのだが、今はいい。
「村の井戸は更に汚染していたり、渇れているものもありました」
「我が領地だけではないと思っていたが、やはり広範囲に及んでいたとはな」
「バルト様は自領の町や村に行ったりは……?」
「悪いな。引退したとはいえ簡単には町から出られない身分だからな、俺の出来る限りの事といえば薬作りくらいしかなかったんだ」
「それでも民を助けられたのなら良かったではありませんか」
「お前の浄化のほうが優れていた。水の重要性を分かっていたのに、それを先に対処すれば事は早く治まったのにな……井戸の浄化も進めてはいたが、力が足りなかった」
「いえ、完全な浄化が出来たとしても、安全性は不確かなんですよ」
「どういう事だ」
「私が思うに、この汚染や干上がりは魔術によるものではないかと」
「……人為的に行っていると?」
「浄化もまた魔術ですし、それが効いたという事は恐らく……自然発生のものではないでしょうね」
バルトは椅子に背を預けて肩の力を抜き、ため息をつく。
「一年前から急に増えたからな……それについては俺も考えてはいた。だけどよ、そんな魔術なんて聞いた事ねぇぞ? 嬢ちゃんは優秀だから何か知ってんのか?」
「水の汚染なんて魔術があるのなら黙秘して禁書庫行きでしょう。私にはその様な権限はありませんから入れませんし」
「禁書庫に入れるのはお偉いさんくらいか?」
するとヴィータがおずおずと声を挟む
「今は王族のみです。現陛下即位の時に変わったようです」
「何故、ヴィータ様がそれを?」
「私は元々、カルディナ伯爵家の出なのです」
カルディナ伯爵といえば、前国王陛下の時に前カルディナ伯爵は大臣として末席にいたというのは記録に新しく書かれていた。
今は引退し、大臣の職から離れた。
本来、そのまま次の伯爵領主が就くものだが、小心者で疑り深い現国王陛下は、昔から自分の近くにいた信用出来る者をおいて、今までの大臣は一掃したのだとか。
裏では反発もあったのだが、あの王にしては珍しく譲らなかったというのは有名な話だ。
内乱の可能性だってあったかもしれないのに、新たにおいている大臣たちの地位は高く、派閥を掌握しているリーダー揃いなのもあり、反発する者も表では大人しく従っている。
「新たに大臣になった者たちは反対しなかったのですか?」
「そこまでは分かりませんが、表立っていう者は居ませんわね」
「禁書庫もそんなに大層なものじゃねぇぞ。100年前には解放されたことがあるらしいじゃねぇか」
そういえば、そんな歴史もあったなぁ。
魔術を黙秘し過ぎて学者たちの反発に乗じて、国王が前線に向かっている間に公爵が反乱を起こし、王宮の一部は乗っ取られてたなんて汚点が……しかし、結局は前線から戻ってきた王によって公爵を捕らえて事なきを得たが、3ヶ月の間は貴族たちは禁書庫の内容を書き写し、各々の家に仕舞われているとか……
「ルルシア様の言うように、それが故意に行われているのなら、その時に反発した家は禁術を知っている可能性がありますわね」
「じゃあどの家でも可能性がある訳だな」
「……話が戻ってしまいましたね。結局分からないままですね」
「いや、これが人為的なものだと浮き彫りになったって事だろう」
「だとしたら犯人を早く見つけなければなりませんよ」
「魔術だったら、効果はそんなに続かないさ。嬢ちゃん程の力なら他よりは持続もするだろうが」
「かけ続けている者がいるんですよ。効果が無くなる前に何度も」
「なるほどな。だがずっと見張る訳にはいかないよな。井戸はどんな人間でも使うものだし、数もあるし、キリがねぇぞ」
確かに兵をつけたとして、詠唱も小さな声であれば隠せるものだ。
私のように口に出さない者だっているだろう。
ふと、私は補足するように
「私の浄化の魔術は3ヶ月持ちます」
「なんとっ……?」
急にバルトの後ろに控えていたカールが驚いて声を上げた。すぐに慌てて「申し訳ございません!」と頭を下げていた。
ヴィータも驚きながらも私に
「驚いて当然ですわ。カールも浄化をするのですが効果は3日ですもの」
そう説明してくれたが、後ろのカールは口を閉ざしたまま、それ以上は表情にも出さずに押し黙っていた。
それよりも、私が気になったのは前にいるバルトの表情が少し険しくなったのが気になる。
ヴィータの様子も戸惑っているようだ。
うーん、これは……面倒そうだな。
「……私は今後も旅で立ち寄る村や町で、同様の問題があれば改善していく予定ですが、バルト様やヴィータ様も原因が何か分かる事があれば教えて下さい」
頭を下げて、私は話を変えた。
「私がバルト様やヴィータ様にお聞きしたい事は、グラジア領の事なんですが」
話題をふると、バルトとヴィータは表情を変えて互いに目を合わせてから
「俺はグラジア領のいざこざは知らねぇぞ。退避してきた難民は受け入れたがな」
「今は領主の権限をタクトが担っていますが、グラジア領については関わらないようにしていたようです」
ヴィータの話に、少なくともグラジアの町が危ない事を知っているような口振りだ。
「我がマクレガー領はグラジア領と隣接しているとは言え、派閥も違い、あまり仲が良くはないのですよ」
「表立って争っちゃいないが、向こうさんは我が領が嫌いなのさ。爺さんたちの世代で戦ったことをまだ根に持ってるようだ」
そういえば、マクレガー領は元々違う国だったっけ?
グラジア領が辺境と言われていたが、戦の末に他国であったマクレガーは国のものになり、それを皮切りに大陸全てを制覇した。
「噂だけなら旅商人から聞いたりもしたが、実際のところは分からねぇし、特にサルバドール様が領主になってから色々キナ臭い噂ばっかで、俺やタクトは関わりたくねぇんだよ」
そういう事か……
一通り、二人から噂を聞いていたら、夜もふけてきたので、私は先に休ませてもらう事にした。