魔女と魔術師
屋敷に戻り、二階に上がれば、既に角部屋の扉がガタガタと軋む音が廊下に響いていた。
扉の前で立ち止まり、中の魔力の流れを感じとれば、微量にグレアの気配がある。
もしかしたらマートルもまだいるのかもしれない。
だけど、正直なところ……入りたくないな。
好きにやり合ってもらって構わないのだが、必然的に私が止めなければいけない立ち位置にいるわけで
部屋に入った瞬間からそれをしなきゃいけないだろうし。
「……扉、壊れるまで待ってみようかな」
思わず呟いたが、それを合図のように扉がバリバリといくつも亀裂が入り、呆気なく崩壊した。
あーあ、壊れてしまったよ。
木の破片が飛び散る中で、部屋の中からハインツと、対峙しているグラジア侯爵、それを守ろうと前に出ているグレアが見えた。
魔術師たちが互いを警戒して睨み合っている中で、グレアの横に構えていたマートルが私の存在に気付いたようだが、何も言えずに視線を彷徨わせていた。
私が味方かどうか迷っている様子に、少しは警戒してくれていてホッとした。
むしろガルムが人として、おかしいのだろう。よく生きてこれたと思ったくらいだ。
私は改めて部屋の中に一歩入り、グラジア侯爵の姿をよくよく見れば、敵対視しているのが分かるが、その瞳の色がほぼ紫色に変わりつつあった。
「……ハインツ、何しているの?」
グラジア侯爵の瞳はハインツにのみ向けられていた。部屋に入ってからずっと私を見ていない……まるで存在すら認識出来ていない様子だ。
グレアですら私がいることに気付いてからハインツだけでなく私も警戒しているのに。
私の言葉に、ハインツは返事もない。
それどころじゃないようで、余裕がないらしい。
仕方なく、グラジア侯爵、もといエルザのほうに身体を向ける。
「エルザ、随分とグラジア侯爵様を雑に扱っているのね」
「はっ? ルルシア?」
ようやくハインツが私を見たが、いつものように間延びした話し方じゃないのを聞くと、こちらもまだ余裕がないようだ。
私は私で面倒なのでハインツを無視し、前に出てエルザと対峙する。
グレアが警戒を強めたが、気にせず話し掛け続けた。
「初めは純粋な恋情だったのでしょうけれど、今は大分嫉妬に狂って廃れているわね」
エルザは病を期に、グラジア侯爵の思いを強く願ったのだろう。
グラジア侯爵もまた、気弱になっていた中に昔の彼女を思い出すようになった。
病は身体だけでなく心も蝕む。エルザは誰にも触れさせたくない気持ちが助長してしまった。
守るつもりか、道連れにするつもりか……それがグラジア侯爵もまた同じように思ったが故に、今はエルザに身体を明け渡してしまった状態だ。
こんなにも強く思い合っていて、どうして一緒にならなかったのか不思議だが、それはともかく……
「外にいた方は元の場所に還したわよ。あんなに穢れさせてまで使役していたなんて、何を考えているの?」
まだエルザはこちらを見ない。
ただ声は聞こえているのか、表情だけは険しい顔つきになっている。
「この防壁もそう、自らの力でなくグラジア侯爵様のものを使うなんて随分と卑しい魔術師ね」
「……ぐぅ、きぃ……ぎぃ……」
口から漏れでる荒い息を無理に抑えている。
やはり声は届いている。
「誰が本当に倒すべき敵かも分からないの? グラジア侯爵様に唯一触れられる魔女は私なのに、本当に愚かだわ」
「ぐっ……お、まえっ……」
ギギギとゆっくり、ぎこちなく私と視線を合わせて睨む。
ようやく目が合った。
心の中で長い術式を唱えながら、私は煽りを続ける。
「悔しいの? どんなに想い合っても、力さえあれば全てを捩じ伏せれるのよ。覚えておきなさい……あぁ、でももうすぐ終わるから覚えなくていいわね」
「お、前……お前っ、お前オマエおまえぇーっ!」
グラジア侯爵の声で叫び、前で守るグレアを弾こうとしたが、グレアもまた今の会話で察してグラジア侯爵を警戒していたようで、体術にも優れているからか、すぐにマートルを抱えて飛び退いた。
グラジア侯爵の身体はグレアに触れられなくて、体制を崩して床に這いつくばるが、動きを止めることなく這いながら私に近付いてきた。
「ルルシアっ、逃げっ……っ!?」
マートルの声が響くが、最後を聞く前に私はグラジア侯爵の頭を片手で掴み、術式を展開した。
床の上で止まるグラジア侯爵の下に蠢く術式の羅列が、沸騰するようにグツグツと歪みながら天井へと向かっていく。
黒や赤色に蠢く術式の文字が、次第に白と黄に混じる色の光に変わっていく。
「……これから大変になるけれど、頑張りなさいね」
最後に一言告げてすぐに部屋全体に白い光が満ち、術式の文字の全てが天井の外へと流れ出れば、すぐに先ほどと変わらない部屋に戻る。
手元にはうつ伏せに倒れたグラジア侯爵がいた。
私はグレアの方を向いて
「グラジア侯爵をベッドへ運んで下さい」
「は? あ、ああ……?」
訳も分からないグレアはマートルを下ろし、言われるがままグラジア侯爵を起こして安否を確認すると、ただ寝ていることに気付いて安心し、ベッドに寝かせた。
マートルもグラジア侯爵に近付いて顔色を見てから
「大丈夫なの……?」
恐る恐る私に聞いてきた。
「エルザの介入は防ぎましたが、あくまでもそれだけしかしてません」
すると私の後ろで補足するようにハインツが静かに
「サルバドール様次第ではまた同じような事が起こる……という事ですよねぇ?」
調子が戻ったのか、ハインツはいつもの調子で話し始め、私の隣に並ぶ。
「お互いの恋情が再び現れれば、また乗っ取られるでしょうねぇ」
「じゃあ、また父上はっ……」
「エルザの方はしばらく大丈夫でしょう。人の身体を乗っ取るほどの力を消費をしたので、魔力自体が回復するまで余計な事など考えずに眠ってますよ」
それまでにエルザを病から救うか、またはグラジア侯爵がエルザを見離すか、それとも再び想い合うのかは本人たちにしか分からない。
ただ暫しの猶予はある。
グラジア侯爵自体も魔力は消費したが、まだ半分は残っている。これなら回復も早いだろう。
悪いが、今はエルザに構っている暇はないのだ。
「ルルシアは凄いなぁ、能動的なのに芸術的で、慈悲深いのにつれない人だよねぇ」
「違うよっ、ルルシアは父上の為にやってくれたんだ! 強くて優しくて……心の綺麗な人だよ」
勢いに任せた言葉は次第に照れが入って小さくなっていく。
思わず胸を押さえて、申し訳ない気持ちになる。
ごめんなさい、そんな人間ではないです。わりかし排他的な人間です。
「……何だか、一番ダメージ受けた気がするわ」
「純粋な子だねぇ、汚れた大人には眩しすぎるよぉ」
「俺としてはこの先マートルが心配で堪らねぇがな」
「え? な、何が?」
とりあえずグラジア侯爵も様子見だ。
私はローウェンに伝えに行くと言ってそそくさとその場から離れた。
「皆、帰って来ないわね」
後ろでポツリと言ったローウェンに、私は気付いたらうたた寝していたらしく、空を見上げれば辺りは暗くなっていた。
私はローウェンの膝の上で寝ていたようだ。
背を預けたまま周りを見渡せば、庭の中には所々あるランプに火が灯って吊るされていた。
綺麗だなぁ……と、ボーッとしながらリラックスしていると、ローウェンはまだ話を続けていた。
「今日はもうここで泊まらせて貰いましょ」
「町には戻らないのですか?」
「私? 行かないわよ、私も言い付け通りにルルシアちゃんを見てるわ」
「……そうですか」
そうしているうちに、従者から晩御飯が出来た事を告げられてローウェンと二人で屋敷に入っていく。
そのまま屋敷に泊まり、朝になっても帰って来ない。
屋敷にいる侍女がウキウキしながら子ども服を出してきて、朝から着せ替え人間状態で既にヘトヘトだった。
「このローブも洗いますね!」
「ああ、それは着るのでっ!」
「いけませんわルルシア様、貴族の淑女であれば身嗜みを整えなくては」
「そうですよー、こんなに美しくて可愛らしい姿を隠すなんて罪な事ですよー」
罪って……そんな事で罪になることはないから、勘弁して……
「さぁ次は髪の毛を結いますね!」
「ひぃぃ! このままでいいですから!」
「いけません。一つ括っただけの髪など言語道断です」
「ずっと三つ編みしてるから痕が付いちゃってますねー」
「そのままハーフアップにしなさい」
「かしこまりました!」
「ひぃ、顔出さないで下さいっ」
「駄目です。さ、早く仕上げますよ」
「「はい!」」
「ひぃぃー!」
こうして、私は仕立てられた。
フリルを抑えた白と水色のドレスワンピースに、ハーフアップされて生花を挿して彩った髪、そして疲れ切ってげっそりした顔を携えて食堂に行く。
きっともう皆いないだろうと思っていたが、何故かローウェンとマートルがまだ座っていた。
「お、おはようございます」
頭を下げて入室すると、二人ともぎょっとしていて、思わず目を背けた。
遠い席に座ろうとしたが、侍女に案内されたのはローウェンの隣で、マートルの向かいの席だった。
早く食べてしまおうと、席に座って大人しくしていると、向かいから
「……ルルシア? おはよう」
恐る恐る言われ、やっぱり似合わないよな……と思いつつ、その挨拶を苦笑いで返せば、マートルの顔がボンッと一気に赤くなった。
湯だる顔を真向かいで見て驚き、びっくりしながらマートルを見つめる。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん……ルルシアがあまりにも可愛いから」
照れながら真っ直ぐに言われて、何だか申し訳なくなる。
中身は薄情な人間なんです。騙されないで下さい。
結局、マートルはそのまま朝食を早めに切り上げて退室した。
私も早く退室したくて、出されたサラダを無心で食べていたら、隣から声をかけられた。
「……ルルシア、ちょっといいかな?」
いつもと違う声色と話し方にびっくりしつつ、隣を伺うと、無表情だが綺麗な姿勢で上品に食べるローウェンがいた。
「部屋に戻ったら必ずローブを被るんだ。いいね?」
「……はい」
「ハインツに会う前に間に合うといいが……」
何かブツブツ言っていたが、私は気にせずともかく食べた。
部屋に戻ってから侍女にローブを返してもらいたかったのに既に洗濯して干されていた。
代わりにと髪型を変えて被せられたのは白く少し透かしのあるベールだった。
「わぁ、聖女様みたいですね!」
「わ、私は魔女なんですけど……もっと厚みのある生地で、黒とか有りませんか?」
「無いですねー」
「レースが使われているものがございますが、こちらになさいますか?」
「更に薄い……いえ、今ので十分です」
こうして、私はベールを被ったまま、庭に出てテーブルセッティングされた席に座らされられ、菓子や果物などを出された。
「あの……私は……」
言い出す前にローウェンがやってきて、私を見て舌打ちしていた。
「更に可愛くなっちゃ意味ないでしょうが!」
来て早々に理不尽に怒られた。
大人しくそれを聞いた後、ローウェンは当たり前のように私を椅子から離し、自分の膝に乗せて椅子に座っていた。
「誘惑の魔女だわ。ワタシ一人で立ち向かえるのかしら」
ため息を吐き、しばらくベールの上から頭を撫でられたり、下ろしている髪を横から弄ったりされた。
好きなようにさせよう。
「そういえば、ハインツが来ませんね?」
学生の頃の彼ならいつも私の近くに彷徨いていたし、何なら授業もサボっていた。
「あー、今朝まで起きてたみたいよ。サルバドール様の様子を見てたみたい」
ハインツがねぇ……少しは申し訳ないとか思ってるのかな。
それともまだ疑ってるとか。
「とりあえずすぐに会う事は無さそうですね」
「早く乾いたら着替えなさいよ」
「そうします」
雲一つない青空を見上げた。
今日は晴れが続きそうだ。
見えないが、あれからローウェンは更に結界を広めたようだ。
それは防壁が未だに張られたままだからだ。
グラジア侯爵が起きて解除するか、自然消滅を待つか……だいたい3日位はかかるだろうけど。
その為、ローウェンが広めたことで、ランドールたちが戻ってきた時に気付けるようにしたのだ。
「ルルシアちゃんが言うように、防壁はサルバドール様を守る為に必要なんですものね」
「マルセル・ルブタンの事もありますし、警戒していて損はないかと」
毛先に触れているローウェンの指を見ると、細かい傷がいくつかある。
手荒れもあるようで、カサついてささくれまであった。
どうして彼は……と、考えてやめた。
それよりも今回の事が先だろう。
私としては旅路を急ぎたいのだ。
昨日の話や、出来事に対して面倒なのに、今後もこんな事を続けないといけないと思うと憂鬱になる。
だから早く旅を終わらせたいという気持ちが湧いているわけで。
「ローウェン様、お話出来る範囲でいいのですが、今回のグラジア侯爵領の……」
「ルルシアちゃんでも、それについては話せないわよ。ランドールから口止めされてるから」
あの王子様、私としては一番不安要素なんだよね……
アリアが私を旅に同行させたのは、自分の思惑とは別に、このメンバーにおいての補強要員として入れたかったのではないかと思っていた。
見ていて分かるが、彼らは旅にあまり慣れていないように感じた。
というか今までやってこれたのは貴族の地位と、潤沢な金銭と、攻撃に特化組が三人とローウェンの結界ありきで問題なかったのだろう。
手紙を届ける配達要員としての旅にしては十分なほうかもしれない。
それでも四人だけで旅していたとしても、野宿している姿を見る限り、不慣れ感は拭えない。
ランドール自身、気弱なとこだけなら周りを頼る人になっていたけど、自分の立場とか私の扱いとかを勝手に判断して自分……もしくは私以外の自分たちだけで行動している。
それでやれてるのなら良いが、ちょっとしたハプニングに弱いし、上手く立ち回れていないのが目に見えて分かる。
現にこうして私はランドールの当初思っていた場所から離れて、重要な場所に身をおいて……いや、待て?
ここに来るまでに、私は町から出る予定はランドールたちにはなかったのに、グレアの誘導があったから……
グレアに連れられて、マートルに誘われて、あの塀の前に案内されて、兵士たちの侵入、ランドールたちと合流、グラジア侯爵と対面、そして今はローウェンの結界の中……
勿論、エルザの事は想定外だとしても、グラジア侯爵の呪いについては私に話をする予定だった……? それを誰が? 皆が?
流れが出来ているようで所々、歪だわ。
それぞれ考えていた行動が、予測不能の事態によって今はバラけている状態なのかもしれないが……
少なくとも、ランドールたち含めグラジア侯爵やグレア、ハインツも始めから協力していた……っていうのは、考え過ぎかな?
「……ローウェン様、私、ローブを早く乾かしてきますね」
降りようとしたところで、ローウェンの腕が腰に巻き付いていた。
キツく巻かれていても痛みはないが、逃れられないようにしているのは分かる。
「何処に行くつもり?」
後ろから耳元に囁かれた声が、とても低く、いつもの声ではない。
私は降りるのを諦めて身体の力を抜き、ローウェンの身体に背を預けた。
「ローブを魔術で乾かせば早いと思ったのですが、いけませんか?」
「今日は良い天気だもの、昼過ぎには乾くわよ。あの男もまだ寝ているわよ」
話し方はいつも通りなのに、やはり声は低い。有無を言わせないつもりか……聖職者なのに
私を逃さない為に?
ここに留まらせたいのなら私も余計な事をするつもりはないし、このまま屋敷に居てもいい。
でも今の段階で、上手くいっている状態なのかな?
肝心なグラジア侯爵はしばらく深く眠らざるを得ない今、本来の大将が動けないでいて大丈夫なのか?
グラジア侯爵なくして話し合いだけで済む話じゃないはずだ。
強行して侵入したんだ、必ず闘いに発展するだろう。
……そもそも、グラジア侯爵の事以外は全て嘘だと言われたら……?
いや、だとしても、あの壁の崩壊と兵士たちの侵入はやり過ぎだ。
本当の目的は一体、何……?
「……早く旅立ちたいですね」
何となく口にした言葉を、ローウェンはクスクス笑ってから
「意外だわ、そんなに旅が好きになったの?」
「旅は好きですよ。ただ次は私が炊事担当させて貰いますから」
「それは助かるわ。ずっとルルシアちゃん自ら言ってくれるのを皆待っていたのよ」
「町に戻ったら食材や調味料を買って下さいね。沢山買って貰いますよ」
「ええ、勿論よ。多少荷物が増えても、ルルシアちゃんのお陰でカバンは軽くなってるから負担にならないし」
こうして、昼過ぎまで他愛ない話をしながら過ごした。
昼過ぎに干されていたローブを奪って羽織り、フードをしっかり被る。
それからローウェンに代わって侍女が私に日傘をさして、庭に栽培されている花や薬草をみながら散歩した。
「ルルシア様は花壇の中にいると、花の妖精のように見えますね」
侍女の話を苦笑いで流しながら、私は花壇の中にあるベンチに腰掛けた。
割りと広い庭だと思っていたが、花よりも薬草の割合が多いのは、やはり魔術師の屋敷だからこそなのか
ボーッとしながら眺めていると、屋敷のほうからフラフラしながら人影が近付いてくる。
よくよく見れば葡萄酒色の髪だと気付き、思わず苦い顔でため息が出た。
「ルルシア様、屋敷に戻られますか……?」
ピンクの瞳がこちらを凝視しながらやってきている姿に、侍女が心配そうに声をかけてくれたが、私は頭を横に振って
「いえ、大丈夫です」
大人しく待っていれば、ハインツは私の前に来てニヤニヤ笑う。
「おはようルルシア、今日は可愛いらしい格好をしているねぇ」
ローブ以外はそのままの服だった。
ハインツにとっては学院時代からズボンばかりの私がワンピースを着ているのが珍しいのだろう。
「こんにちはハインツ、少しは休めたの?」
口角を上げて作り笑いを見せれば、ハインツは驚きながらも嬉しそうに顔を紅潮させて私の座る前に片膝をついて恭しく頭を垂らす。
「我が愛しの女神ルルシア、貴方の為ならば幾らでもこの身を捧げましょう」
「身体一つしかないのに何言ってるの。冗談はいいから、さっさと隣に座りなさい」
「冗談ではないんだけどねぇ……」
ハインツは立ち上がり、すぐに私の隣に腰掛けた。
裾が触れ合うくらい近くに座られたが、まぁいいか……
「大丈夫なの? 随分と疲れがとれないようだけど」
魔力の回復が遅れているらしい。
身体だけでなく、顔も少しやつれている。
力なく笑うハインツは目を細めて私を見下ろす。
「補う為に、ルルシアも私に魔力をくれるぅ?」
「流すだけならともかく、他者に力を滞在させる魔術は禁忌事項よ」
「言ってみたかっただけだよぉ、昨日のを見たから羨ましくてねぇ」
「……ハインツ、貴方も私には何も教えてくれないの?」
伺うように見上げれば、ハインツは何処か遠くに視線を向けていた。
「私が言っていた事に嘘はないさぁ。でも私も不思議に思っているんだよねぇ……何で皆、君に伝えたくないのか私にも分からないんだよねぇ」
「信用されていないものね」
「それとは違うよ。ただねぇ……表立って目立って欲しくないんだよねぇ」
「私も目立ちたくはないけど、見ていて心配になるわ。綻びというか……隙というのか、皆動きがぎこちないもの」
「それは言えるねぇ。だけどルルシアがサルバドール様の呪いをあっさり解決しちゃったのは皆想定外だったからなぁ」
やっぱりグラジア侯爵の事は予想外だったか。
私ですらこんなに早く分かるとは思わなかったからね。
「私のせいで、ハインツにも迷惑かけたのならごめんなさいね」
「謝らないで、助かったのは本当に良かった事だよぉ。ただそれで色々動きも変わってきちゃってるからぁ、皆てんやわんやなんだねぇ」
「私も協力出来ることなら手を貸したいけど、ここから出るなって王子様に言われているし」
「あぁ、あの殿下かぁ。あの方は王太子殿下に従っているからなぁ……そもそも王族が三人でばらばらに指示を出していることがおかしいけどねぇ」
グラジア侯爵は、現国王陛下から
ランドールは、次期国王・王太子から
ハインツは、王の娘・王女から
グラジア侯爵に関しては余計なものを送り込まれたような心地だろうけど
「私としてはルルシアのお陰で、任務が早く終われそうで有難いよぉ。詳しい内容にはルルシアの報告も入れないといけないけどぉ」
「ハインツが気にしないなら私は別に構わないけど」
「ありがとねぇ。これでパトリシア王女もルルシアを気にして取り込もうとするかもねぇ」
「いえ、他国に嫁ぐ予定の姫様の立場では周りに阻まれて難しいでしょうね。王族が私を取り込むのなら王子様のだれかと婚約が手っ取り早いもの」
「そういえば、まだ王族から申し込みはないんだねぇ」
「この身では子孫すら残せないもの。ただ様子見はしてるようね、実家のほうの裏で嗅ぎ回っているようなの」
「面倒だねぇ、早く諦めて欲しいものだよぉ」
「貴方も人の事言えないわよ」
「いいんだよぉ、私は跡継ぎでもないしぃ」
「ハァ……この国にいる限り王族を切りたくても切り離せないから、どのみち嫌でも私は王族の誰かと結婚するかもね」
「ルルシアも大変だねぇ、もし結婚したら私を愛人に指名してねぇ」
「自分を大事にしなさいよ。ハインツのそういうところが好きじゃないわ」
「私もルルシアのそういう気遣いのせいで嫌いになれないんだよぉ」
そう言い合ってからお互いに黙ってしまう。
いつだって私は彼に対して優しくしてるつもりはないけど、ハインツはどうしてか私に甘いのだ。
それに私が甘えているのも気付かれているんだろうな。
私のこういうところは卑怯で、弱いのだ。
しばらくして、ハインツが閉ざしていた口を開く。
「……今回、上手くいかないと思っているんだよねぇ」
「え?」
「多分だけどぉ、すぐに分かるよぉ」
「それなら……私はどうしようかな」
「待つしかないよぉ。ただねぇ……後始末は大変そうだなぁ」
よく分からないまま、私はハインツの言葉を胸に留めた。
ハインツはベンチから離れて、屋敷のほうに身体を向けて歩き出した。
「……始めからルルシアも関わってたら問題なかったかもねぇ……」
その独り言は、私にしっかりと聞こえた。
私が関わる……つまり魔術でも解決出来たことなのか。今さらもう遅いのだろうけど。
それでも、今の私はかごの中の鳥でいるしかなさそうだ。
あれから2日経った。
ランドールたちは戻らず、屋敷にいるはずのグレアも見当たらない。
グラジア侯爵も目覚めていない。
2日間、ローウェンやマートル、ハインツと時折話ながら過ごしていたが、時間が経つにつれて三人の表情は焦りや戸惑いを見せていたが、その理由を言わない三人に、私はただ無理に聞き出すことなく過ごすだけ。
3日目の朝、私は早く目覚めた。
侍女たちが気付く前にシャツとズボンに着替えローブを羽織り、静かに部屋を出た。
屋敷を出て、朝焼けの空を見上げながら庭を散策した。
「とうとう防壁が無くなったわね」
歩きながら確認したが、やはり完全に消えていた。
「……ようやく、会えた……」
木々の隙間から聞こえた声に、目を凝らすと、森の中から一人の女性が私を見つめていた。
女性はゆっくり近付いて、私の前で膝をついて頭を下げた。
「貴女の僕、スーラが只今参りました……お会いしとうございました、ルルシア様」
ミルクティー色の目立つ髪をしたそれを頭上にまとめ上げているそれが、私の目の前に差し出されているように見えた。
「顔を上げなさい」
ゆっくり上げられた顔は可愛らしく、鼻の上のそばかすが愛らしくちりばめられていた。
開けられた目には、熟したトマトと同じ色の瞳が私に向けられていた。
泣きそうになっている顔に、私は頬を撫でれば、触れる手に自らの手を重ねて慈しむうに微笑む。
「……何しに来たの?」
「えぇ……酷くないッスか?」
私は重ねていた手を抜き取り、久しぶりに会ったスーラに、改めて声をかけた。
「久しぶりねスーラ、冗談はいいから早く帰りなさい」
「待って待って! 私はルルシア様を探してやってきたんスよ! もっと労ってくれてもいいじゃないスか!」
「よく頑張って来たわね、えらいわね。さぁお家に帰りなさいね」
「あざっす! でも追い返さないで下さい!」
縋るように私にしがみついて来るスーラに、私は大きなため息をついてから仕方ないと諦めて
「また喧嘩して家出したの?」
「違いまスよ! 今回はルルシア様の力になりたくて会いたくて来たんで!」
「ふーん」
「信じて下さいよ!」
朝から騒がしいな。
というか、どうしてここにいるのか……
彼女はスーラ・カトラ。本人曰く隣国の元避難民だ。我が国に流れ着いて、とある町の孤児院に引き取られたのだとか。
スーラは“聖なる力”を持っているらしいが、実際に教会のほうで検査を受けていないから分からないが、本人は持っていると自負していた。
初めてスーラと会ったのは三年前のアリアを訪ねて乗り合い馬車で移動している時だった。
彼女は同じ馬車の中で一緒だったが、その時に私は好かれてしまった。
途中で彼女とは別れたが、時折スーラは私のいる魔女の家までやって来るようになった。
だいたいはスーラが仕えているお屋敷の主人と喧嘩して出てきたと言っていたが……今回は違うらしい。
それにしても、毎回何故か私の場所をすぐに見つけるのが不思議だったが、これも“聖なる力”によるものかしら。
「私も一緒に連れてって下さいよー、役立ちまスよ!」
「お屋敷の仕事はどうしたの?」
「もち、辞めたッス。行くあてナイんで養って下さい!」
「私は金銭もないから養えないよ」
「マジッスか!? じゃあ私が養うんで用心棒して下さいよ!」
「用心棒なんて出来ないわ。それに……」
「あれ? 同じ匂いの奴が居まスね!」
私の後ろをスーラはじっと見ていた。
振り返れば、ローウェンが様子を伺うように立っており、私と目が合うと近付いて来た。
「おはようルルシアちゃん、そちらの女性はどなたかしら?」
笑っているけど、警戒している。
それはスーラも同じみたいだ。
「このオネエさんは誰ッスか? 見た目は凄く良いけどオーラ怖いッスね」
ああ、面倒だわ。
スーラはいつもストレートに話す。
それが良いところではあるが……
ローウェンの顔はやはり笑っているが、明らかにイラついている。
二人のそりが合わないのは分かる。
スーラもまた更に警戒し、私を抱えて持ち上げ、一歩ずつ後ろに下がっていく。
「ここの結界もこの美男が張ったッスね。お陰でなかなか入れなかったッス」
「スーラ、下ろしてよ。彼は悪い人じゃないわ。私と旅をしている方よ」
「そうッスね。ただ……信用出来ねぇッス!」
「もぅ、何なのよ。あいつといいハインツといい……ルルシアちゃんって面倒な人に好かれるのね」
あいつ??
好かれているというより、纏わり付かれついるというべきか。
だいたいが自分のことを優先して行動する人たちだから、抵抗しても無駄というものだろう。
「ルルシア様、掴まってて下さいね」
すると、スーラは森に向かって走り出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
追いかけて来ているが、スーラは元々足が速い。
おそらく闘い向きでないローウェンでは追い付けない。
「スーラ!」
「少し二人で話しましょう……やっぱりあの美男は何か怪しいッス」
「そ、そうかも、しれないけどっ」
「加速しまスよっ!」
「ひぃ、ひぇっ……」
私は仕方なくスーラの気が済むまで走らせる事にした。
「はぁ、良い景色ー!」
結局、山頂まで走りきったスーラは、笑顔で周りを見渡して
「うん! 追って来ない!」
満足した様子で、ようやく私を地面に下ろしてくれた。
眼下にある要塞都市であるグラジア侯爵領を見ると、明らかに様子が違っていた。
「何だか前と雰囲気が違うような……?」
「グラジア領ッスか? そういえば要塞としての防壁が無くなりましたね?」
「あ、そうか、防壁が……えっ? えぇっ、本当だわ」
何ですぐ気付かなかったんだろう。
町をぐるりと囲っているはずの壁は一切なく、周りは砂漠のような砂に囲まれていた。
あの侵入の時のように、全ての防壁を砂と化してしまったようだ。
「取り壊されたんッスねー、あれがあると新規開拓しづらそうだし」
そういう考え方もあるのか
他にも町に目を凝らしてよく見れば、人の動きが無いような気がした。
山頂とはいえ、そこまで高くないから人の流れくらい見れるはずなのに、道にも人は居なくて、露店も骨組みを解体したままだ。
「スーラは町に寄ってから来たの?」
「いいえ、私は始めからルルシア様を追いかけてたんで、町にはまだ寄ってないッスね」
「じゃあ町の様子は知らないのね」
「あ、でも道中で会った商人から聞いたんスけど、2日前からグラジア領が別の人間に占領されたとか噂が流れてるらしいッスよ」
「乗っ取られたという事?」
「噂でスよ。ただ関門が混乱してるようで物流が上手く往き来出来ないって言ってました」
「……町の人は大丈夫かしら?」
「居づらかったから出て行くでしょ。東に行けば近くに町もありまスし」
「そう簡単な事じゃないでしょう?」
「生きる為なら引っ越しくらいしまスよ……なんか珍しいッスね? ルルシア様が関わりもない人たちの心配してるなんて」
「本当ね……珍しいわね」
ボーッとしていると、頭上からカーカーと鳴く声がして見上げれば、カラスがぐるぐる空を巡り、そのまま私の肩に乗ってきた。
久しぶりに見たアリアの使い魔・ドライに、スーラが横から
「この子もずっと入れなくて困ってたッスよ。魔術もかかってたんスね」
それを聞きながら、私はドライの足にくくりつけられたメモが結んであるのに気付いて、それをほどいてすぐに中身を確認した。
間違いなくアリア本人の字で
『護衛を辞め、すぐに四人から離れ、王都に向けて旅立て』と……
走り書きの文字が気になったが、アリアも何かを察して逃げろという事なのか……
スーラも上から勝手に読み上げてから、納得した様子で頷いた。
「やっぱりねー、あの人怪しかったもん。魔女アリアも心配だったのよ」
「アリアが? それはどうかな? ……えっ!?」
ドンッと、何かが爆発したような音がして目を向けると、そこには町の一部が白い煙を立ていた。
それだけでなく、次々と至るところで爆発し、白い煙を立てて、所々建物が壊れていた。
「はぁ!? 急じゃないスかっ!?」
スーラの言葉を聞き流しながら、眼下に広がる崩壊していく町に、私は信じられない思いで見ていることしか出来なかった。
「こうしちゃ居れないッスよ! ルルシア様行きますよ!」
私を抱き上げると、肩にいたドライは飛びだっていく。
横抱きにされながら、スーラは東に向かって再び走り出した。
「ま、待って! ランドール様たちがまだっ!」
「ルルシア様がアリアからの指示を無視するつもりッスか?」
「それは……でも、いくらなんでも何も言わずに離れるのはっ!」
「今は危険なんスよ! 関わらないほうがいいでスって!」
「で、でも……」
「じゃあルルシア様はその四人の事が大事で心から信頼してるんスか?」
「そ……それは……」
何も言い返せなかった。
でもこのままじゃ……
「強い人たちなら心配いらないッスよ、今はアリアの言うこと聞いときましょ! ここにいたら色々面倒でしょ!」
結局、私は何も言えずスーラが走る中で黙って身を預けた。