エピソード11.5 孔舎衛坂の戦い
紀元前663年3月10日、狭野尊 (以下、サノ)一行は、河内国の草香村にある青雲の白肩津に上陸した。
サノ「ちなみに、海じゃなくて、湖の方っちゃ。現在の東大阪市の日下町やじ。」
ここで、次兄の稲飯命が疑問を投げかけてきた。
稲飯「これから中つ国に行くわけやが、どういう道を進んでいくつもりなんや?」
サノ「まあ、普通に考えれば、この山を越えて行くことになるんやろうな。」
ここで、三兄の三毛入野命 (以下、ミケ)がツッコミを入れる。
ミケ「アホか! こんな険しい山を登るんか? もっと良い道があるはずっちゃ。それを探すんや!」
長兄の彦五瀬命 (以下、イツセ)も参戦。
イツセ「ミケの言う通りっちゃ。良き道があるはずっちゃ。」
こうして一行は、斥候 (探索部隊のこと)を出して、いろいろ地形を調べることにした。斥候役には、筋肉隆々の日臣命が就任した。
日臣「台本に斥候の話なんてなかよ? なして、わしがこんな役目を負わされてるんや?」
サノ「作者の意向に従わねば、槁根津日子のように、いないことにされるかもしれんぞ。それでもええんか?」
日臣「い・・・いやっちゃ。」
サノ「ならば、斥候の結果報告をやってくんない(ください)。」
日臣「南の方に竜田というところがあるんですが、そこなら、比較的、楽に行けるんやないかち、思うちょります。」
サノ「竜田か・・・。現在の奈良県南部の方から入ろうっちゅうわけやな・・・。」
一行は竜田に向かった。しかし、道は狭く、険しく、並んで歩くことも困難な道であった。ここで、小柄な剣根がツッコミを入れた。
剣根「全然、ダメ! 日臣よ。どこが楽なんじゃ!」
日臣「わしのせいじゃないっちゃ。作者の陰謀っちゃ。」
こうして、一行は、再び白肩津に戻ったのであった。
サノ「やはり、この山を越えねばならんか・・・。」
稲飯「胆駒山・・・今の生駒山やな。」
イツセ「嫌な予感がする。」
サノ「どうしたんですか? 兄上?」
イツセ「いやっ・・・何でもない。いくぞっ!」
一行が山を登っていた時、事件は起こった。突如として、矢の雨が降ってきたのである。無数に降り注ぐ矢。一行は、たちまち大混乱となってしまった。
サノ「な・・・なんや! いきなり、なんや!」
日臣「矢が無数に飛んできたっちゃ。隠れんと危ないっちゃ!」
剣根「あっ! あそこに大きな木がありますぞ。あそこに隠れましょう。」
サノ「全員は無理やろ?」
日臣「残りの者は盾で防ぐほかないっちゃ!」
ある人「この木はまるで、母親のようだ・・・。」
サノ「突然の登場っちゃ。誰ね?」
ここで、天種子命が説明を始めた。
天種子「そこで、この地を母木邑と名付けたんや。今の飫悶廼奇は転訛した呼び方にあらしゃいます。」
サノ「ここで『日本書紀』の説明するの禁止! それに、今と言っても、奈良時代現在っちゅうことやろ? わしらも生きてないし、読者も生きてない時代のことを今とか言ったら、わけが分からなくなるやろっ!」
イツセ「うぐっ!」
サノ「えっ? 兄上? 如何なされました?!」
イツセ「肘に矢を受けてしまったっちゃ・・・。」
サノ「ああ! 兄上!」
天種子「如何なさいますか? 殿?!」
サノ「今、わしらは日の神の子孫やのに、日に向かって戦おうとしちょる。これは天の道に背いてるっちゃ。いったん退き、弱そうに見せかけ、改めて祭祀をおこない、天照様の威光を背にして、光に照らされた影を踏みながら、敵を攻めるのが良かち思う。」
天種子「殿! よく言えました! こんな長いセリフを・・・。」
サノ「しゃあしい(うるさい)! とにかく、天照様の威光を背にすれば、血を流さずして勝てるはずっちゃ!」
日臣「ということは・・・。」
サノ「いったん退くんや! 進んではならん!」
サノ軍は山を下り、白肩津に逃げ戻った。幸いなことに、正体不明の敵が追撃してくることはなかった。
こうして、天孫一行の初陣は敗北に終わった。この戦いの地が、孔舎衛坂。現在の東大阪市、善根寺町にある生駒山西側の坂である。
近鉄石切駅の北側に位置し、他にも、イツセが矢を受けた厄山や傷口を洗った龍の口霊泉などが残る。
一方、反対側に位置する、現在の生駒市北部には、敵が勝鬨を上げたという伝承地、勝鬨坂がある。更に、長髄彦本拠地碑という石碑もある。
もうお分かりとは思うが、敵の名は、長髄彦。サノに立ち塞がった、中つ国の豪族である。
話を戻そう。
白肩津に戻ったサノたちは、悔しさのあまり、盾を立てて雄叫びを上げた。士気は鼓舞され、衰える気配はなかったが、イツセの容体は重いようであった。
ここで、不謹慎ではあるが、勇気を持って説明を始めた男がいた。目の周りに入れ墨をした大久米命である。
大久米「盾を立てて雄叫びを上げたことから、白肩津は盾津と呼ばれるようになりました。『記紀』編纂当時は、訛って蓼津と呼ばれていたそうです。現在の東大阪市にある日下周辺と言われています。」
成すべきことを成した大久米は、雄叫びをする一行のところへと戻っていった。




