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ジャパンウォーズ  作者: kikuzirou
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エピソード8 最後の行宮

 宇津彦命うつひこ・のみことを水先案内人に迎えた、狭野尊さの・のみこと (以下、サノ)一行は、海の難所である芸予海峡げいよかいきょうを進んでいた。目指すは、吉備国きび・のくに (今の広島県東部と岡山県)である。そんな時、狭野尊さの・のみこと一行は、ある島に辿り着いた。


 海の難所のということもあり、サノたちは旅の安全を祈ったのであろうか、斎串いぐし (玉串のこと)を立てて神を祀った。そのことから、この地に社が誕生した。広島県ひろしまけん尾道市おのみちし瀬戸田町名荷せとだちょうみょうがに鎮座する、生石神社いくしじんじゃである。


 そして時は流れ、いつしか人々は島のことを生口島いぐちじまと呼ぶようになった。生石いくしが転訛し、生口いぐちになったのだと神社は伝える。


 ちなみに、斎串いぐしの「斎」とは、「斎む(いむ)」、すなわち「身を清め、けがれをはらう」という意味である。


 生石神社の周辺には、近くに船を泊めたという場所や、サノが使った井戸の跡などの伝承が残っているので、しばらくの間、滞在したのかもしれない。


 一行は再び海路に就いた。しかし風波のため航海ができず、近くの島に船を留め、山にて数日、嵐の静まることを天神に祈られた。よってこの島を、む島と名付けられた。現在の因島いんのしまである。停泊した場所は大浜おおはま、祈った山は塞崎山さいさきやまと伝わっている。当然のことながら、この地にも社が建てられた。同市因島大浜町四区に鎮座する斎島神社いむしまじんじゃである。


 因島いんのしま吉備国きび・のくにの入り口であり、瀬戸内海の潮目の境でもある。ここから東は、引き潮なら追い潮、満ち潮なら向かい潮となるのである。神社のある大浜も、古くから潮待ちの港で、昭和初期まで、二十から三十艘の船が停泊しては、一斉に出港する光景が見られたという。


 一行はその後、因島から向島むかいしまへと北上し、尾道水道おのみちすいどうに入った。尾道水道とは、向島と本州に挟まれた海域である。瀬戸と呼ぶには長すぎるのか、水道と呼ばれている。そこを経由し、更に奥の入り江に船を進めた。この入り江が松永湾まつながわんである。


 広島県ひろしまけん福山市ふくやまし柳津町やないづちょうは、サノたちが柳の木に艫綱ともづな (船をつなぎ留める綱)をつないだ伝承より生まれた地名である。上陸地点は、現在の貴船荒神社きふねこうじんじゃと伝わっている。


 さて、久しぶりに「記紀」の話題に戻ろう。


 「日本書紀にほんしょき」も「古事記こじき」も、安芸国あき・のくに (広島県西部)や吉備国については、ほぼ一行いちぎょうの説明で終えている。にも関わらず、これだけの伝承である。紹介できていない伝承が、まだまだあると思う。新しく分かったら、書き足したいと思う。


 ところで、なぜ唐突に「記紀」の話を持ち出したのかというと、そろそろ吉備国の行宮あんぐう (仮の御所)について、説明をしなければならないからである。


 天孫一行は、紀元前666年3月6日、吉備国に入り、行宮を設けられた。高島宮たかしま・のみやという。最後に設けられた行宮である。「日本書紀」では三年「古事記」では八年滞在したと書かれている。今回も滞在期間が異なる。どういうことなのか。本編の主人公に尋ねたいと思う。


 ということで、実際の滞在期間って、何年だったんですか?


サノ「ようやく登場できたっちゃ。嬉しいっちゃ。」


 ここで、息子の手研耳命たぎしみみ・のみこと (以下、タギシ)とマロ眉の家来、天種子命あまのたね・のみことが参加してきた。


タギシ「父上、答える必要はありませぬぞ。どうせ作者も分かっている筈っちゃ。」


天種子あまのたね「タギシ様の仰る通りや。答えは分からん! や。ホンマでっせ。」


タギシ「あ・・・天種子! 答えを言っちょるやないか!」


天種子あまのたね「あっ! ホンマや! ほんまもんやで!」


 ここで三兄の三毛入野命みけいりの・のみこと (以下、ミケ)が説明を始めた。


三兄・ミケ「高島宮たかしま・のみやについては諸説ある。作者が調べただけでも八つあったそうや。」


サノ「えっ?! 八つも!」


三兄・ミケ「きっと、わしらが立ち寄った、ほとんどの土地が、行宮として語り継がれてるんやないかと思っちょるんや。」


サノ「なるほど。真相は闇の中っちゅうわけか・・・。」


三兄・ミケ「わしらが答えたら、ええんやろうが・・・。」


サノ「兄上! ロマンを奪ってはダメっちゃ。」


 教えてくれそうもないので、話を進めよう。


 一行が上陸したという柳津やないづも、高島宮候補地の一つである。上陸地点とされる、貴船荒神社から東へ500メートルほど進んだところに王子神社おうじじんじゃがある。ここがサノたちの滞在した宮の跡だという。更に、背後に聳える竜王山りゅうおうざんの山頂にも宮があったと伝わる。山の名前も、かつては御蔭山みかげやまと呼ばれていたそうである。


 御蔭山から更に奥へ進むと「福山少年自然の家」という施設がある。そこから東に500メートルのところに、立岩たていわという祭祀遺跡がある。サノたちが祭祀をおこなった天津磐境あまついわさかであると語り継がれている。


 磐境いわさかとは、岩で作られた祭壇のことで、神域という意味でも使われる。岩石で周りを囲んで神域としたり、岩そのものを神として崇める場合にも使う言葉なので、岩と神様が絡めば磐境くらいの感覚で良いのではないかと思う。ちなみに、立岩は、福山市ふくやまし金江町藁江かなえちょうわらえ磐田山いわたやま山頂に鎮座している。


 さて、松永湾まつながわんには、他にも高島宮候補地がある。


 その一つが、尾道市おのみちし高須町たかすちょうである。同町は船をつなぎ留めた柳津から湾を挟んで、ほぼ真向いに位置する。大元山おおもとやま山麓の上陸地点には大元神社おおもとじんじゃが鎮座し、滞在した場所は高須八幡神社たかすはちまんじんじゃと伝わっている。


 そこから2キロほど南には、諏訪加茂神社すわかもじんじゃがある。ここは、サノたちが武器や武具を調達した場所と伝わっている。


 もう一つの候補地が、同市の浦崎町うらさきちょうの高山中腹にある王太子神社おうたいしじんじゃである。現在の浦崎町は半島となっているが、弥生時代以前は島だったともいわれている。


 ここより西にある戸崎とざき地区には、上陸地点とされる場所があり、現在は嶽神社たけじんじゃが鎮座している。戸崎区民会館から北に150メートルのところにあり、ネットで調べても出てこないレベルの土地神様である。右に湾曲した道路の、ちょうど左側面にある神社である。


 以上の三つが松永湾の候補地となっている。


サノ「全て、わしらが行った土地っちゃ。」


三兄・ミケ「残りの五つは、また次回やな。来週も見てくれよなっ。」


タギシ「父上、伯父上、本当はどこなのか、やっぱり言っちゃいますか?」


サノ「いやあ、やめておこうぞ。ロマンがあるからな・・・。」


三兄・ミケ「じゃが(そうだ)。わしらが言えるのは、松永湾三候補地を、松永三兄弟と呼んでたことくらいやな・・・。」


タギシ「伯父上・・・嘘はいけませぬぞ・・・。」


 こうして天孫一行は松永湾を発ち、更に東へと向かうのであった。


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