第七話:辺境の領主は決意する
ディックとジョンが屋敷に戻るとレイナが笑顔で迎えた。
「お帰りなさい! 視察は如何でした?」
ジョンはレイナの笑顔に見惚れてしまった。そして黙っていることに気付いて直ぐに答えた。
「レイナ殿、とても勉強になりました。領地に直ぐに取り入れたいぐらいです」
「まあ、ジョン様! 私の名前を正しく……そっか、ディックが話をしたのですね」
レイナがディックの方をみたので、ジョンもつられてディックの方をみる。声をかけられたディックは返事をせず、壁を見つめてため息をついていた。ジョンはディックが見ている壁をみて思わず声を上げた。
「な?! こんなことが……」
「母上……ずっとこの部屋に居たのですね」
ディックが見つめていたのは平らな深緑の板の壁であり、そこにはフリーデル領の地図が一面に白い線で描かれていた。そして、その地図にはところどころ別の色でマークが描かれている。
「それで母上、どのように考えましたか?」
「川の流れを考えると印をつけた部分3か所から川が氾濫していると思うわ。この感じだと穀物の4割は全滅ね。あと、周りに湖や貯水池がなさそうだから、雨がふらないと直ぐに干上がると思うの。井戸水を使って給水したとしても3割はダメになったのではないかしら?」
ジョンはレイナの考察が実際に起こった問題と一致している事に驚きを隠せなかった。
「母上の対応案を実施したとして、どれぐらいの改善がされると考えられますか?」
「多分……今のマーレン領の1.2倍の収穫は堅いんじゃないかしら? フリーデル領は平野が広いから区画整備をすれば、こんな形でできるんじゃないかな? でも……3つの村はダムに沈めないと駄目ね……」
レイナはそのように言いながら、次々に壁に描かれている地図に石のようなものを使って線を引いていく。ジョンは今のマーレン領の1.2倍という言葉に驚いた。今のマーレン領は王国に定められた小麦の1.5倍を納める能力があるのに、それを上回る生産能力がフリーデル領にあると言っているのだ。
するとディックが地図が描かれている壁に近づき、レイナの手から石を奪い取る。そして、ジョンによく聞いて欲しいと目で合図をして話し始めた。
「母上、ジョン殿は英雄ですので、マーレン領より村人への説得は比較的容易です。それを加味すれば、このようにしてしまえば、1.5倍の収穫は可能なのではないでしょうか?」
「ええ?! そんなことしてもいいの? それなら、こっちも変えてもいい? あとね……」
ディックとレイナの二人は壁に向かって議論を始めてしまった為、ジョンは取り残された形となった。すると、ロベルトがジョンにお茶が入ったグラスをお盆で差し出した。
「あのようになると、二人とも夢中になられますから、終わるまでお茶でも飲みながらお休みください。ちょうど、終わるころには夕食になると思います。しかし、思い出しますよ。レイナ様がいきなりタプウシュカの子供を取ってきて欲しいと言ったときはビックリしたものです」
ジョンはロベルトが持っているお盆の上のグラスを受け取りお茶を一口飲む。
「やはり、タプウシュカの使役の事もレイナ殿のアイデアだったのか……」
「ええ、狂暴な魔物も子供の頃から飼育すれば大丈夫かもしれないと言われましてな。おそらく草食の魔獣を選んだのだと思いますが、なかなか骨が折れました」
ロベルトの話をきいて改めてジョンはレイナを見た。ディックと楽しそうに話すレイナの姿をみながら、ジョンは自身が出来る事を精一杯しようとするレイナを愛おしく感じた。
しばらくして二人の話が終わったのか、レイナがジョンの近くに寄ってきた。レイナの嬉しそうな表情にジョンは惹かれる。すると、ジョンの近くに来たレイナはディックに振り返って言った。
「ディック……私……フリーデル領に行こうと思うの……」
突然のレイナの発言にディックだけでなくジョンもロベルトも驚いていたが、レイナは続けて言った。
「ほら、ディックは第4王女を娶るでしょう? その時に隠れた姑がいるなんて困るじゃない? だから、もともと家を出ようとは思っていたのよ」
ディックが何か言おうと口を開けようとしたが、レイナはそれを自身の指を唇に当てる事で制した。
「物心が付いたときから別の記憶があって、私は変な人間だと思っていたわ。たぶん、まともな恋愛も結婚もできないと思ってた。領主様の侍女になって、正妻様に自分の代わりに子供を産んでくれないかと言われた時に、こんな私でも子供が産めて良かったって思ったの。ディックを育てることが出来て本当によかったわ」
その時レイラの瞳から一筋の涙が頬を伝った。レイナはディックに微笑みかけている。
「そして、私が理人ということがわかって、役に立とうとディックと一緒に領地を改革してたら、もうこんな歳になっちゃったけど、まだ出来る事はあるかなぁって考えたの。私が生きていた証をもう少し残せればいいなって思ってる。それに、ジョン様に10年前ディックを助けてくださったお礼を何かしたいと思っていたから……」
そこで、レイナはジョンの方に振り向く。レイナの表情は笑顔だった。
「それに、ディックは外は危険だというけど、英雄様の近くだったら安全でしょう? ジョン様に正妻様が出来たらご迷惑かもしれないから、近くに住んでいればいいかなぁって……」
その言葉を聞いてジョンは立ち上がり、レイナを見つめながら左腕のこぶしを胸に当てて言った。
「わかりました。ジョン・フリーデルは、レイナ殿を生涯守り続けます」