第三話:辺境の領主は隣の領の視察に向かう
鷹の月の2日、ジョンは馬車に揺られながらディックの治めるマーレン領に向かっていた。ディックもジョンも辺境伯と呼ばれており、王都の小麦を支えている辺境伯は広大な土地を抱えている。
近年の干ばつと水害により農地だけでなく馬車が通れる道も荒れており、移動には時間がかかる状況であった。その為、ジョンは領地の境目である関所の街に2日の夜に入り、3日の朝から移動をする予定で行動している。ジョンは関所の宿に着くなり、明日に先触れに渡す手紙を書き始めた。
「10年前に来た記憶だと、馬車で6の刻に出て6の時位……いや、道が荒れているだろうから同じく8の時がかかるとして到着は14の刻位になるか……」
ジョンは、自身の屋敷から関所までの8の時を揺られ続けた馬車での時間に苦虫を潰したような顔となった。流石に馬で他領を駆ける訳にもいかない為、馬車を選択したのだが悪道がジョンを苦しめたのだった。凝り固まった体をほぐしながら先触れの手紙を書き終え、ジョンは泥のように眠った。
次の日の朝、ジョンは先触れの配達人に手紙と銀貨5枚を渡そうとしたが、ジョンの手の中から取られた銀貨の枚数は2枚だった。
「ん? 銀貨2枚でよいのか? 4の時はかかるだろうに?」
先触れの配達人は怪訝そうにジョンに返した。
「マーレン領では銀貨2枚が相場だよ。届けるのも4の時もかからんよ。旦那……この先触れは、いつの刻の到着にしてるんです?……ってフリーデル様ではないですか! おい! 英雄様がいらしてるぞ!」
先触れの配達人の声によりジョンの周りには人だかりが出来てしまい、その対応の為に1の時位の時間が経過してしまった。ジョンは自分の事を街の人々が覚えていたことを嬉しく思う一方、ディックの屋敷への到着が遅れることの心配もした。
やっとのことで街の人々から逃れ、馬車に乗込んだジョンはグッタリしながら馬車の中で目を綴じた。昨日の疲れが残っていたので、ジョンは御者に出発を促すと馬車の中で横になった。そして、しばらくしてジョンは馬車に揺られているはずなのに馬車の揺れが激しくないことに気付いた。
「御者よ。私が疲れているからと気を遣って、ゆっくり進まなくても良い。このままでは到着が遅れてしまう」
しかし、御者から帰ってきた答えはジョンが予想していないものだった。
「旦那様……馬車は今までと同じ……いえ、それ以上の速度で進んでおります……景色をご覧なってください!」
ジョンは朝日が眩しかったために閉めていた馬車のカーテンを開けた。
「なんだ……これは?! 全て小麦畑なのか?! 馬車を止めよ!」
ジョンは急いで馬車の外に出ると、馬車の進行方向に向かって左手に広大な小麦畑が広がっているのを見た。道はまっすぐ伸びており、地面は綺麗に固められている。
「水害にあっていない? 10年前と景色が違う? そして、この右手の土の壁は何なのだ?」
馬車の進行方向に向かって右手はジョンの身長を超える土の山が盛られており、壁のように真っ直ぐに伸びていた。ジョンは山のように盛られている土の壁を駆け上がった。
「壁の向こうは川?! そっ……そうか、この土の壁が農地を守ったのか!」
ジョンは驚愕した。このような土の壁は10年前にはなく、明らかに人の手で作られたものだったからだ。その時、ジョンは土の壁の上で遊んでいる子供たちを見つけた。
「子供達よ、教えて欲しい。マーレン領では洪水はなかったのか?」
子供達は知らない大人に話しかけられてビックリしたが、ジョンの紳士的な態度をみて、嬉しそうに話した。
「うん、洪水はなかったよ! このドゥテが守ってくれてたってママが言ってた。あと、あのドゥムウも凄いんだってパパが言ってたよ!」
子供達が指し示した場所をみてジョンは愕然とした。子供達が指し示した場所は川の上流であったのだが、そこには山に巨大な壁が作られていたからだ。
「山に壁が出来てる? そして……ドゥテにドゥムウも聞いたことがない言葉……むっ……!」
ドゥテと呼ばれた壁を挟んだ川側に黒い山のような巨体をジョンは見た。それはタプウシュカと呼ばれる魔牛であった。魔獣は領民にとって恐怖の対象でもある。ジョンは子供を守れるようにと、子供と魔獣との間に移動し剣を抜いた。
「タープをいじめないで、何も悪いことしてないよ!」
ジョンは後ろから聞こえた子供の声に驚いた。子供達はタプウシュカを全く怖がっていない。冷静にみるとタプウシュカの眼は魔獣独特の紅い色をしていない。
「まさか……この領地ではタプウシュカを使役動物としているのか? そんなこと……300年前の賢者様が行った浄化スライム以来の偉業……」
しかし、事実としてタプウシュカは襲ってこず、子供達もタープと呼んで親しみを持っている。ジョンは剣を納めて振り向くと子供達に語りかけた。
「あはは。おじさんは悪い魔物と間違ったみたいだ。タープは皆を助けてくれてるのかな?」
「うん! タープは畑を耕すのを手伝ったり、荷車を牽いてくれたりするの!」
魔物の使役……300年前に下水処理が行われていなかった頃、賢者があるスライムを下水に入れることで浄化する事を教えた。それにより王国のみならず人類の衛生事情は一気に良くなり、疫病が頻繁に蔓延しなくなった。魔獣を生活に取り入れる事は賢者レベルの偉業であることを、貴族であるジョンは理解していた。
「これは確かめる必要がある。御者よ! 急いでディックの元へ向かうぞ!」
ジョンは馬車に急いで戻り、馬車の中には入らず御者の席の隣に座った。