第二話:辺境の領主は隣の領主に頼み込む
貴族全員が王国への栄光の願いを唱和し、エドガー国王が下がったのを合図に謁見の間に集まっていた貴族達は解散の流れとなった。各貴族はこれから領地に戻り、各々の任務につく必要がある。
かつての英雄の動向も気になってはいるが、他の貴族たちも人のことを気にかける程の余裕はなかった。天災の復興はまだまだこれからなのだ。
英雄といわれた男であるジョンは、帰路につく貴族達の流れを縫って歩き、ある男の前に立ち塞がった。
「マーレン辺境伯殿! 少しお時間を頂きたい!」
ジョンに呼び止められた金髪の美丈夫は、怪訝な顔をして返答をした。
「フリーデル様、私になにか御用でしょうか?」
「敬語は必要ない。もう私はかつての英雄ではない。様付けも不要だ、ジョンと呼んで頂きたい」
ディック・マーレンは、顎に手を充て少し考えた後、微笑みながらジョンに返答した。
「では、ジョン殿、私の事もディックとお呼びください」
ジョンは一つ一つ洗練されたディックの仕草に感嘆した。なるほど、エドガー国王も第4王女を嫁がせる気になったのも頷けると思った。だが、ジョンはそれどころではない事を思い出し、話を切り出した。
「ディック殿は私と同じ8年前に家督を継ぎ……いや、私よりも遥かに若い齢16歳で家督を継ぎ、24歳の今、王国を支える重鎮だ。是非にもそのお知恵をお借りしたい!」
ディックは困惑した。36歳という12歳も年上のかつての英雄が自分に頭を下げている。ジョンの声も大きかった事もあり、周りの貴族達も二人を見ている。
「顔をお上げください、ジョン殿。このような場所ではどうかと思いますので、場所を移しましょう」
そう言ってディックはジョンの上半身を起こすと王家のサロンルームに足を運んだ。
「話をまず聞こうと思いますが、先程の話で宜しいでしょうか?」
ディックはジョンに落ち着いてもらうために、サロンにある水差しでグラスに水を入れ、差し出しながら話を切り出した。
「その通りだ、ディック殿に領地の運営の秘訣を聞きたい。同じ様に干ばつも水害も受けたはずだ。何故、ディック殿の領地は問題なく、さらに1.5倍もの小麦を王国に納められたのだ?」
捲し立てて話すジョンに対して、ディックはグラスに視線を向ける。ジョンはディックの視線がグラスにあることに気付き、急いで水を飲む。
「落ち着かれましたか? 私からみても今回のエドガー国王の話は決して悪い話ではないと思います。辺境の領地を奪われることが屈辱ですか? でも中央の貴族として働けるのですよ? 待遇としては格上げです」
ディックの言い分は正しく、爵位剥奪は辺境伯という肩書きであり、王都に拠点を構えれば侯爵の地位が用意されているといっても良い。第一王女の他国からの出戻りの噂もあり、もし結婚するという話になれば、公爵の地位が用意されていることにもなる。
「しかし、父が守っていた民を導くことができないのは、貴族の名折れであり……」
ジョンの言い分も判るが、天災は十分に理由が立つ。ディックにはジョンが何に拘っているのかが分からなかった。
「正直に話をして頂かないと協力はできません。何を拘っておられるのですか?」
ジョンはディックの厳しい物言いに項垂れ、渋々と言うように話し始めた……
「ディック殿……10年前に厄災といわれた魔獣の反乱があった時に私は王国辺境を駆け回った」
「はい、王国民全員が知っています。何百万といわれる魔獣を撃退したからジョン殿は英雄と呼ばれています」
「どこの辺境領地だったか忘れたが、多分あれは姉を必死に守ろうとしていた貴族の少年がいてな……ただ疲れ果てていたようで、家族を守れても王国がもう駄目だ……などと言っていたのだ……」
ジョンが懐かしそうに話すのをディックは黙って聞いていた。
「だから私はその少年に言ったのだよ。民がいれば王国は元気になる。私が証明してみせる。これから私が王国を豊かにしてみせよう! だから、君も頑張れ!……とね。でも、このザマだよ。おそらく私は少年に嘘を付いてしまうのが嫌なのさ……」
その言葉を聞いたディックは静かに口を開いた。
「フリーデル領の地図を私に見せることは出来ますか?」
ジョンは驚いて何も言えなくなった。地図を見せる事の意味をディックが知らないわけがない。同じ王国内といえども内部反乱に備える必要がある為、地図は各貴族にとって生命線といえるものである。10年前の魔獣の厄災でさえ、ジョンは地図を求めず目的地のみを聞いて飛び回っていた。それでも各領地を回ったジョンの存在は貴族達には英雄であると同時に脅威でもあったのだ。
「まあ、普通はそうだと思います。なので、この話は無かった事に……」
ディックは当然の反応だとジョンから目を背けて立ち去ろうとした時、両肩を掴まれて正面に引き戻される。
「待たれよ! 地図をお渡しすると言うことは難しいが、ディック殿の屋敷に私が持っていって見せるという事でも良いだろうか?」
ジョンはそもそも王国に身を捧げる軍に所属していた。ジョンからするとディックに謀反の危険性があるかが問題になるのだが、第4王女が嫁ぐという事実が彼の決断の後押しをした。
「そ……それで大丈夫です。そうですね、日時は次の月……鷹の月の月始めで如何でしょうか? その時なら私はいつも屋敷に居りますし、先触れを出して頂ければ準備もできます」
ジョンの勢いに負け、ディックはジョンと約束をした。約束をしておかないと掴まれ揺さぶられる肩を放してくれなさそうな状況でもあった……