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のりこさんによろしく  作者: 悠井すみれ
のりこさんごっこ
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川村陽菜子④

 ベッドの中で何度も寝返りを打って、全然休むことができなかった夜が明けると、陽菜子(ひなこ)は恐る恐る、スマートフォンを手に取った。カーテン越しの日差しはまだ弱々しく、いつもよりずっと早い時間だということが分かる。でも、眠っていることなんてできなかった。とても怖いし、嫌だったけど――どうなっているか、確かめたいという気持ちが何よりも強かった。


 充電器に挿すことさえ失念していたスマートフォンは、バッテリーがかなり消耗していた。寝る前には充電するのが習慣だからいつもと比べることはできないけど、夜の間触っていないにしてはバッテリーの減りが激しい気がした。その()()を考えると、陽菜子の胸を恐怖が締め付ける。

 頭から毛布を被って目を瞑っていても、スマートフォンのバイブ音は夜中じゅう陽菜子の眠りを妨げていた。バッテリーを擦り減らすほど、スマートフォンは稼働し続けていたということだ。恐らくは、のりこさんの投稿に反応する通知が、数え切れないほど届いているんだろう。そのうちのどれくらいに、陽菜子たちへの悪意が含まれているんだろう。彼女たちの学校や住所が、もう特定されてしまってるなんてことも、あるんだろうか。


(あ、美月(みづき)だ……)


 それでも、スマートフォンの画面に触れてみると、最初に表示されたのは美月からのメッセージが来ていることを教える通知だった。可愛くて明るくて気が強い美月――あの子なら、こんな状況でもしっかりしていられるのかもしれない。

 縋るような思いで画面をスワイプすると、美月からのメッセージの全文を見ることができた。


 ――なんか大変なことになっちゃたね!皆、大丈夫?


「あ……」


 真っ先に気遣ってくれたことに、それだけの余裕があるという心強さと頼もしさに、吐息のような声が唇から漏れる。同時に目が熱くなって、陽菜子は思わず涙ぐんでしまう。落ち着いている子がいるというだけで、そんなにもほっとしてしまったのだ。涙を拭いながら、スマートフォンの画面をスクロールする。知らない人からの通知は極力視界に入れないようにして、連続して送られていた美月のメッセージを辿る。


 ――通知ウザいでしょ。フォロー外からの通知は切るようにしなよ。


 それから、美月は丁寧にSNSの操作方法を教えてくれた。どの範囲の通知が表示されるか、選択して設定することができる――知り合いじゃない人からの「いいね」や拡散、メッセージは非表示にすることもできるのを、陽菜子は初めて知った。美月の指示に従って設定すると、部屋の中がしんと静まり返った気がした。物理的にどう、ということではなく、SNSから切り離されたような感覚を肌に感じた。顔も知らない人からの視線を意識しないで済むことが、こんなに安心できる感覚だなんて。


 でも、SNSを完全に断ち切る気は、陽菜子にはなかった。今の彼女は、美月に縋って頼り切っている。美月にもっと指示して欲しかった。大丈夫だと、請け負って欲しかった。だから、新しい通知が点って、美月からのメッセージが新しく届いたことを伝えられると、陽菜子は喜んでそれに食いついた。


 ――のりこさんは、昨日話したら分かってくれたよ。もういいって。


 ああ、さすが美月だ。陽菜子が怯えて震えるしかできなかったのに、ちゃんと話し合いに臨むことができたなんて。本当の幽霊か、悪意がある人かは分からないけど、どちらにしても怖い相手には違いないだろうに。


「良かったあ……」


 美月のお陰で、何とかなるかもしれない。親や、先生に怒られたり、これ以上怖い思いをしなくて済むかも。「のりこさん」がもういいって、どういうことか分からないけど。あの投稿に群がっていた人たちに、何とか説明してくれるんだと良い。

 安堵に緩みかけた陽菜子の頬は、でも、すぐに凍り付くことになった。美月が送ってきた、次のメッセージによって。


 ――フォローしたら許してくれるって。


「どういうこと……?」


 勝手に唇から漏れた疑問が意外と大きく聞こえて、陽菜子は縮みあがって意味もなく辺りをきょろきょろと見渡した。親が、いつもと違う早起きを不思議に思って部屋に入ってきたりはしないかと。見られたからって何が分かるはずもないけど、SNSものりこさんごっこも、昨日の炎上――そうとしか言えない――も、絶対に大人には怒られる類のことだと分かっていたから。


 幸いに、というか。父も母もそれぞれの朝の支度で忙しいらしい。部屋に近づく気配がないことを確かめて溜息を吐くと、陽菜子はまたスマートフォンに向き直った。すると、美月からのメッセージが立て続けに届いていた。


 ――のりこさん、勝手に名前を使ったから怒ってたんだって。

 ――見てるよ、って教えてくれたのに皆シカトしたでしょ。

 ――フォローすれば知らない人じゃないから良いよ、って。

 ――だからフォローしてあげて。

 ――早くね。そうしないとのりこさんまた怒っちゃう。


 もちろん、画面上に表示されたただの文字だ。でも、数秒も置かずに次々と表示されるメッセージは、とても早口に、こちらに反論を許さず捲し立てるような印象を受けた。美月は、確かにフリック入力がとても速いのだけど。今起きている――巻き込まれているのも、普通ではない、焦ったり興奮したりしても当然の事態ではあるんだけど。


 ――分かった?フォローだよ。


 ダメ押しのように届いたメッセージに、「いいね」のハートが点った。陽菜子と同じくメッセージを宛てられたグループの子が送ったものだ。それは、分かったよ、という意味だ。美月に対して何か言うことはできないけど、言われたことはやるよ、というくらいの。ハートの数がぽつぽつと増えていくのを見て、陽菜子も慌ててそれに倣った。


 そして美月の命令通り――昨夜の投稿はできるだけ見ないようにして――「のりこさん」を、フォローした。




 朝の身支度の間に、多少なりともスマートフォンを充電させた陽菜子が登校すると、美月の席はまだ空いていた。席の本来の持ち主の姿が見えない代わり、その周りには別のクラスの子たちが心細げな表情で佇んでいる。美月のメッセージに「いいね」を送った、いつもつるんでいるグループの子たちだ。


「美月は……?」

「まだ、みたい」

「もう始業なのに」

「昨日、遅かったんじゃない? だから休んじゃうとか……?」

「でも、あれからメールも何も来てないし」


 ぼそぼそとした小さな声で、陽菜子たちは囁き合った。皆、美月に頼るつもりで登校してきたんだろう。のりこさんをフォローしても本当に大丈夫なのか、直接顔を合わせて、言葉でちゃんと説明して欲しかったんだろう。陽菜子も、同じだった。

 スマートフォンを見つめても、美月からの通知はもう来ていない。皆がのりこさんをフォローしたのを見届けて満足してでもいるかのように。もう、言うことはないとでもいうかのように、スマートフォンは冷たく沈黙したままだ。のりこさんの「糾弾」への反応が今はどうなっているのか、確かめる勇気は誰にもない。陽菜子たちを責め立てるかのような通知を認識しないでいられるのは、美月のお陰ではあるんだけど。


「何してるの。皆、自分の教室に行って」


 何ひとつ話が進まないままたむろしていると、ついに先生が教室に来てしまった。当然のことながら、違うクラスの子たちはもうこの場にはいられない。皆とまた後で、と目で会話しながら、陽菜子も自分の席についた。そうすると、前の席の美月がいないことを、より意識せずにはいられない。


「皆さん、落ち着いて聞いてください……」


 陽菜子たちの担任は、まだ若い女性の先生だ。だから、クラスのテンションによっては友達感覚で騒いでしまって、収拾がつかなくなることもある。美月も、先生彼氏いるの、なんて言って揶揄う筆頭だ。普段なら、朝のホームルームもざわめきが落ち着くまで数十秒は掛かってしまうのに。今は、先生のひと言で教室は静まり返った。決して大きな声じゃない、むしろ小さくか細い、震える声なのに。なぜか、その声には真剣に聞かなければいけないと思わせる響きがあった。

 生徒たちの視線を一身に浴びた先生が、美月の席にちらりと目を向けた。その一瞬の仕草が、陽菜子は妙に気になってしまった。何か――すごく、嫌なことに結びつきそうで。


 躊躇うように軽く唇を震わせてから、先生は、思い切ったように早口で告げた。


風間(かざま)美月さんが、昨日の夜、亡くなりました」


(嘘……!)


 クラスメイトたちが一斉に身じろぎする音、机や椅子が立てる音や、皆の喘ぎや呻き、悲鳴を聞きながら。陽菜子は心の中で叫んでいた。美月が死んだなんて嘘に決まってる。昨日まであんなに元気だったのに。あんなに可愛くて勝ち気で、一点の曇りもなく自信に満ちていたのに。何より――


 美月は、()()、陽菜子たちにメッセージを送ってきたのに! 美月に何があったとしても、昨日であったはずはない。少なくとも今日の朝までは、彼女は無事だったはずだ。SNSに触れることができる程度には。

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