136話・瑠奈side
「と···時緖っ! き、貴様ぁっ! この頃に及んでブレイカーだけでなく、我らが清らかなる愛しき姫をも裏切るのかぁ!?」
愛姫達が気に入らないと言う理由で、時緖はあっさりと異能力者でもある瑠奈達の側に付いた。相方として組んでいる響が、瑠奈達に付いているのもあるのだろう。そして自分達の思い通りにならず怒る晴と言う男を、不快感を隠さずに睨み付ける時緒。
「俺が気に食わなかったのは、愛姫だけじゃねぇぞ。前々からてめぇらの事も気に入らなかったんだよ」
「きっ、貴様ぁぁぁっ!!」
「宇都宮家の後ろ楯が有る訳分からん理屈で、ブレイカー内で好き放題しやがって。宗主がてめぇ等を重要な会議に参加させなかったのは、宇都宮が秘密裏で異能力研究に、関わってるのも関係してるんだろうな。あの成金一族は、自分達が一番に成り上がる為なら、嫌いなもんすら平然と利用する。宇都宮との連携を宗主に急かした、古参もその当たりは完全に見抜いてたんだろうよ」
宇都宮家を後ろ楯とする、彼ら愛姫親衛隊はブレイカー内、古参の内では評判が悪かったようだ。
「うっ···うるさいうるさいうるさいっ!! 貴様貴様貴様ぁぁぁぁっっ!!」
怒りの感情剥き出しで晴が激昂するものの、時緒は図体の大きい青年の癇癪など、どうでもいいと言わんばかりに晴をあしらう。
「······何だか子どもみたい」
普通に正論を突き付けられただけで、子どものように怒り狂う晴達を見ながら、半ば呆れ気味に呟く瑠奈。年齢の割に大人びている泪や鋼太朗。それに同級生の麗二達を間近で見ているからだろう。
「デカイ口叩いてる割にはキレ易いね、あいつら」
「こっちも軽口叩いてる暇ない。来るよ」
クリストフと響も武器を構え、戦闘態勢を取っているのかいないのかも、全く分からない状態の愛姫へと立ちはだかる。
「か、悲しみを···悲しみを、呼ぶ戦いはやめて···くださいっ。や···やめて、くださいっ!」
「······」
ふるふると身体を震わせながら前を遮る愛姫に、瑠奈は意を決したように頷くと、戦闘体制を取り続けるクリストフと響の少し前へと進み出る。
「瑠奈?」
瑠奈が二人の―愛姫の前に立ちはだかると、全身をほんのりと発光させると同時に、一気に思念を放出した。
「逢前先輩、クリストフさん。後、お願い···っ」
「ちょ、る、瑠奈っ!!」
精神干渉の異能力を使用した瑠奈の身体が、ガクリと崩れるように、地面へ倒れる直前で、両脇にいた二人の少年に支えられる。クリストフと響は能力を使って意識を失い、動かなくなった瑠奈の身体を支えたまま、瑠奈の能力を直に受け茫然自失状態となった愛姫を見つめていた。
―愛姫の精神世界。
「お兄ちゃんと同じ? ううん、少し違う···なんだろう。違和感が」
愛姫の精神世界は、泪の歪な精神世界ととてもよく似ていた。だが泪と決定的に違うのは、彼女の精神世界は、至る所が継ぎ接ぎだらけだと言う事。やはり愛姫も泪と同じく、何者かに精神世界を干渉され、精神そのものを弄られている可能性がある。
―カナシミヲヨブタタカイハイヤ。
「っ!」
突然瑠奈の頭の中から、愛姫の声が流れ始める。干渉している相手は、精神破壊の能力者だ。更に能力の制御が出来ない愛姫は、躊躇いなく対象の自我を破壊する為、泪の精神世界同様に長居は出来ない。下手をすれば瑠奈自身の精神も破壊されて、廃人コースまっしぐらになってしまう。
『ねぇ聞いて。あなたは誰?』
―カナシミヲヨブタタカイハイヤ。カナシミヲヨブタタカイハイヤ。
瑠奈は目を閉じ、愛姫の干渉に思念を使って問いかける。今表ではクリストフ達が愛姫達と交戦状態。潜り込んでいる対象の精神世界で精神を乱しては、相手の思念に呑み込まれてしまう危険の方が高い。
『お願い。あなたの本当の名前を教えて!』
―カナシミヲヨブタタカイハイヤ! カナシミヲヨブタタカイハイヤ!
「···っ!」
瑠奈の精神の中に、愛姫の思念が絶えず流れ込んで来るが、自分が直接干渉している中で負ける訳にはいかない。
『あなた、私の質問に答えて!! あなたの本当の名前を教えて!! 私はあなたの本当の名前が知りたいだけなの!!』
―カナシミヲヨブタタカイハイヤ! カナシミヲヨブタタカイハイヤ!
突如として現れた、招かれざる侵入者―瑠奈に対して愛姫は、精神破壊の能力をしているらしいが、今のところ倦怠感のみで大きな影響はない。瑠奈が直接侵入した事が原因なのか、何故か愛姫側の能力が弱まっているらしい。頭の中で絶え間なく流れる、愛姫の声に構わず瑠奈は更に呼び掛けを続ける。
『お願い、あなたの名前を教えてっ!! 私はあなたの事を知りたいっ!!!』
瑠奈の叫びに近い呼び掛けに呼応するように、継ぎ接ぎだらけの精神世界は、ガラスの破片が飛び散る勢いで壊れて行き、同時に壊れた世界の先から、愛姫の本来の精神世界が広がる。
「な······こ、これは···っ!!?」
剥き出しになった愛姫の精神世界にいたのは、晴を筆頭とした先程の愛姫親衛隊の男達。その中には数日前泪に生きたまま焼き尽くされ、命を失った者もいる。そしてその愛姫の、精神世界の中心に存在するのは玖苑充の姿。
「あ···あれ!? あいつ···な、なんで玖苑充がっ!!」
見れば先程から、愛姫の姿が何処にも見当たらない。充を始めとした精神世界の男達は、薄気味悪い笑みを浮かべながら、ただ笑っているだけ。ここは間違いなく愛姫の精神世界の筈なのに、当の愛姫本人がいないとは、これは一体どう言う事なのだろうか。
―カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!!
「まっ、まさか···そんな···。彼女は······っ!」
壊れたテープレコーダーのように、愛姫の声だけが再び瑠奈の頭の中で聞こえ続ける。しかし愛姫の精神世界には、愛姫自身は存在していない。だがこれ以上の長居は、瑠奈自身にも危険すぎる。何せ泪の精神世界に入り、一度精神汚染されかけた身だ。
―カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤ!! カナシミハイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァーーーーーーーー!!!!!!!
「っ!!」
愛姫の断末魔に近しい悲鳴と同時に、瑠奈の意識は急速に覚醒し、目を開ける。いつの間にか瑠奈は響に身体を支えられていた。すぐ側にいるクリストフも意識を取り戻した瑠奈を、心配げな表情で見つめている。
「大丈夫?」
「は、はい···っ」
少しの倦怠感と目眩はするものの、意識を取り戻してもなんの異常もない。どうやら間一髪の所で、精神汚染の難を逃れたようだ。
「瑠奈が能力使ったと同時に、あの娘の様子がおかしく···一体何が」
「おかしい···あんなのおかしいよ···っ」
「え? おかしい···?」
愛姫の精神世界は、泪の精神世界とは明らかに違った。泪の精神は歪にゆがんでいたとは言え、泪の世界と泪が明確に存在した。彼女の精神世界には『愛姫が存在しない』のだ。
「···あの娘の精神世界に彼女自身がいない」
「『彼女自身がいない』って?」
クリストフと響は、瑠奈の話を聞いて怪訝そうにお互いを見合わせる。
「···言葉の通りだよ。まず人間の精神世界は、必ずいくつもの層に分かれてる。それでそれぞれの階層には、必ず同じ姿をした『自分自身』が必ずいるの。研究所や施設に例えたら、その『自分自身』は部外者が奥に進む為の門番や警備員なんだよ」
「その警備員ってのが精神世界の···」
「うん、だけど···。あの愛姫って娘の中には、『あの娘自身』がいないの」
暁異能力研究所の、実験によって弄られていた泪の精神世界には、どんな歪みを抱えていても『赤石泪』が必ず存在した。しかもその『赤石泪』は瑠奈の干渉をも、却けてしまう程に強いものも存在した。愛姫の精神世界には『彼女自身』が存在していない。極端な話になるが、現在の愛姫には自我が存在しないと言う事だ。
「あの娘の世界に、防衛機制すら存在してないなんて···」
「防衛機制?」
「精神を護る殻だよ。さっき話した警備員がその防衛機制なの。普段の人の精神世界なら『本当の自分』を守る為に、必ず一つ存在してる。なのに、『本当の自分』すら存在してないなんてあり得ない···」
「そ、そうか···。じゃああいつも異能力研究所の」
「······多分。あの娘が自分の力を何の制限もなく、全力で振るえているのは、防衛機制が存在してないのが関係してるのかも」
「だ、だけど。そんな無作為な能力の使い方をしたら、いくら異能力者でも、身体が持たない筈だよ」
「······」
瑠奈の反応を見たクリストフは、複雑な表情になる。仮に愛姫が異能力研究所の被験者ならば、恐らく彼女も相応の異能力実験を受けている筈なのだから。今は時緒が単騎で、晴達鳴城院一行と交戦中だ。複数人を相手にしているにも関わらず、時緒は圧倒的なナイフ裁きで晴達を翻弄している。愛姫の傍に付いているだけの鳴城院の男達に対し、長年数々の異能力者を狩ってきた時緖。実戦経験の差が明確に出ているのだ。
「だ、だめ···ですっ。か、悲しみを···悲しみを、呼ぶ、戦いは···や、やめて···やめて···くだ、さい」
「······あんた哀れだよ。まさか異能力研究所の研究員共に、いいように利用されてるだけだなんて···」
そんな三人の前に愛姫が細い両手を広げ、懸命に立ちはだかっているが、反して全身は酷く振るえている。愛姫が今も異能力研究所の被験体であり、自分自身の意思すらない彼女は研究員にとって、格好の『実験材料』であるのを、知ってしまった事で瑠奈達の見る目が変わっている。いや、変わってしまったとしか言えない。
「ちっ···違いますっ。わ、私は悲しみを···悲しみを、呼ぶ···戦いは、き···嫌い···なん、です···。だから···か、悲しみを、悲しみを···呼ぶ戦いは···やめて、ください、っ」
「主の命令だけを受け入れ、息をするだけの操り人形か···」
「かっ···悲しみを、悲しみを呼ぶ戦いは···やめて、ください···。か、悲しみを····わ、私はこの、悲しみを呼ぶ力は···嫌い、ですが···悲しみを、呼ぶ、戦いを······止めて、みせ、ますっ···か、悲しみ、を···止め···ますっ」
「悪いけど、私達もここで止まるわけには行かないの。そっちがその気なら、私も全力で能力を使わせてもらうよ!」
愛姫の能力は一方的に精神だけを破壊する。しかしこちらには愛姫の能力に対抗出来る瑠奈がいる。瑠奈の能力で再度精神に干渉し、愛姫を再度行動不能にするだけだ。
「姫っ!!!」
突然、晴の声が響く。
「え、え···? えっ? えっ? えっ···?」
「姫! 逃げるんだっ、姫っ!!」
「危ない!! 姫っ! 姫ぇぇ!!」
「姫ぇっ!! 逃げてよぉ!! 姫っ!! 姫っ!! 姫えええっ!!!」
再度能力を使おうとする、瑠奈達へと立ちはだかる愛姫へ向かって親衛隊達が叫ぶ。しかし愛姫は何故かその場を動かない。
「えっ? あっ···えっ? あの···えっ? えっ?」
「死ね」
瑠奈達が口うるさく姫と叫ぶ、親衛隊達を見る。見ると晴達と交戦中の時緒が、片手のナイフで晴達の攻撃を防ぎながら、器用にも愛姫を狙ってもう片方の手に、持っていたらしき拳銃を向けていた。瑠奈達と時緖、そして晴一行をきょろきょろ見ながら、愛らしく小首を傾げる愛姫とは逆に、時緒は不敵な笑みを浮かべ、躊躇いなく銃の引き金を引く。
「なっ、夏々乃おおおおおおおぉぉっっ!!!」




