135話・瑠奈side
「この人···」
響が言った研究所へと急ぐ瑠奈達の目の前に、見知った男が立ちはだかる。前回ファントム支部へ乗り込んできた黒スーツの男だ。見目の良い黒スーツの男達は、泪が持つ炎の異能力で皆瑠奈達の目の前で焼き殺された。そして唯一生き残り引き上げていった目の前の男。仲間を指示していたから、リーダー格と見て間違いない。響は武器の長棒を構えながら、黒スーツの男をありったけの敵意を込めて睨み付ける。
「どけよ。僕達はその奥へ行かなきゃいけないんだ」
「黙れ小僧。薄汚い裏切り者が、この神聖なる愛姫親衛隊の俺に命令するな」
「一人で何も出来ない女に仕えてる、あんたらがおかしいだけ」
「何も出来ないのではない!! 姫は純粋なんだ! 愛姫こそが世界を救う穢れなき乙女!」
「···あんたウザいよ」
男の支離滅裂な言い分に腹が立ったのか、クリストフも背中に背負っていた、二丁のトンファーを取り出し両手に持って構える。彼と話している内に泪やルシオラ達の思念は、徐々に遠く弱くなって行くのを感じる。
「······愛姫親衛隊・鳴城院晴。お前らが宇都宮一族直属の工作員だったとはね。こんな事になるなら、もっと早く周りに伝えておくべきだったよ」
「お前が···貴様がもっと早く、清らかなる美しき愛姫の仲間になっていれば、忌々しい異物共に、煮え湯を飲まされずに済んだのだ!」
「馬鹿げた事で、一方的に八つ当たりしないでよ。誰がいつあんたらの仲間になるって言った? 何度もノーを叩き付けてんのに、詐欺師のセールス見たいに粘着してしつこすぎ」
響はうんざりした声色で吐き捨てる。そして鳴城院晴―彼は異能力者そのものを憎んでいる。瑠奈達と晴との間から、聞き慣れた男の声が響いてきた。
「なんだ響。まだ此処にいたのか」
「時緒······」
「···あ」
ファントム支部で響と話していた浅枝時緒。ファントム内では『挽き肉の時緒』と言う、物騒な通り名を持ってる。ファントムでも恐れられている男が近くに現れた事で、クリストフは尚もトンファーを構えているが、顔中はじっとりと汗をかきながら引いている。
「時緒か、丁度良い。我々の愛しい姫を裏切った小生意気な小僧と、忌々しい異能力者二人をさっさと殺すぞ」
異能力者にすら畏怖の感情を抱かれている、異能力者狩り内でも熟練の同僚が現れ、優勢に立ったと判断した晴は、自分の味方である事が当たり前のように時緒に命令するが、晴の声など聞いていないのか、時緒はその場から全く動かない。
「お前は何か勘違いしていないか?」
「何を言ってる。目の前の相手は我らブレイカーが抹殺するべき異能力者!! 相手は俺達の清らかで愛しい姫を裏切ったガキと、忌まわしき異能力者なんだぞ!! こいつらは俺達の愛しき愛姫の敵なんだ!!愛姫の敵は俺達の敵!!異能力者の敵は愛姫の―」
「黙れ」
時緒は狩りに使っている、愛用のサバイバルナイフを取り出す。ブレイカーに身を置き数々の異能力者達を狩って来た、そのナイフの刃先は、同じブレイカーの晴の方へと向けられていた。時緒のナイフが晴へ向けられた直後に、晴が現れた茂みの奥から新たな人の姿が現れる。
「み、皆さん···っ。か、悲しみを···戦いは、だ、だめ、ですっ。か、悲しみを呼ぶ戦いは···止めて、ください···っ」
「姫っ!」
時緒が出てきた方向から現れたのは、まさかの愛姫だ。この場にいる能力者で、最も厄介な相手が出てきた事により、時緒は無意識に舌打ちをする。
「······響。そいつらを連れて、早く神在郊外の異能力研究所へ行け。お前が捜してる姉さんもそこにいる」
時緒の口から姉の単語を出され、響は険しい表情になる。
「あ、逢前先輩っ。まさか、奏さん···」
瑠奈の問いかけに対して、気まずそうに顔を逸らす響。響の反応からどうやら奏も、異能力者間の争いに巻き込まれたらしい。
「早く行け。この先お前まで潰す訳にはいかん」
時緒と敵対するクリストフは、現状時緒と戦う事がないと理解し、安堵したように溜め息を吐く。
『あの人の事苦手なの?』
『ち、ちょっと。ね···』
今とても話せる状況ではない、瑠奈は念話でクリストフに質問してみる。時緒の戦いぶりはクリストフのトラウマに刻み付けられていたようだ。
「だっ、駄目っ···駄目ですっ!! か、悲しみを···悲しみを呼ぶ戦いは止めてくださいっ! か、悲しみを呼ぶ、戦いは···駄目、なんですっ」
「君。それしか言えないの」
クリストフの声には、明確な苛立ちが込もっている。泪やルシオラ達助ける為、一刻も早く先へ進まなければいけないのに、異能力者でありながら、異能力者狩りに味方し言動自体が、訳の分からない相手に足止めを食らっているのだから。
「か、悲しみを、呼ぶ戦いは···い、いけないんです···。た、戦いは···駄目、です。戦いは、悲しみしか···っ。悲しみしか、呼ばないん···です」
おどおどとしながらも、はっきりとした口調で同じ言葉を繰り返す愛姫に、瑠奈も口を開く。
「戦いが嫌ならそこを退いて。私達は戦いに巻き込まれた人を助ける為に、その先への研究所へ行かなきゃいけないの」
「駄目···駄目です······だ、駄目·······っ。か、悲しみは···絶対に···悲しみは···駄目。それは、だめ···だめ···。だめ、なんです······か、悲しみを呼ぶ戦いはいや···です」
泪やルシオラ達だけでなく、止むおうなく争いに巻き込まれた奏をも救わなければならない。何故無関係の人間を巻き込んでいるのに、この場を退く事を拒絶する。彼女には自分の意思がないのだろうか。前と出会った時同様、まるで壊れた機械のように同じ言葉ばかりを繰り返している。
「···それじゃあ一つだけ質問して良い? あなたの名前は?」
「瑠奈っ、こんな時に何やってんだよ!」
瑠奈は反射的に、愛姫の名前を聞こうとしていた。彼女は周りから愛姫と呼ばれているが、もし彼女が『麻宮鈴音』なら名前を答える事が出来る。
「え······えっ。わ、わっ、私···っ? わ、わ、わた、しは······」
「姫。こんな異物共の言葉は聞いてはいけない。姫は俺達の言葉にだけ、身を捧げていれば良い···俺の愛する姫」
「あんたは黙っててよ。私は今、その娘に質問してるの」
とにかく彼女の名前を聞きたかった。自分の意志を示さず戦いを止めろと繰り返すばかりの少女。自身の持つ強大な異能の力に流されるだけの少女。瑠奈は彼女の名前が知りたかった。
「わ、わ、私······っ。わっ、私······私、は···―」
「君は愛姫だ。君の名前はは愛姫夏々乃。君は美しく愛らしく清らかなる愛姫であって、薄汚い他人の言葉に耳を傾ける必要ない。何時でも傍にいる、俺達の甘く清らかな言葉にだけ、耳を傾ければいいんだ。さぁ、愛姫」
愛姫の放つ言葉は晴の言葉で遮られる。まさか彼が愛姫と言う少女を、自分へ依存させるように仕向けているのか。
「なっ······」
自分の思い通りに少女を操ろうとする晴。余りに歪んだ男に絶句する瑠奈達を余所に時緒は、響や瑠奈達の壁になるように晴達の前に立つ。
「早く研究所へ急げ。あまり時間がない」
「時間がない?」
「ああ。玖苑充があの異能力研究所内に、捕らえた人間全員を、暁研究所へ移送するそうだ」
「っ!」
充に捕らえられた異能力者達だけでなく、本来無関係であり巻き込まれただけの奏も、暁へ移送されたら最後だ。泪が暁研究所で受けてきた仕打ちを、見たから理解出来る。暁に移送された人間の命はない。
「てめぇの事は、始めて顔見た時から気に食わなかったんだよ」
「み、皆さん···悲しみを···悲しみを呼ぶ戦いは···戦いは止めてくださいっ!! お、お願いです!! 悲しみを呼ぶ戦いを止めてくださいっ!!」
改めてナイフを構え、愛姫へ全開の敵意を向ける時緒に対し、何度も何度も壊れたテープレコーダーの如く、同じ言葉を繰り返すだけの愛姫。向こうも退く気は全くないようだ。
「···仕方がないね」
「充派の連中とぶつかる限り、どうせ戦いは避けられないだろうけど。瑠奈、少し下がってて。それから出来るだけ念での防御はしておいて」
「わかった」
クリストフと響は、時緒に並んで武器を構える。正直瑠奈が何を言った所で、能力者同士との戦闘経験皆無の身では、瑠奈などクリストフや響達のお荷物にしかならない。
「か、悲しみを呼ぶ戦いは止めてくださいっ!! た、戦いは···戦いは···戦いは悲しみしか呼びませんっ!! 悲しみを···悲しみを呼ぶ戦いを止めてくださいっ!!」
「···おい。ガキ」
「あたし!?」
時緒が後方に下がりかけていた、瑠奈の頭を軽く小突く。頭を小突かれた瑠奈は立ち止まり、小突いた張本人の時緒を目を丸くしながら凝視する。女として興味本位で見られるより、子ども扱いされる方がまだずっとマシだが。
「あの女を黙らせられるか?」
時緒が瞳を潤ませながら、戦いを止めるよう同じ言葉で訴え続ける愛姫を指差す。しかも時緒は、瑠奈の能力に感づいているかの話し方だ。
「···っ」
「いくつか調べてわかったが、奴の能力は同じ系統の能力者でないと対抗出来ん。無鉄砲に突っ込めば奴の能力で、精神はおろか脳神経の細胞までズタズタにされ、生ける屍にされるだけだ。データを調べたら、お前は奴と同じ精神干渉系の能力者だとな」
愛姫の能力を間近に受け、壊れてしまった異能力者の女性を思い出し、瑠奈はすぐに理解した。精神干渉の能力には、同じ精神干渉で対抗した方が良いと言う訳だ。
「···能力を使えば、私はその間何も出来ません。上手く干渉出来たとしても長く持って三分位」
「三分あれば上等だ。幸い奴は異能力者としての制御能力が皆無。俺が馬鹿共の気を引いてやるから、奴の精神に直接乗り込んで、動きを止めてやれ」
時緒は鳴城院晴を指差す。晴や愛姫が現れた勝手口から、数人男達が現れる。
「あいつらまだ残ってたんだ」
「生きてたって事は···。お兄ちゃんの事、危険だって感付いたんだよ···」
どうやら運よく泪の炎の猛攻を逃れ、生き残った親衛隊の男達。皮肉にも泪に突撃しなかった親衛隊達だけが、生き残ったと言う事だ。
「姫っ!」
「時緒、貴様!! 貴様もブレイカーを···我らが清らかな愛姫を裏切るかっ!?」
時緒は戦闘の構えを崩さず、三度男達にナイフの刃先を突き付ける。
「俺が従うのは宗主だけだ。異能力者の行く末がどうなろうと知ったことか」
「素直じゃないよな」
「······ほっとけ」




