129話・伊遠&茉莉side
一触即発になりかけたこの旧校舎へ、いつの間にかねっとりとした、粘着質な男の声が響いてきた。声の主は数時間以上前に、ファントム支部に滞在していた筈の玖苑充。
「···お久しぶりです陸道教授。まさか我らがファントムに、明確な反逆行為と見せた謀反を起こした貴方が、まだ生きていたとは思いませんでしたよ」
「玖苑、充······っ!!」
伊遠は殺意が籠った目で、充を睨み付けている。数十年前、彼が独自に発表したある研究理論が原因で、破門にした陸道伊遠の元弟子だ。伊遠にお前だけは絶対に殺してやる、と言わんばかりの表情で睨み付けられても、充は私はあなたの事など何とも思っていない、と言う顔をしながら充と言う男は、平然とその場に立っている。
「···さっきの瞬間移動の能力。だれから模倣した? 大体他人の異能力を奪うのは、お前が元から持っている異能力だし、お前の十八番だしな。どうせあの原因不明のビル爆発事故も、お前がやったんだろ。僕の真似したつもりなんだろうが、爆弾の爆発を念動力で防がれた時点で詰めが甘いんだよ」
伊遠は普段からは決して放とうとしない、ドスの聞いた声で皮肉たっぷりに言い放つ。伊遠が持ち出したのは、つい数時間前に神在郊外で、発生したビル爆発事故。
ニュース速報で知った時は驚いたが、事故のテキストを見てすぐに不信へと変わった。あの大規模の爆発を起こした割には、恐ろしい位に周りで騒がれていないのだ。更に爆発した高層ビルは、かつて伊遠がファントム在籍当時に、滞在していた支部であった事。その爆発の手口が伊遠がファントムを離反し、自分がファントムに在籍していた、証拠の隠滅を謀った時と似ている事。更には犠牲者の報告も何もなく、充を始めとした人間が、生きて無傷で脱出している事から、ルシオラ当たりに大方の爆発を防がれたのだろう。あの大規模の爆発でありながら、奇跡的に最小限の犠牲で済んでいる事から、ルシオラの他にも複数の異能力者が、関わっているとみて間違いない。
充は一回しに面子を見回すと、勇羅の隣にいた麗二の顔を見た。麗二の姿を見た充は、一瞬驚いたような顔になるが、すぐに元の笑っていない笑顔に戻る。
「常に無駄な行動ばかりを行う、貴方にだけは言われたくはありません。それにしても···いつもながらに見飽きた面子です。それに『闇世界の魔王』の御曹司までも、この学園にいらっしゃるとは愉快愉快」
「!」
「彼はお元気ですか? 最も、貴方は財界の暗部とは無縁の立ち位置だった為、知らないでしょうが···」
『魔王の御曹司』と言うのは、自分を指しているとすぐに理解したのか、麗二は充を敵意全開で睨み付ける。
「······黙れ。俺の前であの男の名前を出すな。あいつの名前だけは、聞いただけで虫酸が走るんだよ!!」
「れ、麗二···」
心配そうに麗二を見る勇羅を後目に、現在の状況が全く理解出来ない翠恋が口を出す。
「ど、どう言う事よ。榊原っ! あんたが『闇世界の魔王』の御曹司って何? あんたもまさか真宮に―」
「三間坂···っ!!!」
翠恋へ怒鳴り付けるかの如く激昂する麗二。一年女子憧れの的で、上級生達にも一目置かれている、同級生の普段見たことのない表情に、翠恋だけでなく勇羅までも反射的に後ずさる。
「おいおい。ガキ共に構ってて良いのか? お前はそいつらをからかいに、ここへ来た訳じゃないんだろ」
嫌味たっぷりに告げる伊遠に、充はそうそうと言った仕草で伊遠達の方へ振り向く。相変わらず笑みを湛えたままだが、異質な雰囲気を漂わせている。
「おっと。これはこれは私とした事が。貴方が理不尽の塊である事を、すっかり忘れていましたよ」
充は更にわざとらしく、馬鹿にしたような口調で、パチパチと伊遠へ向かって手を叩く。既に伊遠への違和感に気付いたのか、茉莉が伊遠の方を見ると、伊遠がいつの間にか両手に持っているのは、この国の正規の手段では、絶対持ち込める筈のない対戦車ライフル。この場所でも戦闘になる事を想定して、予めいくつかの火器を、持ち込んで来たのだろう。
「ち、ちょ、いっっ!! 伊遠ちゃんっ!! 学校になんてもん持って来たのよぉ~」
いくら充が手練れの異能力者とは言え、どう考えてもその大柄なライフルは、人間相手に対して撃つものではない。もしくは玖苑充と言う男を、普通の相手だとは一切、思っていないのかのどちらかだ。
「お、俺さ···。戦車ライフルの現物、生まれて初めて見たよぉ」
「俺も······」
間近でとんでもない物を見せられ、麗二も頭から冷水を浴びせられたように、落ち着きを取り戻す。
「全く、相変わらずやる事が理不尽ですねぇ。貴方と言う方は一体無関係の人間に対し、どれだけ大罪を重ねれば気が済むのですか?しかもその狙撃銃は、見た所相当改造しているようですが···」
人間相手に向けるものではない狙撃銃を、間近で見せ付けられても、充は全く動じていない。それどころか伊遠を大罪人とまで呼ぶ始末。
「お前を潰すのに手段なんて選ばないよ。理不尽の塊だなんて、お前も僕と同じ似たようなもんだろうが。異能力研究者になった以上、罪なんざ後戻り出来ない位に犯してるんだ」
「貴方と一緒にしないでください。私は私のやり方でこの世界の全てを手に入れます」
「はんっ、世界征服だなんて馬鹿馬鹿しい!! 世界がいつまでも自分の都合通りに、動いてると思うなよ」
伊遠はライフルの銃口を向けながら、横目で茉莉を見ると思念を送った。
『茉莉、二人を連れてすぐにここから逃げろ。建物壊した責任は、全部僕が被る』
伊遠の視線と同時に、思念による念話を送られた茉莉は無言で頷く。麗二は純然たる異能力者だし、勇羅は数週間前より覚醒の兆候がある。神在は既に広範囲に亘って、ESP検査通知が回っている。異能力者である事が発覚すれば、二人共只では済まされない。
「あっ、ちょっと! まっ、待ちなさいよっ! あんた達も絶対に逃がさないんだからっ!!」
「そうだ。あなたの事、忘れてたわね」
伊遠との念話を終えた茉莉は、翠恋を冷めた目で見る。恋に恋する乙女であるが故に、まるで周りが見えてないとは、全く持って哀れで仕方がない。
「先生、さっきから三間坂の奴どうしたのさ。本物の拳銃なんか持って···」
「三間坂さん? 口先だけのバカな男に騙されたのよ」
茉莉の騙されたとの一言に、二人は色々と察したのか、複雑な顔になりながら翠恋に注目する。
「バッ、バカって!? こ、この可愛い私がバカだって事!?」
「······お前。そいつがどんな奴か知ってるのか」
激昂する翠恋を他所に、麗二も呆れた表情になる。政府議員秘書である玖苑充は、表向きの外面は良いが、裏では悪い噂の絶えない人間だ。一体どこで、麗二の複雑な家庭環境を調べたのか知らないが、信頼以前に充が信用出来ない人間であるのは、間違いない。
「わ、私は泪を助けたいのよっ!」
「泪さん?」
勇羅や麗二は泪が消息を経った詳しい理由を、知らされていないのだ。彼らに表だって伝わっている事実とは、政府から異能力者だと明かされた泪が何も言わずに、自分達の前から姿を消した事だけだろう。
「この二人の前でそれ以上、余計な戯れ言を言ってご覧なさい。あなた本当に殺すわよ」
茉莉との念話を終えた直後、伊遠は充と絶賛交戦中。余裕綽々で伊遠の猛攻から逃げ回る充に対して、伊遠は戦闘直後にも関わらず、戦車ライフルを器用に撃ちながら、旧校舎内を派手に暴れている。流石は物理的に証拠と言う証拠を隠滅して、単独で異能力者だらけのファントムから逃げて来ただけある。ルシオラを始め、自分が信頼出来るファントムの能力者数名に、火器の使い方を叩き込んだのは彼だ。
「麗二ちゃん。勇羅ちゃん連れて、すぐこの場所から逃げなさい」
これは茉莉が翠恋の相手を、引き受けるしか手はない。暁出身の鋼太朗の素性などを、ある程度聞かされているだろう、口の固い麗二に勇羅を任せるしかない。幸い麗二の異能力は防御特化だ、実弾系の攻撃ならばほぼシャットアウトしてくれるし、この場からは確実に逃げ切ってくれるだろう。
「わかりました」
「えっ、ちょっ!? れ、麗二っ!?」
茉莉の意図を理解した麗二は、勇羅が一言喋る間もなく腕を掴む。そして二人はそのまま脱兎の如く、校舎裏門の方向へと一目散に駆け出した。
「ちょっと篠崎っ、榊原っ! 待ちなさいよっ! あたしはあんた達にも、聞かなきゃいけない事も―!!」
「三間坂さん。あなたの相手はこの私よ」
この場から走り去る勇羅達の後を、追いかけようとする翠恋の前に、彼女の進路を妨害するかの如く、立ちはだかる茉莉は光輪を具現させる。
「ま、真宮先生···先生は関係ないのに、どうしてあたし達の邪魔するんですかっ。あたしは···」
今だ戸惑う翠恋へ向けて、茉莉は笑みを浮かべる。その笑みは嘲笑にも近い、残虐で醜悪な悪女の冷笑だった。
「大丈夫よ。口では殺すって言ったけど、あなた人間だし本当に殺したりはしないわよ。······最も。死なない程度には、痛い目にあってもらうけどね」




