128話・伊遠&茉莉side
―同時刻・宝條学園旧校舎。
「まだ終わらないのか。学園や理事長の許可が、正式に降りてるとは言え、長時間の能力行使は、他の能力者にも思念を読み取られる危険がある。出来るだけ早く済ませた方が良い」
「そんなに急がせないで。···どうもここの施設、十年以上も前だから記憶が曖昧で、情報が上手く読み取れないのよ」
宝條学園旧校舎にて、二人の男女が会話をしている。会話している男女は伊遠と茉莉。茉莉の記憶干渉を使い、宝條学園の最も古い施設を、隅から隅まで調べていたのだ。当然調査には学園長と理事長の許可は、しっかり貰ってある。
学園理事長の許可以前に、宝條学園は職員全員が、満場一致で政府へ提訴する事に決まった。提訴するのは宝條学園だけではない。異能力者受け入れを認めている国内都市全てが、国に対し強制介入と、市民への一方的なESP検査は不等として、一斉提訴を掲げた。最早政府と反政府勢力による、全面戦争に近い状態だ。一方的に個人情報を詮索された挙げ句、異能力も何もへったくれもなく、強制的にESP検査されるなど、たまったものではないのだ。
「建物にしても、設備にしても古いのはなかなか厄介だな。能力で記憶を遡れるとは言え、建物の劣化や風化で、情報の解析が出来ない箇所も出てくるからな」
「記憶干渉の能力にも、個人差があるから仕方ないわよ~。私の能力じゃあ、せいぜい十年遡る位が限界ですもの。宝條学園は設立からそんなに年月立ってないし、一番古い建物と言ったら此処しかないじゃない」
幸い建物の劣化自体は酷くないようだが、比較的干渉の精度が高い茉莉の能力でも、記憶の読み取りが難航しているらしい。
「そんなに長く記憶を遡っても、一体何するの? って思うわよ~」
形の良い唇をアヒルのように尖らせながら、普段決して見せないような表情でぼやく茉莉。そんなに年月を遡ってまで、記憶を覗いても茉莉個人は嬉しくない。茉莉が見初めたいい男を落とすのは、自分自身で磨きあげた魅力を使わなくては、意味がないのだから。
「昔。宝條の旧校舎を担当していた聖域職員が、何らかの情報をノートに書き込んでた筈だ。第三者が安易に中身を見られないように、趣味悪い色と柄の奴に書き込んだとか。まったく···。下手にモノを派手にすりゃ、余計に相手の好奇心を刺激されるだろうに」
「趣味の悪い色と柄···? まさか···」
愚痴を垂れる伊遠の言葉を聞きながら、茉莉は以前職員室で別校舎を担当している教員達が、休み時間の間に会話していた話題を頭の中で遡る。教員が話していた話題とは、数週間前に高等部一年の生徒から、奇妙な色と悪趣味な柄のノートの落とし物が届けられたと。教員の話ではノートの中身は気になったが、表紙の見てくれから不気味でまだ見ていないらしい。
「伊遠ちゃん。目的の物なんだけど、それ職員室に―」
「おい!! 後ろ!?」
何らかの気配を感じた伊遠は、茉莉へ向かって叫ぶ。茉莉も感じたのか、伊遠の声と同時に後ろを振り返る。
「···何? きゃあっ!」
「うおっ!」
二人は反射的に思念を強め、念動力を集中しながら、即席で高めた自分達の思念を前方へ集中すると光輪を具現化し、間一髪対象を狙って飛んで来た銃弾を弾いた。誰をターゲットにしたのかは分からないが。
「あなた···」
いきなり銃弾を放って来た相手を、学園の保険教諭である茉莉は、良く知っていた。本来ならこの場所に居ない以前に、異能力者同士との争いには、完全無関係である筈の三間坂翠恋だった。
「······三間坂さん、あなた。今自分が何をやっているのか、分かってるの?」
「そ、そんなのっ。わ、分かってます···。この事件は真宮が···真宮の奴が全部いけないんでしょ!」
「は?」
翠恋の口からいきなり飛び出した、意味不明かつとんでもない発言に、茉莉は反射的に気の抜けそうな声をあげ、更に目を丸くして翠恋を凝視する。翠恋にとっての真宮が悪いとは、目の前にいる茉莉ではなく、翠恋と喧嘩ばかりしている、瑠奈の事を指しているのだろうが。銃口を向けられた茉莉達の方からしてみれば、全く意味が分からないのだ。しかしその翠恋の言動からして、彼女は完全に反異能力者勢力の口車に乗せられたらしい。それも伊遠達が危惧していた、最凶にして最悪の相手に。
「お前、茉莉が言ってた宝條学園の教え子だったな。その手に持ってる物騒なもん、地面に捨ててさっさとウチに帰れ。ここはお前みたいなガキが、来ていい場所じゃない」
「な、何言ってんのよっ! あんただってガキじゃないのよっ!!」
「はいはい。これだから世間を知らない凡人は、視野が狭すぎて困る。ほら年寄りの若作りとかぁ~、美魔女って単語知ってるだろ~。僕や茉莉はその手の方々と同じ人種だから~」
「あっ、あんた生意気よっ!! ガキの癖にいちいち訳の分かんない事ばっかり言って!! ガキ相手にガキって言って、何が悪いのよっ!?」
伊遠の見た目は翠恋と同年代。しかし伊遠の実年齢を知らないから、伊遠に対しても安易にタメ口を吐ける。タメ口を吐かれている伊遠本人が、自分の実年齢を全然気にしない分、余計に性質が悪いが。
「······じゃあ。この場に居る『私達全員』が『敵』である事も、理解しなきゃダメよ」
「えっ···。てっ······て、き?」
翠恋が瑠奈を敵として認識したならば、彼女は既に瑠奈や泪の現在の状況を知った筈だ。そして玖苑充が何も知らない彼女に接触し、本来の情報を徹底してねじ曲げて伝えた事を。
「三間坂さんは、瑠奈や赤石君が異能力者だって事。とっくに知ったんでしょう。なら世界中の異能力者達が、今どんな立場に置かされているのか、あなたも十二分に理解している筈よね。だって私は毎日自分の愚痴を話しに、第一校舎保健室へ通うあなたへ、何度も異能力者の置かれている状況を言い聞かせたもの」
「······っ」
淡々と答える茉莉の表情は、穏やかに笑ってはいるが、目は全く笑っていない。普段保健室で見せる、愛想の良い笑みとは全く違う。今の翠恋へ向ける茉莉の表情は、明らかに相手を見下す、嘲笑を思わせる冷淡な視線だった。茉莉は異能力を持たない翠恋に、異能力に憧れを持たない方が良いと、ウンザリする程に何度も言い聞かせた。異能力者に憧れている彼女が、あの玖苑充を信じたと言う事は、結果的に彼女は異能力者が置かれている立場を、全く理解していなかったと判断したのだ。
「だ、だってっ! 真宮がいなくなれば泪を······赤石先輩を悪い連中から助けられるんですよっ!」
「······わかったわ。あなたがそこまで言うなら······仕方がないわね」
翠恋の返答を聞いた茉莉は、ため息を吐きながら再び思念を集中し、翠恋の前へ躊躇いなく自身の光輪を具現させる。
「ま、真宮···先、生?」
「可哀想な娘。自分の薄汚い欲を満たす事しか考えてない、馬鹿な男に騙されて、まともな思考すらも出来なくなったのね」
普段とはまるで見た事のない、冷徹かつ狂気的な笑みを浮かべる茉莉の姿に、翠恋は無意識に後ずさる。
「私が『保健室の真宮先生』で居る内に、この件から退きなさい。そしてこの場で見た全てを忘れて、元の生活に戻るなら見逃してあげる。それとも······今ここで死ぬ? ああ、私は優しいから命までは取らないわよ。最も死ぬのはあなたの心の方だけど·····そうねぇ、どうせなら男との恋愛なんて二度出来ない位に、私が粉々にへし折ってあげるわ。本来敬礼すべき年長者へ、生意気な口を叩く命知らずの小娘の精神は徹底的に砕く」
「せ、先生······っ。わ、私は······そんな···どうして······っ」
「······えげつない」
強欲かつ狡猾な女の本性を、これでもかと剥き出しにした同僚の姿を見て、伊遠はぼやく。ここまで本性を表した茉莉は、並の同性で相手するこそが困難だ。下手に茉莉へ手を出せば、自身の記憶干渉の能力をフルに生かし、相手の心が粉々に砕けるまで、痛め付けるのだから。
「真宮先生ーっ!!」
滅多な事では人が寄って来ない筈のこの建物に、二人の男子生徒が駆けつけて来る。聞き覚えのあるカン高い声は、視聴覚室に居ただろう勇羅と麗二だった。授業が終わった後、調べものの為に旧校舎へ向かう茉莉は、途中の廊下で二人が視聴覚室のパソコンを使って情報収集をすると、耳にしていた。
「み、三間坂っ! お前それ···っ」
「篠崎···榊原···っ」
翠恋の手に握られた拳銃を見て、勇羅も麗二も唖然としている。彼女が握っている拳銃は、紛れもなく本物なのだから。
「そ、そうだわっ! あんた達も真宮に騙されてるのよっ。目を覚ましなさいよっ!!」
「な···何、訳わかんない事言ってんのさ」
「瑠奈が俺達をだましてるだぁ?」
自分達が瑠奈に騙されてると言われて、勇羅と麗二の顔つきが険しくなる。茉莉も瑠奈本人から聞いているが、勇羅も麗二も瑠奈とは、同じ中学の出身で付き合いが長いから、瑠奈がどう言う人間だと言うのかよく知っているのだ。
「お待ちなさい、翠恋さん。我々は戦いに来たのではありませんよ」
翠恋の背後から、伊遠の耳に聞いた事のある男の声が響く。声と同時に姿を現す長身の男。
「お、お前は···っ!!」
強大な力を持つ、異能力者であるが故に学会を追放され、更には思想の違いからファントムを離反した伊遠にとって、かつての弟子であり、絶対に倒さなければいけない怨敵。この場に決して居てはいけない筈の男が、宝條学園に現れた。




