117話・瑠奈side
泪やルシオラ達に睨まれて尚、表情を崩さない充。強大な思念と異能力を秘めた、二人のサイキッカーを目の前にしても、自分が相手をするまでもないと思っている。
「何を馬鹿な事を。ファントムを裏切っておきながら、自ら堂々と出向いておいて···。表立って謀反を起こした貴様を、私が安易に逃がすと思っているのか」
「ふふふっ······さぁ、おいでなさい。寧々」
パチリと指を鳴らした充の背後の暗闇から、ゆらりと人の姿が表れた。
「ぱふくん······ぱふくん······。ぱふくんは絶対······ぱふくんは僕のぱふくん······ぱふくん······ぱふくん······ぱふくん···ぱふくん······」
充の背後から現れたのは、一人の黒髪の少女。その少女は瑠奈達を認識していないのか、細身の身体と長い髪をゆらゆらと、左右にゆらしながら虚ろな目をしている。
「せ······っ。千本妓、さん?」
以前より更に伸びたと感じる黒い髪。長い間太陽の光に当たっていないせいか、まるで血色の良くない白い肌。そして服の上からでもはっきりと認識出来る程に、酷く痩せ細った身体。瑠奈達の目の前に出てきた少女は、間違いなく千本妓寧々だった。
数日前の宝條学園内で、彼女は泪に関わる騒動で暴れた後。茉莉を始めとした教諭達に取り押さえられ、救急車で運ばれた寧々は、色々な理由も重なって病院に入院中の筈なのに、何故彼女が此処にいる。それ以前に寧々の周辺とは、一片の関係のない充が彼女の事を知っている。
「おや? 彼女はあなた達のお友だちですか?」
瑠奈は寧々の事はほとんど知らないし、泪も元同級生である事以外は、彼女の詳しい内情を知らない筈だ。友達ではないと否定したいが、あまりの寧々の変貌ぶりに、瑠奈達は言葉が出てこない。
「そっ···その人。一週間位前から、病院に入院してた筈···」
「充···。貴様、まさか!」
ルシオラの反応を確認した充は、まさに全てはこの自分の思い通りと言う、表情で薄い唇を歪ませる。
「ははははははっ! 流石はルシオラ総帥! 思念の強さもさることながら、相変わらずこの手の手段に関しては、察しが宜しいですねぇ」
皮肉混じりにルシオラを総帥と呼ぶ充に、ルシオラからは既に殺気混じりの思念が放たれている。ルシオラから放たれる殺意の思念は、念動力が比較的高い瑠奈でも分かる位に、ビリビリと感じてくる。
「異能力適応のない者へ、無理矢理異能の力を···。何の力も持たない『ただの人間』に、念動力を注ぎ込んだと言う訳か···っ」
人工異能力者とは、異能力を持たない人間に、特殊な薬物の投与や手術などを行って、人為的に念動力や異能力を付与させる。世界中の最重要機密に当たる、高度の異能力研究所では現在も実験の最中だと。瑠奈が泪から聞いた内容の範囲では、人工異能力者は自分を元にした、ルナシリーズと呼ばれる、遺伝子操作で生み出されたクローンしかいないと思っていた。
だが人工異能力者を生み出す過程で、余りにも人の道に外れた、異能力実験の犠牲になった異能力者も、当然数多く居たとも聞いている。泪の精神世界操作もまた、人工異能力者計画における実験の一部と言っていた。
「伊遠も貴方も、己の目的の為の殺生は行っても、無益な犠牲を出す事はしない行為だけは常に徹底している。お陰で貴方の支配が蔓延っていた場所では、私の研究は困難を極めました。しかしこうしてファントムを離反し、宇都宮一族や異能力者狩りの後ろ楯を手に入れた今なら、存分に私だけの異能力研究を行えると言うもの」
「!」
だから充は、彼女に目を付けたと言うのか。社会だけでなく家族からも見捨てられた千本妓寧々は、自分だけの独自の研究を行いたい充にとって、居場所を失った寧々は格好の獲物だったと言う訳か。
「···彼女は実に良い『材料』でした。彼女を引き取った時のご家族の反応は、実に見ものでしたよ。『役立たずで気持ち悪くて、薄汚いクズの厄介払いが出来た』と···。ようやく粗大ゴミの排除が出来たと、彼女の家族はそれはそれは、大喜びでしたよ」
「なんて事を···」
寧々を引き取った時の状況を楽しそうに語る充に、泪も険しい表情をして黙っている。実の家族にも見捨てられ、周りからも必要とされておらず、いつの間にか自分の中の空想の世界だけを、精神の拠り所にしていた寧々に対し、泪は何か思う所があったのだろう。
「そうか······。伊遠が貴様を破門にしたのは、暁の『人工異能力者計画』に···。貴様もその研究に関わっていたと言う事か」
「全く···。伊遠も余計な情報を、貴方に流してくれましたよ。貴方が伊遠と勝手なやり取りしてくれたおかげで、サンクチュアリの連中も、私の計画を予定よりも早く、嗅ぎ付け始めてきてしまいましてねぇ。あなたが余計な事をしてくれたお陰で、とうとう奴等も動いてしまったのですよ」
ルシオラと裏で繋がりを持った茉莉達が、水面下でも動き始めて来ている。聖域に身を置いていると言う茉莉の知り合いが、積極的に行動を開始していると言う事は、これまでの充が行って来た悪辣な行為に対し、余程腹に据えかねている様だ。
「ああそうそう。目の前の彼女ですが···、所詮は出来損ないの『使い捨ての失敗作』ですので、もう私の研究に必要ありません。彼女は貴方達にお返し致します」
行き場を失った者を勝手に引き取り、己の好き放題した挙げ句、変わり果てた姿となった寧々を『失敗作』と平然と言い捨てる。この玖苑充と言う男は、人を人とも思っていない。
「······人の命を何だと思っている?」
「単なる『駒』でしょう? 私にとって彼女のような、役立たずの駒は何の価値もありませんが」
表情に乏しいルシオラの眉間に深い皺が刻み込まれる。充の行為に明確な怒りを現している。
「あんたの言う研究対象って、居場所のない人なら誰でも良いって訳? 相手が異能力者じゃなくても行き場を失った人なら、何をしても良いと思ってるの?」
「私は別に彼女を研究対象として見ていませんよ。私は行き場を失った彼女に、新しい居場所を与えただけですよ」
「勝手な事を······」
瑠奈も泪も千本妓寧々とは特に親しくもない。むしろ勝手な理由で一方的に突っかかって来ては、自分の世界に入っている彼女を、苦手と言った方が正しい。特に泪は寧々の性質を利用してまで、自分の目的を果たそうとしたのだ。だがあまりの彼女の変貌を目にして、複雑な表情を見せている。
「さぁ、貴方の出番ですよ。異能力者・寧々」




