112話・瑠奈side
目を覚ましベッドから上半身を起こした泪は、まだ完全に起きていないのか、半分開いた目で瑠奈とルシオラを、何度か交互に見つめている。その表情は数時間前に見た無表情ではない。精神世界の中で見せた狂気的な表情でもなかった。
「···君に聞きたい事は山程ある。何故、君は『壊れていない』? 第一あのような状況で、精神が壊れないなどあり得ない」
「······今の僕の精神状態について。あなたや瑠奈も、聞きたい事が沢山あるのは、承知しています」
泪の語り方はまるで、自分の精神世界で起きた出来事の全てを、悟っているような話し方だ。
「その前にルシオラ。瑠奈と二人だけにしてくれませんか? 瑠奈には自分の口で···。今まで起きた出来事を、自分の口で全部話したいんです」
ルシオラを見つめる泪の目は、何か思った表情をしている。泪の表情を見て何かを感じたのか、ルシオラは少しの沈黙の後静かに口を開いた。
「·········わかった」
ルシオラは立ち上がり瑠奈達から背を向ける。二人の顔を横目で見た後、そのまま振り向かず外に出て、ゆっくりと部屋のドアを締めた。
「お兄ちゃん···」
部屋からルシオラの足音が遠ざかっていく。この部屋には瑠奈と泪の二人だけになった。しばらく距離を置いていたので、改めて泪に何を話せば良いのかわからない。二度も勝手に精神世界に介入して、あんな光景を見せられた直後だ。本当なら更に距離を置かれてもおかしくないのだから。
「鋼太朗やルシオラから、僕が昔やっていた事は大方聞いたでしょう」
「う······うん」
意識を取り戻した泪は、落ち着きを取り戻していた。まだ話し方にはぎこちなさが残っているが、瑠奈とも普通に会話してくれている。
「どうして···お兄ちゃんの精神世界が、あんな事になって。ルシオラさんから、精神世界から無理やり戻されて。もう元に戻らないのかと思ったら、実は全然変わっていなかったとか。さっきから色々追い付かなくて」
瑠奈のあいまいかつ、今の泪に対しどう応じていいのかとも言える返答に、泪は無意識に苦笑する。泪の困ったような笑みを見た瑠奈は、ホッとしたように息を吐く。
「······話せば大分長くなるけど。構わない?」
話が長くなると言う泪の問いに、落ち着きを取り戻した瑠奈は静かに頷く。もう後戻りはしない。これまでに起きた、泪の過去の全てを知る必要がある。何故、泪の防衛規制を完全に破壊する事が、出来なかったのか。何故泪が、頑なに周りに対して心を閉ざすのか。
「暁特殊異能学研究所···。世界規模にて隠蔽されている、異能力研究所の内の一つだ。その暁研究所は二つ存在し、その内の一つは国内政府と宇都宮一族管轄下。そしてもう一つの暁研究所は、僕の父と鋼太朗の父である四堂両兵。彼らは暁研究所の職員であると同時に、高い能力を持った異能力者でもあった。
かつて特殊異能学会の才媛と呼ばれていた、陸道伊遠元教授に及ばないものの、異能力者でありながら、異能学の知識に優れていた二人は、自身と周囲の人間の身の安全と引き換えに、政府の異能力研究と、異能力に関連する実験に協力していた。元々二人は特殊異能学研究者としても、優れていた自分達を含め、彼ら周りが受けた影響は少なかった」
鋼太朗だけでなく泪の父親も、異能力を研究している研究者だった。暁研究所の所長を任されていた鋼太朗の父・両兵。しかし彼は鋼太朗が研究所へ侵入した一件で、既に自分が管轄下に置いていた研究所を去っている。
「鋼太朗も暁研究所に居たって聞いた。でも、お兄ちゃん達とは色々違うって」
「彼の居た暁の異能力者達は皆恵まれてたよ。四堂元所長が間接的に庇ってたし、被験体の異能力者達も、実験体としての酷いを受けていなかった。むしろ『人間』として扱われていた彼らは、今も力を隠しつつ、人の世界に紛れて静かに暮らしている。異能力者同士の争いは望んでいない」
四堂両兵が管轄していた、暁研究所の異能力者達は皆。力を隠しながら表の世界で暮らしているのか。研究所に所属していながら、あくまで『人間』として暮らした彼らは、誰も争いを望んでいないと、語る泪はどこか寂しそうだった。
「ところが、数年前の宇都宮一族や政府の介入で、四堂所長が管轄下に置いていた、暁研究所に変化が起きた。それまでは念動力の制御訓練や身体検査。精神面のカウンセリングなど、能力に負担が掛からないもの。それ以前に四堂所長が鋼太朗を始めら自分の研究所の異能力者達に、行っていたものこそが、人間として当たり前のものだった。だが宇都宮家や政府の介入で、四堂所長管轄下の暁研究所でも、本格的に異能力実験が、行われるようになった。ただし、実験の被験体となるのは、外部研究所から連れてこられた異能力者だけ。それでも彼は自分の管轄下の被験者達だけは、遠回しに庇い続けていたよ。
決定的となったのは、息子の鋼太朗が他の異能力研究所での、異能力者達の扱いを知り、研究所を······。暁村を脱走してしまった事。遅かれ早かれ四堂所長もどの道、研究所を抜けるつもりだったが、異能力研究所···いや。異能力の置かれている現実を、息子に知られる時期が早すぎた」
「······」
今まで異能力者の現実を知らなかった、息子の鋼太朗に現実を知られるのが早すぎた。だから鋼太朗は、普通の人なら滅多に近寄らない、表の世界から居場所をなくした異能力者達の屯う、郊外の裏通りへ何度も足を運び、異能力周りの情報を集めていたのか。何よりもこれ以上自分の家族に、宇都宮一族の危害が及ばない為に、結果的に四堂両兵も研究所を辞め、暁村を抜けざるを得なくなった。鋼太朗は父親とのわだかまりはとっくにないと言っていたが、ここまで来るのに相当苦労した筈に違いない。
「お兄ちゃんも···暁村にいたんでしょう」
「そう、僕が居たのは宇都宮管轄下の暁研究所だ。生まれた時から通常の適性値を、遥かに超える念動力を持っていた僕は、宇都宮一族当主の命令で家族と引き離された。家族の名前と引き離された事情だけは知っている。僕には父の他に同じ年の姉が二人の三人姉弟、母は既に亡くなっている。家族の素性を知った所で、顔も知らない家族と会う気もないし、向こうも僕と会う事を恐れて何もしない。家族の方も、僕が置かれている立場は既に知ってる。だけど宇都宮に対して何もしない家族に、今さら情なんて沸かないからな」
泪は三つ子の姉弟だったのか。だが泪は生まれてから家族の顔すら知らない。家族は周りの勝手で引き離された泪と会うのを恐れている。家族に何の情も沸かないと平気で語る泪。
「家族と引き離された僕は、格好の研究対象として暁研究所内で、日中問わず異能力研究と実験を受け続けた。世界中で迫害・研究の対象とされている異能力者は、突然人として扱われず、成長する毎に実験は過酷さを増していき、毎日が死なさず生かさずの生き地獄だった。特に宇都宮管轄の暁研究所は異能力者への扱いの酷さが躊躇だった。能力者の耐久実験と称し、四六時中理不尽な暴力に、晒されるのは当たり前。表社会では決してあり得ない、非人道な実験を日夜絶えず繰り返され、時には男として屈辱的な行為を受けた時も何度もあった」
「······っ」
泪から話される過去は、瑠奈が思っている以上に壮絶を絶するものだった。どう口にすれば良いのか、全く思考が追い付かない。生まれた時から家族から引き離され、顔すらも覚えていない。そもそも男として屈辱的な行為とはなんなのだろうが。瑠奈が知る限りでは女装しか思い浮かばないが、質問した所で直に屈辱を受けた泪も、話したくないのは目に見えている。
「これでもまだ、研究所で受けた実験行為など序の口に過ぎない。僕の異能力者としてのずば抜けた適性値を見て、もう一つの暁研究所を管轄している宇都宮一族は、『一族にとって扱いやすく都合の良い兵器』を欲しがり、一族の『兵器』に最も能力の高い僕が、『宇都宮の兵器』として選ばれた。
彼らは『兵器』の意志を無くすためなら、人の道を踏み外す行為すら平気でする。暁村の中には宇都宮一族が、身寄りのない子ども達を、従順な『兵器』として育成する為に、管理している『施設』までもが存在している。最も奴ら一族は、自分達が異能力者だけでなく人間に対しても、非人道行為を進んで行っている事に自覚があるのか、一族の行為が公に表沙汰になるのを恐れ、育成している『兵器』の存在を決して明かさない」
「へ、『兵器』って···。人間、を?」
瑠奈が戸惑っているのを見た泪は、一息吐くと話を止める。泪の話があまりにも強烈過ぎて、まともに話に付いていけない。何よりも情報量が多すぎて、瑠奈は頭が混乱しかけている。瑠奈が落ち着いたのを、確認した泪は再び話を続ける。
「宇都宮も暁研究所の連中も、僕が自分達の与える非人道な仕打ちに、ここまで抵抗・適応するとは、思わなかっただろうな。『兵器』の自我を無くす為に行ったのは、暁村住民総出での非人道な差別に迫害行為。当時は暁研究所でも、異能力研究の実験も受け続けていたよ。宇都宮一族は僕への迫害行為の全てを、暁村の人間全員に明かし、村の住民にも自分達や研究所が行っている、自分達行っている迫害行為を僕に対して行わせた。世界中が忌むべき異能力者とは言え、一人の人間に対してあまりにも凄惨な行為に、難色を示す住民も少なからず居たらしいが、宇都宮は自らの権力によって、全ての批判を封じ込んだよ。奴等は僕の存在、そのものが憎いんだろうな」
村の人間達は、自分の存在が憎いと自虐的に語る泪。異能力者への迫害など、普段から力を友人達が隠し受け入れてくれるのが、当たり前だった瑠奈から見て、迫害そのものが遠い世界のものなのだと感じていたからだ。
「当然国内政府でも、ごく一部上層の人間にしか知らされていない、最重要機密でもある人工異能力者計画にも関わった。力の強い異能力者が、国家規模に関わる計画の研究、実験対象に選ばれるのは、どこの異能力研究所でも当たり前の事だった。その人口異能力者計画の副産物が、暁学園時代に会った瑠奈······―『人工異能力者・奈留』。【ルナシリーズ】と呼ばれる真宮瑠奈の複数体だ」
以前泪が見せた少女の全てが解けた。ほんの一瞬だけ、泪が殺意の篭った目で自分の事を見る理由が。




