104話・瑠奈side
―ファントム支部・泪の部屋。
「···お兄ちゃん」
ルシオラとクリストフに連れ添われて、瑠奈は約一週間振りに泪とまともに顔を合わせていた。その場所には、絶対にいる筈のない相手の来訪に対し、泪は反射的に顔を歪ませる。
「···何故、此処に貴方がいるんですか?」
泪の口調に全く感情は込もっていない。あくまでも他人を見る視線で瑠奈を見る。泪の突き刺さる視線に対し、瑠奈が返答をあぐねていると、隣にいたルシオラが瑠奈の代わりに口を開く。
「私が彼女を連れてきた。君は納得しないだろうが、いずれ彼女も争いに巻き込まれるならば、君の側にいた方が安全だと」
「······初めに言った筈です。彼女は異能力者同士の争いに、関係ないと」
ルシオラの狙いは泪の死への願望を覆す事。瑠奈もルシオラもお互い思いは違えど、泪に対する目的は共通している。更に連絡を取った茉莉の話では、神在全体に充による政府異能力者捜索の手が掛かり、しばらくは町に戻らない方が良いとの入った。茉莉から聞いた神在の現状を説明すると、ルシオラはあっさりと瑠奈のファントム滞在を承諾してくれた。
「確かに『君の中』では異能力者間の争いなど、彼女には関係ない。だが『彼女の中』では大きく関係のある事だ」
「······あなた達は何が言いたいのですか」
ルシオラの問いに泪の声色が、僅かに怒りを含んだものへ変わった。ルシオラの取った行動が気に入らないのか、瑠奈が本格的に介入した事に憤っているのか。
「お兄ちゃんの本当の望みが、戦いの中でしか叶わないのは分かってる。それでも―」
「だから?」
しかし二人の問いに泪は、最早答える意味はないと判断したのか、再び冷淡な声色へと戻り、自分は関係ないと言った風に淡々と告げる。
「どうしてお兄ちゃんが、自分が死ぬ事を望むのか。私はそれの理由を知りたい」
「だから?」
泪の声色が更に無機質な物へと変わる。それは瑠奈が泪の精神世界の中で、対話した時と同じ反応だ。今でも泪は誰にも心を開いていないと言う事。泪は一人だという事。
「生まれた時から今まで。死ねと言われ続けた人間の気持ちなんて、誰にも分かりません」
「···うん、分からないよ。だからもっと、私はお兄ちゃんとたくさん話がしたい」
ここで諦めたら泪を救えない。泪は生まれた時から一人で、誰からも存在を否定され、誰にも心を開いていない。研究所で交流のあった鋼太朗にも、そして初めてあった瑠奈にも。
「私。泪お兄ちゃんの事、周りの人達から聞いただけで、本当の泪お兄ちゃんの事全然知らない。だからもっといっぱい話して、もっとお兄ちゃんの事が知りたい。お兄ちゃんにとって、話したくない事がたくさんあるのは知ってる。辛い事ばかりで話したくないなら、話してくれなくてもいい。それでも私は泪お兄ちゃんと沢山話がしたい」
「······」
もっと色々話がしたいと言う瑠奈に対し、泪の表情が僅かに緩むが、その僅かに緩んだ顔も瞬時に無表情になる。
「······無駄な足掻きですよ。瑠奈は僕にどうしろと言うのですか?」
どうして泪は頑なに心を閉ざす。やはり泪は生まれた時から、宇都宮一族に縛り続けられているのだ。俯く瑠奈の隣にいるルシオラが口を開く。
「何が君をそうさせている。何が君をそこまで頑なにしているのだ」
「······貴方達が望みを叶えてくれないのなら、もう此処に居る必要すらありません。やはりここにも居場所が無いと言うなら、元在るべき場所へ戻るまでの」
「······あんたいい加減黙れよ。鬱陶しい」
先ほどから黙って、瑠奈達のやり取りを聞いていたクリストフの口から、聞いたことがないドスの利いた声が放たれた。
「大体あんたを、そんなネチネチネチネチうじうじうじうじいじいじと、面倒臭い自虐的破滅的願望にしたのは、金と権力だけが取り柄の、宇都宮一族が元凶じゃないか。第一それだけ頭も物覚えも良くて、異能力者の中でも強い力を持ってるのに、あんな金と支配欲と権力に固執する連中に、あんたがいつまでも脅える必要なんてないんだよ」
「なっ···っ」
畳み掛けるように早口で捲し立てるクリストフに、ルシオラも立て続けに口を開く。
「要は単純に私達が、宇都宮一族を裏で片端から潰せば問題ない。奴等の管轄を全て潰せば君も瑠奈も解放される」
「そんな事させませんよ。ファントムの手で彼ら、宇都宮一族を潰そうなど考えない事です。彼らは財界はもちろん、裏の世界のありとあらゆる手段に手を出しています。例えあなた方が力ある異能力者達が揃った所で、彼らの理不尽な権力の前では貴方がたなど、どうこう出来る相手では無いことを身を持って思い知りますよ」
「なっ···。何言って···っ」
今の泪の語っている言葉は完全に支離滅裂だ。泪は今、ファントムに在籍している筈なのに、何故ここまで泪自身を破滅にまで追いやった、宇都宮一族の味方をする。
「ぁ···あんな連中の味方する事ないよ! あいつらはお兄ちゃんやみんなを酷い目に合わせたんだよ!」
「それでもあなた達が、あらゆる場所にネットワークを持つ、宇都宮一族に刃向かおうなどと思わない事ですね。彼らが本気を出せば、あなた方一勢力すら壊滅させる事も出来ますよ」
ルシオラやクリフの言う通り、泪は宇都宮一族に根本から囚われている。頭では宇都宮に抵抗するべきだと理解していても、宇都宮に逆らう事は絶対に不可能だと、深層心理の奥底へ徹底的に刷り込まれているのだ。
「···絶対、嫌。私は絶対に嫌だから。あの宇都宮一族に従う位なら、ファントムに居た方がずっと良い!!」
「!?」
「今まで育ててくれた家族や、仲の良い友達の人生を、奥底から滅茶苦茶に破滅させる奴らの所になんか、私は死んでも行きたくない!!」
瑠奈は畳み掛けるように泪へ向け、怒鳴り付けるかの如く言い放つ。さっきまで戸惑っていた瑠奈の視線は、完全に泪を睨み付けていた。
「宇都宮小夜だっけ? 今までのお兄ちゃんの人生、何もかも滅茶苦茶にした女の所だけなんか、私は絶対行きたくないよ!!
もし私があの女の所へ行けば私だけじゃない。···ううん。お兄ちゃんを助けた和真さんも、京香先輩も砂織さんも···。雪彦先輩や万里先輩、勇羅も榊原君も芽衣子も琳も茉莉姉も。みんな宇都宮に支配されて、何もかもみんなあいつらに滅茶苦茶にされる。私はそんなの絶対に嫌だからね!!」
「······」
宇都宮本家当主代行・宇都宮小夜。宇都宮一族本家当主が溺愛する孫娘であり、そして鋼太朗の異母妹と言うべき存在。その裏では無関係の人々へ暴虐の限りを尽くし、強力な異能力者の泪を思うままに操って来た女。
彼女の親族でもある宇都宮夕妬が、友江継美に異常な執着を見せた結果。妹の友江芙海を始め彼女の周りの人間や、多くの無関係の人達までもが、宇都宮夕妬の醜く歪んだ執着心の犠牲になった。泪に盲目的な想いを寄せていた冴木みなももまた、宇都宮夕妬の歪んだ欲望に巻き込まれた犠牲者の一人だ。
「それは···」
「あの人が私に目を付けたのは知ってる。宇都宮一族は私を使って、お兄ちゃんを思い通りに支配したいんでしょう。私はお兄ちゃんの人生全部滅茶苦茶にする、宇都宮一族の事絶対に許さないよ。
もし宇都宮が私の大事な人達に手を出して、滅茶苦茶にしたら······。私はお兄ちゃんを一生許さない」
「···っ!」
宇都宮一族を絶対許さない、と揺るがない真剣な瑠奈の表情に、泪は明らかに戸惑いを見せている。最も大事に思っていた存在が、無意識に自分の存在意義そのものを、真っ向から否定している。宇都宮が瑠奈の大事なものを傷つけるのなら、自分を許さない。大事に思っていた存在に存在を否定される事。泪にとって今の自分の存在意義を、否定される事は辛いに違いない。だが泪の全てを徹底的に否定する、宇都宮一族を瑠奈は心底から許せなかった。
「ルシオ! 今だっ!」
いつの間にかルシオラが泪の背後に回り込み、瑠奈に責め立てられ茫然とし、隙だらけとなった泪を羽交い締めにする。間髪入れず傍にいたクリストフは光輪を展開し、展開した光輪を大きくした後、泪の身体を腕ごと拘束する。
「っ!?」
「今だ! 乗り込め!」
背後からルシオラに羽交い締めにされた泪は、すぐにルシオラの拘束から逃れようともがく。同時に身体に張り付いたクリストフの光輪をも、はね除けようと思念を集中するが、ルシオラの方が制御も上手であり、ルシオラは泪を拘束しているクリストフの光輪に、念を注ぎ込み拘束を強化する。
二人の異能力者の対処に手こずり隙だらけの泪を狙って、瑠奈は全力で思念を集中し、精神干渉の能力を発動する。そして再び泪の精神世界へ潜り込む。瑠奈の全身からは通常の人間では見えない、異能による思念の波が勢いよく放出され、その放出された思念に応じるように、瑠奈の意識はブラックアウトした。




