101話・瑠奈side
―午後八時半・ファントム支部八階客室。
『瑠奈、無事だったのね! 全く心配掛けさせて···。携帯置いたまま角煮の散歩行ったきり、連絡取れなくなったから、叔父様達も心配してたわよ!』
茉莉に電話を掛けた途端。瑠奈の耳元から放たれたのは、茉莉の焦りと怒りの混じったような声。予想外の茉莉の大声に思わず一瞬携帯を耳から離すが、すぐに携帯を耳元へやると、最初にまだ言わなければいけない一言を告げるべく、瑠奈は口を開く。
「······ごめんなさい」
ルシオラに半ば拉致同然にファントムへ連れて来られて、両親含めて誰にも連絡出来ず、一週間近くも失踪していたも同然なのだ。こうやって無事に茉莉へ連絡出来ているのも、ルシオラが居なければあり得ない事だった。予めルシオラのマンションで避難させられていた角煮も、クリストフによって瑠奈の元へ連れてこられた。奇跡的な事にルシオラのマンションには、誰も訪れて来なかったらしく角煮も無傷で済み、今は瑠奈の足下で元気よく鳴いている。
『拉致されるまでの事情は大体彼から聞いたわ。本当に何もなくて良かったわ···。その様子だと角煮も無事だった見たいね。角煮までいなくなったから、ただ事じゃないと思ったわよ』
「···ありがとう。そ、そうだ。茉莉姉に一つ聞きたい事があって。麻宮家の事何だけど」
『麻宮家? ···親戚の名前出すなんて、そっちに何かあったの?』
自分達の遠縁の親戚の苗字が出た事で、茉莉は怪訝な声色になる。
「麻宮さんの娘さん。その······まだ、見つかってないんだよね」
『······え、ええ。生まれてから翌日に、病院から誘拐されて···。あれから十八年経ったにも関わらず、今だに手掛かりゼロ』
数年に一回か二回程行われる、親族同士の会合で何度か聞いた事がある。会合の度に麻宮夫婦は両親や茉莉達の親族に頭を下げ、今も失踪した娘の情報を求めている。
「もし麻宮の娘さんが異能力者で、娘さんの異能力は···」
『そうね。麻宮家もウチの一族の血筋だし、向こうも先天的異能力者が生まれてもおかしくないわ。もし場所が場所なら···』
もしも彼女が連れて行かれた先が異能力研究所なら、安否を絶望視されてもおかしくない。研究所関係者の泪も、生まれてすぐに能力の高さが災いして、家族から引き離されたのだ。
「それで。茉莉姉は娘さんの名前、知ってる?」
『······鈴音よ。平仮名で付けるか漢字で付けるかで、夫婦で揉めてたんですって』
麻宮鈴音。本当なら麻宮夫妻の娘として、何の不自由なく育てられる筈だった麻宮家の一人娘。茉莉は寂しげに答える。生死も分からない娘の事を諦めない夫妻に、思うところがあるのだろうか。
『でも、瑠奈が麻宮家の事を持ち出すなんて珍しいわね。連絡取れないこの一週間の間に、そっちで一体何かあったの』
「実は···―」
瑠奈は自分が持っている限りの情報の全てを、茉莉に一つ一つ思いだす限りまで説明する。まずは現在におけるファントムの状況。あくまでも全ての異能力者に害なす者を排除するルシオラ派と、異能力者による世界の支配を強調する充派に分かれている事。そしてファントム総帥であるルシオラ本人は、そのどちらも望んでいない事。
更に逢前奏の弟・響が、異能力者狩り集団に属していた事。その異能力者狩り集団も現在、ある異能力者の存在によって内部分裂を起こしかけている事。
「その分裂を起こしかけてる異能力者狩り集団に、精神干渉系の異能力を使う人がいた」
『精神干渉系の異能力? まさか···』
「私や茉莉姉のとは系統が違う。その能力者に敵意を向けた途端。能力者に敵意を向けた人が、凄い声で叫び出してあちこちのたうち回った後······ピクリとも動かなくなった」
瑠奈の精神干渉や茉莉の記憶干渉とは、異なる精神系の異能力者。瑠奈が知りうる限りでは、精神系の異能力は真宮の血族しか使える者が居ない。何よりも彼女の能力を直に受けた異能力者は、最早意識を取り戻す事は絶望的と言う。
『精神破壊···か』
瑠奈は茉莉に自分の目で理解が出来た範囲で、少女の能力の説明をする。能力者の少女は力の制御が全く出来ていない事。泪の精神に干渉した途端、呆気なく暴走してしまった事。
『精神干渉の能力制御って難しいものね、あんな使い方すれば確実に自分の身を滅ぼすわ』
「相手が悪すぎたとしか言えないよ。泪さんの···お兄ちゃんの精神世界に干渉したんだもの」
幼少から周囲に過酷な扱いを受けた、泪の精神に干渉する事自体、完全に不可侵の領域だ。瑠奈でさえ泪の精神に干渉した途端。一気に汚染されてしまった程なのだから。
『それでも何か変よ。あなたの話を聞く限り、彼女の周りには男がいるんでしょ。支えてくれる人が側にいるのに、彼らは彼女に何もしないなんておかしいわよね』
言われると腑に落ちないものがある。支えてくれる男性がいるのに、ほんの些細な事を言われるだけで、自分の能力が暴発する事があるのだろうか。
「···ルシオラさんから聞いたんだけど。もしかすると意図的に能力者の精神を、不安定にしているかもしれないって」
『成る程、研究所の常套手段ね。支えや目的になるものがないなら、自分達に依存させるのが手っ取り早いもの。能力者を思い通りに動かすのを想定してるなら、その男達。彼女を自分達に依存させているわね』
依存と言う言葉に瑠奈は納得する。ルシオラによって研究所から助け出された異能力者達は、大小の差はあれどルシオラと言う存在に依存していた。正確にはルシオラ個人と言うよりも、『ファントム総帥』としてのルシオラに依存していたのだろう。
『···こんな事言うのもアレだけど、しばらくはファントムに匿ってもらいなさい。こっちもこっちで大変な事になってるの』
ファントムに匿って貰えとはどう言う意味なのだ。茉莉の話し方だと、神在に何かあった事には間違いないが。
『神在全体が政府の命令で、市内に異能力研究所の研究員をあちこちの施設に配置して、数日前から昼夜問わず『ESP検査』行っているわ。政府に公に認知されてる異能力者に至っては、神在に近寄る事すら叶わない状態よ』
「い··ESP検査っ!? ち、ちょっと待って!? 父さんと母さん達は? 琳はっ?」
よく考えれば神在自体、異能力者関係の捜索等滅多に入らなかった。今頃になって何故神在に的を絞ってまで、異能力者を捉えようとするのだ。
『幸い叔父様達も琳も、検査通知が行く前に検査範囲の郊外に避難したから心配しないで。それとあんたと琳の学校休学届も出しといたわ。検査の範囲が市内全体に及んでる以上、学園も安全じゃないしね』
検査の通知が自宅に届かない限り、検査場所に向かう必要はないし第一能力を使わない限り、異能力者だとばれる事はない。両親や琳の無事を確認出来たので、瑠奈はホッと息を吐く。これまで何度も転校を繰り返した事があったが、それは自分達に降りかかるESP検査を、免れる為の行為だったのかもしれない。両親もそうだが、自分達が異能力者である事は本当の意味で、信頼出来る人間にしか教えていない。
勇羅や芽衣子が瑠奈自身が異能力者である事を教えているのは、二人が異能力者に対して偏見もなにも持たず、接してくれていると本能的に感じたからだった。茉莉の話で瑠奈は芽衣子達に、自分の異能力の事を話した原因を確信した。
『何よりも今、あんたが神在に戻るのは自殺行為よ。ファントムに謀反を起こした玖苑充の狙いは、意図的な精神干渉能力を持つあんたでしょ。神在へ戻ればそれこそ充の思い通りになるわ』
「···やっぱり知ってたんだ」
茉莉はルシオラとある程度繋がっていた。ファントムのIDカードをルシオラへ返す時に、茉莉が一緒に同行した事と言い、ルシオラが宝條学園をある程度知っていた事と言い、瑠奈の目から見て不可解な部分も幾つかあった。
『さっき話した響君の事情も大体わかってるし、充が起こした行動が原因で、あの子も安易に動けなくなってる見たい。それに泪君が今そっちに居るのも知ってるわ。泪君が宇都宮管轄の暁研究所直属のサイキッカーだと言う事もね···』
呟いた茉莉の声は複雑なものだった。どうやら異能力者狩りに所属している響にも、何らかの事情があるようだ。そして瑠奈が知るより以前に、泪がサイキッカーと言う事も茉莉は、ある程度知っていたのかも知れない。
『後、ルシオラ君からも色々聞いたわよ。泪君を本当の意味で助けられるのは、あんたしかいないって事。それでも泪君を宇都宮から引き剥がすのは、彼の心臓に直接刃物を刺し込むようなもんよ。
彼は隅から隅まで宇都宮一族の支配を擦り込まれてるし、それ以前に泪君は自分自身の目的の為に、とっくに後戻り出来ない所まで進んでる。もしあんたの力で泪君を助けられたとしても、どのみち政府からも公式に、異能力者だと発覚してる泪君は、表の世界に帰る事が出来ないし、目的の為に手を汚してると理解しているからこそ、自分から戻る事もない。あんたにとっても修羅の道になるわよ』
瑠奈の能力で泪を助ける事が出来ても、表沙汰に異能力者だと発覚した泪はもう和真や勇羅達の、いや。最早元の日常にすら帰れない。泪を支えるのに覚悟がいるのは避けて通れない。茉莉なりのアドバイスだろう。
『せめて。あんたが絶対に後悔しないように動きなさい。泪君にもあんたにも、悔いが残らないように』
「······わかった。ありがとう」




