50話・泪side
翠恋が泪の元を去った直後。彼女と入れ替わる様に現れた千本妓寧々に呼ばれ、もうすぐ閉鎖の時間が迫る第一校舎の屋上にいた。
本当ならばそのまま帰宅する筈だったが、翠恋と揉めた所を見られた以上、今後は意味のない呟きとストーカー染みた付きまといを続ける、寧々の対処もせざるを得まいと思い渋々彼女の呼び出しに応じた。
「千本妓さん。僕に話とは?」
「あっ、あのね···やっぱり、みんな、みんな···泪の事···分かってないな、って、思って···」
寧々の言う通り泪が内心で考えている事は誰にも分からない。自分の底の見えないどす黒い思惑など、他者には到底理解出来ない。
それは泪の前でちらちらと自分を覗き込むかのように、見ている寧々にも言える事。寧々はパーカーから携帯端末を取り出し、目の前に文字が埋まった携帯の画面を見せる。文面からして何らかの小説の様だが、その内容は携帯機種固有の文字も数多く使われている為か、かなり支離滅裂であり普段から難解な参考書を読んでいる泪も理解出来なかった。
「これは···?」
「あ、あのね···これ、僕が、考えたんだ···。僕と泪の夢の恋のお話···この夢のお話を、ぱふくんに見せたらね···寧々ちゃんは可愛くてロマンチストで素敵だね、って喜んでくれて···僕、すっごく嬉しかった。
···やっぱり、ぱふくんは凄い。僕のぱふくんは···世界一格好良くて、素敵で···凄いね。やっぱり僕のぱふくんは···凄い」
第三者の目から見ても本当に馬鹿馬鹿しい女だと思う。自分の個人情報を漏らしただけでなく、架空の話を題材にした小説まで堂々と公開してるとは。
だが内容をよく見てみれば、泪を恋愛対象として彼の実名を無断て取り扱っているだけでなく、人気有名人と思わしき複数の女優やアイドルをも、小説の主人公である寧々を批判する人物として、なんと実名で取り扱っている。もし然るべき場所に見つかれば、彼女自身がタダでは済まされないだろう。
「ぼ、僕と泪の、夢の恋の、お話は、ね···家にも学園にも居場所がなくて、周りの人間はくだらなくて腐っていて、世界をつまらないと感じるけど、それでもクールに生きてる強い女の子······それが、僕。
それでも···それでも。そんな惨めで可哀想な僕を、優しくて···暖かい笑顔で幸せにしてくれるのが···泪」
ブツブツと話し続ける寧々を無視しながら泪は画面の文章を目で追う。
小説の文章の内容にしても、支離滅裂さもさることながら、登場人物への扱いがあまりに身勝手かつ自己中心的なもので、全体的に寧々以外の他者に対する誹謗中傷ばかりで満ちている。
「この夢の恋のお話の続きを····ぱふくんにね、相談したんだ···。ぱふくんは言ってくれたよ? 僕は強い、女の子···だから、恐くないよ、って···」
彼女は自分の情報を他者に漏らすのが怖くないのか?
いや違う。
今の彼女自身に何もないのだ。誰かに自分を認めてもらいたい。誰かに自分を見てもらいたい。誰かに自分を愛してもらいたい。
ただ純粋に己の存在価値だけが欲しい故に、周りを利用するのに対して全く罪悪感を持っていないし感じてもいないのだ。
だから宇都宮の件で命を失った冴木みなもであれ、目の前の彼女もまた無自覚に他者を傷付ける行為を躊躇いなく出来るのだ。
「·········そうですね。ではその歌い手に相談して、僕を陥れて頂きましょう。千本妓さんは大好きな彼を世界一の有名人にしたいのでしょう。彼なら出来ます。戸惑う事はありません」
「え、っ?」
我ながら悪趣味で幼稚な手に乗ってしまう自分自身が余りにも愚かだと思う。だが、ぬるま湯に浸かりすぎたこの安寧の場所を離れるのに利用するに対して、寧々の手段は正にうってつけと言って良い。
何かを失うと言う恐れを知らない彼女の存在や、ネットによる炎上と言うのは、瑠奈や鋼太朗の存在が目障りとなる泪にとって最高の環境だった。
「でも、でも···僕は···僕は、やっぱり······泪には······」
泪本人に実行しようと言われたあたり、流石に戸惑いを見せ始めた寧々に泪は恐ろしく穏やかな笑顔を寧々に向ける。
「『僕の大好きなぱふくんは絶対正義』。なんでしょう?
今表舞台でも人気で活躍している彼なら、僕を地の底に陥れる事など簡単に出来る筈」
「う······うん!! そうだね! ぱふくんは絶対正義! !ぱふくんが居れば僕達は絶対負けないよ! やっぱりぱふくんは凄い!!
僕の大好きなぱふくんなら···ぱふくんなら泪を幸せにしてくれるっ! 僕はっ···僕はぱふくんの為に、僕は泪を不幸にして見せるっ! 泪を世界一の不幸に陥れて、ぱふくんを振り向かせて見せるっ! 僕はぱふくんの為なら何だってする!
ぱふくんっ、ぱふくん見てて!! 僕は絶対ぱふくんを世界一の人気者にして見せるよ!!」
泪が出したアイデアに回りながらはしゃぐ寧々は、自分のやっている行為が完全に支離滅裂だと言う事に全く気付いていない。好きな人の為に好きな人を陥れると言う矛盾にすらも気付いていないとは、あまりにも浅はかで哀れで愚かな女。
寧々の後ろを歩く泪の瞳は全く持って笑っておらず、無機質な光を放っていた。




