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15/22

事件記録:ごめんね、本当にごめんね

それはフィールの心につよい傷を残して――

――カン、カン、カン、カン、カン――


 構造物がむき出しの作業用通路をメリッサはヒールの音をリズミカルに立てながら一路屋上へと向けて先を急いでいた。

 全ての策は尽きた。ならばこの場所に居続ける必然性は無い。

 脱出の策は準備してある。屋上へと脱出してそこから速やかに退避するだけだ。そして――


「あとはここから逃げるだけ」


 メリッサはその表情の片隅に焦りを垣間見せながら体内回線を通じてアクセスを試みる。


【Auther:クゥクーシカ        】

【Destination:サジャーン    】

【TEXT:                】

【救援要請、指定地点にて回収されたし    】


【ショートテキスト、暗号化         】

【即時送信実行               】


 クゥクーシカとはロシア語で従者を意味し――

 サジャーンとはアラビア語で番人を意味している――

 

 メリッサはそのメッセージを送信して対象者からの返信を待った。

 返信を待ちつつ、最上階への通路を駆け抜けようとする。右へと静かにカーブしている通路を進み階段を駆け上がり、フロアの中央へとまっすぐに向かっている通路へとたどり着く。そして、その通路を一気に駆け抜けようと走りだす。

 危機的状況に陥っているはずだが、不思議と焦りも不安も湧いては来ない。もはや、この惨劇の場に留まる理由は何も残されてはいない


【クゥクーシカへ              】


 メリッサの体内回線へと返信の信号がある。すぐに受信プロトコルを経てメッセージ本文を受け取る。焦りつつメッセージに目を通す。


【Auther:サジャーン         】

【Destination:クゥクーシカ   】

【TEXT:                】

【回収予定地点を変更。#4から#12へ   】

【待機限界時間、15分           】


 果たして――

 反応は来た。事前に綿密に連絡しあっていた複数の回収地点のうちの別な箇所へと計画を変更するようにメッセージがあった。15分と言う時間はメッセージが送信されたタイミングを始まりとしている。ならば速やかに所定の手はず通りに――

 

「外へ出れば――」


 メリッサがそうつぶやきつつ視線を前へと向けたその時だった。

 

「どこへ行くつもり?」


 明朗で力強い声がメリッサへと響く。

 

「もう退路はありません」


 それは多分にして警告を意味した強い言葉だった。

 メリッサは足を止めた。そして、通路の外からの光で逆光となっているシルエットに目を凝らせば、その小柄なシルエットはさらに語りかけてきた。

 

「退路は絶ちました。逃げ場はありません」


 そう告げるシルエットは右手に何かを持ったまま歩き出してくる。その頭部から2対の翼を広げたシルエットの主の名を『フィール』と言う。

 

「屋上へと退避して簡易飛行装備にて滑空して距離を稼ぐ。古典的な方法ですね」


 フィールはその右手に一振りのナイフ――ダイヤモンドブレードを手にしていた。フィールのナイフは単なる刃物ではない。フィールが使いこなすことでライフル弾に比肩するとも劣らない威力を発揮しうるのだ。

 

「飛行装備は体内に装備ですか? ビル周囲には日本警察のヘリが警戒任務を続行中です。すぐに補足されてしまいますよ」


 フィールはメリッサとの間合いを確かめながら一歩一歩、着実にその距離を詰めて行く。

 片やメリッサは、ネット越しの視界によって眼前の彼女の戦闘の有り様を克明に目にしていた。眼前の女性形アンドロイドがどれほどの戦闘能力を有しているかを。そして彼女が手にしているナイフの威力も、その両手に備わったワイヤー装備の厄介さも、嫌というほどに見知っているのだ。

 事ここに至って、現在状況とフィールの存在とメリッサ自身との相性は最悪だった。

 

「仕事熱心ね。もう事件の首謀者は居ないのよ。少しくらい休んだら?」

「それはできません。私は自分の任務に誇りを持っているので」


 冷やかし気味に問いかければ、フィールが返してきた言葉はすこしばかりメリッサの心を踏みつけにしていた。


「真面目過ぎよ。だから日本人って嫌いなの」

「別に犯罪者に好かれるために任務に付いているわけではありませんよ」


 フィールの言葉に苛立ちを感じたのか、メリッサはつい舌打ちしてしまう。そんなメリッサにフィールは更に言葉をかけた。


「ちょっとしたインスピレーションが湧いたので、兄さんたちとは別行動をとっていました。アナタと鉢合わせしたのは予想外でしたが」


 メリッサはフィールの挙動を警戒しつつ、フィールからは死角になる位置でその両手に球電体を作り上げていく。対するフィールもまた攻撃の手の内をすべて見せたわけではなかった。

 挑発するようにメリッサが言う。

 

「随分と勘がいいのね」

「伊達に警察として経験は積んでいないの」

「そう――、それでちょっと悪いんだけど、そこから退いてくれない?」

「お断りします。アナタが不審人物ではないと確信が得られないので」

「それくらい良いじゃない」

「出来ません」


 メリッサの求めをフィールは明確に拒絶する。

 右手のナイフを印象づけつつ、頭部のシェルから一振りのナイフをそっと背面へと滑り落としていく。それと同時に頭部の3対の放電フィンの電圧を急速に上昇させMHD駆動用のコンデンサーを120%まで充電させて行く。

 

「融通きかせなさいよ」


 皮肉りつつメリッサはその両足に力を込めて行く。

 

「警察が真面目でなかったら――」

 

 フィールはその視界にメリッサを捉える。そして、内蔵された全てのセンサーの索敵対象をメリッサへと向ける。

 

「誰がこの街を守るのよ!!」


 フィールの裂帛の叫びがこだまする。その叫びも、その凛々しい立ち振舞も。メリッサには嫌悪するものとしか感じられなかった。何故そうなのだろう? その理由をメリッサは自覚することも出来ぬまま内心を覚えた苛立ちをメリッサは叫びに変えた。

 

「そんなの知ったことじゃないわよ!!」

 

 メリッサの叫びを耳にしつつ、フィールは全身の電磁バーニヤのプラズマ流と頭部の飛行用放電フィンの電磁波を、全開にさせて一気に飛び出していった。狭い通路を弾丸のように飛び出しつつ。左腕を背面越しにして、その左手の中から何かを手放して後方へと置き去りにしていく。

 対するメリッサもまた両足に込めた力を一気に開放させた。人間離れした跳躍力と速力とでかけ出すと、跳ねまわるビリヤード玉の如く狭い作業用通路の中を飛び回りながらフィール目掛けて駆け抜けようとする。

 2人がその狭くとも細長い通路の中で、その進路を交差させて通り抜ける前で数秒とかからない。

 一切の小細工を拒否するかのような純粋なまでに真っ直ぐなフィールの軌道と、禍々しいまでの計算高さで裏打ちされたかのような屈曲したメリッサの軌道、この二つは瞬く間に交差したのだ。


 フィールがメリッサに肉薄するその直前だった。

 メリッサはその両手の平の中に隠し持っていた2つの球電体を一気に開放する。メリッサの背後とフィールの鼻先とで、すさまじいばかりの白色の光を通路内の空間に撒き散らしていく。通路を埋め尽くした光はフィールの視界を一瞬にして奪ったが、それでいてメリッサ自身には何の問題もなかった。

 脱出のための進行ルートを安々と見つけ出し、すり抜けるようにフィールの隣を通り過ぎていく。

 瞬時にして繰り出されるナイフからも逃げおおせるとメリッサはその顔に笑みを浮かべつつ、振り返らずに走り去ろうとしている。

 

「悪いわね」


 低い声で強い侮辱のニュアンスを込めながらメリッサはつぶやく。だが、フィール自身もその顔には確信めいた強い笑みを浮かべていたのだ。

 

「私は言いましたよ?」


 低くもよく通る声でフィールはメリッサに対して告げようとする。それと同時にフィールは左手の指先を動かす。それは後方へと放置したはずのワイヤーの塊をたくみに操作する。

 

「アナタに退路は無いって!」


 そして、フィールが置き去りにしたはずの灰色の糸くずの如き塊は一瞬にして開放される。それはまるで海原を泳ぐ魚たちを一網打尽にする漁網のように通路いっぱいに広がったのだ。

 

「えっ?!」


 何が起こったのかわからなかった。彼女の視界の眼前に広がったものが何よりも細い単分子ワイヤーだったことも災いした。まるで生きているかのように単分子ワイヤーは広がると、メリッサを包み込むかのように取り押さえる。

 そして、フィールは速やかにワイヤーを引き込み回収して、メリッサを完全に取り押さえてしまう。フィールが仕掛けたそのトラップは、まさに瞬間的にその目的を果たしたのだ。

 

「くっ!!」


 ワイヤーにがんじがらめにされながらメリッサはその体をよじっていた。床へと倒れこんでいても、なんとか脱出しようとも全力でもがき続けていた。

 フィールは立ち止まり振り返り、メリッサの下へと戻ってくる。そして、強い視線でメリッサを見下ろすとこう告げたのだ。

 

「不法侵入です。現行犯で拘束します」


 一切の抵抗を封じるが如く、フィールはその右手に握っていたナイフをメリッサの喉元へと突きつける。そして、再度言い聞かせるようにメリッサへと声をかける。

 

「姓名を名乗りなさい。何者ですか?」

「誰が答えるか!」

 

 素直に恭順する意思はメリッサには無い。その敵対的な態度を諌めるかのようにフィールはあえてメリッサの首筋にほんの僅かにナイフで傷をつけた。リアルヒューマノイドとして精巧に作られているのだろう。その首筋に薄っすらと赤い体液が滲んでいる。

 

「答えなくとも構いません。あなたが生身の人間ではないことは様々な情報や状況から明確です。あなたを破壊して完全無力化して連行するだけです」


 本気の敵意だった。大人しく投降する意思を見せなければ、他のマリオネットたち同様に破壊するつもりなのだ。

 

「くっ!」


 メリッサは歯ぎしりして呻くと、拘束されたままフィールの顔を見上げて睨みつけていた。

 完敗だった。もはや為す術はない。

 

「……メリッサ」

「それが氏名ですか。所属は?」


 フィールがさらに問うてくる。だが、メリッサはそれ以上は答える気にはどうしてもならなかった。

 

「答えなさい」


 フィールの問いにメリッサは沈黙する。ナイフに力を加えて再度警告するが、それでもメリッサはそれ以上は何も答えなかった。

 視線すら合わせなくなったメリッサをフィールは持て余しつつあった。

 この不審人物をどうするか? 思案にくれようとしていたその時、メリッサが現れた方向から、また新たな影が現れてきたのだ。

 

「誰!?」


 右手でメリッサに警告しつつ、左手のナイフをいつでも投げられるようにしてフィールは問いかけた。その問いに返ってきたのは聞き慣れたあの声だ。

 

「私だ。フィール」

「ディ兄い?」

「ナイスタイミングだな、フィール」


 フィールに穏やかに問いかけつつ足早にかけてくる。それはグラウザーとのやり取りを終えて現れたディアリオだった。

 

「なんだ、脅かさないでよ~」


 新たな敵と錯誤していたフィールは安堵の声を漏らす。思わず気が緩んだのか、素の彼女に戻ったような口調で語りかけていた。

 ディアリオはそんなフィールの声を耳にしつつも、フィールの手によって押さえられたメリッサの方へと関心を向けていた。ディアリオはフィールに告げる。

 

「よく拘束できたな」


 素直な気持ちでの賞賛の意図が込められた言葉だ。

 

「楽勝よ。これくらい」


 そうあっさり言い切るとフィールは視線を眼下のメリッサに落とす。

 

「逃げることに意識が向いていて散漫になってる犯人ほど楽なものは無いわ」


 語り口は穏やかだったが、その言葉の意図は明らかにメリッサを強く侮辱する意図を持っていた。当然に、その言葉を耳にしてメリッサは強く歯噛みしつつフィールへと恨みがましい視線を向けている。

 だが、どんなに視線や態度で敵意を露わに発散していても、それはフィールには届かない。単分子ワイヤーによる完全な拘束とダイヤモンドブレードによる物理的な警告行為。その2つを前にしてメリッサは身動ぐことすらできなくなっていたのだ。

 

――ギリッ――


 歯ぎしりするような音が響くが、それを意に介さず、冷ややかに冷静な視線でディアリオが彼女を見下ろしている。ディアリオもまた警告を込めて電磁警棒を抜き放つと最大出力で帯電させながら、それをメリッサの眼前へと突き付けつつ彼女に語り始めたのだ。

 

「あなたという存在について調べさせていただきました」


 メリッサは知っていた。この電脳特化のアンドロイドはガルディノを打ち破り、特攻装警たちの戦闘をその持てる電脳機能をフルに駆使して完璧にバックアップしている。そのディアリオが語る『調べる』と言う言葉のその重さは威圧感よりも不安と恐怖をもってメリッサに襲いかかってきていた。

 メリッサは、視線をそらそうとするが、そのあまりに威圧感ある気配に気圧されて視線を外すことができなくなっていたのだ。

 ディアリオは無言のままのメリッサを無視しつつ語り続ける。

 

「これからあなたとディンキー・アンカーソンについて調べさせて頂いたことについて少々尋問させていただきます。しかしながら、あなたには黙秘する権利がある。答えたくない事は答えなくとも結構です」


 当然とも言える宣言を耳にしてメリッサはディアリオを凝視しつつ沈黙するより他はなかった。ディアリオはその沈黙を、尋問を肯定した証拠とみなしてさらに問いかけていく。


「そもそも、マリオネット・ディンキーは今から3年ほど前に死亡しています。遺体が判明したわけではないが、様々な二次情報や情況証拠から生存していないのは明らかです。その死んだはずのディンキー・アンカーソンを存在させている技術として考えられるのが、旧ロシアの軍部内で研究されていたと言う【ネクロイドテクノロジー】と呼ばれる死者蘇生技術システムです」


 ネクロイド――その言葉が告げられた時、メリッサの顔色が瞬間的に変わったのをフィールは見逃さなかった。

 

「あなた、なにか知っているようね」


 フィールの問いかけにもメリッサは答えない。

 

「黙秘するならそれでもかまいません。話を続けますが――、

 死者を蘇生させると言う当初の目的は失敗しました。ですが、その過程で人間の脳に蓄積された記憶情報をその人物が死んだ後でも採取・再生する技術が開発されました。これをリアルヒューマノイド技術に合わせる事で生前の記憶と情動をそなえた死者再生型のアンドロイド技術が生み出される事となった。すなわちそれがネクロイドテクノロジーです」

 

 ディアリオが一呼吸置く。だがメリッサの沈黙は続いたままだ。

 

「さて、ここからが本題です。

 そのネクロイドテクノロジーの基幹システムの開発研究を行っていたのが、ロシア科学アカデミーの重鎮である人体生理学者のユーリ・カザロフ博士です。そのカザロフ博士は今から3年ほど前に行方不明となっています。失踪した理由は不明、遺体が発見されていない事からロシアのFSBでは亡命した可能性を疑っています」

 

 静寂の中、メリッサとフィールはじっとディアリオの語る言葉に聞き入っていた。ディアリオは言葉を続けた。


「しかしここで新たな仮設が成り立ちます。

 失踪直前、カザロフ博士は80歳を超える高齢であり死期が近かったと言われています。それと同時に独身であったカザロフ博士の身の回りの世話を行うためのアンドロイドメイドが居た事が判明しています。しかし、このアンドロイドメイドもまた3年前を境にして失踪。消息がつかめなくなっています。

 ロシア連邦保安局のFSBではこのアンドロイドが亡命失踪の手引をしたと推測しているようですが、これまでに掴んだ情報から考えると別な可能性が考えられます。すなわち、死期を悟ったカザロフ博士が自らの知識と技術を残すために、ネクロイドテクノロジーを用いてアンドロイドメイドに自らの頭脳を移植した可能性です。そして、姿形を変えて失踪、国外逃亡を果たして地下社会でかつてのディンキー・アンカーソンに出会い合流したとも考えられるのです」

 

 ディアリオは一気に語りきった。フィールはそこで不意に湧いた疑問をディアリオにぶつける。

 

「え? ちょっとまって、そのカザロフ博士って自らの知識をアンドロイドメイドに託した事はわかるけど、博士本人は?」

「当然、死んでいるでしょう。年齢による寿命か、ネクロイド処置により命を落としたか。遺体が無いからといって生存しているとは限りません。亡命だったとして生存しているなら、何らかの形で足跡が世界の何処かで浮かび上がるはずです。しかし、現時点ではどこからも浮かび上がらない。表社会から分かる形で姿を消したのではないと考えるべきです。それにもし、ネクロイド処置が成功していた場合、そのアンドロイドメイドに博士の知識と遺志は受け継がれていると考えるべきでしょう」


 それがディアリオが導き出した答だった。ディアリオは改めてメリッサを見下ろしながら最後の質問を投げかけた。

 

「ちなみに、調査の結果判明しましたが、カザロフ博士と寝食を共にしていたアンドロイドメイドの名前は『メリッサ』と云います。偶然としては出来過ぎでしょう。私はカザロフ博士のメリッサとアナタの存在が同一だと考えました。そして、ネクロイドテクノロジーによりカザロフ博士の記憶と知識がアナタに受け継がれている可能性を考慮しました。そこでアナタに問いたい事があります」


 ディアリオはメリッサの目を覗きこむように見つめると、一呼吸置いて彼女に問いかけた。


「あなたは――、ユーリ・カザロフ博士本人ですね?」


 ディアリオが到達した確信。それを形にした言葉を耳にしてメリッサはその表情を変えた。明らかに驚きと諦めをその目元に浮かべると視線を外して溜息をつく。

 

「すごいわね。アンタ、ロシアの連邦保安にまでアクセスするなんて、頭どうかしてんじゃないの?」


 冷やかし混じりにメリッサが言えばディアリオはこともなげに言い切る。

 

「必要とあればどこへでも入り込みます。私は手段を選ぶつもりはありません」

「なによそれ。とても警察の言い草じゃないわね。――負けたわ」


 その言葉を口した瞬間、メリッサはその全身にみなぎらせていた抵抗する力を一気に喪失していた。そして、それはもう一つの事実への諦念でもあった。

 

「アンタの見立ての通りよ、あたしの頭のなかにあるのはアタシがかつて世話をしたカザロフ博士本人よ。それをカモフラージュするために本来のアタシであるアンドロイドメイドのメリッサとしてのあたしを残したのよ。偽装のためにね」

「ならば、いま会話しているのはカザロフ本人だとみなしていいのですね?」

「否定はしないわ。ただ、あたし自身も自分がメリッサなのかカザロフなのか、もはや区別はつかないけどね。時間とともに混ぜこぜに成っちまったせいで私の自我と博士の記憶と人格とかが融合してるのよ」

 

 半ば、吐き捨てるようにメリッサは告げた。その光景を目の当たりにしてフィールはつぶやいた。

 

「なんだか、あなたも被害者みたいね」


 フィールは知っている。犯罪に利用されるアンドロイドはたとえ本人がどんなに優れた自我を持っていたとしても、悪意を持った所有者の命令には逆らうことが出来ないと言う事実を――

 ましてや自我や思考のレベルにまで手を加えられては抵抗すら出来ない。今までにもメリッサのような境遇の犯罪アンドロイドをどれだけ見てきただろうか? それを思うと、フィールはメリッサを憎むことは出来なかった。


「同情なんて迷惑よ!」

「同情じゃないわ。あなたと言うヒトを知りたいだけよ」

 

 それはささやかな言い換えに過ぎないかもしれない。それでもフィールのその言葉はメリッサにはそれだけでも有りがたかった。同情ではなく理解――、それだけでも背負ってきた苦痛が和らぐようだった。

 

「とりあえず、ありがとうとだけは言っとくわ」


 メリッサはフィールに半ば捨て鉢気味に言葉を返していたが、フィールはその言葉の真意をしっかりと受け止めていた。メリッサはフィールに対して僅かながらも心を開き始めていた。その開かれた心の隙間から、こらえていた思いが堰を切ったように溢れだしていた。隠し通すつもりだった秘密を押し殺していた心の奥底から語り始めたのだ。


「あの連中は――、博士の技術を手に入れるために博士とあたしを拉致しやがった。ところが肝心の博士が連中の粗雑なあつかいのせいで瀕死になっちまってね。なんとかネクロイドテクノロジーは手に入れたいってんで瀕死の博士から技術の取っ掛かりを聞き出すと、無理矢理に博士の知識と意思をアタシに詰め込んだのよ。

 あの連中にとってアンドロイドなんて使い捨ての消耗品みたいなものだからね。とりあえず必要なデータが再生できて引き出せるだけ引き出せたらあたしはお払い箱になるはずだった。ところがそこにあの死にかけのテロリストのディンキーって糞爺いが保護されてきた。連中はなんとしてもディンキーの爺さんのアンドロイド技術が欲しかったみたいで、あたしはディンキーのネクロイド化をやらされた上で、その監視と誘導をする役割を押し付けられたの。テロリストのお守りをしろってね!」


 それはメリッサが心の奥から吐き出した怒りと恨みの心情が滲み出していた。だが、彼女のその言葉に引っかかる物があった。フィールはそれを指摘する。

 

「あの連中?」


 フィールがそう呟けば、メリッサは意味ありげに笑みを浮かべるだけだ。メリッサは叫び続けた。


「アタシはもう、自分が何者なのか、何をすべきなのか、わからないのよ! アタシはカザロフ博士のお世話をして、博士からの感謝の言葉に歓びを感じるだけで満足だった! 人間に奉仕するメイドとして生きていられれば十分だった! それがただのメイドだったのがテロリストの黒幕やらされることの苦しみ、あんたらに判る?! 何がケルトよ! なにが聖戦よ!

 それにあのイカレマリオネットども! 空っぽの抜け殻のハリボテをご主人様なんて有難がってなんなの? 挙句にアイツら自分から喜んで殺人まで手を染めて! そんな連中、受け入れられるわけないじゃない! 汚らしい!

 だから私はアイツらをこのビルの頂へと誘って閉じ込めたのよ! そうすれば逃げ場の無い場所でアイツらはこの国の警察や軍隊に血祭りにされる! そうすることでアタシは全てを終わらせられるのよ! それがアイツらへのささやかな復讐ってわけよ! あたしは真の目的を果たしたわ! いい気味よ!」

「ちょっと、おちついて! 冷静になって!」


 フィールが諭すように語りかければ、メリッサは止めどなく涙を流し始めた。

 

「ごめん、そうしたいけど――、あた――あた――あたし――も――何がなんだ――かかかか――」


 傷の入った壊れたレコードのようにメリッサの言葉は急速に途切れ途切れになりはじめる。よく観察すればメリッサの瞳の色が混濁して視線が定まらなくなっている。その原因をディアリオはすぐさま見ぬいた。

 

「まずい、頭脳に負荷がかかっている」

「え?」

「やはり彼女の頭脳には2体分の人格データがつめ込まれている」


 ディアリオは急いで特殊なハーネスケーブルを取り出した。それを自らの脇腹にあるアクセスターミナルにつなぐと、メリッサの頭部を探り始めた。

 

「何をするの?」

「彼女の頭脳にアクセスする。危険だがカザロフ博士の分のデータを私のデータバンクに退避させます。その上で彼女の頭脳をメンテナンスします」


 それは賭けだった。助けるにしてもメリッサの全てを救うのはもはや無理かもしれない。それでもディアリオは救いの手を止めようとはしない。メリッサの後頭部を探れば、標準的なアンドロイド用の中枢部アクセス端子口が見つかる。ディアリオは手早くそこにハーネスをつなぎアクセスを開始した。


「フィール、彼女に話しかけてください! 少しでも意識をそらして負担を軽くしてください!」


 ディアリオの言葉にフィールは頷くとメリッサに寄り添うように近づいた。

 

「メリッサ! もう大丈夫だよ。いま助かるからね」


 フィールは警察としてではなく、彼女と同じ女性形のアンドロイドとして、彼女を労るように優しく問いかけた。その言葉を耳にしてメリッサは弱々しく顔を振り向けるとその目に涙を浮かべながら言葉を紡ぎ始めた。


「私は――誰も殺したくなかった――、誰も殺されたくなかった――」


 それは人間の涙とは本来は機能は異なるものだったかもしれない。眼球カメラの洗浄液に過ぎないかもしれない。だが、フィールにはその涙の意味がよく分かっていた。

 

「うん、そうだよね。嫌だよね。でも――、大丈夫だよ。もうだれもあなたを苦しめないから」


 だがフィールのその問いかけに笑みを浮かべつつもメリッサの涙は止まらなかった。彼女の記憶の奥底から忌まわしい過去とそれにまつわる苦痛の情報が止めどなく呼び覚まされてしまう。


「でもね? アイツらがアタシに植えつけた悪意が私を望まない道ヘと引きずり込むの。ターゲットを消せと、目的を果たせと――」


 フィールはいつしか床に腰を下ろすとその膝の上にメリッサを抱き上げていた。メリッサは帰るべき場所を思い出したかのようにどことなく安堵を浮かべはじめていた。

 その隣ではディアリオが必死の表情でメリッサの中枢にアクセスしていた。幾重ものメンテナンスプログラムを走らせながらメリッサを救おうと出来る限りのスキルを駆使している。だがそれが芳しい状況ではないことはディアリオの苦しげな表情からも明らかだ。

 フィールはメリッサの髪をそっと撫でていた。その仕草を答えるかのようにメリッサがつぶやく。

 

「帰りたい――」

「どこへ?」

「クリンの街、そこであたしは博士のお世話をしていた――、モスクワから離れた静かな街。博士はそこが好きだった。気難しくて人前に出るのが嫌いだったけど、私には優しかった」

「好きだったの? 博士のことが?」

「うん、大好きだった。あたしは博士のお世話ができればそれで幸せだった。でも、博士はもう――」


 メリッサの声がかすれていく。それから先は言葉にならないつぶやきが漏れるだけだ。それを耳にしてフィールが言う。

 

「しっかり! あきらめないで!」


 フィールの叫ぶような声に、メリッサはゆっくりと視線を返してきた。もはや言葉は出せなくなっている。その視線にはもはや敵意も悪意もない、謝罪と感謝とが切ない光をたたえて浮かんでいる。

 

「もう少し! もう少しだから!」


 それがメリッサを励ますための嘘だということは誰の目にも明らかだった。ディアリオはメリッサの状態について語り始めていた。

 

「1つの頭脳に2つの人格、たとえアンドロイドの人工頭脳といえど容量ギリギリで無理矢理に稼働させていたのでしょう。それが自我融合までしていれば、頭脳システムバランスが崩れてゲシュタルト崩壊が起きている可能性もある。元々、いつ停止してもおかしくなかったのかもしれません」

「なんとかならないの!?」

「すまないフィール――、くそっ! プロテクトがかかっている!」

「え?!」

「プロテクトプログラム自体は雑ですが無理に解除しようとすれば部分的にデータ抹消をする仕掛けになっている。たとえ一部でも消されれば人格システムは維持できない! アンドロイドを使い捨てにしてでも証拠隠滅を優先させるつもりだ」

「そんな――」

「こんなの人間のやることじゃない!」


 その言葉を吐き捨てたディアリオの顔には怒りが浮かんでいる。それはフィールが久しぶりに見る純粋な義憤による怒りであった。


「お願い! なんとかしてよ!」


 切実な言葉がフィールからかけられる。ディアリオもその言葉に是非とも答えてやりたかった。

 だが――


「すまない、私の力でも簡易的なメンテナンスアクセスでは時間がかかりすぎる。それでは間に合わない! それにこれ以上深いレベルへのアクセスを行えば崩壊する自我システムの余波を私自身が受ける可能性もある。適切な設備や機材が無いとどうにもならない」


 当然の答だった。環境の整った研究施設ならいざしらず、この様な場所では出来ることにも限界がある。万策尽きている事を悟って、フィールはいつしか自分が涙を流していることを気がついた。

 その涙は、メリッサの頬へと伝っていた。

 

「もういいよ」


 メリッサはポツリと呟くようにフィールへと問いかける。そして、満足げに言葉を続けた。


「ありがとう。もう十分だよ」

「え? でも――」

「自分がもう先がないことくらい解ってる。それにあの連中があたしを見逃すはずがないもの」


 メリッサがつぶやいた言葉に、ディアリオが問いかけた。

 

「あの連中とは誰です? ディンキーのマリオネットのことですか?」

「それは――」


 ディアリオの問いにメリッサが答えようとしたその時だった。


――ジジッ!――


 強い電磁火花が迸ったかと思うと、メリッサの身体の各部からは青白い炎が吹き上がり始めた。

 それは地獄へと誘うかのような滅びの炎を思わせる勢いがあった。

 フィールが驚きの声を上げ、ディアリオの言葉がそれに続く。

 

「え? なに?!」

「証拠隠滅か!」


 フィールは慌てて立ち上がり離れるととっさに彼女の消火を考えた。

 だが今ある装備品には消火具はなく消火活動は何も出来ない。なによりメリッサの体内に発火装置があるのなら単なる消火活動で消しきれるとは思えない。ふたりとも燃え上がるメリッサを成すすべなく見守るしか無かった。

 

「喋りすぎた――それに、回収時刻も過ぎちゃった。でも――これで――博士もアタシも――」


 瞬く間に青白い炎はメリッサの全てを包み込んでいく。そして、着衣を焼きつくし人造皮膚を燃やし尽くすと、アンドロイドとしての内面を露わにさせていく。それでもメリッサの表情は穏やかだった。

 

「最後に会えたのが――あんたたちで――よか――た――」


 全身を焼きつくす人工の炎に巻かれてメリッサは燃え尽きようとしていた。だが、その顔には笑顔が浮かんでいた。望まない役目を終わらせられることに安堵するかのように。

 フィールもディアリオもその無残な光景を見守りつつも、内心、忸怩たる思いで歯噛みしていた。事件は終末を迎えたが、解決は何一つしていないのだ。

 

「この子も望まない役目から逃れようとしていたのか」

「そうだね。警察という役目に満足できているアタシたちと違ってね」


 炎が消えたあとには焼け焦げと化したメリッサの遺骸が残されていた。その頭部は顔面のみが焼け残っていた。そして、フィールはメリッサの開かれたままの瞳に手を添えるとその目をそっと閉じていく。

 

「ゆっくり休んで。もう誰もあなたを戦わせようとはさせないから」


 フィールは感じていた。自分たちがうかがい知れぬ場所で巨大な悪意が蠢いているのではないかと。

そして、人を、アンドロイドを、心を宿した存在を消耗品のように貪る悪意が間違いなく存在しているのだ。だが今はそれを憂いている時ではない。フィールはディアリオに問うた。

 

「彼女〝あの連中〟って言ってたわね」

「あぁ、確かに言っていた」

「誰のことなのか引っかかるわね」

「そうだな。だが、判断するには情報が少なすぎる。さらなる調査が必要だ」

「えぇ、彼女とカザロフ博士の仇も撃ってやらないと」


 平穏な日々を守るために彼らは存在していた。だが、その平穏な日々を甘受する時は、まだまだはるか先のことだ。

 そもそも、犯罪行為に手を染めるもの全てが自らの悪意で事件を起こすわけではない。望まぬ悪事に無理矢理に引きずり込まれる者も居る。人間に使役されるアンドロイドならなおさらのことだ。

 

「とりあえず、現場確保だ。事件の後始末をしないとな」

「了解、アタシはこのまま外に出て、まだ何か残されてないか確認するね」

「頼む。私はビルの基幹システムをチェックしながら兄さんたちのところへ戻ることにするよ」

「うん。解った。あとでまた落ちあいましょう」


 フィールは表情を曇らせたまま兄の言葉に答えながら、歩き出すとビルの屋上へと向けて元来た方へと戻ろうとする。

 ディアリオもまたフィールの行動を眺めつつ、彼もまたビルの階下へと足を向ける。

 

「それにしても、長い戦いになりそうだな」

「そうね、これからが〝始まり〟よね」


 先は長い。だが、終わりはかならず来るだろう。

 2人はまだ希望を捨てては居なかった。


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