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事件記録:不死なる者の死と再起する者

 フィールは第4ブロックのホール内を飛んでいた。

 その持てる知覚力の全てを使い、英国アカデミーの姿を捉えようとしている。

 フィールは元来、早期警戒機能を有した偵察モデルだ。

 この様な状況で、何かを探すにはもっとも長けている。

 フィールは目標を求めて音響センサーの感度を最大限に上げる。


「どこ?」


 フィールはそっとつぶやいた。もし、ビルの中のどこかに彼らが居るのであれば、それは常人では聞き得ないゼロコンマ以下の微弱な音として感知できるはずだ。

 外周ビルの壁面に沿う様にフィールは緩やかなカーブを描く。

 流れるビルを眺めていると、突然、人の声がする。音声の入感である。


「これは?」


 フィールは動きを止めその場でホバリングしながら、音声をさらに聞き入った。

 それは確かに年配の成人男性の声だった。


(……で行き止まりだ……)

(…またシャッターが……)


 その声はそう呟いていた。


「間違いない!」


 それは彼女も聞き覚えのある声だった。

 見れば、そこは無人のオフィスルームだった。彼らはその部屋の向こうに居るらしかった。

 フィールはじっと、その部屋のガラス窓を見つめていたが、一呼吸おくと窓へとその身でぶちあたる。

 硬質のワイヤー入りガラスが砕け周囲に散乱する。フィールはルーム内で器用に反転し低姿勢でフロアへとランディングした。

 その部屋は、会議室だったらしく、円形テーブルと数多くの椅子以外は目ぼしいものは何もなかった。壁にも廊下へ通づる小窓もガラス窓も無い。そして廊下の方では、彼女が飛び込んだ音にざわついている。

 フィールは足早にその部屋の入口へと向う。引き扉を開けようとするが電子ロックが降りていて開けられない。

 彼女は右手の指の根元から数本の単分子ワイヤーを引き出し、それをドアロックを制御しているターミナルパネルへと繋ぐ。そして電子ロックのターミナルを、自己の発する三相電流でショートさせた。

 ドアのロックが音を立てて開く。


「みなさん!」


 フィールがドアからその身を乗り出したとき、そこにはかつてフィールが引率していたアカデミーの面々が居た。

 広い幅の通路には何も鳴く、非常灯だけが灯す薄暗い廊下の隅で各々身構えていた。

 その中のウォルターが恐る恐るつぶやく。


「フィール君か?」

「はいっ!」


 フィールは遠い異国からの客人たちが皆無事であることに素直に喜びをあらわにする。

 一方で、アカデミーの皆は、フィールのそれまでとはまるで異なる風貌に驚きを隠せないでいた。


「フィール君、その姿は?」


 ホプキンスが訊ねてくる。不信感と言うよりは、純粋な知的好奇心からくる質問だった。


「私の2次武装、まぁ戦闘用の鎧ですね」


 恥かしげも無くさらりと言ってのけるフィールに、ホプキンスを始め皆がそれまでとはまったく違う印象を彼女に抱いていた。

 すでに彼女には、人々に微笑みを振りまく少女の様なあどけなさはなく、髪を切り落としたジャンヌダルクの様な英雄然とした姿がある。人格が入れ替わった訳ではないが、風貌一つでこれだけ変わるものかと、皆一様に疑問の声を抱いていた。


「それより、教授は、ガドニック教授はどこへ?」


 フィールがその事を訊ねたのは当然の事だ。だが、それは沈痛な雰囲気をもたらさずには居られなかった。

 皆、口にするのをはばかっている。だが、誰かが口にしなければならないことは解っていた。やがて、その場の中からカレルがフィールに事実を告げた。


「チャールズは、単身このテロの首謀者のところへ向った」

「えっ!」


 フィールは思わず叫んだ。だが、一呼吸おき気分を落ち着ける。


「教授は一体どこへ!?」


 それに対し冷淡にカレルは告げる。


「解らん。このビルの構造を逆手に取られて、どこへ姿を消したのかまったく不明だ」


 言い澱むこと無く断定するカレルの口調に、迷いのニュアンスは微塵も無かった。


「それより、これだが――」


 そう言って、カレルはそばの隔壁を指した。そこには、厚めのシャッター式隔壁が下りている。普通の商店の店先に下りるような薄い代物ではなかった。センチ単位の厚みを持つ防火タイプの強靱な隔壁である。

 フィールがそれを確認すると、カレルが告げる。


「下の方で銃声が止み始めたんで、何とか下のフロアへ逃げようと言う事になってね。そこで、このシャッターの向こうの非常階段を目当てに我々はここまで逃げてきた」


 ホプキンスが苛立ちを隠さずに口を挟む。


「でも、ちょうどここに差しかかった時に突然にこいつが下りてきやがった。まるで、俺たちの事を見すかしてるみたいにな。それで退路を断たれたんだ」


 フィールは彼らの言葉にじっと耳を傾けながら隔壁を見つめていた。そして、わずかな思案のあとに、隔壁を触れながら彼らにたずねた。


「どなたか、警察の方はご一緒じゃなかったのですか?」

「バンコと言うスペシャリストチームの人たちと一緒だったわ。でも、一人は隔壁のトラップで分断されたし、リーダーのツマギと言う方も途中で」

「別れ別れになったのですね?」


 フィールの問い掛けにエリザベスがうなずく。そこにカレルが補足した。


「彼は、我々を安全に退避させるために敢えておとりの役を買って出たんだ。何とか、成功してくれていればよいのだが」


 それまで、頑強な態度をまったく崩さなかったカレルがガラにもなく不安げに呟いた。

 フィールはそれをじっと耳にしてしばし思案する。そして、自分の両の手の平を見つめて、振り向いて皆に告げる。


「突破しましょう。ここを」


 皆の視線が、フィールに集まる。


「できるのかね?」


 カレルが問う。


「はい。壊すことになりますけど」


 彼女の答えに、安堵の空気が流れた。

 と、その時だ。

 ゆっくりと何かが歩いてくる足音が聞こえる。それは確実に、しかし重い響きを伴っていた。

 信じたくはなかった。悪夢であって欲しかった。

 恐る恐るただ静かに振り返れば、そこには絶望と言う名の影があった。


「――やはり、だめだったか」


 苦い言葉を吐いたのはウォルターだった。その言葉に妻木たちの安否を案じたエリザベスは無言でその目許に悲しみを滲ませた。

 誰ともなく諦めに似た重い空気が漂い出す。だが、それを喝破したのはホプキンスだった。


「いや、ミスターツマギは、決して仕損じた訳じゃないぞ」


 ゆっくりと近付いてくるジュリアをホプキンスは指さす。そこには右の目を見事に打ち抜かれ顔に大穴を開けたジュリアがいた。


「判断を誤ったのは私の方だ。あれは胴体内に本来の――、もしくは予備の頭脳を有した永久可動可能な戦闘アンドロイド――モデル・ノスフェラトスと呼ばれる限界稼働戦闘モデルだ」


 ノスフェラトス、不死者を意味する言葉だ。

 ふと、メイヤーが呟いた。


「通常のアンドロイドと異なり、内部メカニズムの配置を全て変えてしまい、また、その内部システムを3系統以上に重複させることで破損による停止が非常に困難なアレか! しかし、あまりに残虐な戦闘行為を招くというので、国際ハーグ条約で軍用への適用は禁止されて全機廃棄されたというぞ?」


 メイヤーの言葉にカレルは忌々しげに言葉を吐いた。


「不法に隠匿してたんだろう。それがマリオネット・ディンキーならなおさら喜んで手に入れようとするさ」


 ジュリアは、その残る左目でフィールやカレルたちを見つめていた。醜怪な顔になったとは言え、その目は得物を追い詰める冷徹なハンターそのままである。そのジュリアを見つめつつ、カレルはさらに言葉を続ける。


「ノスフェラトゥは外観からは一般的なヒューマノイドアンドロイドとは区別がつきにくい。もともとがスパイ的に敵地に潜入して、暗殺的に大量殺戮行為を行うためのものだ。特殊なセンサーで分析をしなければ見分けられない。肉眼で見分けられなかったとしても不思議ではない」


 いつの間にか、沈黙だけが支配していた。戦う事を諦める空気が染み込んでいた。しかし、それをかき消そうと、フィールは気丈に数歩歩み出て皆の先頭に立っていた。だがフィールは大きな戦闘を終えた後だった。確実な勝利は彼女も保証できなかった。


【 機体総合コンディション評価 】

【 機体負荷係数 78%    】


 フィールの視界の中、己の機体の疲弊状況が数値化されて表示されている。機体負荷係数が90%を越した時、事実上行動は不可能となる。78%は戦闘行動を行えるギリギリの状態だった。


(やっぱり――超高速起動とシン・サルヴェイションの二連続は無茶か)


 超高速起動は機体全体を加熱させオーバーヒートを引き起こす危険がある。

 シン・サルヴェイションはメインリアクターを限界近くまで作動させるため負荷がかかる。

 それを立て続けに行えば、いくらフィールとはいえ、インターバルを置かねばダメージを蓄積するのは当然だった。

 だが引くことは出来ない。対ジュリアへの戦闘プランを組み立てようと必死になっていると。そのフィールの脇に進み出る者がいた。


「下がっていなさい」


 そう告げるその人影をフィールが見れば、それはカレルであった。

 カレルはジュリアをただじっと見つめていた。思いつめた意味ありげな視線を彼は放っている。


「私が行く」


 カレルは確かにそう呟いた。だがそれに返される声はなく、驚きの表情だけがカレルを見つめていた。

 カレルは、おもむろにスーツを脱ぎ出した。


「私は非正規ながら現役の軍属でね」


 そして、ワイシャツの右袖をめくりながら言う。


「SISから嘱託工作員として、君たち円卓の会を極秘に警護する任を受けていた。そして、元は英国陸軍中尉でSAS経験者でもある」


 突然の告白にただ驚きの視線だけがカレルを見つめていた。そのカレルにウォルターが問う。


「嘱託工作員――って、今もまだ軍に居たのか?」

「いや、一度は身を引いたんだが、必要があって一度は離れた世界に舞い戻った」


 カレルの告白にメイヤーが問う。


「オレたちのためか?」


 カレルは頑迷な性格でとっつきにくかったが、性格も行動も堅実で裏表のない信用できる人物だった。それだけに英国アカデミーの円卓の会のメンバーにとってカレルは無くてはならない存在だった。

 メイヤーはカレルに謝罪をするかのような口調でカレルの真意を問いただす。

 事実、英国アカデミーにはイギリス警察や英国諜報機関などからサミットへの参加は見合わせるように要請が来ていたのも事実だった。ディンキー・アンカーソンの脅威が英国関係者を襲っている現在、極東の小国へとわざわざ赴くのを控えて欲しいと、政府関係者が言い出すのはもっともである。

 だが、円卓の会のメンバーは、ここでサミット参加を見あわせるのは、それこそディンキーの思う壺だとして参加を強行した経緯がある。


 メイヤーだけでなく、他の者もその事を脳裏の中に描いている。

 だが、カレルはその頑迷な表情を崩して笑顔で答える。


「買いかぶるなよ、メイヤー。私はむしろ、このチャンスを待っていたんだ」


 カレルは自分の右腕を剥き出しにし、その腕の皮膚をおもむろに掴む。そして、バナナの皮を剥くように一気に剥き上げた。


「訳あって一度は軍を退いて、学問にこの身を捧げた。軍で活動しようにもこの体では無理が効かんからな」


 カレルの右腕は義手だった。上腕から先は皆、金属装甲で覆われていた。


「しかし、運命って奴は、立ち向かう意思のあるものには最高のステージを用意してくれるらしい」


 メタリックブルーにその義手は輝いていた。カレルは義手を軽く動かし、その動作をチェックする。


「そもそも、わたしが軍事研究に没頭したのは、まさにあのモデル・ノスフェラトゥを追い詰めるためなんだ」

「追い詰める?」


 ウォルターが問えばカレルははっきりと頷いた。


「ハーグ条約で国際社会から姿を消したが、闇社会では着実に活動を続けていた。だが、過剰な殺人行為を続けるノスフェラトゥはあまねくこの世から消えねばならない。そして、最後の一体を私は探し続けてきたんだ」


 突然のカレルの告白に皆茫然としている。そこには、恐らくは滅多に見ることのできないごく自然なカレルの笑い顔があった。


「そして、その最後の一体がマリオネット・ディンキーに関与しているとの情報を掴んだ私は、英国アカデミーのサミット参加に合わせて何か行動を起こすだろうと読んでいたんだ」


 カレルは確かに何かを決意していた。ウォルターが思案げな顔で問い掛ける。


「マーク、君はいったい、何をするつもりだ?」

「私の右腕には、未完成ながら小型のスカラ波共振装置が組み込まれている。最後の非常用の武器だが、何とかあれくらいのアンドロイドは破壊できるだろう」


 カレルは、ただ冷静に淡々と答える。だが、ウォルターはそんな無感情な対応をゆるさなかった。その脳裏に浮かんでいた不安をストレートにぶつける。


「しかし、君自身はどうなる!?」


 スカラ波共振は特殊な重力波で空間その物を振動させる特殊技術。しかし、疑似科学よばわりされる事もあるその技術は制御が極めて難しい。エネルギー工学を修めるウォルターは何よりもその事を理解していた。

 唐突の告白に皆の心に空虚が入り込んでいた。しかし、親しい者の必死の叫びがその空虚を追い払った。みな、ウォルターの言葉に、カレルが為そうとしてる事の意味を速やかに悟る。


「安心したまえ、少なくとも君たちに被害はおよばん」

「そういうことじゃない! カレル!」

「私の生命のことを言っているのか? ウォルター?」

「当たり前だ! それじゃ自殺行為じゃないか!」


 ウォルターの必死の説得に、カレルが耳をかそうとする様子は無かった。そしてカレルが、周囲の説得を容易に聞き入れるような性格でないことくらい、皆、十分分かっていた。


「かまわん。どうせ〝あの日〟から私の人生はオマケのようなものなんだ。そのオマケの人生で親友である君たちを守れるなら本望だよ」


 それ以上追求する者もいなかった。だがカレルがただでは済まないであろう事は、誰の目にも明らかだった。そして、笑みを消したカレルが言う。


「フィール君、君はバックアップを頼む。可能なかぎり、仲間たちを守ってくれ。ヤツは私が何とかしよう」


 承諾したくなかった。できれば、カレルに代わり自分自身がジュリアと戦いたいフィールだった。だが、そのエネルギーと負荷限界のかなりの部分を先のアンジェとローラに使ってしまっている。

 すっかり笑みを絶やしフィールは悲痛に思案する。だがカレルの言葉に彼女もその意思を固めた。

 頭部のシェルの内部からダイヤモンドブレードを二振り取り出す。それは先端に電子励起爆薬を仕込んだあの特別性のダイヤモンドブレードだ。だが、その爆発の威力がどの程度なのか、全く判断がつかない。この閉鎖的な空間の中ではアカデミーの人々を巻き添えにする危険もあった。

 フィールはそれを最後の切り札として使うことにした。  


「了解しました。微力ながら、支援させていただきます」


 策は決まった、あとは結果を導き出すだけだ。ジュリアが一歩一歩迫ってくるなか、フィールはジュリアとアカデミーメンバーとの間に立つ。そしてフィールは背中越しにカレルに訊ねた。


「ミスターカレル」

「なんだね?」

「なぜ、軍をお辞めになられたのですか?」


 かすかな間が生まれた。思案している証拠であった。


「妻と娘をアンドロイド・テロで殺された。私も右半身の身体機能を失った」


 さびしげな、しかし、怒りが確実にこもった声が聞こえる。その言葉を耳に、フィールはカレルとジュリアの姿を見守り続けた。この不毛な戦いの成り行きを見届けるのは、まさにフィールに課せられた役目である。

 カレルはゆっくりと歩き出していた。短く刈込んだ顎髭に深く落ちくぼんだ眼孔、苦悶と激昂を封じ込んだ彼の足取りは確実に悲しみの元凶へと向っている。

 ジュリアはまだ停止していなかった。その身体の多くを妻木たちの攻撃により破壊されてはいたが、その衣類と外皮が引き裂かれただけで、下部組織の装甲体自身には大したダメージは見られなかった。

 カレルはじっとジュリアを見つめ、その口を唐突に開いた。


「訊ねたいことがある」


 ジュリアは答えない。だが、その目はカレルの問いに興味を示していた。


「ミスター妻木はどうした?」


 侮蔑の笑みを浮かべ、その歩みを止めることなくジュリアは答える。


「私が殺さねばならないのは貴様たちだけだ。それ以外は知らん」


 妻木の生死に絶望が宣告されなかったのは幸いだった。カレルはさらに問う。


「今一つ聞こう。今から6年程前、ロンドンエアポートで無差別の破壊活動を行なったのはお前だな?」

「私は、過去の指令は一切記憶しない。常にあるのは現在だけだ。だが……」


 ふと、ジュリアはその足を止めた。その拳を振るう時をじっと待っている。


「きさまの顔は明確に覚えている。そうか、死に損なったか」


 彼女は明らかにカレルをせせら笑っていた。

 だがカレルは、表情を変えることは無かった。ただ冷徹に己れの意思を淡々と伝えている。


「その日は、私の娘の10歳の誕生記念でね。私と妻と娘の3人で記念旅行に出かけるはずだった。しかし、私たちの乗る旅客機は離陸直前に何者かに破壊され誘爆し、妻と娘もろとも100人以上もの人々が死んだ。そう、貴様たちの凶行によってな」


 不意にカレルの声があらげられる。


「たしかに私はあの頃、アンドロイド・テロリズムの対策を任されていた。お前たちから狙われる理由があった。

 だが最も許せないのは、私一人のためにあの様な愚行がなされたと言う事だ!

 死なねばならぬと言うのならこんな私の命なぞ、いくらでもくれてやろう!

 だが、10才にもならない幼い命までもが詰み取られねばならなかったのはなぜだ?!

 答えろ……、貴様を葬るのはそのあとだ!!」


 その声が低く大きくなって行く。語るにつれてその身の血液が逆流して行くのが、カレルはよく解った。だが、ジュリアは眉一つ動かさず冷淡に答える。


「我らのマスターの言葉だ……『ケルトに対する全ての罪は、全てのイングランド人の血によってのみ贖われる』」


 相対する二人の間には十m程の間合いがある。カレルは仇敵であるジュリアに向け、黙したままその右手をかざす。ジュリアはその右手の意味を速やかに悟ってカレルに告げた。


「きさまも死ぬぞ」

「それはどうかな」


 淡々と答えるカレルに、ジュリアを倒す以外の望みは何も無かった。

 ジュリアはその答えに笑みを消すと一気に駆け出す。そして、その拳は確実にカレルの頭部を狙って構えられていた。

 カレルはひたすら冷静に己れの怨讐の相手を凝視する。かざした右手にその意識の全てを集める。

 煤けたブルーメタリックの腕が微かな光を放つ。丸いオーロラに似た輪光を撃ち、それはジュリアに見えない断罪の聖なる力を解き放つ。


「ここが終焉の地だ! 私にとっても! 貴様にとっても!!」


 カレルは叫ぶ。その全てを失ったあの時より背負った全ての苦しみを重ねあわせて。

 空間が鼓膜をつんざくような音をあげ鳴り響く。それは、確実にジュリアのその体を攻撃していく。


「ギッ? グギィィィィイイイッ!!!」


 奇っ怪な叫び声があがる。頑強なる暗殺者の断末魔だ。カレルはそれが確実なものになるべく、己れの右腕にさらに力を込める。輪光がふたたび輝いた。

 スカラ波のその光と力は重力空間振動をともないながら、ジュリアの体の全身に亀裂を入れて行く。おそらく彼女は、生まれて始めてその身を傷つけられる苦痛を味わうだろう。事実、彼女のその顔に驚きと苦悶の表情がありありと浮かんでいた。自分におとずれるはずの無いだろう『ダメージ』と言う物にひたすら困惑しながら。

 カレルがふたたび力を込め、3度目の輪光が光る。

 そして、カレルは終焉の予感に高らかに叫ぶ。


「この者によってもたらされた数多の苦悩と悲しみに、終焉を告げんがために!!」


 カレルの顔が、憤怒と悲願とに歪んでいた。それが彼の唯一の思いだった。

 だが、凶悪なまでに〝運命〟は個人の意思を無視する。

 カレルの右腕が大音響とともに火花を噴きあげる。

 疑問を抱く暇も無かった。カレルのその義手が炸裂する。


「なに?」


 その腕の内部に込められていた圧力の全てが開放される。そして、カレルのその身は吹き飛ばされた。


「だめか?」


 困惑と不安がカレルの意識をよぎった。カレルは不安をその胸に感じていた。だがフィールは、それを敏感に察知する。彼女だけでなく、アカデミーの皆もその光景を目にしていた。フィールに向けタイムが告げた。


「ここはいい! 行ってくれ!」


 迷っている暇は無く、フィールはためらわずに頷いた。

 フィールは内心、これがジュリアを倒せる唯一のチャンスである事を敏感に感じ取っていた。見ればゆっくりではあるが、ふたたび立ち上がろうとしている。今必要なのは完全なる撃破だ。


 位置関係は絶好の状態にある。たしかにカレルは義手の爆発で後方へと吹き飛ばされたが、対する、ジュリアもまた爆発でアカデミーの人々から引き離された。さらなるダメージも加わり、再び行動可能になるには今少しかかるだろう。

 孤立した状態にあるジュリアに対して遠慮のない攻撃を加えるのは今しか無い。

 フィールは狙いを定める。そして、両手に握りしめた特別なダイヤモンドブレードを振りかぶった。


 ジュリアは、生まれて始めてその両膝を地についていた。そんな事は一生あり得ないと彼女は今まで思っていた。だが、今現在その身に起こっている事は明らかな現実である。それでも彼女の本能はなおも戦う事を要求する。這い付くばってそのまま停止する事は自分のプライドと、そして生まれる前から組み込まれたプログラムが許さなかった。その体の内部を自動修復しながら、ジュリアはその体を起こして行く。そして、ゆっくりとその顔を持ち上げて、さらなる戦いを求める。


 闘いを! 闘争を! 戦闘を! 殺戮を! 犠牲を! 勝利を! 破壊を! もっと! もっと! もっと!


 その内底から沸き上がってくる無尽蔵の衝動こそがジュリアの行動の根源だったのだ。だがそれも、その衝動を実行しうる肉体あってこそである。 

 その時、彼女の眼前に現れたのは、走りながら二振りのナイフを構えるフィールの姿だ。


――お前は?!――


 疑問と驚きの声が沸き起こるが、その喉はすでに声を発する事ができない。

 それはかつて彼女が地の底へと叩き落としたはずの相手だった。片腕を引きちぎり、喉笛を潰し、完膚なきまでに破壊してビル外に廃棄したはずだった。それが今、ジュリアの眼前に居た。ジュリアの思考の中ではありえないことだった。

 しかし、そんなジュリアの耳にフィールの声が届く。


「停まりなさい! 日本警察です!」


 停まれという言葉を聞いて、ジュリアが停まったことは今まで一度もなかった。当たり前だ。そうなるように軍事産業という創造主が彼女を作り上げたのだから。

 今まで幾千の敵と戦ったろう。幾百の人間を殺戮しただろう。その行為の必然性を理解することもできぬまま、ジュリアは世界中の戦場を駆け巡ってきた。だが、ある日突然、創造主たちはジュリアとその仲間の存在を否定した。


 つまり〝法〟がジュリアたちノスフェラトゥを廃棄すると定めたためだ。

 解体され、溶鉱炉に叩き込まれる仲間たちを前にして、ジュリアを拾い上げてくれたのは誰であろう、あのディンキーだった。彼女に存在意義を与えてくれた聖なる主人、ジュリアが忠誠を誓うには十分だった。しかし、その主人ももう居ない。もうジュリアに存在意義を認めてくれる者はこの世界には居ないのだ。

 そして、再びジュリアの耳にフィールの言葉が聞こえた。


「停まりなさい!」


 その言葉とともに、フィールの両腕が振り抜かれる。そこから飛んだのは、猛火を噴いて飛翔する高精度・鋭利なスローイングナイフだ。

 ジュリアはそのナイフの輝きを目に思考を止めた。


「マスター――、ベルトコーネ――、ローラ――」


 2つの鋭利なナイフはその右胸と腹部深くに牙をむく。

 その体の奥深くまで巨大な亀裂が入り、体内の重要部分が破裂して行く。そして、ナイフの先端部分に仕組まれた微細な金属水素――電子励起され固定化された水素分子、それが固定を開放され炸裂する。


 ジュリアはその体内の内部から吹き飛ばされ、全身から火花が鮮やかに噴き上げた。

 今、まさに――ジュリアの瞳から光が消える。

 幾度かの破裂音が鳴り響いた後、彼女の体は完全に停止した。

 フィールはすぐに足を止め、頑強なる殺戮者の末路を確かめる。

 傍らではカレルが苦痛にその顔をゆがめている。その彼の右腕は肩まで無残に砕かれている。

 そして、ホプキンスとタイムが駆けよって介抱し、カレルは己れの宿敵の最後を確認しようと二人にその身を起こしてもらった。

 残響が消えた。確実に停止していた。

 そして、それと引き換えに安堵と静寂がおとずれた。

 フィールがカレルの容体を気遣って駆け寄る。


「終わったのか? 本当に、終わったのか?」


 カレルが柄にもなく弱々しく訊ねる。フィールはカレルに優しく微笑んで答えた。


「はい、もう終わりました」


 カレルは自分が10年ぶりに笑っていることにようやく気付いた。

 彼らはラビリンスを脱したのだ。


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