この状況で寝落ちってどうなのよ?
必要なものだけを配置したシンプルな内装の部屋。その部屋の中にはキーボードをたたく独特な音が響いていた。
しばらくの間その音が続くこともあれば、全く音がしないこともある。
画面の中では文字の羅列が続いたり、消えたりを繰り返していた。
「……休憩しよ」
画面に何も浮かばない時間がしばらく続いたころ、その部屋の主はそう呟くと部屋を出ていく。
学校の課題に煮詰まり、休憩のためにコーヒーを入れていると、先ほど届いたラインの内容を思い出す。
『飲みに誘われたから少し遅くなる』
同居人からのそっけないライン。もともと口数が多いとは言えない人なので、あの人らしいと言えばそれまでだ。
ただ、お酒に強いとはお世辞にも言えない人なので、明日が心配ではあるのだが。
俺がこの部屋に住むようになって4年になる。高校進学に当たり、ここの家主であり、幼馴染でもある彼を頼って上京。現在は専門学校で勉強をしている。
彼とはいわゆる恋仲という関係なのだが、彼はあまり性欲が強い方ではなく、それなりのスキンシップだけでも満足できるらしい。まあ、スイッチが入ればかなり積極的になるのだけど、滅多にない。
こっちは少々物足りない気分になるのだが、彼は彼で仕事もあるのであまりわがままを言うわけにもいかない。
その分、甘やかされている自覚はあるのだけれど、それとこれとは話が別だ。
課題の締め切りが近いというのに、いったい何を考えてるんだろうか……?
コーヒーを飲み少し落ち着いたところで、課題を再開。
指定された仕様書の内容にあうようなプログラムを組むという課題。最終的な形は見えているが、それを専用の言語に落とし込むのに時間がかかる。こういった作業にはいまだに馴れない。
しばらくして、ようやっと課題も終わりが見えたころ、玄関の鍵の開く音が聞こえた。どうやら帰ってきたらしい。
玄関まで迎えに行くと、お酒のせいか少々顔の赤い彼がいた。足元はふらついてはいないが少々危なっかしい。
「お帰り、大さん」
「ん、ただいま…」
本名は大輔さんなのだけど、前に一度大輔さんと呼んだらものすごく奇妙な顔をされてしまった。なので幼いころからの呼び名で呼ばせてもらっている。
荷物を奪い取り体を支える。もともと年相応には見えない顔が、酔っているせいか余計に幼く見える。
とりあえずソファに横たえると、水を飲ませるためにキッチンに行く…はずだった。
「どうしたの?」
「……」
身を起こした彼の手が、俺の手を摑まえて離さなかった。
「…」
そのまま手を引かれて、彼の腕の中に収められる。彼の少々高めの体温は熱があるのではないかと錯覚しそうになるが、もともと彼の平熱は高い。多少はお酒のせいもあるだろう。
そして、突然の行動に戸惑う俺は、心臓の音が彼に聞こえるのではないかというほどに動揺していた。
いまだに言葉を発しない彼に落ち着かず、抜け出そうと動いていたら締め付けが強くなったので大人しくすることにする。
「あの、だいさ…んぅ」
何の前触れもなく口をふさがれる。貪るようなそれは、俺の中身を吸い尽くそうとするかのように積極的で強烈なものだった。僅かに香るお酒の味。たぶん果実酒だろう。
正直な話、俺はあまりこのキスは好きじゃない。必ずと言っていいほどに酸欠に近い状態になるからだ。そのたびに、彼は「下手くそだなぁ」と笑いながらやり方を教えてくれるのだ。もっとも、酔っているせいか、今はそんな気遣いは一切ないが……。
「大さん…あの、せめてベッドに…」
「コタ、うっさい」
「ハイ……」
せめてものお願いは一蹴され、大人しくするしかない。もともと彼には頭が上がらないのだが、どうも悪い方向にスイッチが入ってしまったみたいだ。こうなった時は逆らわないのが一番だとよく知っている。
彼の唇は耳に触れ、耳朶を甘く噛む。その刺激はくすぐったさとはまた違う感覚で、何とも言えない。自然と、彼に回す手に力がもこる。
「んぁ…」
時折漏れる声に満足しているのか、彼の表情は楽しそうだ。だが、あえて言わせてもらえるなら、どう見てもいたずら小僧のそれである。
耳朶を噛んだ後、首筋に触れ…そこで少々重さが加わった。そして彼の動きも止まる。
「……?」
「すぅ~」
聞こえてきたのは、彼の寝息。
「……」
え?いや、嘘でしょ?こんな状態で寝落ち?一瞬ではあるけれど、彼を殴りたいと思ってしまうのは仕方のないことだと思う。
だって、ここまで積極的だったのは先週以来なのだ。あれから引っ付いたりとかはしてたけど、それだけじゃ物足りなくて、そんな時にこんなことされて、その結果が寝落ちなんて納得できないんだけど。
殴ってやろうかという考えも、彼の寝顔を見たら消える。それほどに穏やかな寝顔だったので。
けれど、この中途半端に放置される怒りはどこに向ければいいんだろうか。
それも含めて、一言言いたい。
「この状況で寝落ちってどうなのよ?」