母の思い。
シングルマザーの薄井幸子はボロアパートの一室で泣きながらとあるURLを打ち込んでいた。
幸子の願いはたった一つだった。
娘の命が助かること。
先日、彼女の六歳になる娘が学校で倒れた。
すぐに病院に搬送され、精密な検査をしたところ生まれつき心臓の壁が薄く、成長段階で破れることも考えられ十年生きられればいいという絶望的な状況だと告げられた。
幸子は娘を助けて下さいと必死に医師に頭を下げた。
しかし、医師が言うには日本ではドナーが少なく手術の見当が付かないらしい。
娘を救うには海外手術に賭けるしかなかったが、海外手術には莫大な費用がかかるとの事だった。
夫を事故で亡くし、片親で一介のOLでしかない幸子には貧しい母と子の生活を維持することはギリギリできても、病気の治療に当てるだけのお金を捻出することは不可能だった。
そこで幸子が目を付けたのが死亡保険だった。
多額の金を掛けて幸子が何らかの形で死ねば金が入る。
誰かに預けることは不安だが、前もって病院に支払いを済ませておけばその点もクリアできる。
幸子は鳴るべく自然死に近い方法で死ねる方法を探した。
そして、検索にヒットしたのが『死神たん』にまつわる都市伝説の数々だった。
幸子は元々恐がりである。恐がり故に死を人一倍恐れている。娘の死を何よりも恐れている。
幸子にとって苦しくない死亡方法は大事なファクターの一つだった。
そして死に神端野サイトに関する都市伝説でこんなのを見た。
死亡日時を入れれば後はその時刻に勝手に死んでいるという物だ。
それこそ本人も気付かないくらいにぽっくりと死ねる。
その言葉に幸子は一度そのサイトを覗いてみようと思った。
しかし、死神たんのサイトは美少女イラストがトップの怪しげなサイトだった。
幸子は急に今までの都市伝説が半信半疑になる。質の悪い悪戯だったんだとそう思い始めた。
走は思いつつも好奇心は止まらない。
幸子は死亡方法と追加オプション画面を一度確認する。
一番驚いたのは病死が設定できることだった。
病死は狙えないからこそ疾病保険があるというのに。
このサイトは本当に信用に値するのだろうか?
娘のために大嫌いな死を覚悟している幸子は、おいそれとタダで死んでくれるわけにも行かなかった。一個しかない命を簡単にBETできる方がおかしいのだ。
つまり幸子は死んで娘が助かるという確実な保証が欲しかったのだ。
幸子はサイトをくまなく見て『面談』がある事に気づいた。面談とは何だろうか?
……駄目で元々。幸子は三日後に『面談』を予約してみた。
幸子は三日の間。海外の病院や娘の病気などを必死に資料を集めて読んでいた。
もう幸子は勝手に死ぬことを決めている。会社に行く必要など無かった。
そして三日後、憔悴して髪もぼさぼさになった幸子の部屋のインターホンが鳴った。
ドアの小窓を除くと一人の少女が立っている。
『……死神たんデス』
ぼそっと短く言う少女を見て、幸子は悪い冗談だと思った。
あのネットサイトが少女の悪戯だったのではないかと思った。
「まぁ、疑うのは無理ねーデスよ。よくあることデスので。勝手に上がらせて貰うデスよ」
そう言うと少女は閉まったままのドアにめり込むようにドアを通過して入ってきた。
「……やはり窓ガラスを破る入り方が一番しっくり来るデスね」
「ひぃっ、ば、化け物!」
「……傷つく言い方デスね。今ここで殺してやってもいーデスよ。絞殺☆毒殺デストロイ、デス」
「……こ、来ないで」
「……おやおや、これはおかしな事を言うデスね? お前は死にたいから私を呼んだハズです。死を前に恐怖などは些事だと思うデスが? でも安心するといいデス。今日の所は死亡方法を決めるだけデスので、まずは死にたい理由から聞かせて貰えるといいデスね」
「お金がないのよ。だから仕方ないの!」
「……ほうほう。あなたは金のために命を捨てるのデスか? それはそれは勿体ない」
「馬鹿にしないでよ! これしか方法がないんだから! 私だって死にたくないんだから。私がもっとお金持ちだったら……」
「話にならないデスね。何の為に死にたいのか本質がわかってないデス。だからこっちが折角時間を割いてきたのにみっともなく生きたいと仰りやがるデス。ふざけた野郎デス。こちらは今すぐにでも命を絶ちたい者の予約で忙しいのにデスよ」
「五月蠅いわね! アンタに何がわかるってのよ!」
「おお、こわいこわいデス。それでは仕事があるデスのでこれで失礼するデスよ」
死神たんが去った後、幸子は泣き崩れた。幸子だって生きたいのだ。
幸子だって娘が結婚するところをこの目で見たいのだ。
しかし翌日、娘が再び倒れた。小学校から救急車で運ばれる。
娘は短期入院を繰り返して満足に学校にも行けていない。
幸子は自分がわがままを言って生きているせいで、娘がどんどん死に近づいていると思った。
幸子は点滴を受け、昏睡状態の娘に何度も情けない母でごめんなさいと謝り続けた。
……結局の所。幸子に選択肢など無かった。
幸子は踏ん切りを付けるべく方々保険会社に電話を掛けまくった。
そして再び死神たんのサイトに戻ってきた。
しかし、面談の項目は使用済みとなっており選択できなかった。
使えるのは『死亡日時予約』と『死因』のみ。
幸子は覚悟を決めた。『当日』で死因は『心臓麻痺』
――その五秒後だった。幸子の住むボロアパートの窓ガラスが破砕したのは。
「撲殺☆爆殺☆デストロイッ! 死神たん再び参上デス。どーやらヘタレがやっと覚悟を決めたよーデスね。何のための自己犠牲。ちゃんと理解した上での判断デスね?」
「……娘の将来のために。私を殺して」
「最初からそーいいやがれっていうんデス。それを金金といちいち回りくどいデス。手段と目的が逆デスよ。もっと物事ははシンプルイズデストロイデス。ヘタレなお前が頑張ったご褒美に最後にサービスで一つ願いを叶えてやるデスよ。言ってみるがいいデス」
「なら、あの子が成人するまであの子の講座に毎月私の死亡保険金を振り込んであげて欲しい」
「随分面倒くさい事を押しつけるデスね。お前は死んじまうから、しかたねーので着服もせずに大人しくいうこと聞いてやるデスよ。苦しまないように殺してやるからさっさと死んじまうがいーです」
死神たんは幸子の胸を大釜の柄でコツンとつついた。それと同時に幸子の心臓は動きを止める。
「……ありがとう、優しい死神さん」
幸子は崩れるように床に転がった。もう幸子が動くことは二度と無い。
「……私は優しくも何ともねーデスよ。優しいのは安らかな顔して死にやがったあんたデスよ。しかし……命を賭した母の愛デスか。しかし、娘はその事実を生涯知る事はないのデス。せいぜい娘に顔を忘れられねーといーですよ」
死神たんは静かになった亜ポートの一室を後にする。
――ほら、すぐそこでも死を求める声が死神たんを待っている。