第6講義
王弟アクアフレスカ公爵の王都屋敷に向かう馬車の中は、奇妙に沈黙していた。恰好がいつもと違うのはエルザだが、態度が違うのはルカである。おそらく、エルザの着飾った姿が思ったより似合っていて、目の前にいる人物が『エルザ』ではなく女性に見えたのだろう。女性恐怖症が発動しているとエルザは見ていた。
エルザも彼の症状を回復させよう、という面倒なことをするつもりはなく、相手が黙っているのならこっちも黙っているわ、とばかりに馬車窓から王都の風景をぼんやり見ていた。いや、意識がぼんやりと言うより視界がぼやけてるんだけど。眼鏡をしていないので。
「……エルザ」
「ん?」
唐突に話しかけられて、エルザは正面のルカに目をやる。彼はやや挙動不審であるが口を開いた。
「その……似合って、いる」
「ああ、うん。無理に褒めなくていいから。それと、言い忘れてたけど、ネックレスをありがとう。もらっていいの?」
「ああ。お前のために選んだ」
こういうことをさらっと言えるのに、どうして女性恐怖症で挙動不審になるのかエルザはいつも不思議である。
「それならありがたく。っていうかルカってさ、私より趣味いいかもしれないわ……」
エルザは趣味云々の前におしゃれに気を使わなさすぎなのであるが、その辺は割愛。
話しだしてしまえばエルザはエルザなので、ルカもだんだん口数が増えてくる。
「実はイヤリングとブレスレット、指輪とかも一式渡そうかと思ったんだけど、クラリッサに『引かれる』って言われて」
「うん。それは引くわ」
いきなりそんなものを渡されても困る。私にどうしろと? という感じになってしまう。
「自称センスがないエルザだけど、何が自分に似合うか、ってわかるんだろ。もう少し気を使ってみようとか思わないのか?」
世の中の女性はみんな外見に気を使うらしいぞ、とルカ。エルザは眼鏡のブリッジを押し上げようとして、今は眼鏡をしていないことを思い出して手を降ろす。
「時間がもったいない。規則に反していなければ、格好は何でもいいと思うんだ。むしろ私は男装して学会とかにも出たいくらいだ」
「いや……それは……うん。もしかしたら、似合うかもな」
エルザはそこそこ背が高いので、うまく化粧をして化ければ女顔の男にも見えるかもしれない。
くだらない話をしている間に、王弟の屋敷に到着した。ルカが招待状を見せると、門が開き、馬車が屋敷の中に入って行く。ルカの手を取り馬車から降りると、屋敷の前で厳格そうな侍女が出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました」
エルザの姿を見ても驚いた様子もない。ルカに届いた招待状には『イングラシア公爵を招待する。同行人は一人まで可』と書いてあっただけだ。遠回しに『エルザを連れてこい』と言われているとしか思えない。実際、ルカもエルザもそう解釈した。
侍女に案内されたのは屋敷のサロンだった。そこにはすでにアクアフレスカ公爵夫妻が待ち構えていた。あでやかな栗毛の女性が立ち上がって微笑んだ。
「いらっしゃい、エルザ。本当に来てくれるとは思わなかったわ」
「来いと言っているようにしか見えなかったけどね」
そんな口をききながらテレーザとエルザは抱擁を交わす。なんだかんだで仲の良い姉妹なのだ。
「あら、この髪飾り、まだつけてくれているのね」
「ああ……うん。まあね」
もらってから十年は経つ。物持ちがいいと言えば聞こえがいいが、他に付けるものがないとも言う。
「さすがに子供っぽいかしら。次の誕生日に別のをあげるわね」
「どうぞお気遣いなく」
もらっても使う場面が存在するか不明なのでエルザはあいまいに答えた。
テレーザは美人である。どちらかというとエルザと同じく父親に似ているので、アレシアのような派手な美人という感じではないが、栗毛に澄んだ茶色の瞳をした清楚系な美女である。だが、その存在感と言うか、性格はなかなかに強烈だ。
アクアフレスカ公爵夫人であるテレーザの夫、王弟リオネロは三十代前半の端正な顔立ちをした男性だ。明るい茶色の髪に澄んだ水色の瞳をしていて、テレーザと非常にお似合いだ。ちなみにこの二人、これだけの身分でありながら珍しく恋愛結婚である。
「それにしても、イングラシア公爵が本当に女性を連れてくるとは」
「本当にそうよね。イングラシア公爵はどうやってこの子を口説いたのかしら。それとも、エルザが押し倒したのかしら」
アクアフレスカ公爵夫妻の失礼な……というか、主にテレーザの失礼な発言に、エルザはツッコミを入れる。
「そんなことしないから。それからルカは私を盾にするな」
「はっ。無意識に」
細身だが長身のルカがエルザの背後に隠れていると言う結構シュールな光景であるが、アクアフレスカ公爵夫妻は微笑んだだけだった。代わりに、もう一組の招待客が辛辣に言った。
「エルザを盾にしても意味がないと思うんだけど」
「これが類は友を呼ぶと言うやつか」
「……ねえ、私、この二人似たもの夫婦だと思うんだけどどう思う?」
「激しく同意」
エルザが失礼なことを言ってきた夫婦を示して言った。ルカも大きくうなずき、聞いていないはずなのにテレーザとリオネロもうなずいたので、やっぱり似ているのだな、と思った。
「ええっ。ライモンドと一緒にしないでよ」
不機嫌そうに言ったのはアレシアだ。失礼な夫婦とはマルキジオ侯爵夫妻である。この二人は政略結婚であるが、わりと仲はいい。喧嘩した、などと言ってアレシアはたまにロンバルディーニ公爵家に戻ってきているようだが、しゃべるだけしゃべればすぐに帰って行くし。
マルキジオ侯爵ライモンドはアレシアのように言いたいことをズバッと言うと言うよりは、少々天然なところがある。その無神経なところは微妙にルカと似ている気がして、つまりエルザは、ルカとライモンドの方が似ていると思うのだ。
「とにかく、そう言う話は席についてからにしよう」
「そうよ。エルザ、こちらで話しましょう」
リオネロとテレーザがそう話を進め、エルザは姉に手を引かれて彼女の隣に座った。さらに反対側の隣にアレシアも座った。二人掛けのソファなので、かなり手狭だ。リオネロが一人がけ、ルカとライモンドは並んでソファに腰かけている。
「さて。今日は二人とも、来てくれてありがとう。たまに姉妹で話をしたくなるのよね」
「私は大学に戻って学会の準備をしたいけど」
テレーザのうれしげな開会宣言に対し、初っ端から水を差すエルザ。しかし、テレーザは気にした様子もなく笑う。
「まあまあ。少しくらいゆっくりしても大丈夫でしょう? エルザならぶっつけ本番でも平気よ」
「さすがにそれは無理」
下準備と言うのは大切なのだ。説明だけではなく、質問への回答も用意しなければならないから。
三姉妹が楽しげに話をしている向かい側では、それぞれの夫とルカがこちらもそれなりに話が合うようで盛り上がっている。三人とも同世代だが、やや年代がずれている。ちなみに、一番年下がルカになる。
「で、エルザはその教授の説明に納得がいかなかったみたいで、『事実検証する!』って言って時計台に上ってボールを投げようとして……」
「っておいちょっと待て。何の話してんのお前!」
学生時代の黒歴史を暴かれそうになっていることに気付いたエルザはティーカップや菓子の置かれたローテーブルに手をついて身を乗り出し、ルカにつかみかかろうとした。しかし、眼鏡をしていないためか目算を謝り、バランスを崩した。
「っと。大丈夫?」
「ああ、ありが……じゃなくてお前、今、何話してた?」
支えてくれたのがルカだったので、エルザはその不安定な体勢のままルカの襟首をつかんだ。もちろん、ルカが支えているからできることだ。
「はいはい。痴話げんかは後にしなさいよ」
アレシアがそう言ってエルザを後ろから引っ張ってソファに戻した。実はあの体勢から元の位置に戻れなくなっていたエルザは素直に礼を言った。
「ありがとう」
「仲がいいのはいいことだけど、ほどほどにね」
テレーザも苦笑を浮かべて言った。エルザの変人話は先ほどルカが披露していたので、リオネロもライモンドもエルザの奇抜な行動に軽く笑っただけで終わった。
「まあ、天才には変人が多いっていうし、エルザ教授の行動なら許容範囲だろう」
などとさりげなく失礼なことを言ったのはルカではなく、アレシアの夫ライモンドだ。本当に無神経。
「ちょっとライモンド。さすがにそれはないわー。確かにエルザは変わってるけど」
「それにエルザは准教授で教授じゃないですよ」
「ルカ、それは別にいらない情報」
ぷりぷりずれたところで怒るアレシアに、生真面目にツッコミを入れるルカにさらにツッコミを入れるエルザ。確かにエルザは准教授であるが、大学教員を呼ぶ呼称として『教授』が広く使われるので、呼称としては間違っていない。肩書としては間違ってるけど。
「仲良しだね」
リオネロがそう言ったが、それがどの組み合わせを指しているのか、それとも四人全員を指しているのかはさすがにわからなかった。
「それで、エルザ」
ちょうど落ち着いてタルトをほおばっていたエルザは口の中のものを飲みこみ、紅茶を飲んでから名を呼んできたテレーザに「何?」と尋ねた。
「どうしてエルザとイングラシア公爵が付き合うことになったのか聞いてみたいと思って」
テレーザの邪気のない、しかし核心をついた質問にルカが咳き込んだ。一方、動揺のかけらも見えないのがエルザである。
「まあ、利害が一致したと言うか」
「まあ……エルザもさすがにそろそろ結婚したいと思った?」
「そう言うわけでもないけど」
テレーザの発言を一蹴するエルザ。彼女が言う利害とは、偽装恋人がほしいルカと、研究資金が欲しいエルザの思惑が一致したことを意味するから、テレーザが思っていることとは少し……いや、だいぶ違うだろう。
アレシアにはざっくり事情を説明してあるのだが、どうやらアレシアはテレーザに事実を伝えていないようだった。そのアレシアがにっこり笑う。
「まあテレーザ。その辺は気長に聞き出して行けばいいわよ。それよりエルザ。うちの子たちに勉強教えてあげてくれない?」
「ああ、それはぜひうちも頼む」
アレシアの頼みにリオネロも便乗して言った。まあ、勉強を教えるのは構わないが、あからさまに話を逸らしたアレシアが何を考えているのかと思うと、ちょっと怖い気もするエルザだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
作中でも言ってますが、ルカは男性陣の中で一番下。ライモンドとリオネロは30代なので。