補講13
難産であったので、エルザはそのまま体調を崩すかと思われたが、そんなこともなく、順調に回復していた。赤子の方も順調である。よく乳を飲み、よく眠る。今のところ両親どちらに似たのかはよくわからないが、なかなか整った顔立ちをした子だと思う。まあ、親ばかの可能性は否定できないが。
使用人たちにもかわいがられ、エルザの現実的な部分が、将来ろくでもない大人にならないだろうか、とちょっと不安になっている。
産後、順調に回復したエルザであるが、さすがに大学に復帰はしていなかった。そこまで体力が回復していないし、今子供と離れるのはさすがに嫌である。ずっと見てきたロザリアたちの卒業を見られないかもしれない、というのが心残りであるが……。
「かわいい~。ちっちゃぁい」
「さすがは先生と公爵の御子さん。すでに美人」
ベビーベッドを覗き込んでいるのは、件のロザリアとイラリアである。彼女らは、イングラシア公爵邸を訪れていた。エルザも特にやることがなく、彼女らを招き入れた。もちろん、ルカの許可は取ってある。
といっても、この二人、二人だけで来たわけではない。彼女らには後輩にあたり、エルザの弟でもあるダニエレを連れてきていた。妙なところで知恵のまわる彼女らは、エルザの弟を連れて公爵邸に来たのである。公爵夫人の弟がいれば、追い返される可能性は低いと見たのだろう。
「せんせ~。お子さんのお名前、何でしたっけ」
ロザリアに尋ねられ、エルザは応える。
「レネだけど……二人とも、卒論は出したの?」
「レネちゃん! 大丈夫ですよ。出しましたもん」
「卒業試験も、あとは結果待ちですし」
どうやら、二人とも卒業に必要なことはすべてこなしてから来たらしい。まあ、エルザがレネを出産した日から約一か月たっているし、確かに卒論提出時期も卒業試験の時期も過ぎている。
「僕は来月から試験なんだけどね……」
と、ダニエレは苦笑している。エルザは斜め向かいのソファに腰かける弟を見た。
「お前は……大丈夫そうだな」
「まあ一応ね……」
と苦笑するダニエレは二回生だ。そろそろ授業も難しくなってくるだろうが、彼は今のところ優秀な成績を修めているらしい。さすがはエルザの弟と言われて、彼は苦笑しているそうだ。
「でもエルザが人の親になるとは思わなかった……」
「結婚した以上はこういうこともあるとは思っていたけど」
と、エルザはダニエレの言葉に肩をすくめた。思っていると言うのは、理解していると言うこととはまた別の話だ。
レネがふえふえ、と力のない声で泣き始めた。その泣き方がまたかわいらしくて、その場にいる四人の頬も緩む。
「かわいいぃぃぃっ」
「力抜ける……」
女子二人が相好を崩す。まあ、可愛いのは認める。ダニエレが「ほらお母さん、泣いてるよ」と笑いながら言った。エルザは立ちあがり、ベビーベッドに近寄る。
「ほら、レネ。どうした?」
抱き上げて軽く背中をたたく。ふええぇぇ、と泣き続けるレネは、やっぱり可愛い。親ばかが入っている自覚は、ある。
ダニエレたちが来る前にミルクはあげたのでおなかがすいているわけではないだろうし、おしめも大丈夫だ。知らない人に見つめられ、緊張したのだろうか。
一応、エルザが母親だとわかっているらしく、レネはエルザに抱き上げられると泣き止み、すよすよと眠り始めた。エルザはレネの背中をたたき、ベッドに戻した。女子二人から「おお」と声が上がる。
「やっぱりお母さんなんですね」
「様になってる」
「……まあ、ダニエレをあやしたこともあるからね」
「え、マジ?」
しれっと暴露したエルザに、ダニエレは驚く。こいつは自分とエルザの年の差をわかっているのだろうか。十歳も年の差があればあやしたことくらいある。
レネをめでるのが一段落し、エルザは客人にお茶を出した。まあ、実際に出したのはカティヤだが。
「やっぱり可愛いですねぇ。今のところ、公爵似?」
「髪の色は先生に近いですけど」
ロザリアとイラリアが口々に言う。まあ、子供のころは髪の色彩が薄い、というのはよくあるので、これから濃くなってくる可能性もある。
「そう言えば、相当な難産でルカさんがめっちゃ取り乱したって本当?」
ダニエレが尋ねた。誰だろう。こんな情報を漏らしたのは。
「いや……私も後から聞いたから正確には知らないんだけど。仕事に行っても役に立たないからって追い返されたみたいだね」
いないところで話題に上るルカ。まあ、動揺の原因はエルザにあるので、あまり強く言えない。
「ルカさんでも動揺することってあるんだね……」
「基本的にやつはポンコツだからね」
と、エルザはそう言うのだが、そう言うと、たいていの人は「それを言えるのはエルザだからだ」と言う。ダニエレたちの反応も似たようなものだった。
「外から見てる私たちには想像できませんけど」
「先生が愛されてるってことですよねぇ」
と、ロザリアとイラリアが楽しげに笑う。ダニエレも苦笑を浮かべた。
「でも、エルザって真顔で冗談言ったりするし、本気なのかちょっとわからないよね」
などと、相変わらず結構失礼である。まあ、エルザの性格にも問題があるのだろうが。
「大学の方はどう?」
「先生が結婚して妊娠して出産したと言うことに、界隈がざわついてます」
「実は先生のこと狙ってた人もいたみたいですよ」
イラリアとロザリアが楽しげに言った。エルザとしては「そうなの……」としか言いようがないのだが。
「僕のところに事実確認しに来る人もいたよ。……あ、このお菓子、おいしい」
ダニエレはとてもマイペースである。
「でも、私ら先生から卒業できないんだね」
「ちょっと残念だよね」
と、女子二人。エルザは「それについてはすまん」と謝る。
「私もできれば、お前たちのことは最後まで見たかったんだけど」
「あ、いいんです。気にしないでください」
「そうですよ。おめでたいことなんですし」
と、ロザリアもイラリアも笑う。エルザより八歳も年下の彼女らだが、よくできた子たちだと思う。
卒業式くらいは見に行けたらな、と思う。今は体力も落ちているので卒業式などに出ようものなら倒れてしまう気がする。卒業式まであとひと月半ほど。……たぶん、大丈夫。無理そうならルカを同行させよう。むしろ、勝手についてくる可能性もあるけど。
とりあえず、これからエルザは体力づくりをしておこうと思った。結婚は遅かったものの、まだエルザも三十歳だ。また子供ができないとも限らない。また難産になるのはごめんである。
「イラリアは卒業したら結婚するんだっけ。ロザリアはどうするか決めた?」
大学に女子学生は圧倒的に少ない。そして、女子学生のほとんどが大学を卒業したら結婚する。むしろ、学生の間に結婚してしまう子もいるくらいだ。
その次に多いのが宮廷官僚になるパターンだ。女性で宮廷勤めをしようと思ったら、大学を卒業している方が有利なのである。まあ、外向きの仕事に女性が使われることはまだ少ないが、内政関係なら女性官僚はそこそこいる。
「私はこのまま大学に残って研究を続けたいなと」
と、ロザリアは笑ってエルザを見る。
「それで、先生が戻ってきたら、助手にしてほしいな~って。駄目ですか?」
「……その聞き方は卑怯」
エルザはため息をついてティーカップを手に取った。その瞬間、またレネが泣きだした。
「やっぱり泣き方可愛い~」
イラリアが顔をほころばせる。レネを抱き上げたエルザに、ダニエレは控えめに主張した。
「こんな時に言うのもアレだけど……僕も抱っこしたい」
「……いいけど、おしめ替えるから待って」
もう二十歳の青年であるが、こういうところは末っ子気質だなと思った。
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さりげなく次で最終話。




