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第4講義









 空になったバスケットを持ったのはやはりルカだった。中身はほとんど彼の腹の中に納まった。長身だが痩躯である彼のどこにあれだけの量の食事が消えたのか不思議である。食べても太らないとか、うらやましい。

 エルザとルカはその足でボートの貸し出しをしている船着き場の小屋に向かった。そこには初老の男性がいて、貸出簿を記入しながら微笑んだ。


「ご夫婦で、仲がよろしいですね」


 思わずエルザとルカは顔を見合わせてしまった。男性は貸出簿を書くと、ボートを固定している南京錠の鍵をルカに渡して「楽しんできてください」と送り出した。

 ボートをつないでいる鎖を固定している南京錠を開け、まずルカがボートに乗り込んだ。続いてエルザが身軽にボートに飛び乗る。少しよろめいたが、ルカが支えてくれたので水に落ちることは免れた。

 船着き場を押してボートを押し出したのはエルザだ。オールはやはり、小屋で借りたもの。ボートが湖を少し進んでから、エルザは口を開いた。


「考えてみれば、お前はともかく、私はとうが立ってるから、夫婦に思うのが自然なんだよな……」


 エルザくらいの年齢の女性は結婚している人がほとんどだ。彼女はどう贔屓目に見ても二十歳そこそこのうら若き少女には見えない。所作が落ち着いているせいで、昔から大人びて見られたし。

 そんな女性が同年代の男性と一緒にいれば、夫婦だと思うのが自然だ。エルザだってそう思うだろう。

「兄妹というには似てないからな、私たちは」

「そうだね……資金に釣られて安請け合いしたけど、私、刺されたりしないかな」

 アレシアも言っていたが、いま目の前でオールをこいでいるこの男は、今、結婚市場で結婚したい独身男性ナンバーワンなのだ。お近づきになりたい女性はいくらでもいるだろうし、そう言う女性の恨みを買うのもエルザになる。


「そのあたりは私も気を付けるが、そう簡単に刺されるようなやつじゃないだろう、エルザは」

「まあ、か弱いお嬢様にぶすりとやられるほど軟ではないね」


 しれっとルカの言葉に同意を示すエルザだった。ルカはオールをこぐ手を止めて休憩しながら言う。

「今から考えると突拍子もないことを考えたと自分でも思う」

「ああ、突拍子もない自覚はあるんだね。まあ、偽装恋人ってのはなかなかいい案ではあると思うけど、もう少し自分に釣り合う女性を選べばよかったんだよ」

 エルザは以前にも言ったようなセリフを言って、澄んだ湖に視線を落とした。眼鏡が落ちないようにブリッジを押し上げる。そう。せめて眼鏡をかけていない女性とか。

「私としては、エルザと話しているときが一番楽しいんだが」

「何それ頭大丈夫? 私、自分でもかなり浮世離れしている自覚があるんだけど」

 世間のことには疎いし、こうして男性と二人でいるときにどうすればいいのかもわからない。まあ、エルザがルカを男として認識していないせいもあるだろうが。それに、一人ではドレス選びもままならない。


「お前は何を言ってもはっきり言い返してくるだろ。それに、お前は私より頭がいいからな。返答が打てば響くようで心地いい」

「……そうかい。私も変人だけど、ルカも相当変わってるよね」

「そうかもな」


 何となく二人で顔を見合わせて笑い、ルカは再びボートを進め始めた。


「だから、誰かに恋人のふりを頼もう、と思ったとき、エルザしか思いつかなかった」

「そもそもルカって、私以外に親しい女友達っているの?」


 念のため聞いてみたのだが、ルカは「こんなことを頼める友達はいないな」と答えた。まあ、そうだろうね。普通は怒るよ。

 と、思うと、資金に釣られたとはいえ自分が心の広い人間に思えてきた。エルザはぐっと伸びをしたが、その拍子にボートが揺れた。

「エルザ!」

「ごめん! わざとではない!」

「わざとだったら殴ってる」

「お前、ホントに私のこと女だと認識してないだろ」

 いつも通りのセリフを吐いた後に、エルザは続けた。

「この際私のことを女だと思ってなくても、夫婦だと勘違いされてもいいからさ。今度は本屋に行こうよ。それと、新しくできたと言うバールにも連れて行って。一人では入りづらい」

「お前、バールとか貴族の女性が行くところじゃないだろ。お前らしいけど」

「いいだろ。興味あるの。ルカが一緒なら大丈夫かなって」

 この辺り、エルザがルカを信頼しているあかしである。ボートがゆっくりと船着き場に停泊した。先にルカが降りて、ルカがエルザの手を引いて岸に引き上げた。


「……まあ、こっちも偽装恋人を頼んでる身だし、連れて行ってやるよ。だから一人で行くなよ」

「そこまでの度胸は私にもないよ」


 エルザはそう言って軽く苦笑を浮かべて。ルカはまだ疑っているようでこちらをじろっと見てきたので、軽く足を蹴っておいた。


 そのまま遊歩道を歩いていると、いい時間になったので帰宅準備に入る。帰宅、と言っても、エルザが帰るのはフィユール大学だ。

 フィユール大学は大学自体が一つの街を形成しているが、中に馬車が入ることはできない。道が細いからだ。そのため、エルザは今朝ルカに拾ってもらった校門から少し離れたところで下してもらった。

「ありがとう。結構楽しかった」

「私もだ。またよろしく」

「連れて行ってくれるならね」

 と、結構出不精なエルザの返答であった。校門をくぐり、寮に戻ると女学生たちが出迎えてくれた。


「あ、先生おかえり~。デート?」

「お帰りなさい。パニーノもスフォリアテッレもおいしかったです。御馳走様でした」


 興味津々とばかりに女学生たちが話しかけてくる。まあ、今日のエルザは目に見えてめかしこんでいるので、尋ねたくなる気持ちもわかる。

「友達と出かけてきたんだよ。私が作っていったものは全部食べた?」

「食べた食べた。おいしかったですよ。で、友達って男の人ですよね」

 ごまかされないぞ、とばかりに女学生が身を乗り出してくる。もう一人の女学生は控えめに笑っているが、その瞳は好奇心に満ちていた。


「大学にまでいったら、君たちだって男友達の一人や二人、いるでしょ」


 かわすようにそう言ってエルザはキッチンに入って行ったが、二人の女学生もついてくる。

「ええー。でも、結構な美形だったじゃないですか」

「というより、イングラシア公爵でしたよね」

 ズバリと一緒に出掛けた相手を言い当てられ、エルザは思わず舌打ちしてしまった。

「そんなに嫌なんですかぁ。結構お似合いだって思いましたけど」

 女学生がにやにやと話しかけてくる。エルザはバスケットの中身を出しながら「からかわないの」と素っ気ない。

「交友関係は自由でしょ」

「うん。わかってる。結局デート?」

「……」

 しつこいな、この子。エルザはマグや水筒を洗いながら「あっちの心もち次第だね」と答えた。きゃあっとなぜか女子学生たちが盛り上がる。


「それって、先生はイングラシア公爵のことが好きってこと?」

「学友なんですよね。先生にもそう言うのあるんだ~」


 だんだん面倒くさくなってきたエルザは「そうだよ悪かったな」と適当に返事をしてあしらった。


 だがまあ、女子学生たちの興味は次々移ろい行く。彼女らは次はあれを作ってほしい、などと希望を出してくる。それにも適当に返事をしながら、やっぱりなめられているな、と感じるエルザである。

 その後もルカと出かけたりはしたが、そろそろエルザが試験期間に入り、忙しくなってきたのであまり遠出はしなくなった。近場、というか王都ゾラをうろつくことが多くなった。運河沿いを歩いているだけでも結構楽しい。

 専門書も手に入ったし、バールにも連れて行ってもらった。専門書以外にも装飾品を買ってもらったりして、ちょっと申し訳ない気もするエルザである。学生たちにも「先生最近美人になった?」とよくわからないことを言われる。ちょっと装いが変わっただけだ。それでも、やっぱり学内では堅苦しい素っ気ないドレス姿なのだが。よく出かけるようになったからだろうか。


 大学の試験期間が終わればそのまま社交シーズンに入る。大学の最高学年の学生たちは、卒業試験に合格すればそのまま卒業と言うことになる。

 社交シーズンが近付くにつれ、王都の人口も増す。領地にいた貴族たちが戻ってくるからだ。エルザの両親も戻ってくると手紙が来ていた。

 王都郊外にあるフィユール大学には直接関係ない人口増加であるが、人が増えるからこそ、この社交の時期に学会が開かれる。そのため、エルザは学会での論文発表の準備に取り掛かっていた。学生の試験と同時進行なので、結構忙しい。


 そのため、ここしばらくはルカと出かけることもせず、時々やってくるルカと話をするくらいだったのだが、ルカが学内にいるところを多数目撃されており、結構噂になっていた。エルザの研究室ではなく大学街の中にあるカフェなどで会うことが多かったが、その日のルカは、エルザに偽装恋人を頼みに来たときのように研究室に突撃をかけてきた。


「エルザ! 大変だ!」

「こっちも大変なんだよ。あと、ノックしろって言ってるだろ」


 自分の論文発表の為の資料作りをしていたエルザは突然入ってきたルカに動揺も見せずにそうツッコミを入れてのけた。ルカの方もツッコミを気に留める様子もなく後ろ手に扉を閉めて研究室に入ってくる。

「それはまた今度! それより大変だ!」

「まあ、とにかく座れば? お茶は出さないけど」

 エルザは向かい側のソファを示して言った。大量の本がソファを占領しているが、ルカは慣れた様子でソファの上の本をどけて座った。エルザは自分の背後で震えている助手の女性に声をかけた。

「サビーナ、こっちはいいから、この本を返してきて、三十分くらい休憩してきな。その間にこっちを何とかしておくから」

「は、はい」

 助手のサビーナはエルザから本を受け取ると「失礼します」と言って研究室を出て行った。おそらく、彼女からまた根も葉もない噂が広がるだろうが、まあ、それは放っておこう。どうせみんな、すぐ飽きる。

「それで、お前はどうしたの」

「……これが届いた」

 と、ルカは震える手で一通の封筒を差し出してきた。その紋章を見て、エルザは「おお」と声を上げる。


「嫌な予感しかしない紋章だな」


 王族……しかも、国王の弟、つまり、王弟が使用している紋章だった。エルザの姉が、王弟アクアフレスカ公爵に嫁いでいる。


「っていうことは……やっぱりテレーザからか」


 エルザは中の手紙を開いて一読し、ルカの「大変」の意味が分かってため息をついた。












ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


年齢的にエルザとルカは夫婦に見えると思うんです。


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