補講11
個人的意見なので、同意できないところもあるかと思いますが、フィクションですので多目に見てください……。
この時代、のちにいう産休制度などはないが、年明けからエルザは休職することになった。初めての妊娠で、身も心も不安定なのである。
辞職しないといけないかな、と思っていたので、休職ですむのはありがたい。出産後、しばらくしたら復活する予定だ。まあ、エルザの体調が良ければだが。
大体、春ごろに生まれる予定である。さすがに少し腹も膨らんできた。まだ服の上からではわからないけど。ついでに、ここぞとばかりにルカが甘やかしてくるのでちょっとうっとおしい。これはいつもか。
ルカも屋敷の使用人たちも嬉しそうにしているので、エルザもなんとかうれしいと思い込もうとしたが、無理だった。もやもやとするエルザの元を訪れたのは、ルカの母ロレーナだった。正確には、エルザの義父にあたるジョットが宮廷に召喚されたので、それについてきたらしい。
「子供が出来たそうね。おめでとう」
「……ありがとうございます」
形ばかりに返答したエルザに、ロレーナは目を細めて優しく微笑んだ。
「うれしくなさそうね?」
「そう言うわけでもないんですけど……」
「マタニティブルーと言うやつかしらね。とりあえず、座りなさい」
ロレーナに言われて、エルザは素直にソファに座る。妊娠してから座れ休めと言われ続け、ごねずにすんなり言われたようにするようになってしまった。
「周りが嬉しそうにしているのが、逆に不安なのでしょう。素直に喜ぶには、不安が大きすぎると言ったところかしら」
「……」
ロレーナの言うことは、ほぼ正確にエルザの心情を表していた。とにかく、エルザは不安なのだ。
「なんていうか……自分でもよくわからないんですけど」
「うん」
ロレーナがエルザの背中を慰めるようにさする。エルザは口を開いた。
「まさか子供ができるとは思わなくて……いや、一応可能性は考えてたんですけど。でも、まさか本当に……。そもそも三十近くになって結婚するなんて思わなかったし、自分が人間としてできてるとは思ってないから、母親になるのかと思ったら、どうしていいかわからなくて」
賢者会議に招集されるような学者であるエルザだが、言っていることがむちゃくちゃだった。支離滅裂である。だが、ロレーナは相槌を打ちながら聞いてくれる。
「何がって、正確には言えないんですけど。とにかくすべてが不安で、怖いんです」
「そうね……何となくわかるわ」
ロレーナが言った。彼女は微笑んでエルザの頬を撫でる。
「わたくしも初めて母親になると思ったとき、とっても不安だったのよ。自分なんかが母親になっていいんだろうかって」
大体の母親となる女性が、これを経験するらしい。父親側と違って、母親は自分の身の中で子供を育てる。守らなければならない。自分が母親になるのだと嫌でも自覚する。
「わたくしの息子は能天気だから。そのあたり、気づかないでしょうね。ま、わたくしの夫も気づかなかったのだけど」
と、ロレーナはエルザの頬を指先ではじいた。ルカののんきさは父親似らしい。エルザ自身も『謝る気はないか』と何度か言ったことがあることを思い出した。
「ルカはあなたを愛しているから、いろいろ気を使ってくるでしょうけど、気にしなくていいのよ。今まで通りに接すればいいわ。相手が気を使ってくれるからって、自分も気を使う必要はないわ。例えばさっきだって」
そう言われて、エルザは『さっき』を思い出す。……どれのことだろうか。
「さっき、わたくしに勧められて何も言わずにソファに腰かけたでしょう」
エルザはそう言えば、と思い出す。言われてみればそうだった。
「……失礼します」
「そうじゃないわよ。ちょっとずれてるところがルカと合うのかしらね」
と、ロレーナは結構ひどい。しっかりしているのにね、とロレーナは微笑む。
「ルカはあなたの不安の原因をわかっていないでしょうけど、不安を感じていることはわかっていると思うわ。だから気を使うし、気を使われているのがわかるからあなたも相手に気を使う。だから余計にストレスがたまるのね」
お互いを思いあっているから、ちょっとすれ違ってしまったのね、とロレーナは言った。
「大丈夫。そうやって悩めるあなたは、きっといい母親になれるから」
抱きしめてくれるロレーナにすがりついて、エルザは涙をこぼした。ぽろぽろと涙を流す。ロレーナはエルザの背中を撫でる。
泣いて泣き疲れてきたころ、ロレーナがエルザの背中をポンポンと叩く。
「落ち着いた?」
「はい……。でもちょっと気持ち悪いです……」
妊娠中期に入ると落ち着く人が多いらしいが、エルザは相変わらずだった。微妙に気持ち悪い状態が続いている。今は空腹で気持ち悪いのか微妙なところであるが。
「あらあら。でも、赤ちゃんが元気な証拠ね」
ロレーナは微笑んでエルザの腹を撫でた。さすがに座るとおなかが膨らんでいることがわかる。
エントランスのあたりが騒がしくなる。どうやら、ルカとジョットが帰ってきたらしい。
ロレーナがわざわざ出迎えることはないと言うので、エルザはルカとジョットがやってくるのを待った。
「戻ったぞロレーナ」
「お帰りなさい」
ロレーナが立ち上がってジョットと抱擁を交わした。ジョットはそんな彼女に両の頬にキスをする。さすがに夫婦をしている年数が違うと思った。
「お帰り」
「ああ。ただいま」
エルザは立ちあがらずにルカに声をかけた。ちょっと悪い気もしたが、気分が悪いので立ち上がる気力があまりない。
「……体調は大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ちょっと気持ち悪いだけ」
「それは大丈夫とは言わないと思うが」
エルザは肩をすくめた。これが通常状態になっているので、あまり気にならなくなってきているのかもしれない。
「大丈夫だよ。ルカは気にし過ぎ」
誰かが言っていたが、妊娠は病気ではない。ある程度普通に生活できる。
「そう……なんだろうが」
と、ルカは不安げだ。エルザは苦笑する。ロレーナに話を聞いてもらったからか、少し心が晴れやかだ。
「じゃあ、食堂まで連れてってよ」
とエルザは冗談のつもりで手を差し出す。引っ張って立たせてくれるかと思ったら、よいしょ、と抱き上げられた。その掛け声は余計である。
「仲いいなぁ」
「まだ新婚ですからね」
などとエルザの義理の両親が話している。エルザはルカの肩に手をついて体を支える。
「重くない?」
「いや、覚悟したほどではない」
「つまり、覚悟しないと持ち上げられなかったってことだね」
自分でも体重が増えている自覚はある。いや、増えないとだめなのだが。ちなみに、健診に来てくれる医師にはもう少し太れと言われる。
「夕食、食べられそうか?」
「食べられなくても食べるしかないだろ」
エルザは苦笑して答えた。三十路近い二人であるが、やっていることは年若い恋人同士のよう。でもよく考えたら新婚だ。
「楽しそうでいいけれど、わたくしはおなかがすいたわ」
「そうだな。そのままでいいから、こい」
と、ロレーナもジョットも息子夫婦を呼んだ。そのままでいいからって。
「……怖いからおろしてほしいんだけど」
「落とさないぞ?」
「いや、さすがに信用できない」
頭脳的には信用しているが、体力面では全く信用していない。何度か抱き上げられたことはあるし、落とされたことはない。だが、怖いものは怖い。今は特に妊娠中なので怖い。
というわけでそっとおろしてもらった。ルカに寄り添ったまま床に足をつく。
「どうも」
「いや……」
と答えるルカの顔がちょっとすねているような気がした。エルザは思わず笑みを浮かべる。
「そんな顔しなくてもいいだろ」
「……ちょっとショックだった」
「はいはい」
エルザがよしよしとルカの頭を撫でる。ルカはじっとエルザを見つめた。
「お前は機嫌がいいな」
「悪い?」
「いや。ずっと調子悪そうだったから、よかった」
そう言うルカはやはり性根が優しいのだろう。まじめでストレートな物言いをするからたまに言動が失礼だけど。
「お義母様が偉大だからね」
エルザはロレーナの方を見て笑った。ロレーナも笑い返す。
「ほら公爵。わたくし、おなかがすいたと言ったでしょう」
「あ、はい」
ルカ、ロレーナの前ではとても素直だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
まあ、賛否両論あるかと思いますが広い心で見ていただけると……うれしいです。




