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補講10

まあ、こういうことになりますよねー。











「ちょっと先生。起きてください」


 肩を揺さぶられてエルザは目を覚ました。くあっと伸びをする。どうやら、机に突っ伏して眠ってしまったようだ。エルザをゆすり起こしたサビーナが雪崩を起こした資料を拾いながら言う。

「最近多いですね。体調悪いなら見てもらった方がいいですよ」

「いや……医者に行くほど調子が悪いわけじゃないんだよね。ああ、ごめん。ありがとう」

 資料を束ねて手渡してくれたサビーナに礼を言い、エルザは眼鏡をかけ直す。


「眼鏡まで外して。寝る気満々だったんじゃないですか……」

「いや、少しのつもりだったのだけどね」


 そういってため息をつく。いや、本当に少しのつもりだったのだ。結局、長く寝ていたことになるけど。

「じゃ、ちょっと講義行ってくるわ」

「わかりました。でも、講義終わったらお医者さんに見てもらいましょう。顔色悪いですよ」

「ええ~。寝れば治るよ」

「そう言ってもう一か月くらい経ってるんですけど!」

 と、サビーナにつっこまれ、さしものエルザも肩をすくめた。いや、実際その通りだったので。だましだましやってきたのだが、よくなる気配はない。


「万が一先生が倒れたりしたら、イングラシア公爵になんて言って責められるか!」

「……たぶん、泣くんじゃないかなぁ」


 何となく見た目がクールなので鬼畜的な印象があるらしいルカだが、その実情はポンコツである。そう言えば、怒ったところも見たことがない気がする。エルザも感情の起伏が少ない方だが、それにしてもルカは気性が穏やか過ぎる気がした。

「怒るんでも泣くんでもどっちでもいいですけど、とにかく診察受けてくださいね」

「はいはい」

「なんならお医者さん、呼びますけど」

「……自分で行ってきます」

 さすがに呼びつけるのは悪い気がした。フィユール大学には医学部もあり、医者も常駐しているが、少し距離がある。大学内を走る馬車を捕まえるしかないだろう。


 とりあえずエルザは講義に向かう。その精神力と意地を持って講義を終えると、サビーナに研究室を任せて診察に行った。そして、顔なじみの医者に衝撃的なことを言われて自分の研究室に帰ってきた。

「あ、先生おかえりなさい。ちゃんと診察受けてきました?」

「ん。ああ。まあね」

「風邪でした?」

「いや……」

 エルザは少し視線をそらして言った。


「妊娠してるみたい」

「……えっと」


 サビーナが反応に困った。エルザ自身も反応に困っているから、仕方のない話だ。

「そ、それは、おめでとう、ございます……?」

「ありがとう」

 本当に、反応に困る。

「一応ルカに連絡入れたほうがいいかな」

「そりゃあそうでしょう! っていうか、何ヶ月です?」

「三か月くらいって言ってたかな」

「……がっつり社交シーズン中の子ですね」

 サビーナが苦笑気味に言った。エルザは彼女に「仕事はいいから手紙書け!」と言われて、ルカ宛の手紙を書いている。だが、なんと書けばいいのかわからず、エルザは少し悩んでから簡潔に用件だけ伝えることにした。ルカは王都のイングラシア公爵邸にいるので、明日には届くだろう。

「そして、先生は調子悪いんならもう帰ってください! 急ぎの仕事、ないですよね!」

「ないけど」

「じゃあ、ここは私が片づけときますので」

 と、サビーナはエルザを追い出しにかかる。エルザは「えー」と反論。

「別に病気じゃないし」

「悪阻ですよね。先生の子ってことは、たぶん、イングラシア公爵家を継ぐはずの子ですよね。私、こんなところで不敬罪に問われたくありません!」

「いや、不敬罪は王族を侮辱したときに問われるものであって……ああもう。わかったよ」

 あまりにサビーナが必死なので、エルザが折れた。珍しいことである。体調がすぐれないのは本当であるし、悪阻であるとわかったらなんだか気持ち悪くなってきた気もする。


 帰ると言っても、エルザが帰るのは大学内の寮だ。一応夕食を食べて早めに就寝したエルザであるが、翌朝には普通に研究室にいた。

「……先生、何してるんですか?」

「おはようサビーナ」

「おはようございます……じゃなくて! 寝てなくていいんですか?」

「平気だって」

 というエルザ。ちょっと気持ち悪いくらいで自覚症状がないのがまずいのかもしれない。いや、自覚症状はあるのか。ただ、妊娠したと言う認識が薄いだけで。


「もうっ。イングラシア公爵に連れて帰ってもらいますよ!」


 サビーナがぷりぷり怒りながら言ったセリフに、反応が返ってきた。


「そうしていいなら連れ帰るが……」


 一瞬沈黙が下りた。先に再起動したのはエルザだった。

「……なんでお前、ここにいるの?」

「知らせを受け取ったから来た」

 何とも簡潔な答えだった。どうやら、イングラシア公爵宛ての手紙だったため、速達で届いたようだ。ここでサビーナが再起動を果たす。


「はっ。私は先生の代わりに今日の講義をしておきますので、先生は公爵とゆっくり話し合ってくださいね!」


 と言って、サビーナが講義資料を持って出ていく。ルカがびくっとしてサビーナを通す。察しが良すぎると言うか、そもそも講義までまだかなり時間があるのだが。

「……気の利く子だな」

「利きすぎてる気がするけどね」

 エルザはルカにそう切り返すと、ソファに座った。サビーナが張り切って出ていったのだから、このまま任せてしまおう。そんなエルザに、ルカが毛布を掛ける。エルザが仮眠用に使っている毛布だ。


「妊娠したって、本当か?」


 と言いながら、毛布を渡してくるあたり、ルカもエルザが身ごもっていること前提で進めている。

「……まあ、先生にはそう言われたね……三か月くらいって」

「誰の子だ!」

「お前だよ!」

 すかさずツッコミを入れるエルザに、ルカは「すまん、言ってみたかっただけだ」と謝る。本当にこいつ、基本真顔だから冗談なのか本気なのかエルザにもわからない。

 ルカはエルザの隣に座ると、彼女を抱き寄せた。その頭を抱き込むように腕を回す。

「ありがとう」

「はあ?」

 ルカの腕の中で間抜けな声を出すエルザである。ルカが笑った気配がした。

「いや。うれしさを伝えたいと思ったんだ」

「うれしい……」

 対するエルザの反応は微妙だ。エルザは自分のおなかに手を当てる。

「先生が言うなら確かなんだけど……ここに子供がいるなんて」

 エルザはルカの胸元に額を押し付けて言った。


「実感がわかない。自分のことなのに、よくわからない。自分が変わってしまうのが、怖い」


 自分は変わった気がしないのに、周囲が気を使ってくる。それで、自分が変わってきたのだと気付く。それが恐ろしかった。

 だから、いつもと同じことをしようと思った。止められたけど。

「私は、気の利いたことなんて言えないが」

「期待してない」

 ルカの言葉に、エルザはバッサリと斬り捨てた。ルカはちょっとショックを受けたようである。それでも、彼は言った。

「どうなろうとエルザはエルザだ」

「……うん」

 いつもと変わらないルカの様子に、エルザは少し微笑んだ。妊娠でナイーブになる女性がいると聞くが、その気持ちが今は少しわかる気がする。


 ルカがうれしいと言ってくれるのなら、子供を授かってよかった、と思える。思い込もうとしているだけかもしれないけど。とにかく、精神の安定を図りたいエルザである。

 少し気分が落ち着いて目を閉じたら、急に何かがこみあげてきた。いや、物理的に。

「どうした!?」

 突然前のめりにうめいたエルザにルカがあわてる。エルザは口元を手で覆い、答えた。

「気持ち悪い……っ」

 朝食を食べ過ぎた……。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


まあ、そういうことになるよねと……思って。そろそろ締めにかかります。


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