補講5
2月ですねー。
しばらくルカとエルザの大学時代です。
「エルザァ!」
聞きなれた低い声で名を呼ばれ、エルザは振り返った。初等学校からの幼馴染であるルカが全速力でエルザの方に走ってきていた。
「……どうした」
どこからツッコミを入れればいいかわからず、エルザは平たんにそう尋ねるにとどめた。駆け寄ってきたルカはそこで一度深呼吸した。
「……いや、姿が見えなかったから」
「……」
何だそれは、と思わないではないが、とりあえずエルザはルカを見上げるにとどめた。
今年この二人が入学したフィユール大学は、『大学の中に街がある』と言われている。そのため、大学内だけで暮らすことは十分可能だ。王都に近い場所にある大学だが、おそらく、在学生すべてが寮生活ではないだろうか。
エルザとルカも例にもれず寮生だった。ちなみにエルザは、この時入った寮に十年以上暮らすことになる。ということを、十八歳の彼女もルカも知らないことであった。
「エルザは歴史学を専攻すると言う話だったな」
「まあね。女が政治学とかやっても、白い目で見られるだけだし」
と、エルザ。高等学校までならともかく、大学まで来ると女子学生は格段に減る。みんな、エルザくらいの年で結婚し、家庭に入ることが多いからだ。
そんな結婚適齢期とみなされる年齢のエルザは、結婚するつもりはなかった。だからこそ大学に入学したともいえる。もともと学習意欲のあった彼女だ。そのまま勉学に一生を捧げるかもしれない勢いだ。
エルザとて、その手の話がなかったわけではない。しかし、十六歳の時に婚約が破棄されて以降、そんな気分に慣れなかったのは確かだ。
エルザは貴族の子女とは思えない大股で歩きながら、隣のルカを見上げた。今のところ、彼と一緒にいるのが一番気が楽だ。
「ルカはどうすんの?」
「……まだ決めてないが、政治学か、それか社会学がいいかなと……」
考え込みながら彼は言った。まあ、今は大まかな枠組みを決めるだけで、まだ専門的にはならない。決めるまでにはまだ時間がある。むしろ初めから決まっているエルザの方が珍しいくらいだ。
「ま、あと四年よろしく。もう十年近い付き合いなのに、まだ続くな……」
「私はうれしいけどな。またお前と一緒なのが」
軽い調子で言ったエルザに、ルカはそんな事を言った。エルザは目を細める。
「お前、女性恐怖症じゃなかった?」
この男は、高等学校時代に年上のお姉様に襲われかけていこう、女性が怖いらしい。しかし、付き合いの長いエルザにだけは普通に話しかけてくる。これがエルザにはよく理解できない。
「ああ。そうだな」
ルカがしっかりとうなずいた。エルザは呆れる。
「ルカ、私の性別は知ってる?」
「もちろん知っている。だが、エルザはエルザだろ」
「……ルカ。何か私に言っておくことはない?」
完全にエルザを女性として認識していないルカに対してそう尋ねると、彼は少し悩んでから、「ああ」と言った。
「これからもよろしく」
「……」
そうだけど、そうじゃない。
△
「ねえエルザ」
大学内には女子学生がどうしても少ないので、エルザは数少ない女子学生とすぐ友達になった。まあ、今後どうなるかわからないので、正確には『つるんでいる』ということになるのだろうけど。
「なに」
「エルザってルカ君と一緒にいることが多いけど、恋人なの?」
この手の質問は大学に入ってから散々されている。上級生のお姉さま方からも聞かれた。そして、エルザの答えはいつも同じだ。
「違う」
しいて言うなら幼馴染、もしくは腐れ縁である。その女子学生は「ふうん」と首をかしげる。
「その割には親密じゃない?」
「付き合いが長いから、お互いに遠慮がないだけだよ」
しれっとエルザはそう答える。そう。事実、エルザとルカの間には遠慮などなかった。
「じゃあ、私がルカ君に告白してもいい?」
「どうぞ。女性恐怖症のあいつがどういう反応をするか見ものだな」
「……なんかつまんない!」
彼女はそう言ってエルザの隣の椅子を引いて座りなおした。黙々とレポートを書いていたエルザは視線をあげた。ちなみに、この時期のエルザはまだ眼鏡をしていない。
「なんか親密だから、もっとこう……甘酸っぱいような関係なのかと思ったのに!」
「私たちがそうなったらそうなったで見ものだな」
「エルザったら、そればっかり!」
その女子学生はすねたようにそう言うと、不意に話題を変えた。
「そう言えば、入試って結局二人のうちどっちが主席だったの?」
「入試はルカだね」
「じゃあ、エルザは次席なんだ」
「そう言うこと」
エルザは最後にサインをして、レポートを書き終えた。隣の女子学生がそのレポートを覗き込む。
「もうできたんだ。ねえ。エルザは悔しいとか思ったりするの?」
そう尋ねられ、エルザは一瞬だけ考えた。
「……少しはね。でも、やっぱり比較的ルカの方が頭がいいかな」
おそらく、ルカに尋ねると「比較的エルザの方が頭がいい」と答えるだろう。変なところが似ている二人だった。
「……なんか恋人とか、付き合う前の二人とかっていうより、熟年夫婦みたいね」
関係が、とその彼女。基本的に、大学まで来るような女性は、さばさばした性格のものが多い。エルザは彼女をじっと見つめた。
「マルティナはさ。何で大学まで進学したの?」
「お、エルザ、私に興味持った?」
ニコニコと女子学生……マルティナは言った。彼女は身を乗り出す。
「私って頭いいじゃない」
「……まあ、そうだね」
基本的に女性より高度な教育を受けている貴族男性ですら『難しい』という大学入試を突破してきたのだ。エルザほどではないが、マルティナも『軽々と』越えてきたらしい。
「だからさぁ。私と頭で張り合える相手を探したかったのよね」
マルティナも貴族階級の出身だ。この身分の女性には、どうしても『結婚』が付きまとってしまう。どうせ結婚するのなら、話していて楽しい、つまり、自分の話についてくることができる男性と結婚したい、というのがマルティナの意見だった。考え方が貴族的ではないと思うのはエルザだけではないだろう。
ちなみに、このマルティナは後に、留学生と結婚して国外に出ている。
「そう言うエルザはなんで? もともと婚約者いたんでしょ」
マルティナも尋ね返してくる。エルザは一瞬ぽかんとしてから、「ああ」とうなずいた。
「マルクのことか。まあ、二年前に破談になったけどね」
「あいつもひどいよねー。婚約者放ってほかの女に走るなんて」
「むしろ放ってたのは私だけどな」
「エルザ、ドライだもんね」
まあ、元婚約者のマルクが婚約者らしからぬふるまいをしたのは確かだ。そもそも、そんなに情もなかったため、あっさりと破談になった。エルザの実家は公爵家だ。相手も強く出られなかったのだろう。まあ、全て親任せなのでエルザは簡単な顛末しか知らないが。
「それで大学に来たの?」
「……別にそう言うわけじゃないけど」
エルザは少し考えた。彼女は、明確な意思があって大学に入ったわけではない。ただ、自分の頭脳を生かせる場所、と思ったのが大学だっただけだ。その中でエルザが興味を持ったのが歴史学であった、ということだ。どちらかというと消去法である。
「……まあ、ルカがいるならいってもいいなって思ったのはある」
「……それ、のろけよね」
半目になったマルティナに、エルザは首をかしげて「どこが?」と尋ね返した。マルティナがため息をつく。
「まあいいわ。ねえエルザ。そのレポート終わったなら私の手伝ってくれない?」
「……まだ課題が残ってるんだけど」
と言いながら、エルザはマルティナを手伝った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
18才ルカはほぼ変わらず。でも、現在ほどポンコツではありません。
18才エルザはノーメガネ。服のセンスは微妙ですが、性格にやや可愛いげがあります。




