補講4
ルカ視点です。
爵位をついでから結婚しろと言われてきたイングラシア公爵ルカは、今年の春についに結婚した。ルカもその嫁となったエルザもともに二十九歳である。
一般的に見れば晩婚であるが、そんなところを気にする二人ではない。ついでに言えば、結婚報告をしたとき、まだ結婚していなかったのか、とむしろ驚かれた。
二十年近い付き合いの二人だ。結婚したからと言って、双方とも変わった感じはないのだが、周囲から見ると違って見えるらしい。
正直に言えば、ルカはずっとエルザを甘やかしてみたかったのだが、結婚したことでその感情が表に出るようになったのだろうか。
エルザは大学教員であるので、学期中は大学にいる。それでも、春に結婚してからは、休みの日になると王都に戻ってきていたし、もちろんルカから大学の方に行くこともあった。少しさみしい気もするが、ルカはそんなエルザが好きなのでそれでいいのだと思う。
基本的にエルザはさばさばした性格の女性だ。正直、男であるルカよりも男気があるのではないかと思っている。そんな彼女が「甘えたい」と言い出した時は正直どうしたのかと思った。彼女はこんなにかわいらしい人だっただろうかと思った(ひどい)。
ルカは自分の正面で次の手を考えているエルザの顔を見た。カードゲームなどの計算力と人の考えを読むようなゲームだとエルザの方が強いが、戦略的ゲームはルカの方が強かった。まあ、戦略的ゲーム……つまりチェスも相手の考えを読まなければならないが、これはおそらく、場数の問題だろう。
とはいえ、今回は以前レベッカやガイウスたちと酒によるハンデ戦をしたときにエルザが提案した、チェスの駒がショットグラスになっているものを使用している。しかし、中に入っている酒は蒸留酒ではない。ルカが酒にはあまり強くないので、度数の低いサングリアを入れていた。普通は蒸留酒を入れる者である。北国の遊びであるのだ。
取った駒の酒はとった人間が飲み干していく。チェスはルカの方が強いので、必然的にルカが多く飲むことになる。今のところ、まだ平気だ。エルザも普通に比べたら強い方なので、結構な接戦である。まあ、ルカはだいぶ頭がぼうっとしてきているが。
「……ルカ、だいぶ手筋がぶれてきたね」
エルザが白の駒を動かしながら言った。それから取ったショットグラスの中身を飲み干す。相変わらずエルザは酒に強く、飲んでも顔色が変わらない。
ルカも黒の駒を動かした。
「チェック」
エルザがビショップを犠牲にして逃げる。やむなくビショップをとったルカは、そのショットグラスに入っていたサングリアを飲みほした。
その瞬間本格的にぐらっときた。その間にエルザがルカ側のキングに王手をかける。それからエルザはルカが上体を傾けたことに気が付いたようだ。思わずと言う風に手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「ああ……」
ルカはエルザの伸ばされた手をつかみ、自分の方へ引っ張りよせた。チェス盤を倒さないように、エルザが立ち上がる。
「ちょっと。危ないから離せ」
エルザが怒ったように言うが、ルカはその手を放さなかった。あきらめたのか、エルザは試合放棄してルカの側に来た。
「ねえ、ちょっと大丈夫? もう寝る?」
「……試合放棄か」
「……わかったって。提案した私が悪かったから、もう寝よう。明日起きられなくなるよ」
エルザはルカの肩をポンポンと叩いた。だいぶ酔いが回っているルカは、その優しい声に誘われるように握ったままだったエルザの手を再び引いた。
「うわっ」
思いがけず強い力で引っ張られたエルザがルカの膝に倒れ込んだ。その体を持ち上げて自分の膝に座らせた。そして、その体を抱き込む。ちょうど良い抱き枕である。
「ちょっと待とうか公爵。このまま寝る気? 体いたくなるよ」
「ああ……」
ルカはエルザの首筋に鼻を擦り付け、ルカはぼんやりと返事をする。やっぱりあきらめたのか、エルザがルカの背中に手を回し、ポンポンと叩いた。
こういう時、幸せだなと思う。エルザも言っていたが、契約恋人から妙なところに落ち着いたものだ。しかし、ルカははじめからエルザとなら結婚できると思っていた。それが途中で『したい』に変化していったのだが。
「ほら。待って寝ないで。立てる?」
エルザがルカを立たせようと膝から降りた。彼女に支えられるようにルカは立ち上がる。そう言えば、昨シーズンにルカが熱を出した時もエルザはこうして面倒を見てくれたか。
「ちょいと失礼」
などと言いながらエルザはルカの室内用の上着を脱がせた。たまに思うが、エルザは言い回しが古臭いことがある。歴史学者だからだろうか。
「……エルザ」
「何?」
寝ちゃったほうがいいよ、とエルザは言った。ベッドに腰掛けたエルザの手を取り、その指先に口づける。
「何か話をしてくれないか」
「話ぃ?」
エルザが困ったような声を出す。彼女は小首を傾げてから言った。
「神話みたいな話で良ければ」
正直、あ、してくれるんだ。と思った。言ってみるものである。エルザとこうして過ごす時、結婚してよかったなぁと思うのだ。
△
翌朝目を覚ますと、珍しくエルザに抱えられる形で目が覚めた。珍しく、というか初めてかもしれない。これ幸いとばかりにルカは彼女の胸元に顔をうずめた。エルザがくすぐったそうに身じろぎした。
相変わらずさばさばしたエルザだ。起きているときにこんなことはできないと思うと、眠っている彼女を見られるのは役得のような気がする。ルカはエルザの背中に手をまわした。
「……眠いのはわかるけどさ」
不意に頭上から声が聞こえ、ルカは少し体を離してエルザを見上げた。エルザのグレーの瞳がルカを見つめていた。
「起きないと遅刻するんじゃないの」
指摘されてルカは時計を確認した。エルザの言うことは正しい。だが。
「もう少し」
「おい」
もう少し、エルザを堪能していたかった。だが、結局エルザにたたき起こされた。どういう方法かというと、ベッドから落とすと言う方法で。実に手荒である。これにはさすがのルカも起きざるを得なかった。
「二日酔いは?」
「平気だ」
ルカの答えに、エルザは「そう」と素っ気ない。だが、その素っ気なさがエルザだ。エルザもベッドから降りて「ほれ」と自分が落としたルカを立たせる。
「手荒にして悪かったね」
よしよし、とエルザがルカの頭を撫でる。エルザのこの仕草が可愛いと思う。
「なあエルザ」
「何?」
エルザが昨日自分が着ていたショールを羽織りながら聞き返す。ルカはその様子を眺めながら相変わらずの真顔で言った。
「キスしてくれないか?」
「……もしかして目を空けたまま寝てる?」
「……本気なんだが」
半分本気でしてほしいし、半分してくれないだろうな、と思っている。ルカがじっとエルザを見つめていると。
「……屈んで」
ため息交じりにエルザが言った。ルカがちょっと期待してかがむと。
「ばーか」
鼻をつままれた。すぐそばにエルザの笑顔がある。ルカがキョトンとしていると、エルザはそんな彼の頬に唇を押し当てた。半分してくれないだろうなと思っていたのだが、してくれた。
「ほら。準備しないと本当に遅れるよ」
「……ああ。そうだな」
ルカはエルザの頬にキスを返し、支度を始めた。本当に遅刻しそうだった。
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次からは二人の学生生活です。




